少年、腹をくくる
異変を察知したアイビーが天井をぶち抜いて食堂の中に姿を見せたのは、コロヌスが三人目を「焼却」した直後の事だった。人の形を留めた燃えカスが崩れ落ちるのを見届けたコロヌスは、次に眼前に降り立ったアイビーに気づいてそちらに視線を向けた。
「アイビーか。なぜここに来た?」
「コロヌス様がたが何かトラブルに巻き込まれているのではないかと察しまして。こうして参上した次第でございます」
メイド服についた埃を軽く払ってからアイビーが軽く一礼する。コロヌスは満足げな表情を浮かべながらそれに答えた。
「そうだったか、助かる。だが心配はいらん。悩みの種は私が全て片づけた。お前が手を煩わせる必要は無い」
「左様でございますか」
いらぬお節介を焼いてしまいましたね。そう言ってアイビーは自分とコロヌスの間に転がる三つの焼死体を見下ろした後、次に視線を上げて周囲を見渡した。恐怖と驚愕によって張りつめた静寂に包まれた食堂の中には、しかしまだ相当数の人間と亜人族が残っていた。彼らは逃げもせずに壁に張り付き、そこから遠巻きにこちらを見つめていた。コロヌスが怒りの矛を収めたことで室内の気温が下がったことに安堵し、全身から噴き出ていた汗を必死に拭く者も何名かいた。
「店主、迷惑をかけてしまった。弁償したいのだが、いくらかかる?」
そのアイビーの横でコロヌスは余裕ある表情でカウンターの方に向き直り、そこで呆然とこちらを見つめていた恰幅の良い男に話しかけた。その店主はすぐにコロヌスの言葉に反応し、そして「いえ、迷惑料を頂いたりはしませんよ」と冷や汗を拭いながら親しげに答えた。
「我々もコロヌス様には色々と助けられておりますから、そのような方からお金をむしり取ろうとは思いませんよ。それに今回の場合は正当防衛でもありますし、むしろそこの死体連中から迷惑料をふんだくりたいくらいですよ」
「むう、お前がそう言うならそれでいいが……」
「ところで、お連れの方は大丈夫ですかな? 先程からずっとあの調子ですが」
渋るコロヌスに向かって店主がそう問いかける。コロヌスはそれを聞いて、ここで初めてここに高雄がいることを思い出した。
「ああ、そうだ高雄だ。高雄、大丈夫か?」
そう言ってからコロヌスが高雄に目を向ける。そしてこの時彼女の視界に入ったのは、尻餅をつき、目に涙を溜め、怯えきった表情でこちらを見上げてくる、高雄の痛ましい姿だった。
「高雄?」
コロヌスが不安げに問いかける。高雄は歯の根をカタカタ噛み合わせるだけで、何の返事も返してこない。完全に恐怖に支配され、打ち付けられたようにそこから動けずにいた。
それまでゴミ処理を終えた事への達成感に満ちていたコロヌスの心は、今や完全に不安と焦りでいっぱいになっていた。
「ど、どうした? 怪我でもしたのか? 奴らに何か毒でも盛られたのか?」
コロヌスが腰を下ろして高雄に顔を近づける。そして心配するように問いかけるコロヌスに対して、高雄はなおも打ち震えながら、それでもゆっくり小刻みに首を横に振った。
コロヌスの中で焦燥が倍々に膨れ上がっていく。どうしようもない程の不安が己の背筋を凍り付かせていく。
「違うのか? では誰が? 何がいったいここまで君を怖がらせたんだ?」
「コロヌス様」
そうして高雄を見つめたままなおも問いかけるコロヌスに対し、アイビーが静かに声をかける。咄嗟にコロヌスがそちらを向き、そしてアイビーが自分に対して冷ややかな視線を向けている事に気づく。
「もしやコロヌス様、高雄様の前で処刑をなさったのですか?」
「え」
アイビーが淡々と問いかける。いきなり問われて呆然とするコロヌスに、アイビーが畳み掛けるように尋ねる。
「あなたか、もしくは高雄様に対して狼藉を働いたあの者達を、高雄様の目の前で焼却処分したのかと聞いているのです」
その言葉はコロヌスの心臓を止めるのに十分すぎる効果を発揮した。コロヌスは怒りに我を忘れるあまり、自分が大切なことまで忘れてしまっていた事に、この時ようやく気がついた。
こちらの世界を知らない、異世界の住人である高雄の目の前で、自分は堂々と「人間を燃やしてしまった」のだ。
「あ」
高雄が殺人に慣れた類の人間でないことは、この反応を見ればすぐにわかる。自分は喜ばせるつもりで連れてきた彼を、恐怖のどん底に突き落としてしまったのだ。
私はなんということをしてしまったんだ!
「あ、あああ、ああああ」
立ち上がり、目を見開き、口から声にならない声を放つ。目の前が真っ暗になり、心臓が締め付けられて息が詰まる。片手で頭を抱え、力の入らない足でよろよろと後ろに下がる。
「私は、私はなんということを」
「……仕方ないですね」
図星を引いてしまったと直感したアイビーが即座にコロヌスと高雄の間に割って入る。そしてそれぞれ心を後悔と恐怖に支配されていたコロヌスと高雄を同時に抱き抱え、翼を生やして自分が開けた天井から外へと飛び出していった。
食堂でその一部始終を見ていた面々は、皆呆然とそのメイドの通っていった天井の穴を見上げていた。
高雄が自意識を取り戻した時、彼はコロヌスの治める城の中にある大食堂の中にいた。そして彼は「目を醒ます」と同時に、自分の周りにアイビーとソーラ、そしてシュリがいることに気がついた。
彼女たちは一様に心配そうな表情を浮かべ、こちらをじっと見つめていた。
「あ、あの、ここは」
「あ、気がつきました?」
黒衣を身に纏う銀髪の少女が、高雄の発した声に敏感に反応する。次いで狐耳の女性とメイド服のサキュバスもそれに気づき、共に安堵のため息を漏らした。
「良かった。ちゃんと元の世界に戻ってこれたようですね」
「私の気付け薬が効いたようで何よりです」
「まだ安心は出来ぬぞ。回復したように見えて、トラウマとして残っておるかもしれぬ」
アイビーが安心したように呟き、ソーラが喜びつつも自信に満ちた笑みを浮かべる。その一方でシュリが真剣な表情を浮かべて高雄を見つめ、そしてそのシュリの視線を受けながら、高雄はここに来る前に自分がどういう目に遭っていたのかを唐突に思い出した。それは意識の覚醒と同時に記憶の奥底から猛烈な勢いで沸き上がり、彼の心を再び恐怖で覆い尽くした。
「……ッ!」
「大丈夫。もう終わった。終わったのじゃ。そなたが怯える必要は無い」
ぶり返した恐怖を前にして自分の腕で自分を抱き、背を丸めて体を震わせる高雄に対し、シュリがその背を優しく撫でながら声をかける。アイビーは無言で彼の前に暖かい紅茶の入ったカップを差しだし、ソーラは「精神を落ち着かせる魔法でも使いましょうか」と小声で提案した。シュリは高雄の背を撫でながら「それはまだ必要無かろう」と穏やかな声で答え、ソーラもそれに頷いて右手の中に展開していた魔法陣をそっと消した。
「さ、遠慮せず飲んでくださいませ。心が落ち着くハーブティーでございます」
「怖かったろうにな。ここは安全じゃから、落ち着くとよい」
「あ、ありがとうございます……」
そうして紅茶を飲み、背中から伝わる暖かさに身を委ね、幾分かして体の震えが収まった後、高雄はシュリの方を向いて彼女に尋ねた。
「コロヌスさんは? どこにいるんですか?」
「あ奴は今自室にこもっておる。面会謝絶という奴じゃ」
「どうして?」
「あなたに怖い思いをさせてしまった事を相当悔やんでおられるのです。あの方は激情家であられる反面、心優しい方でもありますから。あなたにトラウマを植え付けてしまったと思いこんでしまい、塞ぎ込んでいるのです」
「自分が顔を見せた途端、そなたが怯えてしまうかもしれぬと思っておるようでな。向こうから出てくるつもりは無いようなのじゃ」
高雄の問いにシュリとアイビーが答える。それからシュリは「まあ一日もしたらケロッと元に戻るじゃろう」と気楽そうに言ったが、高雄の顔は曇ったままだった。
「……安心させる事って、出来ないかな」
そしてそんな高雄が唐突に呟く。またしてもそれに最初に反応したのはソーラだった。
「安心? ですか?」
「はい。僕は大丈夫だからそんなに気にしなくてもいいって伝えたいんです。大丈夫ですか?」
「やる分には構わんが、そなたは平気なのか? コロヌスを怖いとは思わんのか?」
シュリの問いかけに、高雄は無理矢理真剣な顔を作って小さく首を縦に振った。
「確かにちょっと怖いと思ってます。あの人もああいうことするんだって、驚いてます」
「なら無理して今顔をあわせる必要は」
「でも、だからってこのまま有耶無耶にするのは、なんか嫌なんです。あの人は僕なんかに親しくしてくれた。汚い僕に、あの人は友達みたいに優しく接してくれた。そんな人をこのまま放っておきたくないんです」
「それだけの理由で?」
「僕にはそれで十分なんです」
目を剥いて驚くアイビーに、高雄が断言するようにきっぱりと言い切る。ソーラは不安そうに高雄とアイビーを交互に見やり、そしてシュリが一つため息をつき、「強情な男子じゃのう」と漏らしてから高雄に話しかけた。
「そなたも色々と訳ありのようじゃな」
「はい……実は僕」
「よいよい。無理して話さずとも良い。今大事なのは、そんな自分を受け入れてくれたコロヌスを助けたいということじゃろう?」
「……はい」
シュリが目を細めて高尾を見据える。高尾もまたシュリの視線を双眸で受け止める。メイドと魔術師は共に固唾を飲んで両者を見守る。
そして三人の前で、シュリがおもむろに口を開いた。
「わかった。ならやってみるが良い」
「シュリ様?」
「いいんですか?」
アイビーとソーラが同時にシュリに声をかける。シュリは九本ある己の尻尾を揺らしながら「タカオの意志を尊重したまでよ」とその視線に答えた。高雄は嬉しさに顔を輝かせたが、それを見たシュリはすぐに表情を引き締めて「しかしそなただけ行かせるわけにもいかぬ」と言ってから言葉を続けた。
「万が一という場合もある。アイビー、そなたは念のため、タカオがあ奴の部屋に入ったら入口の前で待機しておるのじゃ。わらわとソーラは姿を消して、あ奴の部屋の中で事態を見届ける。良いな?」
「わかりました」
「このソーラにお任せください」
アイビーが素直に頷き、ソーラが元気良く声を上げる。高雄はそれを聞いて不安になり、「なんでそんな事するんですか?」とシュリに尋ねた。
「あ奴が獄炎だからじゃ」
「え?」
それに対するシュリの返答は、高雄にとっては曖昧な物だった。そして高雄がその答えに首を捻っていると、それを見たアイビーが彼に言った。
「先程も申したように、コロヌス様は激情家であらせられるのです。刺激を受けて感情が昂ぶると極端な視野狭窄状態に陥り、最悪理性を失って実力行使に出る事があるのです。それによってどのような不都合が生じるか、あなたは一度身を持って体験なさっているはずです」
高雄がそれを聞いてハッと息をのむ。件の食堂での一件を思い出し、額から冷や汗を流す。
「下手したら、僕もああなるって事ですか?」
三人はそれに答えなかった。しかしその沈黙が何よりの答えであった。
「それでも、あの方の元へ向かいたいですか?」
アイビーが念を押すように尋ねる。高雄は即答しようとして一瞬躊躇った後、それでもまっすぐアイビーを見つめながら口を開いた。
「前にコロヌスさんは、自分達の綺麗な所も汚い所も見てほしいって言ってた。見た上で、自分達を受け入れてほしいって言ってた」「高尾様……」
「だから僕は、あの人と向き合いたい。綺麗な所も汚い所も全部受け入れて、あの人ともっと仲良くなりたい」
その目にははっきりとした意志の力が宿っていた。三人はそれ以上何も言わず、その内シュリが立ち上がって腕を組みながら言った。
「そこまで言うなら止めはせん。やるとしようかの」