魔界騎士、初デートで悶える
ひとしきりソーラを叩いた後、今度は高雄とコロヌスの二人で城内を見て回ることになった。これはシュリの提案であり、なんだかんだ言って人の良い二人はそれを聞いて一様に顔を渋くした。
「いいのか? まだ瓦礫が片づいただけで、細かい所は済んでないだろ」
「僕たち手伝いに来たんですけど、いいんですか?」
「よい、よい。雑務は年寄りに任せて、若人達は共に仲を深めておくが良い。コロヌスよ、彼の面倒は任せたぞ」
しかしシュリはそう言って汗だくの高雄から鞭を受け取り、コロヌスの肩を叩く。それからコロヌスに近づき、彼女だけに聞こえるように耳元で囁いた。
「丁寧にエスコートしてやれよ。功を焦って寝室で襲ったりせぬようにな」
「ば、馬鹿!」
それを聞いた直後、顔を真っ赤にしてコロヌスがシュリを見る。何も聞こえなかった高雄はこの時二人が何を話していたのか気になったが、すぐに「気にしないでおこう」と考えを切り替えた。下手に首を突っ込んで、またソーラ調教イベントのようなイカレた出来事に遭遇するのは御免被りたかったからだ。
「というわけで、こちらはわらわは済ませておく。アイビーにもわらわからそう言っておこう。そなたらは城を回って参るが良い」
結局、コロヌスと高雄はそんなシュリの好意に甘える事にした。そしてソーラの面倒もシュリが見ることになったのだったが、これに関しては高雄は申し訳ないとは思わなかった。
「この駄目犬が! わらわが待てと言うのが聞こえんのか! 貴様のような阿呆は見たことないわ!」
「はうううん! わんわん!」
背後から空気を引き裂く鞭の音とそれが人の肌を叩きつける鋭い音、そしてシュリの罵声とソーラの嬉しそうな悲鳴が同時に響く。中庭から城内へ戻る最中、高雄はそんなハードコアな四重奏を耳にしながらも頑なに後ろを振り返ろうとしなかった。もうマゾの呪縛に縛られるのはごめんだった。
「ソーラさんって、いつもあんな感じなんですか?」
「そうだな。一度スイッチが入ると後は天井知らずだ。奴のドMスキルはまさに天性の才能だな」
「そんな才能いらないです」
「まああまり忌避しないでくれ。あいつはスイッチが入るとああだが、だからといって常日頃からあんな状態じゃないんだ。まともな時は礼儀正しくて心の優しい奴だから、君も仲良くしてやってくれ」
「は、はあ」
そしてその調教音声をBGMにしながら、高雄とコロヌスが言葉を交わす。しかしソーラを気遣うようなコロヌスの言葉に対して、高雄は曖昧な返事を返すばかりであった。
それから二人は城内を巡る事になった。と言っても城の中は非常に広く、高雄は一回の説明だけで全てを理解する事は出来そうにないことをすぐに悟った。正確に言えば、コロヌスが最初に「ここは簡単に言って地上五階、地下二階の構造になっている」と説明した時点で、高雄は部屋の位置の把握を半分諦めていた。
「まああまり気にするな。おおまかな場所さえ知っていてくれればそれでいい。後で地図も渡しておくし、もし一人で歩いて迷子になった時は、そこら辺を歩いている奴に尋ねてもらって構わない」
それを察したコロヌスは笑ってそう言った。そして彼女は続けて「私もここの全てを知っている訳ではないのだ」と答え、高雄はそれを聞いて驚いたように彼女を見て言った。
「そうなんですか? ここの城主なのに?」
「そうだ。そもそもここは私が作らせた物ではない。最初ここは廃城で、私が偶然ここを見つけて自分の住処としただけなのだ」
「こんな大きな城が捨てられてたって事ですか?」
「そういうことだ。まあ大方、建てたはいいが誰も買い取ってくれず、そのまま打ち捨てられたのであろうな。取り壊すにもなんだかんだ言って金がかかるし、それ以上無駄な出費をしたくなかったのだろう」
「なるほど」
どこも世知辛いんだなあ。高雄はコロヌスの言葉を聞いてそう呟いた。コロヌスは「君の世界も同じようなものなのか?」とそれに反応し、高雄も頷いて「僕のいた所も似たようなものなんですよ」と親しげに答えた。
「なんと、君の世界もそうなのか?」
「はい。まあ僕のいた世界だと、捨てられるのはお城じゃなくて別の建物なんですけど」
「別の? それは具体的にどのような物なのだ。良ければ教えてくれないか?」
コロヌスが素直に驚き、高雄がそれに答える。それから彼らはお互いの世界についての話に没頭し、いつしか城内探索そっちのけでその話題にのめりこんだ。彼らは「もっと腰を据えて話すとしよう」と言って地上二階にある使われていない休憩室の一つを占拠し、そこに閉じこもって本格的に話を始めた。
「僕のいた世界では、主にコンクリートと鉄筋を使って建物を建ててるんです」
「こんくり……? なんだそれは。マジックアイテムか何かなのか?」
「いえ、材質みたいな物です。放っておくとすぐに乾いて堅くなって、かなり頑丈になるんですよ。あと鉄筋は骨組みみたいなもので、この二つを組み合わせて家とかビルとか作るんです」
「むう、なるほどな。しかしまた聞かない言葉が出てきたな。ビルはいったい何なのだ?」
高雄の発する未知の単語やテクノロジーに対して、コロヌスはまさに興味津々だった。彼の一語一語が彼女の知的好奇心を刺激し、それに高雄も同調することで二人の会話はまさに天井知らずに白熱していった。話し合っている時の二人はまさに共通の趣味で盛り上がる友人同士といったようであり、そこに世界の区切りといったものは存在しなかった。
「それで、こっちの世界の家はどんな感じなんですか?」
「こちらか? そうだな、こっちは」
そうする内に、今度はコロヌスの世界に話題が移った。高雄からの問いかけにコロヌスは一度正直に答えようと思ったが、すぐにそれを取りやめて代わりに高雄に提案した。
「せっかくだから、直接見てみないか?」
「え?」
「今から町に行って、どういう物になっているのか見てみるんだ。言葉で聞くよりそちらの方がずっとわかりやすい気がするんだが、どうだ?」
高雄としては寝耳に水であった。しかし決して嫌な話ではなく、それどころか今まで思う存分会話に花を咲かせて高揚状態にあった彼は、それをとても魅力的な提案だと考えた。
「それいいですね。行きましょう行きましょう」
高雄は二つ返事でそれを了承した。すっかり気を良くしていたコロヌスも即座にそれに反応した。
「なら善は急げだ。さっそく町に繰り出すとしよう」
「どこに行くんですか?」
「ここから一番近いところにあるアレクセイの町という場所だ。町と言っても規模は小さいが、住民の数はそれなりに多いぞ。建物もあるし、店も多い。退屈することは無いだろう」
「面白そうですね。案内してくれるんですか?」
「当然だ。大船に乗ったつもりでいるがいい」
自信満々に胸を張ってコロヌスが答える。高雄は上機嫌になりながら「どういう場所なんだろうなあ」と呟き、コロヌスもそれを見て「まったく可愛い奴め」と楽しそうに言った。
この時の二人は、本当に幸せの絶頂にあった。
彼らのいた城からアレクセイの町までは、歩いて十分といったところであった。田舎でよく見られる田園地帯を通り抜けると、すぐに目的の町に辿り着く事が出来た。
「うわあ……!」
初めてそこに足を踏み入れた高雄は、開口一番に興奮と驚きの声を上げた。そこは彼がイメージしていた通りの「中世の町並み」が広がっていたのであった。
「凄い。煉瓦とか木製の家が普通に並んでる。本当にファンタジーみたいだ」
彼の言葉通り、そこにあるのは煉瓦や木材で作られた一昔前の建物ばかりであった。セメントで舗装された道路や無機質な高層ビルといった物は一つも無く、ここには近代的な趣は欠片も無かった。通りも道幅こそ広いものの、まともに舗装されておらず剥き出しの地面をそのまま押し固められているだけだった。
しかしその前時代さが逆に、高雄の好奇心を更に高揚させた。まるで自分が映画の世界に入り込んだような、そんな錯覚を覚えずにはいられなかったのだ。
「凄いなあ。こういう風になってるんだ。コンクリートじゃなくても家って作れるんだ」
この時高雄とコロヌスは町の内と外のちょうど境界線上に立っており、この町から外に出る者、または外から町に入っていく者の両方が、そうやって心から感嘆する高雄の姿を彼と横切る度に怪訝な目つきで見やっていた。
高雄もその視線にすぐに気づき、喜びを胸の内にしまうと同時にコロヌスに目をやった。そしてじっと前をみたままのコロヌスに「中に入りませんか?」と声をかけた。
「あ? ああ、そうだな。そうしよう。中に入ってみようか」
そう答えたコロヌスの口調はどこかたどたどしく、余裕が無いように見えた。高雄は不思議に思ったが、コロヌスはそんな高雄の手を取って「さあ入ろう。入ろう」と相手の返事も待たずにずんずんと町の中へ進んでしまった。
いったいどうしたのだろうか。今までとは明らかに態度の違うコロヌスを見て、高雄は内心首を捻った。しかし彼がそう思っている間にもコロヌスは彼の手を引いたまま足早に町の中を進んでいき、すれ違う住民からの不思議そうな目つきにも気づかないまま、やがて建物の一つへ入っていった。
「あの、ここは?」
「い、い、色々と食べたり飲んだり出来る場所だ。色々疲れたろうから、まずはここで腹ごしらえしようじゃないか」
問いかけてきた高雄にコロヌスが答える。この時の彼女の声は変に上擦っており、顔もいつの間にか赤くなっていた。
「大丈夫ですか? 風邪ですか?」
「にゃっ!? い、いや、平気平気。大丈夫だ。にゃんともない。あははは」
呂律も回ってなかった。高雄はますます心配になったが、コロヌスは彼の手を引っ張ったまま店の奥へと入っていった。
店はその安っぽい作りをした外見とは裏腹に、室内は広々としていて開放感があった。掃除が行き届き、整然と並べられたテーブルや椅子も綺麗さを保っていた。照明もしっかり機能しており、明るさも十分だった。中はそれなりに混雑しており、気品の良さそうな者もいれば見るからにガラの悪そうな者もいた。
彼らーーと言うよりも高雄の手を引っ張るコロヌスはそんな店の中をまっすぐ進み、最奥部にあるカウンターまで一直線に向かった。そしてそこの席の二つを確保した後、コロヌスはカウンター越しにいる店主に「リンゴのジュースを二つくれ」と言った。平静を保とうとしていたが、その声は震えていた。
「ここ、結構混んでるんですね」
慣れない場所を前にして窮屈そうに肩を丸める高雄に、コロヌスが「お、おう、そうだな」と相変わらず落ち着きのない返事を寄越した。
「ここは周りにある村を繋ぐ中心地点のような役割を持っているからな。それぞれの村で生産された肉や野菜、衣服や金物と言った物は、全てここで取り引きされる。こうした方がそれぞれの村を歩いて渡るより、ずっと簡単に買い物が済むからな」
「だから町の規模も大きいって事ですか」
「そうだ。こういう食堂以外にも宿屋や酒場が充実してるのはそれが理由だ」
「ああ、なるほど」
そしてコロヌスは高雄に対してそう説明し、それを聞いた高雄は納得したように頷いた。しかしこの時の高雄の言葉はコロヌスの心には全く届かなかった。
「そうか、だからこんなに人が多いんですね。びっくりだなあ」
「……」
彼女の心は今、嵐の直撃を受けた大海のように激しく荒れ、うねっていた。城を出た時点で気づいてしまった一つの重大な事実が彼女の心を揺さぶり、その誇り高き魔界騎士の持つ精神の平衡を大きく乱していたのだ。
「こ、こ……」
これ完全にデートじゃねえかァァァ!
心の中のコロヌスは頭を抱えて悶絶していた。しかし気づいた時には手遅れだった。
「しまった。しまったしまった。失敗した。いくらなんでも軽率すぎた。そうとわかっていればもっと準備できたのに、あまりにも突飛すぎた」
男と女が連れ添い、手を取り合って町の中を練り歩く。完全にデートである。しかも「町を案内する」というそれらしい建前まであった。完璧にデートだ。
共通の会話で盛り上がるあまり、そうなることを完全に失念していた。恋愛経験ゼロなくせに中途半端に知識は持っていたコロヌスは、これからどうすればいいのかわからず完全に頭の中が真っ白になっていた。デートという行為の存在は知っていたが、そのデートというもので一体何をすればいいのかまでは知らなかったのだ。
「え、どうするんだこれ。本当どうすればいいんだこれ」
額から嫌な汗がだらだら流れ落ち、心臓が早鐘を打つ。考えれば考えるほど深みにハマり、ストレスで禿げ上がってしまいそうだった。
しかし考えずにはいられない。何とかしていい感じに流れを持って行かなければ。すさまじいプレッシャーの中、心の中でコロヌスは思案に耽った。
「このまま二人で静かに食事すればいいのか。でもさすがにそれだけだと味気ないんじゃないか。もっとこう恋人らしい……く、口移しとか? バカ! そんなこと出来るか! じゃあどうするんだ! どうすればいいんだ!?」
「な、なんなんですか!」
そんなコロヌスの思案は、全く唐突に中断させられることとなった。自分のすぐ隣で聞き慣れた者の悲鳴が聞こえ、意識を表に引き上げてそちらに目を向けると、そこにはガラの悪い面々に絡まれている高雄の姿があった。
「な、何するんですか!」
「うるせえ! さっき俺らのことジロジロ見てただろうが!」
「イラつかせるんじゃねえよガキ!」
「お前の目線のせいで酒が不味くなっちまったんだよなあ。何か償いしてもらわなきゃなあ!」
ボロ布を纏い、腰に剣やら斧やらを持った三人の山賊紛いの人間が、揃いも揃って高雄に詰め寄っていた。全く言いがかりも甚だしかったが、三人とも無駄にガタイが良かったので誰も注意することが出来なかった。
コロヌスも意識を切り替える際に反応が一瞬遅れた。そしてその間にも、山賊と高雄は展開を進めていた。
「ぼ、僕は何もしてませんよ!」
「うるせえ! グダグダ文句垂れてんじゃねえよ!」
「お前随分と生意気じゃねえか。俺らを誰だと思ってるんだ? ああん?」
「おら来やがれ! テメエみてえな世間知らずにはお仕置きが必要みたいだからな!」
そういって山賊の一人が、コロヌスの眼前で高雄の腕を掴む。高雄が痛そうに短い悲鳴を上げるが、構いもせずにその山賊が高雄を引っ張り上げる。意識を完全に表層まで持って行ったコロヌスがそれを視界に納める。
刹那、コロヌスの中で何かが切れた。
「やめろ」
コロヌスが立ち上がり、静かに呟く。次の瞬間、高雄の腕を掴んでいた山賊の腕が独りでに発火し、ついにはその腕全体が業火に包まれた。
「え」
一瞬、山賊達は何が起きたのかまるでわからなかった。しかし事態を理解した瞬間、彼らは一様にパニックになった。
「な、な、なんだこれ!」
「し、知らねえよお!」
「消せ! とにかく消すんだ!」
咄嗟に高雄の腕を離し、三人がかりで炎を消す。その間、高雄は自分の腕をまじまじと見つめたが、火傷の跡も無ければ自分の服が燃えたような気配も無かった。そして思い出したようにコロヌスの方を見たが、その顔を見た瞬間、高雄は全身の血が恐怖で凍り付くのを感じた。
「おい、貴様ら」
ようやっと炎を消し終えた山賊連中にコロヌスが声をかける。地獄の底から響いてくるような冷たく威圧感のあるその声を受けて山賊達は反射的に背筋を伸ばし、同時にコロヌスの方へ向き直る。そうして姿勢を正した山賊の眼前には、その身の怒りを体現するかのように全身から真っ赤な炎を噴き出し、髪を逆立たせ悪鬼の如き形相で三人を睨みつけるコロヌスの姿があった。
「彼は私の婿だ。その婿に手を挙げるとは、いい度胸だな」
「む、婿だあ?」
「てめえ、頭沸いてんのか?」
「こんなチビと結婚しようってのか? お前相当変態だな、ああ?」
バキッ。
コロヌスの中で何かが砕けた。
「上等だ」
コロヌスが呟く。両目が赤く輝き、山賊の一人が一瞬で火達磨になる。炎に包まれた男が悲痛な叫びを上げ、残りの二人と高雄は恐怖で足がすくんでそこから動けなくなる。
「ひっ」
コロヌスにはその悲鳴も、周囲の向ける恐怖の視線も意識に入らなかった。高雄の恐怖にひきつった顔さえも視界に入らなかった。今コロヌスの心を支配しているのはたった一つ。デートで相手を喜ばせるために何をすればいいのかは全くわからなかったが、今ここで自分が何をすればいいのかはハッキリと理解していた。
高雄を汚す奴は殺す。
「な、なんだこいつ、炎使えるのか?」
「それにしたってこの火力……まさかお前!」
目の前に立つ人間が「獄炎」コロヌス・デル・トリスタータであることに気づくのと、それに気づいた山賊の視界が赤く染まり意識が無くなるのは、ほぼ同時であった。