少年、覚悟を決める
「それで? その後どうなったの?」
後日、新聞部室で春美は目を輝かせて高雄にそう尋ねた。高雄は月でコロヌスの手伝いを始めた後も普通に学園に通っており、その高雄に春美は興味津々といった様子であった。
「具体的には何をしたの? 何かニュースはある? コロヌスさんとは何か進展ありましたか?」
立て続けに質問をぶつけていく。すぐ傍で一方的にそれを聞かされていた高雄は苦笑いを浮かべていたが、春美はお構いなしに質問を続けていく。
「どうなんですか? どうなんですか? そこんところどうなんですかあ?」
「春美、そこまでにしておきなさい」
遠くでそれを見ていた康夫が呆れたように声を放つ。しかし欲求に取り憑かれた春美にその言葉は届かなかった。
「ほんのちょっと! ちょっとだけでいいので! ちょっとだけでいいから教えてくださいよう!」
「いや、それは、その」
「いいじゃないですか減るものじゃあるまいし! ね? いいでしょ? ねえねえ?」
春美は完全に慎みというものを忘れていた。今の彼女はもはや好奇心の怪物と化しており、彼女を止めるにはその欲を満たしてやる以外に手は無かった。
「わかった、わかったよ。ちゃんと話すよ」
そしてそれを悟った高雄はすんなり折れた。すぐさま春美が食いつき、その食い入るような視線を受けながら高雄が口を開いた。
「まだ向こうでは土地の振り分けが終わったくらいで、本格的な統治は始まってないよ。まだスタートラインに立っただけ」
「ほう、つまり全てはこれから、ということですか?」
「そうなるかな。コロヌスさんも、向こう暫くは表立った混乱は起きないだろうって言ってたし」
今の環境に適応するのに精一杯で、種族同士で衝突している余裕は皆無なのだ。高雄はそう以前にコロヌスから言われた事を、そのまま春美に告げた。
「つまり、平和って事?」
「もちろん問題がない訳じゃないけど。それでもまあ、穏やかって言えばそうなるかな」
確認するように聞き返す春美に、高雄は曖昧な答えを返した。春美は少し釈然としない様子だったが、それ以上追求しようとはしなかった。
これ以上聞いても満足行く回答は得られないだろうと判断したからだ。
「なるほど。本格的に問題が表出してくるのはこれからってことね。よくわかったわ」
「そういうことだね」
春美の問いかけに高雄がそう返す。この時高雄は不安材料ばかりの未来を前にして、その顔を重苦しく曇らせていた。
「大丈夫よ。コロヌスさんいるんだし。そう簡単に絶滅とかはしないでしょ」
そんな気配を敏感に感じ取った春美が、励ますように高雄に声をかける。横からいきなり大声で話しかけられた高雄は一瞬体をびくつかせたが、すぐに元の調子に戻って春美に言った。
「そ、そうかな?」
「もちろんよ。だからあなたも、そんな暗い顔してちゃ駄目よ?」
「う、うん」
自分が暗くなっているという自覚はあったのか、高雄は素直にそれに頷いた。春美はそれを見て自身も満足げに頷き、それから続けて高雄に尋ねた。
「ところで、あっちの方はどうなの?」
「え、あっち?」
「そう。あっち」
高雄は要領を得ることが出来なかった。春美はお構いなしに彼に問いかけた。
「あれよあれ。進展したの?」
「だから、あれって何なの?」
「あれはあれよ。コロヌスさんとの関係よ」
「ああ」
だったら最初からそういってくれればいいのに。高雄は顔を僅かに渋らせたが、春美はなおも質問をぶつけ続けた。
「で、どうなの? 何か進んだ?」
「いや、それは、その」
高雄は口ごもった。心当たりはあったが、それを言うのは勇気が要ることであった。
そうして高雄が躊躇いを見せていると、それに気づいた春美が声をかけた。
「あるのね?」
「うっ」
「あるんですね?」
春美は執拗だった。どこまでも食らいついて離れようとしなかった。高雄は最初だんまりを決め込もうとしたが、彼女の執念には勝てなかった。
「あるんでしょう? あるに決まってるわよね?」
「……はい」
彼女の根気に負けた高雄が小さく頷く。春美は内心で勝利を確信し、意気揚々と高雄に問いかける。
「やっぱり! それで、何がどうなったの?」
「……しました」
「うんー? 聞こえないぞー?」
ぼそぼそと高雄が呟く。春美が耳を寄せてわざとらしく声をかける。
その春美の耳の近くで、高雄が再び言葉を放つ。
「結婚しました」
直後、春美は全身の動きを止めた。目を開けたまま、真顔で石のように硬直した。何らかの反応を見せる余裕は全く無かった。
それを見た高雄は、最初自分の言葉が通じてないのかと思った。なので彼は再度、春美の近くで同じ言葉を放った。
「結婚したんです」
「え?」
ようやく春美の口から言葉が漏れる。しかし彼女の頭が相変わらず止まったままだった。
彼女の思考回路が再び動き始めたのは、それからたっぷり十秒経った後の事だった。
「それ、本当なの?」
「うん」
「本当に本当?」
「うん」
春美からの問いかけに、高雄は同じ動きを繰り返すだけだった。顔を真っ赤にして淡々と頷くだけで、それ以上のリアクションは見せなかった。
彼も彼で、恥ずかしさのあまり格好良い反応を示す余裕が無かったのだ。
「……いつ?」
「つい最近」
「どこで?」
「月で」
「やっちゃったの?」
「うん」
そうした短い言葉の応酬を済ませた後、春美は呆然とした顔で高雄を見た。高雄もまた気まずい表情で春美の顔を見返した。
「そうなんだ」
「うん」
「へえ……」
そうやりとりをする内、次第に春美の顔が笑みを帯びていく。それはまるで他人のスキャンダルを聞いて興奮を覚える時に見せるような、意地の悪い物であった。
「なになに? ちょっと見ない間に随分積極的になったじゃないの。こいつめ!」
「べ、別にいいだろ、何したって」
そうしてニヤニヤ笑いながら、春美が高雄を小突く。高雄は少し迷惑そうに、しかし顔には喜びを見せながら春美の肘打ちに反応する。
「でも、大変なのはこれからだよね」
その時、不意に康夫が声をかける。高雄と春美はそれに反応し、二人揃って彼の方に視線を向ける。康夫も二人を交互に見やり、続けて言葉を放つ。
「色んな意味でね」
高雄は無言で頷いた。春美も神妙な顔つきになって高雄を見つめる。
「最初から腹は括ってますから」
その春美の視線の先、高雄が静かに答える。その言葉は力強く、確かな意志に満ちていた。
目の前はまだまだ暗かったが、それでも彼は魔を向いて進むことを決めたのだった。