少年、焼き肉を楽しむ
「私はコロヌス・デル・トリスタータ。この世界に君を呼んだ者だ。まずはいきなりこちらに君を呼んでしまったことを許してほしい」
それから数分後、少年は血を落とされ元通りになった自分の服を着て、浴場で自分を襲ったメイドに連れられて大食堂に向かった。そこで少年は長テーブルを挟んで赤いドレスを着た赤髪の女性と向かい合い、その女性と話し合うことになった。
なお、テーブルの上には人一人吊せる大きな肉焼き機が置かれており、それは少年と女性の視界の隅に入り込むような位置に置かれていた。それを見た少年は「これ前にやった狩りゲームにあったな」とどことなく懐かしい気分になった。が、そこに吊るされていた物を認識した瞬間、それまで抱いていた懐かしさは雲散霧消し、意識してそれの存在を脳の外に締め出した。
そんな少年に対して、赤髪の女性の方はまず最初に自分の名前を名乗り、そして少年に対して今の状況に巻き込んでしまったことを謝罪した。
「君をこの世界に呼んだのは他でもない。君を私の婿として迎えたいのだ。突然な話で申し訳ないのだが、要は私と結婚してほしいということだ。そのために君をこちらの世界に呼び寄せた」
そしてまどろっこしい前置き--主にこの世界の説明やこの地の詳しい情報といった諸々--を完全に端折り、単刀直入に本題に入った。少年は「そんな、いきなり言われても」と当然戸惑ったが、コロヌスはそれに対して「安心してくれ。今すぐ私と結婚しろと言うわけではない」と返してから言葉を続けた。
「君にも色々と事情があるだろう。だから結婚を強制したりはしない。嫌なら断ってくれても構わない。しかしもし君が良ければ、まずは私達のことを知ってほしいのだ。察しはついていると思うが、我々は君が元いた世界の人間とは大きく異なる存在だ。そんな我々の本質を理解して、その上で、私との婚約を考えてほしいのだ」
「いきなりすぎて混乱しているかとは思われますが、これがあなたをこちらに招いた理由の一切合切なのです。どうかご理解いただけるようお願いします」
コロヌスの発言に合わせるようにして、食堂の入口の横に立っていたメイド--アイビー・シュトロナームが言った。少年は長テーブルの一点を見つめつつ目を丸くしていたが、やがて呆然としながらも口を開いた。
「これ、全部本当のことなんですよね? 夢じゃないんですよね?」
「その通りでございます。これは全て現実。夢幻の類ではございません」
アイビーがそれに答える。少年がそちらに目を向けると、彼女は深々と一礼しつつ「アイビー・シュトロナームと申します。こちらでメイド長をしております」と丁寧に挨拶をした。つい先程、浴場で自分を「食おうと」したサキュバスと同一人物とは思えないほどに礼儀正しく、完璧な所作であった。
そしてそんな「完璧なメイド」は怜悧な瞳で少年を見つめたまま、コロヌスに替わって説明を続けた。
「浴場で見せた姿こそ、我々の本質の最たるものなのです。我々は人間ではなく、魔族と呼ばれる存在。当然こちらの世界にも人間はおりますが、私も、そしてこちらの主であるコロヌス様も、本質は人間とは大きくかけ離れておられるのです」
「魔族? 本当にいたんだ……」
「おや、私達の種族のことをご存じでおられる?」
「本物を見たのはこれが初めてですけど……じゃ、じゃあ、今の丁寧な動きは全部嘘で、あの時僕を襲ったのがあなたの本当の姿ってことですか?」
「そうなりますね。今の私は謂わば、猫を被っている状態なのです。あの浴場で見せたド淫乱な姿こそが私の正体。男を襲い、精を食らうサキュバスとしての本質なのです」
少年の問いにアイビーが淡々と答える。それを聞いた少年は「信じられない」とばかりに目と口を大きく開け放っていたが、すぐにその表情を引き締めて「でも、なんでそんな正直に話すんですか?」と再び頭の中に沸いた疑問を口にした。
「隠そうとは思わなかったんですか? 自分は魔族だとか、本質は人間とは大きく違うとか。いきなり違う世界に呼んできた人相手にそれだと、普通は怖がると思うんですけど」
「それは君に、本当の私達を見てほしいからだ」
それに対してはコロヌスが答えた。それから赤髪の女性は少年を見ながら「ところで君の名前は何というのだ?」と問いかけ、少年は「あ、そう言えば」とそれまで自分が名乗っていなかったことに気づき、慌てて自己紹介をした。
「ぼ、ぼくは藤澤高雄です。よろしくおねがいします」
「フジサワ、タカオか。わかった。では高雄。さっきの話の続きなのだが、君には我々の正体をしっておいて欲しいから、あえて自分達の本質を晒け出しているのだ」
相手の名前を聞いたコロヌスがそう告げる。自分より二回りも大人びた美女からいきなり名前で呼ばれた高雄は恥ずかしそうに顔を赤らめたが、コロヌスはそれを気にすることなく彼に話し続けた。
「確かに外見を取り繕って相手に良い印象を抱かせようとするのも一つの手だろう。しかし私は、そうして手に入れた偽りの信頼関係というものは、長続きはしないと考えているのだ。相手の綺麗な所と汚い所の両方を知り、その上で相手を受け入れる。それこそが、両者が最高のパートナーとなるために重要な要素であることだと考えているんだ」
「だから私も、先程は手加減なくあなたに迫ったのですよ。というより、今もロックオンしています。食べちゃって良いですか?」
「すまない。そこのセックス狂いのことは無視してくれ。そいつはそういう奴なんだ」
茶々を入れる--にしては明らかに「本気で獲物を食おうとする捕食者の目」をしていた--アイビーに対し、コロヌスが呆れたように言葉を返す。コロヌスの方を向いた高雄は背後から突き刺さるサキュバスの視線を感じながら、ただ乾いた愛想笑いを浮かべるしか出来なかった。
「でも、なんとなくわかりました。確かに上辺だけ取り繕っても、いいことなんて無いですしね」
しかし高雄はすぐに笑みを消してからそう答え、やや恥じらいながらも上目遣いにコロヌスをまっすぐ見つめた。その視線に敵意は無く、緊張と興奮、そして期待のこもった物となっていた。まだ戸惑いこそあれ、こちらに対するマイナスの感情はそこには無かった。
コロヌスはそんな彼の視線からそのことを読み取り、「私を信じてくれるのか?」と期待に満ちた視線を投げかけた。
「信じる、というより、信じたいです。ここが全部夢じゃなくて現実で、あなた方が魔族で、その人が僕と結婚しようとしているなんて。本当に夢みたいな話じゃないですか」
「嫌だとか迷惑だとか、そんな風には考えないのか? こちらの都合で君を別世界に召喚してしまったことに変わりはないんだぞ」
「確かにちょっと、困ったな、とは思ってますけど。でも、それでも僕は、このチャンスを無駄にしたくないんです。こんなファンタジーめいた出来事、僕のいた世界じゃ一生お目にかかれないようなものなんですから」
そう答える高雄の目は好奇心に輝いていた。それを見たコロヌスとアイビーは共に驚いた表情を見せた。自分達の呼んだ人間が、ここまでバイタリティのある存在だとは思いもしなかったからだ。
「僕はこの世界の事がもっと知りたい。皆さんの事ももっと知りたい。僕にはお二人が悪い人には見えませんし、だからなおさら、僕はここの事が知りたいんです」
しかしコロヌスは「これは好都合だ」とは思わなかった。代わりに彼女は穏やかな表情でため息をつき、肘をテーブルについて重ねた両手の甲の上に顎を載せながら彼に言った。
「君は前向きなんだな」
「そんな、そんなことはありませんよ」
それに対して高雄は照れくさそうに笑って、しかしどこか陰のある声で答えた。
「元の世界だと、前を向いてないとやってられませんでしたから。まずは目の前の出来事を受け入れる。それが僕なりの処世術なんです」
「そしてどこまでもちゃっかりしている、と。いったい何をどうしたらそんな風に強くなれるんだろうな」
それに気づかないコロヌスが感心したように問いかける。しかしそれを聞いた直後、高雄は「強くなんかないです」とそれまで輝いていた表情を一気に曇らせ、視線を下に降ろした。
それを見たアイビーはコロヌスに向かって静かに首を横に振った。コロヌスはそのメイドのサインを受けて初めて自分の失態に気づいた。そして「済まない。聞いてはいけない事を聞いてしまったようだ」と素直に謝り、続けて彼に言った。
「さっきのは忘れてくれ。嫌な思いをしてしまったのなら謝ろう」
「そんな、気にしないでください」
「そうか? それならいいが。ところで、君は何か質問はあるか? どんな事でもいい。この世界の事だとか、私達の事だとか。何でも聞いてくれ」
そして話題を変えようとコロヌスが話しかける。高雄はそれに対し、視界の隅にあった件の肉焼き機に意識を傾けつつ、「じゃあ、その」と控えめな態度でコロヌスに尋ねた。
「あの機械はなんなんですか?」
「あれか? あれは肉焼き機だ」
「でもあれ、吊されてるのって」
そこで高雄が本格的にその機械に目を向ける。最初に見てから今に至るまで意識的に避けていたそれを目の前にしながら、困惑と焦りの混ざり合った表情を浮かべて高雄が言った。
「人、ですよね?」
高雄の言う通り、それには人が吊されていた。銀の髪を持ち、黒いローブを纏った小柄な少女が、鉄の棒にその手足を縛り付けられ、目隠しと猿ぐつわを噛まされた状態で背中から火に炙られていたのだ。
そしてその少女は背中から弱火で炙られたまま、苦悶の呻き声を放っていた。眉尻を降ろし、全身から汗を吹き出すその少女は、しかしどこか悦んでいるようにも見えた。
「んーっ! んーっ!」
それを最初に見た--見てしまった時から、高雄はそれを意識的に視界の外に置いていた。しかし一度それと認識してしまった物は高雄の心にインパクトを与え、その後も結局彼の意識の中心にどっかりと腰を下ろしていたのであった。
「なんなんですか、これ? まさか食べるんですか?」
「違う違う。いくら私達でも人肉嗜食の気は無いよ」
「これはプレイでございます」
「は?」
プレイ? メイド長の口から飛び出した言葉を受けて、高雄が目を丸くする。アイビーは頷き、「焼き肉プレイと言うものです」と答えながらテーブルへ向かって歩いていく。そして高雄の隣に立ちながら、彼女が続けて言った。
「こちらは我が城お付きの魔術師で、ソーラ・ナ・ゾーラと申します。ご覧の通りのドMです」
「ドM? マゾってことですか?」
「それはもう筋金入りのマゾヒストです。今のこれにしたところで、彼女が自分から志願した事なのですよ」
「ええ……」
それを聞いた高雄が露骨に嫌そうな顔を見せる。それから彼はアイビーの方を向き、彼女に「これがこの人の正体なんですか?」と尋ねた。アイビーは「その通りです」と素直に頷いた。高雄はその表情をさらに苦々しくしていったが、アイビーはお構いなしに説明を続けた。
「この方は非常に有能なのですが、この通り特殊な性癖な持ち主でございまして。それで中々雇い口が見つからず難儀していたところに、コロヌス様がうちで働かないかとお声をかけたのでございます」
「私は有能な者なら余程酷い者でもない限りは進んで登用しようと思っておるのでな。少しも後悔はしておらん」
「不気味だな、とか思わないんですか?」
「中々ユニークで面白いと思うがな」
アイビーに続いてコロヌスが説明し、高雄の質問に対してもコロヌスは戸惑う事無くそれに答えた。それからコロヌスは肉焼き機に向かって指を鳴らして火の粉を飛ばし、そして肉焼き機の下部で弱々しく点っていた火にその火の粉が接触した瞬間、それは瞬く間に業火となってソーラの体を一瞬で飲み込んだ。
「んぎいいいいいっ!」
「ひいいっ!」
同時に強烈な熱波が高雄の肌を叩く。ソーラの喜悦と高雄の悲鳴が同時に響く。
ここにいたら顔の皮膚が発火する。生存本能の警告を受け取った彼は火が強くなった次の瞬間から逃げるように椅子から飛び退き、大慌てでテーブルから距離を取った。そして炙られた直後に顔面からどっと吹き出した汗を腕で拭き取りながら、怯えた視線をコロヌスに向けて言った。
「な、なにするんですか!」
「ああ、すまない。いつものように火を強くしたんだが、君がいたことをすっかり忘れていた」
「いつもやってるんですか!?」
「ムチ責め、水責め、虫責め。やれるものは一通り済ませた感じですね。とにかくなんでもありです」
コロヌスとアイビーが同時に淡々とした調子で返す。高雄にとっては全く常軌を逸した話であった。そしてそれを聞いた高雄は再び肉焼き機に目を向ける。
件の肉焼き機は完全に炎に飲まれていた。炎は今やテーブルの上で赤々と燃えさかっており、中で吊されていた人間がどうなっているのか全くわからなかった。
「これ、大丈夫なんですか?」
「大丈夫ですよ。ソーラ様は頑丈な方ですから」
アイビーはにっこりと笑って答えた。コロヌスも同様に目を閉じながら微笑み、「放っておいて大丈夫だ」と言った。高雄は何が大丈夫なのかと不安になったが、その内「これ以上は考えないようにした方がいいのかもしれない」と思うようになっていった。
「考えすぎない方がいいですよ」
そしてそんな高雄の心中を見抜くかのように、アイビーがさりげなく彼の肩に手を起きながらそう言った。それを見たコロヌスが明らかに顔をしかめて不機嫌そうにこちらを見つめてくるが、アイビーはどこ吹く風と言わんばかりに澄ました顔を浮かべながら続けて高雄に言った。
「さて、次はこの城の中を案内するとしましょう。それでよろしいですか?」
「は、はい」
高雄は素直に頷いた。この状況ではそうするしか無かったし、それに彼としてもここがどういう場所なのか興味があったのだ。
「それじゃあ、よろしくお願いします」
「はい。では案内はソーラ様に頼むとしましょう」
「……え?」
アイビーの言葉を聞いた高雄が咄嗟に肉焼き機の方へ目をやる。炎は未だ轟々と燃えさかり、中で焼かれていたソーラの姿は全く見えなかった。悲鳴すら聞こえてこなかった。
「大丈夫。ソーラ様はとても良い人ですよ」
アイビーが微笑みながら高雄に話しかける。
高雄の胸中には不安しか無かった。