第4話 用意された平和
宇宙人との遭遇から、文香の高校生活はいつになく恙なく進んでいく。
今日も今日とて、お昼休みにお弁当を食べながら友人たちとの会話に花を咲かせている。
それに最近、晴美はあまり橘の話題を出さなくなり、晴美が言わないから気を使ってか、沙代子も朱音もあまり自身の恋の行方について話題に乗せることが少なくなった。
話題は、ドラマや音楽の話に部活の話、社会科の教師の悪口、迫りつつある文化祭、そのあとに続く期末テストへの恐怖などの当たり障りのないものばかりだ。
そんな中、晴美が思い出したように話題を変える。
「そういえば、最近なかやんってば、斎藤君に優しくない?何かあったの?」
「あー、宇宙人?宇宙の平和を守るため友好関係を築くことにしたのよ」
「「「「・・・はあ?」」」」
―あっ、めずらし!4人が揃った。ののまで同じ反応とはね
不思議なものを見るように絶句した4人の友人の顔を、文香は面白そうに眺める。
頭の中で文香の発言をリフレインしているようだ。いくらリフレインしても、どんな意味か分からないと察したのか、最初に失語症から復活した恭子が心配そうに聞いてくる。
「何言ってんの?なかやん。気は確か?」
「大丈夫だって、ちょっとしたオチャメだよ。ほら、斎藤君って言動が訳わかんないじゃん?この間あまりにもおかしなこと言ってるから、気づいたのよ。
ああ、考えても無駄だなって。このヒトはたぶん私の理解が到底およばない宇宙人だって、違うホシの人なんだから親切にしなきゃってね。
ほら聖書も言ってるでしょ「汝の隣人を敬え」ってね」
へらへら笑う文香の顔を4人がまじまじと見つめてくる。
はあっ、とため息をつき、最初に自分のペースを取り戻したのも、やはり恭子だった。
「まあ、いいけどね。訳の分からないものに名前を付けて、思考的逃避行動に出たわけね」
あきれ顔でつぶやく。
それを聞き文香は内心
―あちゃ〜、嫌なこと言うな〜
と思いながらも「ふんっ、何とでも言いやがれ。私の平和万歳、よ」とうそぶく。
さらに混迷が深まった顔をした、残りの3人も、文香よろしく、訳の分からないことには蓋をすることにしたのか、笑顔を貼り付け「まあ、平和って、いいことよね」と頷きあう。
平和なランチタイムを取り戻した5人は、当たり障りのない文化祭の話題に戻っていく。
文化祭といっても、曲がりなりにも進学校のこの高校では大したことはしない。しかも大学受験と時期を離すために6月の半ばに行われるのだ。
平日に近くの老人ホームのお年寄りや幼稚園の園児を招き、出し物や出店をするくらいだ。
休日に催して他校生徒とトラブルになったり、父母のクレームに右往左往したり、なんてことが起こりえないよう、先回りした平和が準備されている、そんな文化祭である。
とは言っても、準備のために買い出しに行ったり、授業のスケジュールが変更になったり、いつもより遅くまで教室で作業をしたり、とささやかなる非日常の予感に、生徒たちは浮き足立つ。
文香のクラスでは園児たちが楽しめるように、教室内に迷路を作って探検してもらおうと企画している。
危なくないように生徒が園児に付き添って、一緒に迷路内を探検するのだ。
迷路はジャングルのような装飾を施し、園児が好むであろう動物の絵をちりばめる予定だ。
「のの、美術部員の腕の見せ所だよ」
沙代子が楽しそうに期待を込めた目で恭子を見る。
「やめてよ沙代ちゃん。私の描く絵見たことある?シュルレアリスムなキリンを園児が理解できるかしら」
ニヤリと恭子は不敵に笑う。恭子も文香と同様、素直にがんばるといえないタイプなのだ。
「園児に理解できなくてもいいから、私見たいかも」朱音が無責任な発言をする。「私も〜」それに晴美までそこに乗る。
「朱音も、晴美も、やめなって。冗談じゃなく、やっちゃう女だよ。ののは」
珍しく文香は悪ノリせず、恭子を牽制する。
先に「やっちゃう女」と言ってしまえば、恭子は恐らく変なことはしないだろう。行動をみすかされるのが嫌いなのだ。
まさかやらないだろうと思われていればやるし、たぶんやるだろうと思われていればやめる、アマノジャクな奴だ。
ここで調子に乗って「やれるもんなら、やってみな」とでもいえば、恭子は間違いなくやらかすだろう。
―おとなしくポップなキリンでも描きやがれ
内心毒づきながら恭子を窺うと、「まさか、私はそこまで非常識じゃないって、子どもとお年寄りには優しい常識人だからね」と期待通りの反応だ。
文香はこみ上げる笑いを噛み潰しながら、「いいよね。特技がある人は、私なんて役立たずの無駄飯喰らいだよ」と必要以上に自分を卑下する発言をする。
しかし、やはりこれはやりすぎだったのか、恭子にジロッと睨まれ、肩をすくめた。
でもその発言を真に受けた沙代子に「そんなことないよ、なかやん。買い出しとか段ボール集めとかやること満載なんだから」と言われ、「そうそう、たまにはあんたも集団行動に従いなさい」と集団行動から外れっぱなしの恭子にしたり顔で諭される。
恋のハンター晴美は「何か起こりそうな予感がする」とわくわくしてるし、朱音はただただ授業がつぶれるのがうれしいのか「早く文化祭の準備がしたい!」と浮かれている。
普段ならノリが悪く、こうした行事に積極的には参加しない文香も、友人たちの様子につられてか、少しだけ気分が高揚している自分を自覚していた。
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そんな平和な日常の中、放課後の宇宙との交信は続いていた。
文香が教室で一人でいると、たいてい斎藤がやってきて、声をかけてくる。
冷静に観察すると、斎藤は人懐っこいだけで、人畜無害な男だと文香は思う。
―私が意識しすぎてたってわけだ。なんかこっぱずかし
と当初の自分の過剰反応を恥じる気持も湧いてくる。
会話はたいていのどかな話題だ。女友達となんら変わらないような話で盛り上がる。
最近では斎藤が、宇宙人ではなく、人懐っこい大型犬に見えるほど、文香の斎藤に対するガードは下がっていた。
楽しそうにおしゃべりをしている斎藤は、笑顔の後ろにぶんぶんとよく回る尻尾が見えそうなほど無邪気だ。
文香は何度も頭をヨシヨシとなでたり、「お手っ!」と言いそうになる自分を抑えなくてはならなかった。
すでに心の中では「宇宙人」ではなく「ポチ公」と呼んでいるし、たまには自宅で作ったお菓子で餌付けもする。
斎藤は部活に入っていないようだが、すぐには家に帰りたくないのか、いつも乗る電車の時間まで文香のところで時間を潰して去っていく。
宿題をやりながら適当に相手をする文香に文句を言いながらも、他に暇つぶしのネタがないのか、毎日のように訪ねてきた。
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文化祭の準備週間を次週に控えた木曜日。
文香は優子に英語の辞書を借りようと3階へと向かう。
階段を上り切り、1組の前を通り過ぎようとすると、横から「あっ」というつぶやきが聞こえた。
いつも周りの様子を気にすることもなく、まっしぐらに2組まで突き進む文香だったが、視線を感じてふと足を止めた。
見上げると、やはり背の高い男子生徒がこちらを見ている。
―なんだか見覚えのある顔?知り合いだっけ?・・・・あっそうか、「若殿」だこのヒト。服装違うからわかんなかったよ。っていうか意外に制服も似合うじゃん。別人みたいだけど・・・
ちょっと固まってしまったが、気を取り直して話しかける。
「ああ、弓道部の人だったよね。先日はお邪魔しました」とぺこりと頭を下げる。
すると「いえいえ、大したお構いもしませんで」とあちらも頭を下げている。
―おお〜さすが「若殿」、礼儀もわきまえてますな。ちょっとその返事は面白いけど
と思っていると、若殿が頭をあげて、ニヤッと笑っていた。
それでふざけてやっているんだということに気づき、文香も笑いをこぼす。
「それじゃ」とお互い軽く手をあげて別れ、文香も2組の教室へ向かった。
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その日の放課後、やっぱりやって来た斎藤といつものように話していると、ふいに斎藤が口を閉ざす。
話の途中だったので気になって顔をあげると、なんだかこちらの様子をうかがっている。
「なに?どうしたの?私の顔になんかついてる?」と頬をなぜながら文香が聞くと、
「いや、何もついてない。・・・う〜ん。ふみちゃんって、橘と知り合い?」と聞き返してくる。
「橘?なんで?名前は聞いたことあるけど、知らないよ」
文香は訳が分からず首をかしげる。
「今日廊下でしゃべってたじゃん」と無表情に言う。
「今日・・・廊下で?」まだピンとこない文香は今度は逆方向に首をかしげる。
「3階の廊下でしゃべってたって聞いたよ?」と斎藤がさらに言ったので、文香はようやく思い至った。
「ああ!あれが橘君なんだ?へえ〜、はぁ〜、なるほどね〜。確かにさわやかかもね〜」と以前に聞いた橘の評判を思い浮かべながら、納得する。
「って、なんで斎藤君がそんなこと知ってるのよ?しゃべってたってほんの一瞬だよ?」
「な〜んか、女子の間で噂になってたからさ。橘って普段あんまり女子と口効かないのに珍しく女子と話してたって」
その斎藤の言葉にぎょっとして、文香の頭に最悪のシナリオが浮かぶ。
―それって、晴美になじられて、私がしどもど言い訳しなくちゃいけないってパターンじゃないの?あるいは、橘ファンクラブに呼び出されて校舎裏でシメられるとか・・・。やだやだ、そんなメンドーに巻き込まれるなんてまっぴらごめんだよ
そんな妄想に顔をしかめ「そんなに噂になってたの?その話ってどこまで広がってる?どこで、だれが、いつ、どんな噂を?」と続けざまに聞いてくる文香を、斎藤は不思議そうに眺めながら、
「2組の女子が、お昼休みに、橘と7組の中山さんが見つめあって仲よさげに話してった、つってたんだけど?どこまで広がってるかはわかんねーよ」と文香の質問に律儀な回答を返してきた。
「!仲良くって?普通に挨拶を交わしただけだよ・・・恐るべし!乙女の恋のフィルター・・・」なんとなく悪意を感じるその内容にさらに文香は混乱する。
―だいたい橘っていったら、晴美も晴美の幼馴染も掘れちゃうようなイケメンで、沙代子や朱音まで声を揃えて「かっこいい」と評するほどのイケスカナイヤツだったはずで、私はそんなヤツとは絶対かかわりあいになりたくないと思っていたのに・・・若殿が橘、橘が若殿・・・・詐欺だよ。王子様タイプじゃないじゃん。橘なら橘らしく後光が差してるとか、歯がキラッと輝くとかわかりやすくしてよね!
勝手な橘像を創り上げていた文香には、すっかり「若殿」にだまされたような気までしてくる。
すっかり冷えた気持ちで「まあ、大した噂じゃないし、ほっとけばそのうち消えるよね。橘君と話すことも二度とないだろうし」と頷き自分への慰めを言う。
そんな文香の様子にいつもの調子を取り戻した斎藤は、「ふ〜ん、まっ、なんでもねーなら別にいっけど」とポチ公スマイルをよこし、「そーいえばふみちゃんって好きな男いないの?って、その前にカレシとかいたりする?」となんでもないような調子で聞いてくる。
「はぁ〜?あんたまでそんなコト?だいたいカレシ持ちが毎日教室で放課後一人さびしく過ごしてるわけないじゃん」
そこまで話し、私ってもしかしてさびしい女?とちらっと考えてから、それよりも重要なことに気づく。
「そういえば、あんたはまさか彼女とかいないでしょうね?実は女子に人気とか?・・・それこそ変な厄介事に巻き込まれちゃうじゃん。大丈夫でしょうねえ?!」と疑わしそうな顔で斎藤を窺う。
「なんだよ〜、いまさら。俺はふみちゃん一筋だから心配するなって!」と見当はずれの返事をする。
「いやいや、そこはどうでもいいから。なに?ヒトスジって、サブイ・・・」ジロリと横目で睨むと、「サブイってひでー」斎藤はげらげら笑いながら洩らす。
「だって、よくよく考えてみると、斎藤君と私のこの状況の方が、その恋のプリズムフィルターで、二人っきりでラブラブだったとか、つきあってるとか、あれこれ色付けて変な噂になりかねないじゃん・・・」
そこまで言うと文香は考えるのも恐ろしいと、ぞっとした顔をする。
すると斎藤は少し意地悪な目をちらりと寄こし、「っていうか、その心配は手遅れだから気にすんな」ポンっと文香の肩を叩く。
「!手遅れって、まさか、まさかだよね?」文香は不安げな表情で斎藤の顔を見上げる。
「まさかって、もしかして今まで何も知らなかった?とっくに噂になって、付き合ってるんだってことで沈静化してるけど?」ポチ公スマイルのまま文香に爆弾を落とす。
文香はあまりのことに頭の中が真っ白になって、はたっと机に突っ伏した。
―あーこのまま寝てしまおう。これは夢だ。夢に違いない・・・ 得意の現実逃避だ。
斎藤は突然突っ伏してそのまま動かなくなった文香の前で、どうしたものかなと、文香を見下ろす。う〜んと首をひねり、おもむろに文香の長い髪の間から覗いている白うなじに手を伸ばし、指でツーっとなぞる。
「うひゃあ!なにすんの!イヤー!今ぞわってしたよ。ぞわっと」首を縮めながら両腕を抱きしめるようにさすり、すごい剣幕で文香が復活する。
「いや〜、急にふみちゃんのスイッチが切れちゃったみたいだから、再起動しようかと」斎藤は悪気のなさそうな顔でこめかみを人差し指でポリポリと掻いている。
「で?なんでそんなに噂になるのが嫌なの?なんか困ることでも?」と片眉をくいっと上げて文香の目を覗き込む。
器用に動く眉をちょっと羨ましく見つめながら、改めて冷静に今後この噂がどんな影響を自分の生活に与えるか、について考えを巡らせる。
「なんで嫌かって、みんなのさらしものになるのが腹立たしいんだけど。事実無根の噂の渦中に放り込まれるのも納得いかないし・・・でも別に困らないかな?今まで何もなかったし、すでに沈静化してるならどうしようもないし・・・」
釈然としないながらも、すでに何もなす術はない、と結論付けた。最終的には、なるようになれ、とかなり投げやりな気分になっていた。
―そうだ、それよりもだ。ポチ公のことよりも、橘君の方が問題だよ。晴美の耳に入る前に対処しておく必要があるな
おもむろに鞄から携帯を取り出す。
晴美にメールを打とうとして、どう説明してよいか困り、手が止まる。いきなり「橘とは挨拶しただけでなんでもない」なんて、それまで橘のことを見たこともないといっていた文香からメールしたら、わけわかんないし、白々しい。だいだいこの話を晴美が知っているかどうかもわからない。明日にでも直接説明した方がいいか、と思い直し携帯を閉じる。
文香のこの一連の行動を見守っていた斎藤が、しまおうとした携帯を文香の手ごとつかむ。
「何やってんの?」
びっくりして斎藤を見上げると、ちょっと怒ったような顔でまっすぐにこちらを見つめる視線とぶつかり、文香は固まる。
固まった文香を見て、斎藤はふっと表情をゆるめて、クスリと笑う。
「ね、キスしよっか?」
急に瞳に甘い色を滲ませてそう囁くと、ぐいっと文香の手を引き寄せる。ぶつかるっと思って目を閉じた文香は、やわらかく受け止められる。斎藤の熱が肩に添えられた手から伝わってきた。
―あ、体温高い、ポチ公
と斎藤が言った言葉の意味を理解しないまま目を開くと、身をかがめた斎藤の顔が近づいてくる。とっさによけようとするが、肩にあった熱が首筋に移動し引き寄せる。ふわっと柑橘系の香りを感じ、その後唇に冷たくて柔らかい感触を感じる。
「んっ!?」
―・・・体温高いのに、冷たい、それに・・・柔らかい・・・
最初冷たかった斎藤の唇は徐々に文香の温度と同化し、さらに深く混ざろうと角度を変えて強くひき寄せられる。そこで我に返った文香は唇を引き締め、自分の状況を理解しようと、目だけをきょろきょろさせる。斎藤とキスをしていることは、理解したが、どうしたものかと動揺する。斎藤の様子を窺うと、薄目を開けて長いまつげの陰からせつなげな視線を投げてくる。
―ぎゃあっ!なに?そのエロエロビームは!こいつ欲情しやがったな、発情期か?ポチ公!
その視線に絡みとられそうになりながらも、なんとか意識を立て直し自由になる左手で、斎藤の右耳をむんずとつかんで引っぺがす。
「イテテテテっ、何すんだよ!」斎藤は耳を押さえ机の上で悶えている。
「そっそれはこっちのセリフだよ!いきなり発情しないでよね!」動揺を隠しながら、びしっと指さす。
―伏せっ!伏せてろ!ステイ!
そんな文香の心の声を無視して、斎藤は耳を押さえながらも顔を上げる。
「イッテ―な。耳もげたらどうすんだよー」
「あー、悪いことしたワンコには、すぐさまお仕置き?ってのをするのがしつけのポイントなんだよ?」
斎藤の唇が文香のグロスで光っていることに動揺しつつも、目をそらし、平静を装い冗談でごまかす。
「ワンコにお仕置きって・・・はぁ〜、ふみちゃん、君はナカナカテゴワイね・・・」
そう言って組んだ両腕をそのまま机の上に投げ出し、そこに顎を乗せて文香を見上げてくる。
「で?・・・どんなだった?嫌だった?それともヨカッタ?」
とまたエロい目線を投げかけてくる。文香は思わず携帯を握りしめたままの右手を無表情に振り下ろす・・・が斎藤は意外に機敏な動作でその手をよけて手首をつかむ。
「あぶね!ふみちゃん意外に過激だねぇ」
余裕の口調だ。
「まだしつけが足りないかと思ってね」
はははと乾いた笑いが文香の口からもれる。
「まあ、今日のところはこれぐらいにしといてやるよっと」
斎藤はそうつぶやき、不意に立ち上がる。
文香の頭をくしゃっとなでてから「じゃな」と軽く後ろ手でバイバイしながら去って行く。
文香は茫然と斎藤の背中を見送った。
―飼い犬に手を咬まれた・・・