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魔界騎士、お風呂に入る

 非常に気まずい夕食を終えた後、美佐はそのままコロヌスから「せっかくだし、一緒に風呂に入ろう」と提案された。ちなみにこの時アイビーと高雄は共にキッチンで後片付けをしており、コロヌスの凶行を止められる者は一人もいなかった。


「せっかくここまで来たんだ。風呂くらい一緒に入ってもバチは当たらんだろう」

「イヤですよ」


 美佐は速攻で拒絶した。コロヌスは駄々っ子のように顔をしかめ、美佐はそれを呆れた表情で見つめながら言った。


「何を言ってるんですかあなたは。子供でもあるまいし、入りたいなら一人で入ればいいじゃないですか」

「そんなにつんけんする事も無いだろう。女同士、裸の付き合いをしても問題はあるまい? 勿論私はお前にセクハラはしない。約束だ」

「そういう問題では……!」

「それとも、さすがにそろそろ家に帰らないといけない時間か?」


 コロヌスにそう言われ、美佐はそこでハッとした。今は何時なんだ? それまで当たり前のように高雄の家に居座っていた美佐は、そこでやっと自分の置かれている状況の異常さに気づき、そして慌てて時計に目をやった。

 壁に掛けられた時計は午後八時を指していた。完全に「門限」を越えている。美佐は座ったまま目を見開いた。


「どうする? 本当にマズいなら、私が送っていくぞ?」


 ちょっと本気を出せばひとっ飛びだ。その姿を見たコロヌスは真面目な面持ちで言った。しかしそれまで驚愕と焦燥の念を見せていた美佐は、やがて諦めたように目を閉じて肩の力を抜き、そしてその場にへたり込んで静かに首を横に振りながら、そのコロヌスの問いに答えた。


「必要ありません。私の家には門限なんてありませんから」

「そうか? だが先程の反応は、どうみても破ってはいけないものを破ってしまった事を悔やんでいたように見えたが?」

「よく見ていらっしゃるんですね。でも心配は無用です。どうせ彼らは私の事なんて、ちっとも心配していませんから」


 そう皮肉混じりに告げる美佐の顔は、しかし完全に消沈していた。まるで憑き物と生気が同時に抜け落ちたような、深い翳りの色がその顔の中に刻まれていた。

 それが却ってコロヌスの老婆心を刺激した。


「風呂に入るぞ」

「またその話ですか」


 コロヌスからの提案に、美佐が呆れた声で答える。しかしそう言いながらコロヌスの方を見た美佐は、そこで彼女がいつになく真剣な表情を向けている事に気づいて息を呑んだ。


「あそこなら誰の邪魔も入らん。小声で話せば外に漏れる心配もない。それなりに広いから、二人で入っても問題はない。二人っきりで話すには最適の場所だ」

「どうしてそこまでこだわるんですか?」

「お前が困っているように見えたんでな。年長者として、お前の相談に乗ってやろうと思ったんだ。ただのお節介だよ」

「そんなもの別に――」


 そこまで拒絶しかけた美佐の瞳を、コロヌスが己の双眸でじっと射抜く。その目の中から侵入して心の奥まで除き込んで来るような鋭い眼差しを受けて美佐は思わず口を閉ざし、そのまま視線を逸らそうとした。

 しかしコロヌスの眼力は強烈無比だった。それはまさに「こっちを向かなかったら殺す」と無意識に語りかけてくるような代物であり、その視線を無理矢理自分の方へ向けさせるに十分な威力を持っていた。


「……ッ!」


 そして実際、それを浴びた美佐は肝が冷える思いを味わった。美佐はすぐに抵抗を止め、それでも表情は歪ませながら、大人しくコロヌスの方に視線を向け続けた。

 この女の思い通りに動くのは不愉快だったが、それでもまだ死にたくは無かったからだ。


「またそうやって脅して……!」

「こうでもしないとお前は私の話を聞かないだろう?」


 そうして不本意そうに顔をしかめながら、それでもコロヌスに視線と意識を向け続ける美佐に対し、獄炎の女騎士は真剣な面持ちを彼女に見せながら言った。


「だがさっき言ったことは全て本当だ。それに脅しておいてあれなんだが、私も個人的にお前と話がしたくてな。特に問題が無いのなら、私と付き合ってもらいたい。どうだ?」


 コロヌスの双眸が美佐を射抜き、その場に釘付けにする。今度は視線だけでなく、熱気という形で発露したコロヌスのプレッシャーが、美佐を直接包み込んでいく。そうしてぬるま湯のように暖かく、しかし一度火がつけば一瞬で自分を焼き尽くしてしまうかのような凄みを持った熱の膜に包み込まれて、美佐はもはや今の自分に逃げ場が無いことを自覚した。

 どこまで人を弄べば気が済むんだこいつは。


「駄目か?」

「わ、わかりましたよ……」


 しかしどれだけ憎いと思っても、美佐には首を縦に振るしか選択肢が無かった。

 まだ死にたくなかったからだ。





 コロヌスの言う通り、この家の風呂場はそれなりに広かった。複数人で入ることを前提にして作られたらしいその場所は、二人一緒に入ってもまだまだ余裕があった。


「ふう、生き返るな。やはり風呂は一日の締めにぴったりだ」

「……」


 軽く体を濯いだコロヌスが、先に湯船に入りながらしみじみと呟く。しかし美佐はそれには答えず、黙ってシャワーを浴びていた。

 なんで藤澤高雄はこんな無駄に豪華な家に一人で暮らしているのだろう。美佐は無心で頭からシャワーを被りつつ、そこに逃げ込むかのようにその疑問に意識を集中させた。こいつと話すことは何もない。美佐はコロヌスへの警戒を解かないまま、己の心の奥底へ意識を埋没させていった。


「お前、高雄のことが好きなんだってな」


 しかしそんな美佐の「避難行為」は、そのコロヌスの不意の一言によって呆気なく中断させられた。美佐はそれまで築いてきた思考を全てかなぐり捨て、頭の中を真っ白にしたまま反射的にコロヌスの方を向いた。その目と口は頭上からシャワーを浴びながらも大きく見開かれ、その顔は明らかな動揺と驚愕に満ちていた。

 まったくわかりやすい女だった。


「な、な、なにを」

「そんなに驚く事はないだろう。誰かを好きになると言うのは、至極当たり前のことだ。恥ずかしい事じゃない」


 驚く美佐にコロヌスが告げる。それを聞いた美佐は急いでシャワーを止め、口の中に溜まっていたお湯を捨てて口元を拭いながらそれに答えた。


「何を馬鹿なことを。私がそんなこと、思うわけ無いじゃないですか。私が恋? まったく馬鹿らしい。それに第一、そういう事を誰彼構わず言いふらすのは失礼じゃないんですか?」

「別に今はいいだろう。ここには私とお前しかいないんだ。それに私も、お前が高雄を好きなことに関して笑ったりはしない」

「だから、私は……!」


 そう反論しかけた美佐をコロヌスが見据える。目を細め、前にやったのと同じ方法で美佐を黙らせる。

 そうして目を見開き、息を呑む美佐に向けて、落ち着いた口調でコロヌスが言った。


「確かにそれを言いふらしたり、見せびらかしたりする必要はない。だが、だからと言って、それを恥ずかしがる必要もない。恋をしている自分自身を軽蔑する必要もない。もっと堂々としていればいいのだ」

「軽蔑ですって?」

「そうだ。私には今のお前はそう見える。自分の恋心を否定しようと躍起になっている。それがもどかしいのだ。もっと素直になれ。バチは当たらんぞ」


 そこで美佐が視線を逸らす。バツの悪そうな顔を浮かべ、何か言いたげに口をもごもごと動かす。


「それに、私も高雄の事が好きだしな」


 直後、コロヌスが二発目の爆弾を落とす。直撃を食らった美佐は目を見開きながら体を硬直させた。

 効果抜群。どこまでも単純な奴だ。


「私もあいつのことが好きだし、それを恥と思ったこともない。もちろん見せびらかすつもりは無いが、恋をしている自分を軽蔑した事は一度もない」


 その石像のように固まった美佐を見ながら、コロヌスが淡々と心の内を吐露していく。勝ち誇ったり嘲笑ったりはせず、本当にただ事実だけを美佐に伝えていく。


「だからお前も、恋をしている自分を卑下するのは止めるんだ。恋をして何が悪い? 別にいいじゃないかそれくらい。それともお前の身内の中に、恋愛を禁止している奴でもいるのか?」


 するとそのコロヌスの言葉の最後の部分に反応した美佐が、無言で首を横に振る。それを見たコロヌスは「なら問題は無いな」と自分のことのように安心し、今度はそれに対して美佐が目を逸らしたまま言った。


「あなたは、怖くないんですか?」

「何がだ?」

「私が彼を好いている事に気づいて、怖くはないんですか? 私があなたから、あの子を奪ってしまうかもしれないんですよ?」


 震える声で美佐が言い放つ。コロヌスは少し考え込むように黙った後、やがて美佐を見ながら口を開いた。


「怖いさ。でも高雄の決めたことなら、私はそれでいい」

「えっ?」


 咄嗟に美佐がコロヌスを見る。その美佐の顔を見返しながらコロヌスが続けて言う。


「高雄が私よりお前を選んだというのなら、私もそれに従おう。自分のわがままで高雄を苦しめたくはない。私は、あいつが幸せになれるのらそれでいいのだ」

「よくもまあそんな綺麗事を」

「私は本気だぞ?」


 そう言ってのけるコロヌスの目は笑っていなかった。息を呑む美佐に向けてコロヌスが言った。


「だが私は高雄を離すつもりは無い。私だってあいつのことが好きなんだ。あいつを幸せにしてやりたいし、一緒に幸せになりたい。自分から高雄を諦めるつもりは無いぞ」

「……そんなに彼の事が好きなんですか?」

「もちろんだ」


 美佐からの問いに、コロヌスが力強く言い返す。しかしそれを聞いた美佐はコロヌスを見つめながら口を開いた。


「でもそれ、おかしいです」

「何がだ?」

「あなたはあの子を心底好いている。ならあなたはどうして、自分と同じ人を好きになった人をわざわざ励ましたりするんですか? 今の内に私を蹴落として、ライバルを減らした方がずっと安心できるじゃないですか」

「私はそこまで小狡くはないし、そんな小物に成り下がるつもりもない。今お前を励ましてるのは、ただ単に自分の気持ちに素直になりきれてないお前をもどかしく感じたから、こうしてお節介を焼いているだけだ」


 そう言ったコロヌスに対し、美佐は呆れたようにため息をついた。


「そうして自分と同じ土俵に立たせて、正々堂々勝負をしようと言うわけですか」

「別に勝負をしようと思ったつもりは無いがな。そもそも恋というのは勝ち負けを決める物でもないだろう。当事者全員が納得の行く形に持ち込めたのならば、例えそれが引き分けであったとしても、それで良しとするべきだ」

「引き分け?」


 どういう意味ですか? そう尋ねてくる美佐に対し、コロヌスはニヤリと笑って言い返した。


一夫多妻ハーレムだよ」

「正気ですか」


 美佐が心底軽蔑するような目線をコロヌスに向ける。そんな美佐に対し、コロヌスは動じることなく堂々と言い放った。


「そんなに汚らしいことか? 少なくとも私のいた世界では、ハーレムは普通に存在しているぞ。妻を複数持っている男が侮蔑の対象になった事は一度もないし、それにハーレムの主である男達も、堂々と自分の妻達を引き連れて町中を歩いている。何もおかしくはない」

「こっちの世界では異常なことなんです。一人の男性に一人の女性、それがこの国の常識なんです。一夫多妻制なんて、今の社会は絶対認めませんよ」

「なら、私の世界に来ればいい。そうすれば皆幸せになれるぞ?」


 コロヌスが茶化すように言ってのける。それを聞いた美佐は思わず顔を逸らして唇を噛んだ。

 皆幸せになれる。コロヌスの邪魔をしないで、彼を好きでい続ける事が出来る。そう一瞬でもときめいしてしまった自分が許せなかったのだ。


「まあ、決めるのはお前次第だ。退くも良し、進むも良し。自分の気持ちをどうするか、それはお前が考える事だからな」


 そんな美佐を見ながら、コロヌスが優しく声をかける。それからコロヌスはおもむろに立ち上がり、湯船からあがって美佐の後ろに腰を降ろす。


「だが、私は絶対に諦めない。高雄を手放す気は無いからな」

「前にも聞きましたよ。何回言うつもりですか」

「まあ気にするな。一応恋敵に釘は刺しておこうと思っただけだ」

「随分臆病なんですね」

「そりゃあ怖くもなるさ。高雄が私の前から消えるなんて想像したくもない。私にとって高雄はもう、自分の半身のようなものなんだ」

「そうなんですか。それは奪い甲斐がありそうですね」


 そう大胆に言ってのけた美佐の声は、しかしとてもか細く弱々しかった。コロヌスはそれに対して何も言わず、美佐もそれ以上言葉を続けなかった。

 それから暫くの間、無駄に広い浴場は気まずい沈黙に包まれた。コロヌスは真顔で美佐を見つめ、美佐は後ろを振り向くことなく硬直し続けた。


「ところで、いつまで後ろにいるつもりですか?」


 そんな気まずい空気の中、先に沈黙に耐えきれなくなった美佐がコロヌスに声をかける。コロヌスはそれを受け、肩を竦めながらそれに答えた。


「背中を流してやろうと思ってな」

「背中?」

「せっかく一緒に風呂に入ってるんだ。スキンシップくらいしてもバチは当たらんだろう」

「……好きにしてください」


 美佐は完全に抵抗の意思を無くしていた。混乱と葛藤が彼女の自尊心を萎縮させていた。それから美佐はされるがまま、コロヌスの手によって背中のみならず全身を洗わされたのであった。


「なんだか肉付きが良くないな。ジョセよりは膨らんでるようだが、ちゃんと食事はとってるのか?」

「大きなお世話です」


 そうして体を洗い終えたコロヌスは、ついでとばかりに今度は美佐の髪にも手を着け始めた。頭皮に指が触れた瞬間、美佐は少しビクリと震えたが、しかしそれを拒絶しようとはしなかった。


「大丈夫か? 痒いところはないか?」

「そうやって姉面するのやめてくれませんか?」

「母親面なら良かったか?」

「あなたのそういう所、大嫌いです」


 憎まれ口を叩きながらも、美佐は最後までコロヌスの「スキンシップ」を受け入れた。しかし彼女の体は完全に弛緩し、警戒も敵意も無くコロヌスの指を受け入れていた。

 口は減らなかったが、その体は完全に負けを認めていた。


「流すぞ。目を閉じてろよ」

「……」


 自分を優しく扱ってくれる。自分を偽らず、自分の心を正直にぶつけてくる。同じ人を好きになってしまった自分を軽蔑せず、対等に扱ってくれる。

 だからこの人は信用できる。この人と一緒にいると安心できる。

 この人には勝てない。剣の腕でも、心でも。


「大っ嫌いだ」


 そう思ってしまう自分が許せなかった。負けを認めてしまうのが怖くてたまらなかった。

 認めてしまえば、今までの自分の努力がすべて無駄になってしまう。自分の流してきた血と汗が全て無駄となってしまう。

 そうやって屁理屈ばかりこねて素直になれない自分が、一番許せなかった。


「嫌いだ……!」


 俯きながら、誰にも聞こえないように言葉を絞り出す。その顔は俯き、小さな背中は僅かに震えていた。

 その声もまた、シャワーの音にかき消されていった。


「……」


 コロヌスは何も言わず、その頭を撫でるように優しく髪を濯いでいった。


「私は好きだよ」


 やがて頭を流し終えたコロヌスが、おもむろに言葉を話つ。

 美佐は固まったまま、何も反応も返さなかった。

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