生徒会長、誘う(後編)
「高雄君、この後ちょっと付き合ってくれないかしら」
次の日の朝、美佐は朝食の場で全く唐突にそう言い放った。何の前触れもなくいきなり言われた高雄は茶碗を持ったまま動きを止め、ついでにコロヌスも食事の手を止めて高雄と美佐を交互に見やった。
なおこの時、時計は午前八時三十分を回っていた。しかし学校に行くという意欲を見せる者は一人もおらず、全員サボる気でいた。
「おい、どういうことだ。この後付き合うとはなんだ?」
「言葉の通りですよ。食べ終わったら高雄君と外出するんです」
戸惑うコロヌスの言葉に、美佐が素っ気なく言い返す。それを返されたコロヌスは呆気に取られたように目をぱちくりさせ、次に高雄の方を向いて彼に尋ねた。
「約束してたのか?」
「いえ、僕も今聞かされました」
「なんだと? そうなのか?」
重ねて問いかけるコロヌスに、高雄が頷いて答える。それに対してコロヌスは表情をより一層渋くしながら、箸を手に持ったまま腕を組んで唸った。
「予約無しデートとは随分と大胆な。若いとは言え、いくらなんでも突発的すぎるだろう」
「まあまあ、いいじゃないですか」
そうやって呆然とする高雄の返答を聞いて憤りを見せるコロヌスに対し、横からアイビーがなだめるように声をかける。同時に美佐が「別にデートじゃないです」と小声で言い放つが、コロヌスはそれには気づかずに自分に声をかけてきたアイビーの方に向き直って彼女に言った。
「彼女としても、これまでの経験から色々と思う事があるのでしょう。ここは彼女の意思を尊重して、一日高雄様をフリーにしてみてはいかがでしょう?」
「それはサキュバスとしての意見か?」
「サキュバス半分、年上女性のお節介が半分の意見でございます」
アイビーが淡々と本心を告げていく。コロヌスは暫くの間難しい顔をしていたが、やがて諦めたようにその顔から力を抜き、そのまま高雄を見て言った。
「わかった。高雄が良いと言うのであれば、私も止めはしない。どうするかは君が決めてくれ。私は君に従おう」
「……いいんですか?」
「本音を言えば良くない。君とは一秒たりとも離れたくない。だが、そんな自分の都合で君を縛りつけてしまうような汚い女にも、私はなりたくは無いのだ」
躊躇いがちに聞き返す高雄にコロヌスがリラックスした表情で答える。それを聞いた高雄は一度息を吐いた後、視線をコロヌスから美佐に戻して彼女に言った。
「じゃあ、今日一日、よろしくお願いします」
「なんで私の提案を受け入れたの?」
それから一時間後、朝食を済ませて外出の準備をした二人は、家から出て町の通りを並んでぶらぶらと歩いていた。平日ということもあって人通りは少なく、二人は道行く通行人に煩わされることもなく横並びになって歩道を練り歩いていた。
美佐が高雄にそう質問してきたのは、二人がそう漫然と「散歩」をしていた最中の事であった。
「あなた、あのコロヌスって人が好きなんでしょう? あっちの方と一緒にいても良かったのに」
「え? それはその」
なんでこの人は僕がコロヌスを好きだって事に気づいてるんだろう。美佐とコロヌスの風呂場での密会を知らない高雄は彼女の続けて放った質問に対して疑問に思ったが、それに関してはそれ以上考えることはせず、そのまま美佐の質問に答えた。
「僕もその、あなたの事が色々と知りたいなって思って。前から気になってる事とか、聞いてみたいなって思ってたんです」
「だからこの機会を利用して、それを聞いてみようって思った訳かしら?」
「は、はい。もちろん無理にとは言いませんけど」
そしてそれに対する美佐の言葉に対して、高雄が控えめに告げる。それを聞いた美佐は一つため息をついた後、高雄の方を向いて「別に大丈夫よ」と答えてから続けて言った。
「私の方も色々と、あなたに教えたいことがあったから。タイミング的にもちょうどいいわ」
「たとえばどんな?」
「私の事。家の事とか、昔の事とか」
高雄が心配するように眉をひそめる。そのまま彼は美佐を見ながら彼女に問いかけた。
「いいんですか? それ本当に聞いても」
「いいのよ」
「でも、なんでいきなり? 前はかなり嫌がってたのに」
「り、理由なんてどうでもいいじゃない! 私がいいって言ったらいいの! わかった!?」
高雄の戸惑う声を無理矢理黙らせる。まだ本心を赤の他人に直接伝えられるほど、彼女の心はほぐれてはいなかった。
もっと私の事を知ってほしい。私を理解してほしい。
そんなこと言えなかった。
「それにあなたも、私の事知りたがってたじゃない。それを私の方から全部教えてあげるって言ってるの。それとも何? やっぱり聞きたくないの?」
そんな美佐が顔をしかめ、高雄に顔を近づけながら問いつめる。相手が上級生で生徒会長ということもあり、結局高雄はその剣幕に押されるまま、怯んだ声で「し、知りたいです」と答えるしかなかった。
「そう。それでいいのよ」
高雄の返答を聞いた美佐はそう言って頷いた。しかしその顔はまだ不満げなままで、眉間には皺が深く刻まれていた。
僕は何かマズいことしたのだろうか? そんな彼女の顔を見て一抹の不安を抱く高雄の横で、美佐が前を見ながら声を放った。
「この近くに公園があるから、そこに行きましょう。そこでなら邪魔も入らないだろうし」
高雄に拒否権は無かった。彼はそれに頷き、二人はそのまま近くの公園に向かった。
美佐の言う通り、その公園には人気が全くなかった。おそらくは周りにマンションや一軒家の類が無いからだろう。そしてここを作った側もそのことを理解していたのか、ここにはベンチと自動販売機、そして小さなジャングルジム以外にまとっもな遊具は無く、子供達が伸び伸びと遊べるような場所では無かった。
「お待たせ」
そんな事を件のベンチの一つに座りながら考えていた高雄の元に、二本の缶コーヒーをそれぞれの手に一本ずつ持った美佐が近づいてきた。彼女はその公園の中に置かれていた自販機から買ってきた缶コーヒーの一つを高雄に渡し、「それでいいかしら?」と言いながら彼の横に腰を下ろした。
「ブラックにしようか、カフェオレにしようか迷ったんだけど、結局甘い方にしちゃった。甘いの駄目だったかしら?」
「いえ、僕は大丈夫です。どっちもいけますよ」
「そう? なら良かった」
自腹を切って買ってくれたのだ。高雄としてはどちらを持ってきたにしろ、文句を言うつもりはなかった。美佐は甘いのが好きなのだろうか? 高雄は文句を言う代わりにそんな事を考えたりもした。
「ええ。甘い方が好きよ。無糖は性に合わないわ」
高雄が恐る恐るそう質問をすると、美佐は嫌な顔一つせずにそう答えた。それが敵意のない自然なものだったので、高雄は相手に対する警戒心を少し緩めた。
「まあ、現実はそんなに甘くなかったんだけどね」
そんな時、唐突に美佐がそう言った。その顔は僅かに赤らんでいた。
そんなに恥ずかしいなら気取らなくてもいいのに。高雄は正直にそう思った。
「知りたいんでしょ? 私のこと」
続けて美佐が言い放つ。コーヒーのくだりをきっかけにして自分の事を話そうとしていたのだろうか。
それは少し無理矢理じゃなかろうか?
「どうなのよ」
「そりゃあ、まあ、知りたいですけど」
しかし気になっていたのも事実だ。高雄は変に突っ込みを入れたりはせず、その美佐の問いかけに素直に頷いた。美佐もそれを見て安心したのか、肩の力を抜いて自分の缶コーヒーを開けながら口を開いた。
「まあ、そんなに愉快な話じゃないんだけどね」
綾野美佐の両親は、一言で言えば昔気質であった。学園長を勤める父が決定権を持ち、母親やその使用人は彼の意見に逆らうことは絶対に許されなかった。そして母もまた、そんな「家父長制」の中で生きることを良しと考えており、父の言葉には全て従ってきた。
その家の中において、父とはすなわち神であり、絶対不可侵の尊き存在なのであった。
「ただの老害よ」
そんな自分の家の特徴を説明し終えた後、美佐はそう吐き捨てた。それから彼女はしかめ面のまま、説明を続けた。
綾野家は子宝に恵まれなかった。父と母が結婚して数十年になるし、体を重ねた事も一度や二度ではなかった。しかしこれまで一度も、母が子を宿した事は無かった。
父は絶望した。このまま子供が出来なければ、下手をすれば自分の跡を継がせる者がいないままこの世を去ってしまうかもしれない。彼の家では何代も前から、全ての親の財産を長子に継がせるという「伝統」を頑なに守ってきた。自分がそのルールを曲げるわけにはいかない。彼はその家の「呪い」に狂的なまでに取り憑かれ、結果、それまで以上に子供を欲するようになった。
しかし既に自分の体は枯れ始めており、若い頃のように精力活発というわけでも無い。彼は残されたチャンスを物にしようと、今まで以上に貪欲になった。そうして母の身を省みない強引な性交を繰り返した結果、ついに彼の望みは叶うこととなった。
母が子を宿したのだ。父はまさに狂喜乱舞した。ついに呪いから解き放たれる。父はやがて来る自由を前に小躍りした。しかし彼の心は、その後すぐに再び絶望の淵に落とされる事になった。
母が胎内に宿した赤ん坊――綾野美佐が女だったからだ。
「親の財産は、男が継がなければならない」
そこまで話した後、美佐がぽつりと呟いた。
「でも生まれてきたのは女だった。さすがに堕ろされたり、捨てられたりはしなかったけど、それでも私は、決して望まれた子では無かった」
父の絶望は、すぐさま怒りへと変わった。なぜお前は女なんだ。彼はその怒りを、「英才教育」という形で美佐にぶつけた。
「私が五つの時から、教育を始めた。それからみっちり十年間、私はそれに付き合わされた」
それは表向きは、自分の培ってきた才能の全てを幼い我が子に教え込むという当たり障りのないものであった。実際父は経営者としては有能であったし、それを疑念に思う者は家の中にも外にもいなかった。
だが実情は、教育の皮を被った家庭内暴力であった。
「確かに父はちゃんと勉強を教えた。作法も教えたし、色んな内容の学問も学ばせた。経済学とか、帝王学とか、とにかく色々。でもあいつは、私が何か間違える度に、容赦なく私を鞭でぶってきた」
殴ったりも、蹴ったりもした。満点を取ったのに殴ってきたりもした。彼にとっては自分が何点取ろうがどうでも良かったのだ。こちらの「ご機嫌取り」の愛想笑いすらも、彼にとっては怒りの炎の勢いを増す燃料にしかならなかった。
母親も家政婦もそのことを知っていた。しかし自分がどういう目に遭っているか知りながら、それを止めようとはしなかった。神に逆らうことは出来なかったからだ。
何もかもが理不尽だった。そこまで聞いた高雄はまるで自分の事のように顔をしかめた。
「酷い」
「ええ、最悪だった。でもね、それは私が十五歳になった時に、やっと終わったのよ」
ようやく解放されたのか。そう思って顔を輝かせる高雄を見ながら、美佐が暗い顔で言った。
「十五歳になった時、父が養子を連れてきたの。五歳の男の子をね」
「え、まさか」
「父はそれから、今度はその子に教育を始めた」
父は結局、「呪い」からは逃げられなかった。情愛よりも呪いからの解放を優先した。そしてある時、子供を「作れない」のならば、余所から「持ってくれば」いいと悟ったのだ。
その瞬間、美佐は用済みとなった。
「父はその子に私と同じ英才教育を始めた。でもあいつは私とは違って、彼にとても優しく接した。それこそ我が子を取り扱うかのように、深い愛情を注いだのよ。ついでに私の待遇も良くなった。昔みたいに暴力を振るってくることは無かったし、それからは今までが嘘のような平和な日々が続いた」
そして彼らは、自分への虐待の日々を「無かったこと」にしようとしていた。美佐は吐き捨てるように言った。
「私はそれが許せなかった。謝りもしないで、私にしたことを全部水に流そうとしたあいつらが許せなかった。だから、見せつけてやろうと思った」
「見せつける?」
「自分達がいったいどんな子供を作ったのか。自分達の教育の結果どんな子供が出来上がったのか。私がそれをあいつらに披露してやろうと思ったのよ。見なさい、お前達の傲慢な考えが、こんなにも酷い人間を生み出してしまったのよ、ってね」
「じゃあ、今までやりたい放題やってきたのって」
「半分芝居よ。まあ、半分本気だったりもするけど。とにかく、私は奴らに復讐するって決めたの。あいつらに私の本性を晒け出して、自分達の愚かさを認めさせてやるの」
「そんなの……!」
悲しすぎる。高雄はすぐさま美佐を見た。美佐はその高雄を見つめ返し、自虐的な笑みを浮かべて言った。
「いいのよ、私はこれで。他に生き方も見つけられなかったし。私の性格がこうなったのも、元はといえばあいつらが原因だし」
「でも、それでも駄目ですよ。自分から暴君をやって、自分から嫌われていくなんて。そんなのあんまりすぎる」
「だからいいって言ってるでしょ? 私の人生はね、この世に生まれ落ちたその瞬間から、無かったことにされてるのよ。誰も私を必要としてない。私の味方は誰もいない。私がどうなろうが、誰も気にしない」
「僕は気にします」
高雄が強く言い返す。美佐が目を細め、高雄を睨みつける。
「冗談はやめて」
「冗談じゃないです」
「本気で言ってるの?」
「本気です」
「それは同情からかしら?」
「違う。そんなんじゃない」
高雄は頑なだった。美佐は一つため息をつき、そして再び高雄に問いかけた。
「じゃあ、どうして?」
「あなたを支えたいと思ったから。あなたを助けたいと思ったから」
「それを憐れみって言うのよ」
「違う!」
高雄が立ち上がる。美佐は驚きながらも高雄に視線を向け続け、高雄もまた美佐を見つめながら彼女に言った。
「誰かを助けるのに理由なんていらない。困ってる人がいたら手を差し伸べろ。僕はそう教えられてきました。同情でも憐れみでもない。僕はあなたを助けたいだけなんです」
「ご立派だこと。それは誰から教えられたのかしら?」
「母からです」
「なるほどね。あなたの母はさぞ素晴らしい人だったのでしょうね」
皮肉たっぷりに美佐が言い返す。高雄はそれにはすぐに答えず、黙って元の席に腰を下ろしてから美佐に言った。
「ええ。でもこれは、僕自身の想いでもあるんです。それに今ここでなたを見捨てたら、きっと母さんにも叱られるから」
そう答える高雄の目は悲しげで、どこか遠くを見つめていた。それを見た美佐は不意に何かを察し、それを確かめるように高雄に尋ねた。
「ところで、あなたのお母様は今どこに?」
「死にました」
即答だった。美佐の予想通りの回答でもあったが、さすがにその表情は陰鬱な物となっていた。
「ついでに、僕の昔の話もきいてくれませんか?」
それから続けて、高雄がそう声を放つ。好奇心をくすぐられた美佐はそれに頷き、高雄はそのまま話を続けた。
そして彼は、自分の出生の全てを語って聞かせた。
「……」
全てを聞いた美佐は沈黙を貫いた。その顔は暗鬱なまま、何を言ったらいいのかわからなかったのだ。
こんな状況、教えられてない。無学な自分が恨めしかった。
「だから、僕はあなたを助けたい。母さんからそう教えられたからでもあるし、自分でそうしたいから」
そんな美佐に向かって、高雄が言葉を続ける。美佐はだんまりを決め込んだままで、高雄はそれでも構わず話し続けた。
「僕はあなたの、友達になりたい」
駄目ですか? 高雄が美佐の顔を覗き込む。しかしその言葉を聞いた瞬間、美佐は表情を固くした。
友達。自分は友達なのか。
「でもまあ、うん、そうよね。最初は友達からよね。うん」
だがその直後、すぐに自分に言い聞かせるように美佐が言ってのける。高雄は不思議そうに美佐の顔を覗き込むが、美佐はそれから逃げるように立ち上がって高雄を見下ろしながら言った。
「はい、もう終わり。この話はおしまい」
「えっ?」
「お互い傷の舐め合いなんてしても、しょうがないじゃない? そんなことより、せっかく二人で外出したんだから楽しまないと。ね?」
「あ、う、うん」
いきなり明るくなった美佐を高雄は不思議に思ったが、だからといって彼は美佐を邪険に扱おうとはしなかった。
彼女の言う通りだ。うじうじ悩むくらいなら、楽しんだ方がいい。
「それじゃあ、これからどこ行きましょうか?」
「そうね。もう少し歩いて、その後どこかでお昼にしない?」
「いいですね。そうしましょう」
高雄も続けて立ち上がり、美佐が彼の手を取る。そして戸惑う高雄に向かって「ちゃんと付いてきなさいよ?」と声をかけた後、彼女は高雄を引っ張るようにして公園の外に出た。
「ちょ、ちょっと、あんまり強く引っ張らないでくださいよ」
「いいじゃない、これくらい。友達なんでしょ?」
「そんなの理由になってないですよ!」
「いいから、いいから」
そう、今はまだ友達。
でも、いつか必ず。
「ほら、行くわよ!」
それまでの恥を全て忘れようとするかのように、美佐は無駄に明るいテンションで高雄を引っ張っていく。高雄は戸惑ったが、同時に嬉しくもあった。
これが本当の彼女なのかも知れない。独裁者ではない、綾野美佐の本当の姿を見れたような気がして、高雄は自分の心が安堵と好奇心で満ちていくのを自覚したのだった。