第1話 出会いの季節
4月、公園のほぼ散ってしまった桜を横目に、文香は新しい制服に身を包み、足早に今日から通う自分の高校を目指して歩いていた。
はじめての登校、といっても、それまで通っていた中学から数キロ離れているだけで、しかも中学よりその数キロ分自宅から近い。
―うっかり中学まで行っちゃったりして・・・
文香は、ぼんやりと新しい環境への緊張を意識しながら、自分が犯しそうな失敗が一瞬頭をよぎり
―さすがにそれはないでしょ
と心の中で苦笑しながら自分にツッコミをいれた。
周りにはクールで落ち着いた大人しい少女だと思われているが、何かに集中するとすぐに他がおろそかになり、とんでもない失敗をすることが多々ある。
ついつい過去の失敗に思考が及び、自己嫌悪になりそうになるが、どうにかその思考を遮断し、今日からの高校生活をちらっと考える。
すると今度は緊張感にとらわれそうになり、
―いかんいかん、今から緊張しても疲れるだけじゃん
とまた無理やりその思考も断ち切った。
―こういうときは、何か楽しいのんきなことを考えなくちゃ
早足のまま周囲のうららかな景色に目を向ける。
―あ〜、春だね〜。ぽかぽかあったかいし。菜の花は咲いてるし。空の色もなんだか穏やかだよ〜。
とりあえず、嫌なことには蓋をして、すこし浮き立つ気分を感じながら先を急ぐ。
高校に近づいてくると、同じ制服、同じ色のネクタイの生徒たちの数が増してくる。
文香には知らない顔ばかりだが、自分が遅刻したり日にちを間違えたりしていないことに、ホッとしながら、その制服の列に静かに加わった。
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入学式の今日は1年生だけが登校し、体育館にクラスごとに整列することになっている。
クラス分けの表は事前説明会の際に配布され、文香はすでに自分が7組だということを知っていた。
合格発表後、高校からはたっぷりと宿題が出され、事前にその宿題の内容から出題されるテストが行われていた。
そのテストの結果で組み分けされ、成績上位者は特進クラス1〜3組に分けられている。
文香の中学の友人はみな特進クラスだ。
高校入試が終わりぼんやりと日々を送っていた文香はうっかり波に乗り遅れ、宿題は提出前日にむりやり終わらせテストは散々な結果だった。
同じクラスには同じ中学出身の生徒は一人だけ。ただし、男子。そしてそれまで名前も知らない男子だ。
そのことに少し不安を感じつつも、まったくの新しい環境に少しわくわくするような気持ちがしていた。
中学までは人見知りが過ぎて、すすんで友人を作ってこなかった文香だが、高校ではちょっと頑張ってみようと考えていた。
なにしろまだ高校生活は始まったばかり、最初の波には乗り遅れたけど、まだまだ挽回のチャンスはゴロゴロ転がっている。
―仲良くなれそうな子に気軽に声をかけてみれば大丈夫
自分を励ましつつ、すでに集まりだした生徒たちの群れに足を踏み入れた。
周りを見渡すと、同じ出身中学の者同士なのか、結構にぎやかに騒いでいるが、自分と同じように不安そうな顔で佇んでいる生徒もちらほら見える。
文香は7組の列までたどりつくと、とりあえず近くておしゃべりをしている二人の女生徒に話しかけてみる。
「ねえ。ここって7組の列だよね?」
「・・・うん」
「そう、ありがと」
にこやかに話しかけてみたのだが、向こうにはその気はなかったようだ。ちょっと冷淡に返事をされ、文香の笑顔も薄くなる。
―・・・がんばれワタシ・・・
ちょっとへこんだが、時間になったのか入学式が始まる雰囲気になり、館内のざわつきも徐々におさまってくる。
式が始まってしまえば、あとはただ立って先生の話を聞いているだけだ。自分だけ取り残されているような、身の置き場に困るようなことはない。
―まだまだ、これからじゃん。
文香は気を取り直し、わくわくした気持ちを持ち直した。
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「ねえ!なかやん、部活何にする?」
にこやかに朱音が話しかけてくる。
最初の不安は杞憂に終わり、入学式以後の文香の努力は空回りしていたが、なんだかわからないうちに、無事に仲良しグループらしきものの一員に文香は加わっていた。
中学までは「ふみちゃん」と呼ばれていた文香だが、高校は一味ちがう。「中山文香」の頭をとり「なかやん」と呼ばれている。
話しかけてきた朱音に笑顔を返す。
「う〜ん、吹奏楽部に入るかも?朱音は?」
聞き返すと朱音はきっぱり「私はバスケ部!」と答え、
「みんなはどうするの?」と今度は一緒に話していた面々に尋ねる。
みな中学の部活をそのまま継続するつもりだったようで、よどみなくそれぞれの希望を口にする。
朱音がバスケ部、恭子が美術部、沙代子がテニス部、晴美が男子バレー部のマネージャー。
野々山恭子、高木沙代子、野村朱音、瀬下晴美。これが文香の新しくできたツレだ。
クールで落ち着いている恭子、やさしくて女の子らしい沙代子、元気で天真爛漫な朱音、お洒落で好奇心旺盛な晴美。
性格も容姿もばらばらなこの友人たちは、最初のオリエンテーション合宿のルームメイトだ。
2泊3日の合宿中にすっかり打ち解けて、以後なにかとつるんでいる。
放課後、教科書やノートをカバンに詰め込みながら、文香はまだ迷っていた。
―う〜ん、部活、どうしよっかなあ・・
朱音には吹奏楽部と中学と同じ部活に入るようなことを言ってしまったが、実は帰宅部という線が捨てきれずにいた。
中学時代の、まじめでおとなし目の女子ばかりが集うという、吹奏楽部の雰囲気があまり好きではなかったからだ。
―それに、私って微妙にリズム感がおかしいような気がするんだよね・・・
と適正にも疑問が残る。
何より、「一緒に入ろう?」と友人に誘われて入っただけの部活だったので音楽への興味も情熱もイマイチだった。
高校ではがんばるっ!と意気込んでいたが、流されるままに吹奏楽部に入部するのは何かが違うように感じる。
しかし、運動神経がいいわけでも、絵が上手なわけでも、他に得意なことがあるわけでもない文香は部活に興味が持てない。
―もう友達もできちゃったことだし、友達目的で部活がんばる必要もないしな・・・よしっ決めたっ!帰宅部に決定。一人読書部ってことでいいや
活字中毒気味に読書好きな文香は、「一人読書部」などと若干さみしい響きのある部活を勝手に作り、満足げな表情で立ち上がった。
それに気づいた恭子が声をかけてくる。
「あれ?なかやん、もう帰るの?」
「うん。ののは?」
「私は美術部見学してくることにした」
「そっか、まあがんばってね。じゃあ、また明日。バイバイ」
「おう、サンキュ!バイバイ」
他の友人にも声をかけながら、教室を後にし、クラスのある2階から3階へと階段を登っていく。
1年は10クラスあり、1組から5組が3階、6組から10組が2階となっている。
文香が3階へ向かったのは、2組の木下優子を迎えに行くためだ。
同じ中学出身の優子とは、中学では顔見知り程度の付き合いだったが、自宅が近く、歩く速度が文香と一緒だったことから、自然と登下校するようになっていた。
文香は昔から歩く速度が速く、しかも他人のペースに合わせるのがあまり好きではないので、この歩く速度が一緒の優子はなかなか得難い存在だ。
2組の入り口にたどりつくと、優子の姿を探してキョロキョロと見渡す。
「優ちゃん、終わった〜?帰れる?」
優子の姿を見つけ、そばまで行き声をかける。
「あっふみちゃん。ごめん、仕度するからちょっと待っててね」
友人とおしゃべりしていた優子があわててカバンを取り出す。
優子を待ちながら、文香は近くにいた同中出身の谷内亜紀と目が合う。
「谷内さん。部活、もう入部届けだした?」
「うん。ふみちゃんは?」
たぶん聞かれるだろうと思っていた文香は用意していた返事を返す。
「私は高校では部活には入らないことにしたんだ」
亜紀は少し驚いた顔をしてから残念そうに顔をしかめた。
「えっそうなんだ。残念」
中学では同じ吹奏楽部の同じパートで、結構仲良しだったのだ。
文香は何となく罪悪感を感じながら、「谷内さんは、がんばってね?」と苦笑した。
すると文香の頭上に影がさした。
「あれ〜、他のクラスの子?谷内さんの友達?」
見ると、ぱっちりとした二重の目とぶつかる。
―うわっ、顔ちかっ!
内心びっくりしながら、後ずさり、相手を見返す。
長身で細身の男子生徒が、身をかがめ文香の顔を覗き込んでから、さらに文香と亜紀の顔を交互に見ている。
「斎藤君・・・」亜紀も驚いたのか絶句している。
「ちょっと、斎藤ってば、いきなり会話に割り込んで!シツレーな奴!」
優子の声がが後ろから飛んだ。
「なんだよ、木下。いいじゃんかよ。別に」
優子の非難にも動じず、斎藤は平気な顔だ。
「ふみちゃん、こんなヤツ、シカトしといていいからね!
さ、おまたせ、帰ろ?」
促されて、文香は亜紀に「じゃあ」と手を振りその場を離れる。
ちらっと、「斎藤」と呼ばれた男子生徒を見ると、
「ふみちゃん、バイバーイ」とへらへら笑いながら手を振っている。
どう返してよいものか迷いながらも、曖昧に笑顔を返し、文香は2組の教室を後にした。
―高校にはあんなちゃらい男子もいるんだ・・・
中学では男女があまり仲よくしているとすぐに冷やかされたため、よそよそしい扱いしか受けたことのない文香は、新生物を発見したような驚きを感じていた。
高校生にもなると、色気づいたクラスメイトもちらほら出没し、グループで仲良くはしゃいでいる男女の姿を目にすることもあった。
しかし、文香の高校デビューの野望はあくまでも「楽しい高校生活」であり、色恋沙汰への野望は一切考えていなかった。
相手の言葉や行動に一気一憂する恋する乙女たちをみるにつけ、
―メンドクサ〜
といまいち共感できないでいる文香は、異性を意識はしているが、どちらかというと警戒していると言ったほうが近く、メンドウゴトに巻き込まれたくないと、ドライに考えている。
「斎藤」の名も、知らず知らず危険因子として、文香のなかではインプットされた。