月、騒がしくなる
「全部月に飛ばしましょう」
コロヌスに導かれたイルカとトカゲの訴えを聞いたシシルフェルトは、真顔でそう言ってのけた。この時彼らは屋上におり、そこでそれを聞いたシシルフェルト以外の面々は一様に目を点にした。
「それはつまり、どういう意味ですか?」
「言葉の通りです。ここにある異物の全てを月に持って行くのです」
「なぜ月?」
「この星に一番近く、かつこの星の外にある大地と言えば、月しか無いでしょう? そこならばこちらの世界に何の迷惑をかけることもなく、転移魔法を使って自由に行き来する事が出来るはずです」
シシルフェルトはそう答えた。それまで彼女に質問してきたコロヌスは、わかったようなわからないような、複雑な表情を浮かべていた。
すると今度は、高雄がシシルフェルトに質問した。
「それってもしかして、体育館とかプールとか、それごと持って行くってことですか?」
「そうなりますね」
「でもそれが消えたらこっちが困るんですけど」
「それは大丈夫。こちらで代わりの物を用意しますので」
シシルフェルトは顔色一つ変えずにそう言った。高雄は思わず苦笑いを浮かべたが、その高雄にコロヌスが声をかけた。
「心配ない。母上の能力を使えば、それくらいは容易い事だ」
「そうなんですか?」
「もちろんだ。母上は複製能力の使い手でもあるからな」
コロヌスの言葉を聞いた高雄は首を傾げた。するとコロヌスが続けて彼に言った。
「複製能力というのは、まあ言葉通りの能力だ。元からある物と全く同じ物を生み出す事が出来る能力、というべきか。母上の場合は、複製の材料として自ら生み出した氷を使うのだがな」
「なるほど」
説明を聞いた高雄は素直に頷いた。そしてそれを聞いた高雄はすぐに別の疑問を頭に思い浮かべた。
「でもそれ、溶けたりしないんですか?」
「もちろん溶けるぞ。耐久年数は百年くらいだったか。そうでしたよね?」
コロヌスが母に尋ねる。娘の視線と言葉を受けたシシルフェルトは素直にそれに頷いた。
「はい。シシルはまだ未熟者ですから、それくらいの硬度の氷しか作れないのです」
「十分堅いと思うんですが」
「いいえ、まだまだです。先代のマスターメイジ達は、それこそ千年、二千年も保つような立派な氷を生み出して来ていましたから。我が身の不明の恥じるばかりです」
そんな度を越した謙遜を前にして、高雄は引きつった笑みを浮かべた。するとその時、それまで黙っていたイルカ側の魔術師がシシルフェルトに声をかけた。
「我々の次の移住先についてはわかりました。では次に、あなたは我々をどのような方法で月まで送るというのでしょうか?」
「もちろん転移魔法ですよ」
「本当に便利ですよね、それ」
呆れたような高雄の言葉は無視された。シシルフェルトは高雄を無視しながら、コロヌスを見て言った。
「今回は娘にも協力してもらいます。さすがにあれだけの大質量の物体を一人で飛ばすのは無理がありますからね」
「確かに、一理ありますね。ではついでにソーラも呼びましょうか?」
「そこまでする必要は無いでしょう。私とあなただけで十分やれますよ」
娘の言葉に、母はそう答えた。コロヌスは反論せず、それに頷いた。
それを見たシシルフェルトは、次にトカゲとイルカに目をやった。二つの種族の代表は共に彼女の案に同意するように頷いた。その顔は決意に満ちた力強いものだった。
「わかりました。ここはシシルフェルト様にお任せしましょう」
「同胞には我々の方から説明をしておきます故。準備が出来次第、お教えください」
「はい、お願いしますね。それからコロヌス?」
魔術師二人の言葉を受け取った後、シシルフェルトは唐突にコロヌスの方を見た。コロヌスは何事かと母を見返し、シシルフェルトはそんな愛娘をじっと見つめながら言葉を放った。
「あなたには彼らの監督をしてもらいます」
「……は?」
コロヌスは最初、自分が何を言われたのか理解できなかった。そうして目を点にしているコロヌスに向かって、シシルフェルトが続けて声をかけた。
「あなたもいずれは人の上に立つ事になるでしょう。今の内にそれに慣れておくべきです」
「練習というわけですか」
「はい。それとお互いが良ければ、彼を一緒に連れていっても構いませんからね?」
そこまで言って、シシルフェルトが高雄に目を向ける。高雄は目を見開き、そのままシシルフェルトに尋ねた。
「僕が手伝ってもいいって事ですか?」
「そういうことです。もちろん無理強いはしませんが」
「やらせてください!」
高雄は即答した。シシルフェルトは思わず苦笑し、そのまま二人を見ながら言った。
「わかりました。それでは、今回の件はお二人に任せます。何かあったら、その時は私に相談してくださいね」
シシルフェルトはそれからニコリと笑った。そして視線をコロヌスに移し、表情を元に戻して彼女に言った。
「では、さっそく準備を始めましょう。コロヌス、手伝ってくださいね?」
同じ頃、美佐はジョゼと共に体育館に向かっていた。そこには解放されたエルフ達が集まっており、彼らは一様に不安げな表情を浮かべていた。
「安心して。悪いようにはしないわ」
その一団に向かって、美佐は開口一番にそう告げた。そしてジョゼの見守る傍ら、彼女は続けて声をかけた。
「今こっちで対策を考えてる所だから、もう少し我慢してほしいの。大丈夫、怖がらなくてもいいわ」
「ほ、本当ですか?」
「ええ、本当よ。信じてくれていいわ」
美佐がそう言った直後、エルフ達はやにわに活気を取り戻していった。本当に心細かったのだろう。彼らの顔は見るからに喜びに輝いていた。
「ちょっと安請け合いしすぎたんじゃない?」
その様子を見て、ジョゼが苦笑しながら声をかける。対して美佐は肩を竦め、エルフを見ながらそれに答えた。
「仕方ないわよ。なんとかしないといけないのは事実なんだから」
「まあ、それは確かにね。コロヌスに手柄を取られるのも癪だし」
「どうしてそこであいつの名前が出てくるのかしら?」
「あら、違う? コロヌスに負けたくないからこうしてるのかと思ったんだけど」
ニヤニヤ笑いながらジョゼが問いかける。美佐は渋い表情を浮かべたまま黙りこくり、それを見ながらジョゼが続けて言った。
「それとも、高雄のためかしら?」
「……!」
直後、美佐が肩を震わせる。図星を突けたジョゼはさらに笑みを深くし、美佐はそれを誤魔化すように声を大きくして言い返した。
「とにかく、私は生徒会長としての責務を果たそうとしているだけよ。そういうことなの」
「そういうことにしておくわよ」
子供っぽく反論する美佐に対して、ジョゼは余裕の笑みを浮かべてそう答えた。二人がそんなやり取りをしていると、エルフの一人が彼女達の元に歩み寄ってきた。
「ところで、誠に勝手な話なのですが、こちらから一つお頼みしてもよろしいでしょうか?」
「頼み?」
エルフが問いかけ、美佐がそれに反応する。エルフは言葉を返した美佐をまっすぐ見つめ、そのまま彼女に話しかけた。
「ここがどのような場所なのか、改めて我々に教えていただきたいのです」
美佐は言葉に詰まった。赤の他人に親しく接する事には慣れていなかったからだ。
「駄目、でしょうか……?」
「いや、駄目って訳じゃないけど」
エルフの問いかけに美佐が気まずい表情を浮かべる。ジョゼはそれを微笑んで見守るだけで、助け船を出そうとはしなかった。