魔術師、調教される
食堂での会話の後、高雄は魔術師のソーラにこの城の中を案内してもらう事になった。しかし肉焼き機の火を消してそこから黒焦げになった魔術師を救出し、アイビーの治癒魔法によって彼女が息を吹き返し「いざ出発」という段階になったところで、唐突にコロヌスが駄々をこねた。
「私も一緒に行く。絶対に行くぞ。高雄と結婚するのはこの私なのに、なぜソーラにその案内をさせるのだ。ここは普通嫁候補であるこの私が、より親密になるために一人で彼を案内するべきだろう。そうは思わんか?」
「いや、それはその」
「駄目です」
ふくれっ面のコロヌスからそう言われたソーラは困った顔を見せたが、アイビーはその横できっぱりとそう言い切った。高雄とコロヌスが同時にメイドに目をやり、そしてメイドはコロヌスを見つめながら続けて言った。
「あなたには中庭の掃除をしてもらいます。中庭にドラゴンが出て大暴れしたのは、元はといえばあなたがソーラ様に無理を言って、無駄にスケールの大きい召喚魔法を使わせたからなのですからね」
「そ、そんな……」
「そのような顔をなさっても駄目なものは駄目です。負傷した兵は非常に多く、まさに猫の手も借りたい気分なんですから」
高雄と引き離される事を知って世界の終わりを垣間見たような顔を見せるコロヌスに対し、アイビーは感情に流される事無く毅然と答えた。そしてそれを聞いたコロヌスは不服そうにしながらも、メイドに対してそれ以上反論はしなかった。非常に不愉快であったが、相手の言い分が正論であることは理解していたからだ。
「ぶうううう……!」
しかし頭で理解するのと、心で納得するのはまた別である。コロヌスは不服そうに唸り声をあげ、頬を膨らませてアイビーを睨みつけていた。それは今まで見せていた雄々しく頼もしい姿とは大きくかけ離れたものであり、威厳も何もあったものではなかった。だが高雄は、そんな表情と雰囲気をコロコロ変えるコロヌスを素直に可愛いと思い、そんな彼女に親近感を抱いた。
この人も普通に怒ったり笑ったりするのだろうか。どういう生活を送っているのだろうか。高雄は自分の中で、コロヌスという存在に対する疑問が際限なく膨れ上がっていくのを感じた。
この人のことがもっと知りたい。
「なんでだ、なんで私だけ除け者に……ぶつぶつ」
「やれやれ、往生際が悪いのは相変わらずですね」
高雄がそんな事を考えている一方で、コロヌスはなおも駄々をこねていた。子供のようにグチグチ不満をこぼしながら立ち尽くすコロヌスに対してアイビーは一つため息をつき、それから「どうかご理解ください。あなたの力が必要なのです」とどこか申し訳なさそうに言った。ソーラはやや怯えた調子でコロヌスとアイビーの顔を交互に見やり、コロヌスはなおも唸ったまま「うん」とも「すん」とも言わなかった。
このままコロヌスと離れてしまうのは嫌だ。あの人にはもっと聞きたい事がある。
「あ、あの」
そこで感情の赴くまま、唐突に高雄が口を開いた。その場にいた三人の視線が同時に高雄に向けられる。
高雄は一瞬怯んだが、すぐに気を取り直して彼女たちに向かって自分の提案を伝えた。
「じゃ、じゃあ、僕も中庭の掃除を手伝うっていうのは、駄目ですか? みんなでやった方が早く終わると思うんですけど」
「え?」
「それは、さすがに」
高雄の提案にコロヌスが驚きに目を丸くし、アイビーが浮かない表情を見せる。ソーラは何も言わずに、興味津々という体で高雄を見つめる。そんな中でアイビーが高雄の方に向き、なおも浮かない顔のまま彼に言った。
「さすがにお客様にそこまでさせる訳にはまいりません。それもこちらの都合で一方的に呼び寄せてしまった方に、我々の不始末の後片づけを頼むなど」
「でも、僕はその」
アイビーの返答に高雄はそこまで答え、そして一旦言葉を切ってコロヌスの方を見る。コロヌスがその視線に反応して高雄を見返し、その深紅に燃える髪を備えた美女の視線を受け止めながら高雄が思い切って言った。
「こ、コロヌスさんと、もっと色んな事を話してみたいから……」
「えっ?」
「コロヌスさんともっと話がしたんです。駄目、ですか?」
それを聞いたコロヌスが素っ頓狂な声を上げる。アイビーは「まあ」と目を剥いて驚き、ソーラは口を両手で覆いつつ「うわあ!」とさらに大きなリアクションを見せた。
「……」
そしてコロヌスは固まったまま、何の反応も示さなかった。口を半開きにしたまま彫像のように立ち尽くし、その目はじっと高雄を見ていた。まったく静かであったので、そこにいた全員がコロヌスに心配するような眼差しを向けた。
「こ、コロヌスさん?」
「ご主人様、どうなさいましたか」
高雄とアイビーが声をかける。
「……がはッ」
そしてその彼らの眼前で、コロヌスが口から血を吐いて倒れた。誰もが驚愕する一方、そのコロヌスの顔はとても幸せそうであった。
喜びのあまり吐血して意識を失ったコロヌスが復活した後、高雄とコロヌスとソーラは揃って中庭に向かった。客人に後掃除の手伝いをさせることをアイビーは最後まで渋っていたが、最後は高雄の意志を尊重することにした。
しかし中庭に出た所で、彼らの考えはもろくも崩れる事になった。
「おお、コロヌス様。それにソーラ様とお客人。こちらにはいったいどのようなご用で?」
「いや、我々はここの片づけの手伝いをするために来たんだが。アイビーが猫の手も借りたいと言っていたのでな」
「なるほど。それならもう大丈夫ですよ。長老様がたった今全て終わらせてしまった所ですから」
コロヌス達に気づいた兵士の一人がそう答え、中庭の一点を指し示す。コロヌス達がそちらに目を向けると、そこには中庭に散乱していた瓦礫の全てが一カ所に集まり、それらが回転しながら宙を舞っていた。
そしてその空中で回転する瓦礫の山の真下に、一人の女性の姿があった。手足が隠れるほどに長い裾と袖を持った、和服のようにも見える水色の服を身に纏った長身の女性であった。そしてその女性は頭から毛に覆われた長い耳を、腰の辺りから狐の尻尾のようなものを九本生やしており、それが高雄の注意を引いた。
「シュリ、帰っていたのか」
そんな後ろ姿を認めたコロヌスが嬉しそうに声を上げる。声をかけられた女性はコロヌス達の方へ向き直り、彼女らの姿を見て「おお、そなたらか」と愉快そうに言葉を返した。子供のように実に楽しそうに笑っていたが、その顔はコロヌスよりもずっと大人びて見えた。
そしてその体つきも大人びていた。特に前に突き出した二つの胸は、肌の露出がほぼゼロな服の上から見てもコロヌスよりずっと大きいのがわかった。
「久しいの、コロヌス。それにソーラも。それから、そちらが最近来たというお客人かの?」
シュリと呼ばれた女性がそう言って、高雄の方を興味深そうに見つめる。切れ長の瞳が少年の姿を捉え、そして高雄はその怜悧な視線を受けて思わずドキリとした。そして高雄のその反応に気づいたコロヌスが楽しくなさそうに顔をしかめ、シュリはそんな二人の様子を見てケタケタ笑いながら口を開いた。
「なるほど、兵達の言っていたことは誠であったか。コロヌス、そなた本当にその者と結婚するつもりなのかえ?」
「もちろんそのつもりだ。だから彼に粉をかけるのはやめてもらいたいな」
コロヌスが憮然とした態度で答える。シュリは袖で口元を隠し、「わらわはそのようなことはせぬよ」と余裕そうな素振りを崩さずに言った。
「あの、こちらの人は?」
そこで高雄が口を開く。目の前に現れた謎の女性を前に戸惑う高雄に対し、コロヌスが彼の方を見て言った。
「そう言えば、君が会うのは初めてだったな。紹介しよう。彼女はシュリ・ルーシェン。放浪癖のある居候だ」
「千年を生きる大妖狐と言ってもらいたいのう。まあここに厄介になっているのは確かだが」
シュリ・ルーシェンがコロヌスの紹介に不平を漏らす。一方でそれを聞いた高雄は「やっぱり狐だったんだ」とその彼女の耳と尻尾を交互に見やりながら心の中で呟いた。
そんな高雄の心境をよそに、コロヌスがシュリに話しかけた。
「ところでシュリよ。いつこっちに帰ってきたんだ? 向こう十年は帰らないと言っていたはずだが」
「それがな、やはり一人旅はどうにも寂しくてのう。特にやりたいことも無かったから、さっさと帰ってきてしまったという訳じゃ」
「いつもどこか出かけてるんですか?」
「いや、しょっちゅうという訳じゃない。風の向くまま、気の向くまま。行こうと思った時が旅立ちの時じゃ」
コロヌスに答えた後で高雄からかけられた問いかけに対し、シュリはカラカラ笑ってそう答えた。コロヌスもそれに頷いて「こいつはいつも前触れなしに消えるんだ」と言った。
「どこに行っていつ帰ってくるかはメモで知らせてくれるんだがな。まともな方ではあるが、あまりフラフラしてくれるのも考え物だ」
「その通り。わらわは別に奇癖持ちではないぞ。ちょっと旅が好きなだけだ」
「城主に断りもなく消えるなと言っているのだ女狐」
コロヌスが釘を差すように言いつける。しかし糠に釘と言わんばかりにシュリは余裕綽々な表情を浮かべ、そして高雄を見ながらシュリが言った。
「だから少年よ、どうかわらわを変な目で見ないでもらいたい。蔑むのはそこにいるソーラだけにしてもらいたいものよ」
そしてシュリが高雄の横に視線を移す。高雄はそれを受けて、少し嫌な気分になった。
彼の横、高雄の足下には、彼がこれまで意識して視界から外していた存在がいたのであった。
「わん! わん! くうーん!」
そこには四つん這いになり、首に首輪を填めた下着姿のソーラがいた。頬を紅潮させ、舌を出して嬉しそうに高雄の足に頬を擦り寄せるソーラの首輪からはリードが伸びており、高雄がそれを握らされていた。
全て中庭に出る時に、ソーラが高雄に要求したことである。彼女が下着だけを身につけていたのは、ソーラの初期案である「全裸でわんこプレイ」を高雄が全力で阻止したからであった。
「おおかた、私をあなたの犬にしてください! みたいな感じでそなたに迫ったのであろう。全くどうしようもないド変態よな」
シュリが腕を組み、たわわに実った胸を強調するように持ち上げながらため息をつく。実際それは図星であり、高雄は何も言えなかった。
そんな高雄に、指を鳴らして宙を舞う瓦礫を丸ごと消してからシュリが言った。
「しかし少年、いやタカオよ。こういう時は流れに身を任せるのが最良なのじゃ。ソーラの欲求を全否定するのではなく、彼女の心意気を汲んでやるのじゃ」
「そ、それって、具体的に何をすれば?」
戸惑う高雄にシュリが近づく。そして高雄とコロヌス、そして高雄にじゃれつくソーラの間近まで迫った後、シュリはおもむろにコロヌスに視線を投げた。
「彼にやらせるのか?」
「そうすべきであろう。今の内に慣れさせた方が後々楽になる」
相手の意図を察して渋るコロヌスにシュリが言い返す。高雄は嫌な予感を覚えたが、ここから逃げ出す事は出来ないということも理解していた。
「仕方ない。では高雄。これを受け取ってくれ」
そうする内に、コロヌスが一度自分の背中に手を回してから、高雄に何かを手渡した。反射的に受け取ったそれを見た高雄は、次の瞬間体を石のように固まらせた。
「え、これって」
「鞭じゃ」
シュリの言う通り、彼の手元には丸められた鞭があった。全体が黒光りし、伸ばせばかなりの長さになるだろう。
そしてこれで何をするのか。既に高雄には察しがついていた。
「さあ、それでソーラを打つのじゃ」
シュリが高雄の予想通りの台詞を吐く。高雄は全身から血の気が引いていくのを自覚した。
「む、無理! 無理無理無理無理!」
そして全力で首を横に振る。さらにそこから一歩引き下がるが、足から引き離されたソーラがすぐに後を追って再度彼の足に頬をくっつける。高雄にはそんなソーラの姿が足枷のように見えた。
そんな高雄に対し、シュリが諭すように言った。
「タカオよ。少々理解に苦しむかもしれぬが、世の中にはこういうことをされて喜びを見出す者もおるのじゃ。そならのいた世界がどうなっているかはわからぬが、少なくともこちらの世界にはそう言う者がおるのじゃよ。そこのソーラのようにの」
「そうだ。君がソーラをぶつのは、ソーラにとって幸福であるんだ。そしてこれから、君は幾度と無くソーラと出会い、彼女に要求される事になるだろう。その時彼女を悲しませないように、今ここで彼女の接し方に慣れておくべきなんだ」
シュリに続くようにコロヌスが力説する。正直高雄はそんな価値観わかりたもくなかったが、だからと言って、ここでこのまま手をこまねいていても事態が解決しない事もまた理解していた。
たっぷり一分、彼は古い価値観と新しい価値観の間で葛藤した。そして彼は「せめて波風を立てないようにしよう」と思い、流れに身を任せる事にした。
本当に釈然としないのだが、流れに身を任せることにしたのだ。本意ではない。
「い、行きます」
鞭を持ってそれを伸ばし、持ち手を高々と掲げて高雄が告げる。それから彼は「早く終わらせたい」とばかりに前置きもなくそれを一気に振り下ろし、するどくしなる鞭をソーラの背中にぶち当てた。
「ひいいいいん!」
直後、ソーラが悲鳴をあげる。喉が張り裂けんほどの絶叫であったが、目尻に涙を溜めながら放たれたその声は歓喜に満ちていた。
それが余計に高雄の恐怖を煽った。なんでこの人はこんなことされて嬉しがってるんだ? しかし今は考えている場合ではない。ヤケッパチになりながら高雄は二発目をお見舞いした。
「ひぎいいい!」
ソーラが再び叫ぶ。背筋を反らし、ガクガク体を震わせる。高雄が三発目を放つと、ソーラは同じように体を震わせて悲鳴をあげる。四発、五発と立て続けに打つと、ソーラは素直にそれに反応して今まで以上の絶叫を上げた。
どれもこれも喜悦に満ちたものであった。嫌がる素振りは全く見せず、しかもソーラはそうして叫んだ直後に「ありがとうございますう!」と涙を流して感謝の言葉さえ漏らしていた。彼女の股布もうっすら塗れていた。
「そうじゃ、その調子じゃ! 手首の捻りを利かせるのじゃ!」
「そうだ、もっとやれ! もっともっと強くぶつのだ! ソーラはその程度で満足しないぞ!」
打ちのめしている間、高雄は無言だった。そして彼の横ではコロヌスとシュリが彼に白熱した声援を送っていた。周囲の兵士達は何も言わず、それどころか「いいぞ!」「もっとやれ!」とこちらを煽ってくる者までいた。鞭で打たれていたソーラも「止めて」とは一度も言わず、舌を突き出して口の端から涎を垂れ流し、快楽と幸福の絶頂にあるかのような表情を浮かべていた。
「わん! わん! きゃううん! ご主人様、もっと罰を! このはしたない駄目犬にもっと罰をぉ!」
「ほれタカオよ、犬が泣いて懇願しておるぞ! もっと此奴を泣かせるのじゃ!」
「高雄いいぞ! 段々慣れてきたようじゃないか! その調子でぶちまくるんだ!」
異常だ。この世界は異常だ。頭が痛くなってきた。
この狂った状況の中に身を置いて、高雄は改めて「自分は異世界に迷い込んでしまったのだ」と認識したのであった。