魔界騎士、日常に浸りかける
「今日はオシャレについて勉強しましょう」
美佐との「決闘」から二日後、コロヌスは高雄の自宅で春美からレクチャーを受けていた。コロヌス本人が「女らしく」なることにまるで頓着の無いことを春美が知ったことがそもそもの始まりであり、部室でそれを知った春美は「それじゃ駄目ですよ」といつになく真剣な表情でコロヌスに詰め寄った。
「女性たるもの、美容健康にはちゃんと気を配らないと。見目麗しくするのも淑女の嗜みですよ?」
「外見だけ取り繕っても意味はないと思うがな。最後に人の価値を決めるのは中身だろう」
「それでも綺麗になることに意味はありますって。まず外見を整えて、見る人の興味を引かないと、中身の評価すらしてくれないかもしれないんですよ」
「私は高雄以外の男から値踏みされる気は無いから、今のままでもいいのだ」
コロヌスは最初はそう言って相手の提案をキッパリ断った。それを聞いた春美は「恥ずかしくないのかな」と苦笑し、隣にいた康夫も同様だった。コロヌスの両隣にいたアイビーと高雄は言わずもがなだった。
しかし最後は、それに対する春美のこの言葉が決め手となった。
「綺麗になればきっと、その高雄君もこれまで以上にあなたにメロメロになりますよ」
「本当か!?」
効果覿面だった。コロヌスはすぐさまそれに食いつき、春美も「我が意を得たり」とばかりに笑みを浮かべた。他の面々が呆れたり顔を赤くしたのは言うまでもなかった。
それから春美は、コロヌスに「場所を変えて勉強会をしましょう」と提案した。なぜ場所を変えるのかについては、春美は「部室の中だと落ち着いて話が出来ないから」と説明した後、単純に気分の問題であると付け加えた。コロヌス達は特に不満は無かったのでそれに同意し、康夫も快く彼女達を家に帰した。ついでに高雄が自分の家を使えばいいと言ったので、春美もそれを受け入れて彼の家に向かうことになった。
そして今に至る。
「まず一口にオシャレと言っても、色々あります。べたべたにお化粧したり、ただ服装だけを変えるお洒落ってのもありますね」
「それくらいならわかる。だが私は、あまり口紅とかは塗りたくないな」
この時、高雄の自宅にはコロヌスと春美、そしてアイビーの三人だけがいた。高雄は夕飯の買い出しに出かけており、ここにはいなかった。空気を読んで立ち去ったのだろうとアイビーは推測していたが、わざわざ口に出すことはしなかった。
なおそれとは別に、春美は初めて中に入る高雄の自宅が無人だった事、その広さの割に生活感が無く寂寥感に満ちていた事を肌で感じ不思議に思ったが、それを指摘したりはしなかった。きっと何か事情があるのだろう。春美はそう考え、そして一瞬自分の事に思いを馳せた後、その思考を完全に打ち切った。
閑話休題。
「あと顔に何かを塗りたくるのも嫌だ。まあ言ってしまえば、化粧はしたくないな」
そうして入った高雄の家のリビングで、コロヌスが自分の見解を淡々と述べていく。春美は相槌を打ちながらそれを聞き、そしてコロヌスが話し終えた後で彼女に尋ねた。
「なんでお化粧するのが嫌なんですか?」
「まず単純にベタベタするのが嫌だ。戦っている際に汗で流れ落ちたりするのもいただけん。決闘をしている時にアイシャドーが落ちて、それが目元に流れて来るだなんて考えたくもない。はっきり言って邪魔だ」
「ああ、なるほど。そういう事ですか」
「戦いに化粧は不要だ。そんなものに時間をかけるくらいなら、剣を振っていた方がずっと有益なのだからな」
相手の意見を聞いて感心する春美の前で、コロヌスが腕を組んでうんうんと頷く。すると横にいたアイビーが、春美の方を見ながらそっと口を開いた。
「ですがこのような厳格な思考を持っていたが故に、コロヌス様は婚期を逃してしまったとも言えるのです」
「どういうことですか?」
「私共のいた世界に住む貴族達の間では、コロヌス様のような武闘派的思考、軍人気質と言ってもいいような堅苦しい考えをしている女性は好かれない傾向にあったのです。貴族階級の男性は剣を振り回す精強な女性ではなく、詩や音楽を嗜む優雅な女性により強く心を惹かれていったのですよ」
そしてコロヌス様は、そのような絵画や音楽には全くの無頓着でございました。そう言うアイビーの横で、コロヌスが鼻を鳴らしてそれに答えた。
「好かんものは好かんのだ。私は絵筆や楽器を持つよりも、剣や盾と言った武器を持っていたい。そしてそんな己の考え方を恥と思ったこともない。私は、己の意志を曲げるつもりはさらさら無いのだ」
「そんなだから結婚出来なかったんですよ」
時には妥協も必要ですよ? アイビーが呆れたように口を挟む。しかし春美はそのコロヌスを見つめたまま、首を横に振ってアイビーに反論した。
「いや、コロヌスさんの考えは決して外れでも無いですよ。妥協しまくって自分の好みでない男と結婚したとして、それが長続きすると思いますか? 反りの合わない、心から好きでもない男と毎日顔をつき合わせることになって、きっと生き地獄のような毎日を送ると思いますよ」
「そうなのですか?」
「わかるのか?」
仲良く未婚組であったアイビーとコロヌスが同時に尋ねる。二人から問いかけられた春美は慌てて首を振り、「ただのたとえ話ですよ」と慌てて言ってから言葉を続けた。
「とにかく、私はコロヌスさんの考えが間違ってるとは思えません。馬の合う男が見つからなかったら、そのまま独りでいるべきなんです。独り身の寂しさなんて、地獄よりはずっとマシなんですから。無理して結婚なんて、絶対にするべきでは無いんです」
そう言い切る春美の口調は必死で、高い熱量を秘めたものだった。実際春美の顔は恥以外の感情から真っ赤になっていた。何をそんなに力んでいるんだ? コロヌスは不思議に思ったが、それ以上追求しようとはしなかった。
己の直感が、今の春美から高雄と同じ「匂い」を感じ取ったからだ。この話題は下手につつくべきではない。コロヌスの中にある動物の部分がそう警鐘を鳴らし、彼女はそれに素直に従った。
戦いでは己の「勘」に救われることも少なくない。直感というのは決して馬鹿には出来ないのだ。
「君の言いたいことはわかった。君が私に同意してくれて嬉しいよ」
だからコロヌスは無難に言葉を返した。それを聞いた春美はふと我に返り、それまで熱く語っていた事を謝ってから話を本題に戻した。
「ま、まあそう言うわけですから、コロヌスさんはお化粧は苦手って事でいいんですよね?」
「まあそうなるな。お洒落をするとしても、化粧はしたくない。服装だけでどうにかならないだろうか」
「お化粧の方がずっと簡単だと思うのですが」
「嫌だと言っているだろうが」
横槍を入れるアイビーにコロヌスが怒りの顔を向ける。アイビーは「おお、怖い怖い」と言って大げさに肩を竦めたが、この時春美は確かに、自分の頬に熱風が強く当たるのを自覚した。
それ以上茶化したら本当に焼き殺されるぞ。春美はアイビーの方を見て一瞬恐怖を感じた。そしてそんな春美に目を向けながら、コロヌスが気を取り直して話しかけた。
「それで、どうだろう? どうにかならないだろうか?」
「あ、はい。どうとでもなると思いますよ」
それに対する春美の回答は迅速で明確だった。それにはコロヌスもアイビーも同時に驚き、すぐに春美を見つめた。
「そうなのか?」
「本当なのですか?」
「はい。コロヌスさんは元々の素材が良いですから、基本的に何を着てもサマになると思います。それこそチャイナドレスとかアオザイとか。サリーとかもいいかもしれませんね。もちろん普通の服を着てもバッチリですよ」
「聞いたか? 私は何を着ても似合うと言われたぞ?」
春美の言葉を聞いたコロヌスが顔を輝かせる。なんだかんだ言って、コロヌスはファッションに全く興味が無いわけではないらしい。それを見た春美はそう推測した。もしかしたら「自分には似合わない」と思い、自分からオシャレから距離を置いていただけなのかもしれない。
「それで、具体的にはどういう服なのだ? そのチャイナとか、アオザイとか言うのは?」
そう思っていた春美に向かって、コロヌスが興味津々とばかりに声をかける。春美はそれに頷き、それからスマートフォンを取り出して液晶画面の上で指を滑らせた。
「こういうのです」
そして何度か操作を行った後、その画面をコロヌス達に向けて見せた。そこには先程春美が言っていた赤地のチャイナドレスが表示されており
、それを見たコロヌスは反射的に「ほう」と声を上げた。
「これは中々動きやすそうな服装だな」
「ですが少々、切れ込みが深すぎる気もしますが。これでは太股まで丸見えではありませんか?」
「それは大丈夫です。露出が気になる人は、その下からズボンを履けばいいだけですからね。実際そうしている人もいるみたいですよ」
そしてコロヌスの横で苦言を呈するアイビーに対して、春美がすぐにフォローを入れる。アイビーはそれを聞いて「なるほど」と頷き、横でそれを聞いたコロヌスはますますその目を輝かせた。
「ますますいいな。気に入った。これは悪くなさそうだ」
「でしょう? もちろんこれ以外にもいい服はいっぱいありますからね。というかそもそも、コロヌスさんはもっとオシャレに気を遣うべきです。遠慮する必要はありません」
「そうなのか?」
「そうですよ。自分はガサツだから服なんか似合わないとか思うべきじゃ無いんです。もっと色々チャレンジして、高雄君にアタックかけないと。今のままでいいと満足しないで、もっと貪欲になるべきなんです。後になって後悔しないように」
呆気に取られるコロヌスに向かって春美が熱弁を振るう。それを見たアイビーは先にコロヌスが抱いたのと同様の疑問を抱いたが、しかし彼女もまたコロヌスと同じように、それに対して深入りしようとはしなかった。彼女としても下手につついて藪蛇になるのは御免だったからだ。
「そうなのか。私も、やってみるべきなのか」
その一方で、コロヌスが何かを振り切るようにしみじみと言葉を呟く。それから彼女は春美をじっと見つめ、そして「協力してくれないか」と彼女に尋ねた。
何を、とは言わなかった。だが春美はコロヌスが何を要求しているのかを全て理解していた。
「自分を卑下すべきではありません。あなたには
まだチャンスがある。まだ手遅れじゃない」
春美がコロヌスに言い放つ。コロヌスはすっかり彼女の言葉に感銘を受け、ただ真剣な表情で春美の言葉に頷いていた。
横にいたアイビーは違った。年長者に対してまるで歳不相応な台詞を自然と吐いてのける春美を見て、彼女は不審げに眉をひそめた。何をどうしたらこの子はそんな言葉を臆面も無く言えるんだ。そう思った彼女は春美の過去に興味を抱き、昔何があったのか少し聞いてみようかとも思った。
何かどうしようもないほどヘビーな体験をしたのだろうか。アイビーはそう思わずにはいられなかった。
「すいません!」
しかしそんなアイビーの思考は、その時玄関から響いた高雄の言葉で唐突に打ち切られた。その高雄の叫び声は焦燥感に満ちており、明らかに平時で聞けるような声ではなかった。
「どうした!」
誰よりも早くコロヌスがそれに反応した。彼の言葉を聞いたコロヌスは即座にテーブルの前で立ち上がり、矢のような速さで玄関に向かった。それから一拍遅れてアイビーと春美も立ち上がり、コロヌスの後を追うように玄関へと向かった。
「なんなんですか?」
「どうかしましたか?」
二人してそれぞれ声を上げながら玄関に到達する。そしてそこに辿り着いた瞬間、アイビーと春美は自分達の前にいるコロヌスと同様に、その体を石のように固くした。
「え」
「どういうことですか」
固まったまま呆然と声を放つ。前にいたコロヌスがそれに反応し、「私が聞きたい」と困惑したように返す。
「高雄。これはいったいどういうことなんだ?」
そしてコロヌスは意識を前方に移し、玄関口で腰を降ろしている高雄に向かって静かに声をかける。高雄は一度自分が肩を貸している人物に目を向けた後でコロヌスに視線を移し、そのまま申し訳なさそうに彼女に答えた。
「その、困ってたから助けたと言いますか、なんというか……」
「困ってた?」
「そいつが?」
「はい」
春美とコロヌスが揃って問いかけ、高雄がそれに頷いて再び自分の横に目を向ける。
そこには高雄に肩を貸された状態で気まずそうに目を伏せ、唇を噛む綾野美佐の姿があった。
「と、とにかく、手当しないと! この子今傷だらけなんです!」
そして周囲の疑惑を吹き飛ばすかのように高雄が声を張り上げる。彼の顔と声は必死そのものであり、とても冗談を言っているようには見えなかった。それを聞いたコロヌスは即座に踵を返し、事情を聞くこともせずに居間へと戻っていった。
「助けるんですか?」
「話は後だ! 今は高雄の言う通りに!」
戻る最中にかけられた春美の困惑する声をコロヌスが一蹴する。アイビーも黙ってコロヌスに続き、後に残された春美は少し戸惑った後、美佐の横に立って彼女の空いた方の肩を支えてやることにした。
「何があったの?」
「後で話すよ」
高雄はそれだけ言うと、ゆっくりと立ち上がって美佐を起きあがらせた。春美もそれに続いて腰を上げ、三人は揃って居間へと向かった。
せっかくのファッション談義が台無しになってしまったが、それを責める者は一人もいなかった。