少年、頭を抱える
山賊共が襲ってきた理由については、ソーラがその山賊のリーダー格らしき男を蘇生させ、彼から直接聞くことにした。実行場所には中庭が選ばれ、尋問役にはアイビーが立候補した。
それから数分後、彼らは中庭に移っていた。そして高雄達からやや距離を取った地点にアイビーとソーラが立ち、そこでソーラが蘇生の呪文を唱えている間、高雄が帰ってきたばかりのコロヌスに問いかけた。
「蘇生魔法って、本当に死んだ人を生き返らせられるんですか?」
「色々条件はあるがな。こちらの世界で死んで、術者がその死に様を目撃して、さらに死んでから三十分以内の死者であれば、蘇生させる事は可能だ」
「なんでもありなんですね」
高雄が呆然と呟くのと、ソーラの目の前で紫色の光の柱が出現したのは、ほぼ同時だった。全員がそちらに目を向けると、やがてその紫の柱の中から一人の男が姿を現した。
角の生えた鉄製の兜を被り、見るからに頑強そうな鋼鉄の鎧を身に纏った、大柄な男だった。顎髭を立派に蓄え、その目には野獣のような鋭い光が宿っていた。
そしてこの男は、自分が蘇ったことを自覚していないようであった。彼は呆然とその場に立ち尽くし、「ここはどこだ?」と無防備に周囲を見回した。
「ソーラ様、お願いします」
「<座れ>!」
そしてその男に対して、魔術師とメイドは容赦しなかった。アイビーが声をかけると同時にソーラが「服従」の魔法を行使し、それを食らった男は自分の意志とは無関係にその場に正座させられた。そうして強引に座らせた男にアイビーがゆっくりと近づき、手にしていた果物ナイフを男の首筋に突きつけた。
「動かないで」
耳元で囁く。いきなり体の自由を奪われ、そして首に刃物を向けられた男は思わず恐怖に息をのんだ。
「今から私の質問に答えてもらいます。ここがどこか、私達が何者か、あなたが知る必要はありません。あなたはただ黙って、私の質問に答えれば良いのです」
素直に答えてくれれば、ここから生かして帰してあげましょう。アイビーは淡々と、冷え切った声でそう告げた。男は黙ってそれを聞いていたが、やがて自分の置かれた状況を理解するや否や、その顔に余裕そうな笑みを浮かべた。
「なんだ? 脅してるつもりかよ? てめえらが誰だか知らねえが、俺様がその程度で口を割るとでも思ってんのか?」
「あまり抵抗しない方が身のためですよ。でなければ、痛い目を見ることになります」
「言うじゃねえか、ヒョロヒョロ女」
山賊の長はアイビーの恫喝に動じなかった。それどころか鋭い歯を剥き出しにして、獲物に食らいつくほどの勢いで更に声を荒げた。
「へん、やれるもんならやってみやがれ! 俺様がお前みたいなモヤシ女に折れると思ったら大間違いだ! 骨の一本や二本、いくらでもくれてやるぜ!」
まさに一気呵成。怖い者知らずとばかりに吼えまくる。
一度死んで生き返った身だというのに、なんとも威勢のいいことだ。そんな強気な言葉を吐き続ける男に対してアイビーはそう考えつつ、一つため息をついた。
この男は本当の急所というものを知らないようだ。
「忠告はしましたよ」
そして静かにそう告げると、思い切り男の股間を蹴り飛ばした。
「ぎ――ッ」
予想以上の激痛であった。男は悲鳴を上げることも出来ず、膝立ちになって白目を剥いた。そして両手で股を押さえ、悲痛な表情を浮かべた。顔面からだらだらと汗を噴き出し、股間を押さえる指の隙間からは赤い液体が漏れ出していた。
それまでの強気な態度は完全に消え去っていた。
「ひっ、ひっ、ひぃっ……」
「次は肛門にしましょうか」
そんな声にならない声を上げ、壮絶な表情を浮かべる男に対し、手にした果物ナイフを両手でへし折りながらアイビーが耳元で囁いた。そしてアイビーは折ったナイフを配膳台に置き、そしてその隣にあった鋸へおもむろに手を伸ばした。
「な、何する気だよ……?」
「先程も申したでしょう?」
銀色に光る鋸の刃を指でなぞりつつ、アイビーがにこりと笑う。
「次は肛門です」
直後、山賊長の顔が一気に青ざめていった。それこそ血の気の引いていく音が聞こえてくるかのような、急激な変色であった。
「穴が広がったところで問題は無いでしょう?」
そう言ってアイビーが優しく微笑む。そして鋸の腹で男の頬を軽く叩く。
男が折れたのはその直後だった。
「うわあ」
それを遠目で見ていた高雄はただただ唖然とするばかりだった。一方でそれぞれ高雄の両隣に立ってそれを眺めていたコロヌスとシュリは、そんなアイビーの「尋問」を平然と見つめていた。ソーラは中庭の端で魔法陣の最後の調整に取りかかっていた。
「いつもながら容赦がないな」
「仕込んだのはそなたじゃろう? アイビーはそなたの教えに従っているだけじゃ」
そして高雄を挟んだ状態でコロヌスとシュリが言葉を交わした。高雄は驚き、シュリの方を向いて彼女に問いかけた。
「それ、どういうことなんですか?」
「うん? アイビーのことか? そなた言ってなかったのかえ?」
高雄の問いかけを聞いたシュリは目を見開いてコロヌスを見た。「獄炎」の女騎士はシュリを見つめ返しながら、「言う機会が無かっただけだ」とさらりと答えた。それからコロヌスは高雄に視線を移して彼に言った。
「アイビーに戦闘技能を教えたのはこの私だ。あいつを召使いとして雇った際に、一通りの技術をあいつに叩き込んだんだよ」
「どうしてそんな事を?」
「当時のあいつは文字通りのもやしっ子で、サキュバスにしてはかなりひ弱だったんだ。それこそ大の男一人に返り討ちに遭うくらいにな。それじゃ苦労するだろうと思って、ちょっとお節介を焼いたまでだ」
高雄の問いにコロヌスがそう答える。シュリはそれに続けて「此奴の気まぐれというやつじゃ」と言い放ち、高雄は納得したように頷いた。
「皆様、終わりました」
アイビーが高雄達にそう声をかけたのは、まさにその時だった。タイミングばっちりであった。
コロヌスを先頭にして、高雄とシュリが続いてアイビーの元に向かう。ソーラも作業を中断してアイビーに近づき。そうして全員集まったところで尋問を終えたメイドが口を開いた。
「逆恨みですよ」
メイドの出した答えは至極簡単なものだった。コロヌスはそれを聞いて「なんだと?」と片眉を吊り上げ、アイビーはそんな彼女の方を見ながらそれに答えた。
「昨日コロヌス様が消し炭にした山賊連中の仇を討つために、わざわざここまでやって来たそうなのです」
「それはまた、ご苦労な事じゃのう」
シュリが呆れた声を出した。その横にいたソーラが「でもあれ、最初は向こうから手を出して来たんですよね?」と尋ね、対してアイビーは首を縦に振って「だから逆恨みなのです」と返した。
「例えコロヌス様のなさったことが正当防衛であったとしても、子分の仇を取らずにはいられない。そういう事だそうです」
「くだらん」
コロヌスはそれを一蹴した。それから彼女は「復讐なら自分一人でやればいいだろうが」と吐き捨て手の中に炎の塊を生み出し、それを一振りの燃え盛る剣へと変えながら山賊の男の前まで歩み寄った。
男は見るからに疲弊していた。顔は青ざめ、目は生気を失い黒く濁っていた。男の横に転がっていた鋸には、その刃の部分に僅かながら血が着いていた。
「貴様は自分の都合のために部下を道連れにした。人の上に立つ者として、決して許されない愚行を犯したのだ」
男は返事をする気力も無かった。膝立ちの姿勢のまま呆然とコロヌスを見上げ、ただぱくぱくと口を開閉させた。
それを見下ろすコロヌスの瞳は冷め切っていた。憐憫や同情は欠片も無かった。
「あの世で奴らに詫びることだ」
一閃。銀の刃が横一文字を描き、一瞬の内に男の首を刎ね飛ばした。
お見事。高雄は素直にそう思った。まさに刹那の一撃であったそれを目の当たりにした彼の心には、恐怖ではなく驚嘆が芽生えていた。男の首から血飛沫が盛大に噴き上がるが、高雄の目には血の雨を浴びながら剣を炎に戻し、それを握り潰すようにして消すコロヌスの姿しか見えていなかった。
やがて頭を失った男が独りでに発火し、その肉と脂を燃料にして盛大に燃え上がる。そうして頭から血を被り、全身真っ赤に染まりながら囂々と燃える肉塊に向けて鋭い視線を見せるその騎士の姿は、たまらなく背徳的で美しかった。
その後、唯一炎上を避けられたその男の首は、その後アイビーの通報を受けてやってきた「白棗団」なる者達の手に渡された。白く塗られた鎧と兜で武装した彼らを見た高雄は「誰?」とコロヌスに問いかけ、彼女はそれに対して「凶悪犯に賞金をかけて回っている連中だ」と返した。
「奴らは凶悪犯に賞金をかけ、金と引き替えにそいつらの排除を傭兵や冒険者に依頼する。冒険者達はそれに応えてそいつらを倒し、証拠の首を持って白棗の連中から金を受け取る。まあ健全な取引だな」
「血みどろな気もするんですけど」
「結果として世の中が平和になっているんだ。この方式は歓迎すべきだろう。無血で生まれた平和などありはしないからな」
やってきた白棗団と交渉役のシュリとの間で話がついたのと、コロヌスの解説が終わったのはほぼ同時だった。両者の話し合いはスムーズに進み、シュリは賞金を、白棗団は首をそれぞれ受け取り、そして仕事を終えた白棗の一団は軽く一礼をしてから元来た道を戻っていった。
「今後とも、どうぞご贔屓に」
そして帰り際、その白ずくめの人間の一人が肩越しにこちらを見ながらそう言ってきた。その声は親しげであり、ちゃんと血の通った人間の声であった。冷酷無道の秘密結社的な物を想像していた高雄は少し肩透かしを食らうと同時に、安心も覚えた。
「さて、貰うものも貰ったし、次は高雄の件に集中するとしようか」
そしてコロヌスのその一声によって、彼らは次の目的に意識を向けた。高雄を元の世界に返すことである。
準備は淡々と進んだ。そこに悲観的なムードは一切無く、お別れパーティーのような物も行われなかった。「これからは好きな時にこちらに来れるようになるんだ。わざわざ大袈裟にする必要は無いだろう」というのがそれらに対するコロヌスの見解であり、高雄達の総意でもあった。
月が夜空に浮かんだ頃には準備も終わり、高雄は一人、コロヌス達に見守られながら魔法陣の中に立っていた。彼らのいた中庭は静まりかえり、心地の良い風が彼らの頬を凪いだ。
「心の準備はよろしいですね?」
ソーラが問いかける。高雄は黙って頷く。
それを見たソーラは頷き返し、そして両手で持った杖を水平に構えつつ呪文を唱え始めた。
「むんぐ、むんぐ、るぐうふ、いあ、ぐふたん、うがふ」
ソーラの呪文に呼応するかのように、高雄の足下にある魔法陣が紫色に輝き始める。その後もソーラは詠唱を続け、光もまた上へと延びていく。やがて紫色の光は天へと届かんばかりに高々と伸び、その色もまた濃さを増していった。高雄の姿が紫の中に埋もれていき、ソーラの呪文もだんだんと熱を帯びた物へと変わっていく。
「るんぐ、るんぐ、むがう、うんぐ」
高雄の耳に金切り音が響く。目が眩み、息が詰まる。その中にあってソーラの震えた声が重々しく明瞭に響き、そんな高雄の体に重くのし掛かる。
しかし高雄は恐怖しなかった。ソーラのことを強く信じていたからだ。
その高雄の姿が完全に紫に塗り潰される。コロヌス達はもはや、魔法陣の中がどうなっているのか見ることは出来なかった。
「いあ、いあ、いあ!」
そしてソーラが最後にそう唱えた直後、その光の柱は内側へ吸い込まれるようにして消滅した。消え去るのは一瞬の事であり、後には高雄も、地面に描かれた魔法陣さえも無くなっていた。
余韻も痕跡も無い、完全なる消失であった。
「成功したのでしょうか」
まるで始めからそこには何も無かったかのように静寂に包まれていたその中庭の一点を見つめながら、アイビーが不安げに問いかける。それに対してコロヌスは余裕そうな笑みを浮かべて「大丈夫さ」とだけ返し、それからソーラの方を向いて彼女に言った。
「さてソーラよ。もう一仕事してもらうぞ」
次に目を醒ました時、高雄はベッドの上に寝転がっていた。彼は起き上がって周囲を見回し、そして辺りの光景とその肌に慣れたベッドの感触、室内を包む懐かしい匂いから、ここが自分の寝室であることに気づいた。
「そうか」
無事に帰って来れたのだ。高雄は安心すると同時に、どこか寂しさも覚えた。ふと時計に目をやると、二本の針は午前一時を示していた。
そしてそれを見た途端、彼は唐突に眠気が襲ってきたのを自覚した。
「……寝よ」
彼はそれに抗おうとはしなかった。素直に睡眠欲に従い、そのまま目を閉じた。
それから再度目を開けた時には、時計は午前七時を指していた。気怠さは残っていたが、体の疲れは取れていた。
学校までは歩いて五分の距離だ。焦る必要はない。高雄はそう思って一度風呂に入り、それから制服に着替えて一階のリビングに向かった。下には誰もいなかった。予想通りだ。
それから高雄は冷蔵庫を開け、残っていた食パンを取り出した。それから牛乳の力を借りて無理矢理それを胃の中に詰め込み、強引に腹を満たした。
「あの時のパン、おいしかったな」
不意に、高雄はコロヌス達と一緒に食事をした時の事を思い出した。誰かと一緒に食事をするのがあんなに楽しい事だったなんて。背を丸め、テーブルで一人頬張っていた高雄はそう思い、それから緩みそうになった涙腺を何とかして引き締め直した。
そして表情を引き締め、仏壇に手を合わせた後、彼は学校に向かった。見送りの返事はどこからもかかってこなかった。いつもの事じゃないか。高雄は寂しさを募らせていく自分の心にそう言い聞かせた。
その道中、自分の真横を車が過ぎ去り、自分を追い越すように同じ学校の制服を着た面々が走り去っていく。いつもの光景だ。
いつもの光景なのに、何か物足りなかった。どこか寂しかった。高雄はなぜそんな事を思うのかを自覚していた。そしてそれは今手が届かない場所にあることもまた、はっきりと自覚していた。
会いたいのに会えない。それがもどかしかった。
独りは、寂しかった。
「さっそくで悪いが、今日はこのクラスに転校生がやってくる。それも二人だ。皆、仲良くしてやってくれ」
しかし高雄のもどかしさは、その日の朝のホームルームに呆気なく打ち砕かれた。
「さあ、二人とも。中に入ってくれ」
担任の教師が扉の外にいる面々に手招きする。そしてそれを受けて件の「転校生」二人が教室の中に姿を見せた瞬間、教室の中はその二人のあまりの美貌を前にして驚愕と歓声に包まれた。
高雄は絶句した。
「コロヌス・デル・トリスタータ。今日からここに留学することになった。よろしく頼む」
「アイビー・シュトロナームと申します。どうぞお見知り置きを」
自分のよく知る二人の魔族が、自分の通う学校の女性用制服を身につけ、担任の横に立っていたのだ。高雄は自分が夢を見ているかのような錯覚を覚え、激しい目眩に襲われた。
「じゃあ、二人はどこに座ってもらおうかな。どこか空いてる場所は」
「あそこでよろしいかな?」
そして担任の声に答えるように、コロヌスが平然と高雄の隣の席を指さす。担任もそれに頷き、「じゃあ、トリスタータさんはそこでお願いします」と言った。
直後、高雄は全方位から羨望と嫉妬の眼差しが向けられてくるのを感じた。そんな高雄の横に、平然とコロヌスが腰を下ろした。
「久しぶりだな」
そして高雄を見つめながらコロヌスが微笑む。高雄はしどろもどろになりながらもそれに頷いて返し、そして彼女を見ながら高雄が言った。
「どうやってここに?」
「転移の扉は我々もくぐることが出来る。要はそう言うことだ」
「この学校にはどうやって?」
「アイビーさ」
教室の端の方にちゃっかり腰を下ろすアイビーを見つめながら、コロヌスが続けて言った。
「鋸と肛門、という奴だな」
コロヌスが小さく笑う。昨日の事を思い出した高雄は不安げな表情を浮かべて彼女に聞いた。
「本当にやったんですか?」
「やったはやったが、暴力じゃない。むしろずっとサキュバスらしいことだ」
コロヌスは素直に訂正した。それから彼女は呆然とする高雄に続けて言った。
「あのコーチョーとかいうここの長も、なかなか喜んでいたぞ?」
高雄は開いた口が塞がらなかった。しかし同時に、心の奥からとてつもないほどの喜びが沸き上がってくることも自覚した。
僕はもう独りじゃないのだ。