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魔界騎士、やる

「帰ってくれ」


 自分の部屋に入ってきた高雄に対し、コロヌスは開口一番にそう言い放った。この時彼女は部屋の奥にあるベッドの上で頭から赤い毛布を被り、顔だけを毛布から出してじっと高雄を見つめていた。部屋にある照明はベッドの横に置かれた小さなランタンだけであり、天井のシャンデリアは機能していなかった。おかげでコロヌスが顔を出している事はわかったが、その細かい表情までは読みとれなかった。

 まるでダンゴムシみたいだ。ベッドの上で毛布を被って丸くなっているコロヌスを見て、高雄はそう思った。


「君と話すことは何も無い。帰ってくれ」


 そしてそのダンゴムシは頑なだった。薄闇の中で瞳が赤く光り、その目がまっすぐ高雄を見据える。高雄はその視線を受けて一瞬背筋が寒くなったが、それでも彼は躊躇う事無く前へ一歩踏み出した。


「高雄」


 こちらに近づいてくる事を知ったコロヌスが名前を呼びかける。高雄は構わず前へ進み続ける。


「やめてくれ」


 コロヌスが懇願する。次の瞬間、高雄の頬を熱風が撫でていく。コロヌスの放った風の壁を正面から食らった高雄は目を瞑って立ち止まったが、それが背後へ過ぎ去ったのを確認すると再び前に歩き出した。

 それを見たコロヌスの瞳の赤が更に濃くなる。


「高雄、頼む。私は……」

「……」


 コロヌスが問いかける。高雄は無視する。

 やがて高雄がベッドの端まで到達する。赤いダンゴムシは、既に高雄の目と鼻の先にあった。

 その少年の姿を見上げたコロヌスがひきつった声を上げる。


「高雄!」


 そして声を荒げる。刹那、最初に食らった物よりもずっと強烈な熱波が高雄を襲った。


「え」


 まるで高波に飲まれ、浜辺に押し返されたようであった。熱い風を全身に受けたと感じた次の瞬間、高雄の体は軽々と宙に浮き、そのまま真後ろの壁に背中から叩きつけられたのだ。

 圧倒的な風の圧力を正面から食らった高雄は、床に尻餅をついた後も暫し呆然としていた。自分に起きた事が自覚できず、痛みを認識する事も出来なかった。


「ぐ、ああ……ッ」


 しかし彼は意識を取り戻すと同時に、体の奥から沸き上がってくる痛みを無視して再びコロヌスの方に目を向けた。そうして悲鳴混じりの声を上げつつ立ち上がるそれを見たコロヌスは一度目を閉じ、再び赤い眼差しを彼に向けた。


「高雄、もういい。放っておいてくれ」

「コロヌスさん、大丈夫です」


 背中から響く痛みに顔をしかめながら高雄が立ち上がる。そして何とか二本の足で立った後、高雄は涙目で訴えてくるコロヌスにそう答えた後、再び彼女を目指して歩き始めた。その歩みは先程よりも辿々しく、明らかに体に受けたダメージを引きずっていた。


「お願いだ。私はもう、君に顔を合わせる資格は無いんだ」


 ついにコロヌスが毛布の中に顔を引っ込める。高雄は無理して笑みを浮かべて「そんなことないですよ」と返し、最初のおおよそ二倍の時間をかけて再びベッドの前に到達した。

 もはやコロヌスは何の抵抗もしなかった。そして毛布にくるまって完全に姿を消したコロヌスを見下ろしながら、高雄は一度深呼吸して気持ちを落ち着かせてから彼女に声をかけた。


「僕は大丈夫です。だからコロヌスさん、顔を見せてください」

「無理をするな。君は本当は恐れているはずだ。私を下手に慰めようとするのはやめてくれ」

「コロヌスさん」


 コロヌスにそう問いかけながら高雄がベッドに腰を下ろす。そして毛布を被ったコロヌスに背を向けるような形になりながら、高雄がその後ろにいるコロヌスに語りかける。


「コロヌスさん、前に言ってましたよね。自分の綺麗な所と汚い所を全部見て、受け入れて欲しいって。だから僕は、あなたの事を受け入れたい。確かに最初は怖いと思ったし、正直言って、今もあなたのことが怖い」

「……」


 コロヌスは黙ってそれを聞いていた。高雄は食堂で見た時の光景をハッキリと思い出しながら、それでも勇気を振り絞ってコロヌスに話し続けた。


「でも、あれがコロヌスさんの全部じゃないはずです。僕はあの時の経験だけで、コロヌスさんを嫌いになりたくない。コロヌスさんと仲直りして、もっとあなたと仲良くなりたい。僕はコロヌスさんの全部を受け止めたいんです」


 高雄がそこまで言っても、コロヌスはすぐには反応を返さなかった。それから暫くの間、嫌な静寂がその場を包み込んだ。


「どうして」


 その内、コロヌスが不意に声をかける。咄嗟に高雄が毛布に目を向け、そしてその視線を受けながら、コロヌスが弱々しい声で言葉を続けた。


「どうしてそこまで、君は私を受け入れようとするんだ? 私は君を無理矢理こっちに呼び寄せた。嫌な思いも色々とさせてしまった」

「でも、あなたは僕に優しくしてくれた。こんな僕に迷惑をかけた事を素直に謝って、僕なんかに真摯に接してくれた。僕に」


 そのコロヌスの言葉を遮るように、高雄が一気にまくし立てる。それから彼は一呼吸置き、それまでより落ち着いた調子で再度コロヌスに話しかけた。


「捨て子の僕に、優しくしてくれた」


 全くの不意打ちであった。コロヌスは思わず毛布を脱ぎ払い、膝立ちの姿勢になりながら自分に背中を見せる高雄に驚きの視線を向けた。

 ベッドの端に腰を下ろしていた高雄の姿は、酷く小さく見えた。


「本当なのか?」


 驚愕に目を見開きながらコロヌスが問いかける。高雄は前を向いたまま無言で頷く。


「なんでそれを言うんだ」


 再度コロヌスが尋ねる。高雄は前を向いたままコロヌスに答える。


「綺麗な所も、汚い所も見て欲しいから」

「だからって、そこまで言う必要は」

「コロヌスさんも汚い所を見せた。次は僕の番です」


 それから、高雄は淡々と自分の話を始めた。自分は富豪の父親と、その浮気相手の間に生まれた子であること。それが父親の結婚相手に見つかりそうになり、父親は紛糾を避けるために自分とその浮気相手ーーすなわち自分の母親を捨てたこと。自分を産んだ母はその直後に命を落としたこと。そしてその後は罪を認めた父の資金提供によって、何とか今日まで生きてこれたこと。

 全て話した。話し終えた高雄の体は小刻みに震えていた。顔は見えなかったが、コロヌスは何も言えなかった。


「僕は望まれた子供じゃなかった」


 それを負い目に感じ、人の目を避けるようにして生きてきた。しかし自分に利用価値を見出し、近づいてくる人間は後を絶たなかった。


「僕が金持ちの子だとわかって、優しいフリをしてすり寄ってくる人も何人もいた。母さんがいなくなってから、本当に優しくしてくれる人は誰もいなかった。心から接してくれる人もいなかった。家もお金も、お手伝いの人もあの人が用意してくれたけど、本当に欲しかったのは何も無かった」


 そこまで言って、高雄がコロヌスに向き直る。両目からはボロボロと涙を流し、頬は恥と恐怖で上気していた。その姿はあまりにも痛ましくて、それを見たコロヌスは思わず息をのんだ。

 そうして圧倒されるコロヌスに、高雄が震えた、しかし嬉しさを滲ませた声で言った。


「でも、あなたは違った。あなたは僕に正面から向き合ってくれた。僕に隠し事をしないで、全部晒け出してくれた」


 綺麗な所も、汚い所も、全部。


「あなたは僕を対等に扱ってくれた。僕は、僕はそんなあなたが」


 高雄はそれ以上言えなかった。そこまで口を開いた直後、コロヌスが咄嗟に彼の体を抱きしめていたからだ。


「こ、コロヌス、さん?」


 甘い香りと暖かな体温を間近に受け、高雄が戸惑ったように声をかける。コロヌスはその矮躯を抱きしめたまま、「辛かったな」と彼の耳元で囁き、そのまま言葉を続けた。


「辛かったろうにな。君がそこまで辛い思いをしていたとは、全く知らなかった」

「そ、そんな、こと」

「そう、辛い思いをしていたのは私だけではなかったんだ。なのに私は自分の事ばかり考えて、君にも辛く当たってしまった。本当にすまない」


 困惑する高雄を更に強く抱きしめる。豊かに実った胸が高雄の背中に当たって押し潰されるが、その悦楽に流される事無く高雄が話しかける。


「謝らないでください。さっきも言ったけど、僕はあなたの全てが知りたい。良い部分も悪い部分も全部。だから今のあなたを見ても、あなたのことは全然嫌いになれない。むしろこうして素直に接してくれて、とっても嬉しいんです」

「……こんな私で、本当にいいのか? 私は女らしいこともしないで、何百年も暴力ばかり振るって生きてきた婆さんなんだぞ?」


 そこでコロヌスが体を離す。高雄が体を動かしてコロヌスと正面から向き直る。


「はい。あなたがいいです。優しくて、怖くて、コロコロ表情が変わって、とっても可愛くて」

「可愛いは余計だ」

「ごめんなさい。でも僕は、そんなあなたがいい」


 高雄がコロヌスを見つめる。


「僕はあなたがいい」


 涙は既に止まっており、しかしまだ若干濡れた瞳でコロヌスの顔をじっと見据える。

 そしてコロヌスもまた高雄を見つめ返す。そうして互いの頬が赤くなっていくのを互いに認識し、しかしそれを見て恥じらいを覚えつつも、二人は視線を外そうとはしなかった。


「高雄」


 コロヌスが熱のこもった声をかける。名前を呼ばれた高雄は相手を見たまま「はい」と答える。そしてそれを聞いたコロヌスが静かに告げる。


「改めて言わせてくれ。私は君と結婚したい」

「はい」

「正直言うと、私は小さい子なら誰でも良かったんだ。小さくて可愛げのある子なら誰でもな」

「ショタコンですか」

「自覚はしている」


 指摘されたコロヌスが恥ずかしげに笑う。それからすぐに顔を引き締め、高雄を見つめて言った。


「でも今は君しか見えない。君は私の全てを受け止めてくれた。私の全てを知って、それでなお私を好きでいてくれている。私はそんな君が好きだ。君でなければ駄目なんだ」

「恥ずかしい事を真面目に言わないでください」

「いちいち突っ込むんじゃない。格好良く決まらないだろうが」


 バカ正直に指摘する高雄に向かってコロヌスが口を尖らせる。高雄はそれを聞いて苦笑した後、「でも僕はそんなあなたが好きです」と言った。コロヌスが一瞬目を丸くしてそれに答える。


「君も大概ストレートだな」

「お返しです」


 高雄がクスクス笑う。コロヌスは「まったくこいつめ」と返し、それから彼と同じように愉快そうに笑みを浮かべた後、静かに笑みを消してそっと高雄の肩に手を置いた。

 高雄はびくりと肩を震わせるが、それを拒まなかった。その彼にコロヌスが静かに尋ねる。


「いいか?」


 何が、とは聞かなかった。高雄は緊張した面持ちで小さく頷いた。


「実際の所、私はこういうことについて何も知らんのだ。それでもいいか?」


 コロヌスが再度問いかける。高雄は再び頷き、「僕も知らないから大丈夫です」と返した。


「お互い初体験というわけか」


 それを聞いたコロヌスは安心したように小さく笑う。高雄もつられて笑い、そしてお互い一頻り笑った後、彼女は「行くぞ」と言って目を閉じ、ゆっくりとその顔を近づけた。


「ん……」


 ランタンで灯された弱々しい明かりの中、互いの影が近づいていく。高雄も目を閉じ、しかし体はガチガチに強ばらせたまま、相手を受け入れる体勢を作る。

 影が重なる。互いの唇が触れる。





 直後、両者の前歯が激突した。


「!?」


 コロヌスの顔を近づけるスピードが速すぎたのだ。上唇がめくれあがり、露出した前歯が正面衝突したのであった。


「んーっ! んーっ!」

「……!? ……ッ! ……ッッ!?」


 前歯を通して衝撃が歯茎に伝わり、その激痛は二人の脳を等しく揺さぶった。二人は咄嗟に距離を離し、互いに背を向けて声にならない悲鳴をあげ、ベッドの上で激しく悶絶した。

 せっかくの雰囲気が台無しであった。


「な、なんだ? 何が起こった!」

「いた、いたたた……」


 そうしてたっぷり一分、本来とは別の意味で悶えた後、コロヌスと高雄は同時に身を起こした。二人とも口元を手で押さえ、その顔に困惑と焦りの色を浮かべていった。


「なんだ、どうしたんだ?」

「た、たぶん、キスしようとして歯が当たったんだと思うんですけど」

「なんでそうなったんだ?」

「あなたが勢いつけすぎるからですよ」


 そうして互いに痛々しげな表情を見せながら、二人は戸惑いがちに言葉を交わした。そして高雄の言葉を聞いたコロヌスは「私のせいなのか!?」と驚き、高雄はそれまでとは違う理由で涙目になりながら「近づいてきたのはあなたですよ?」と返した。


「僕はあそこで止まってましたから」

「む、むう」


 コロヌスはぐうの音も出なかった。まったくその通りだったからだ。それから幾分か痛みが引いたのを知って口から手を離し、しかし荒く息を吐いて激しく肩を上下させながら、コロヌスが高雄に言った。


「よ、よし、わかった。こうなったらやり直しだ。もう一回最初からやらせてくれ」


 それはまるで今から決闘に赴く戦士のような、決死の表情であった。当然ながら一回キスに失敗した者が見せるようなものではなく、故にそれを見た高雄は「そこまで肩肘張らなくていいのに」と思わず苦笑いした。

 一方でそれを見たコロヌスは恥ずかしそうに顔を赤くして「何を笑っているんだ」とバツの悪そうな声を出した。対して高雄は「ごめんなさい」と素直に謝ってから続けて言った。


「なんだか締まらないなって思って。なんかもうグダグダじゃないですか。途中までいい雰囲気だったのに」

「それを言うな。私だって結構緊張しているんだぞ」

「そうなんですか?」

「もちろんそうだ。そういう君はどうなんだ」

「……僕だって、緊張してますよ」


 そこまで言って、二人は唐突に黙り込んだ。互いに顔から笑みを消し、真剣な表情を浮かべて互いの顔を見やった。

 二人の顔は自然と赤くなっていった。しかし視線は逸らさず、互いにじっと見つめ合った。


「明かり」


 不意に高雄が呟く。コロヌスは何も言わずに相手の次を待った。高雄は視線を一度コロヌスからランタンへ移し、そしてすぐに目線を元に戻してから続けて言った。


「明かりは消した方がいいですか?」


 それを聞いたコロヌスは微笑んだ。そして高雄の頬に手を添え、濡れた瞳でそれに答えた。


「いや、いい」

「そうですか?」

「ああ」


 コロヌスが体を近づけ、高雄の肩に顎を乗せる。


「君のいろんな顔が見たい」


 そして耳元で囁く。

 その熱い吐息と言葉は、高雄の心に火を点けるのに十分な火力を持っていた。





 一度火が点けば、後は燃えるだけだった。

 火は炎となり、そして隣り合う別の物をも燃やしていく。二人はその炎を受け入れ、互いの体と心をその中に投げ入れ、より盛大に燃え上がった。


「高雄……ッ!」

「僕……僕、もうッ!」


 ランタンのわずかな光が照らすその部屋の中、そこで灯された「獄炎」よりも甘く激しい炎は二人を燃やし、その身を一つに溶かしていった。

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