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魔術師、飽きる

 高雄の下駄箱の中にそのDVDのディスクが入っていたのは、アイビーが襲われたその三日後の事であった。そのディスクは透明なケースの中に納められており、円盤本体にもケースの表面にも、それが何であるのかを示すようなものは一切記されていなかった。


「こんなものが来たんですけど」


 嫌な予感を覚えた高雄は、真っ先にコロヌスとアイビーにそれを見せた。それを見たコロヌスは反射的にアイビーを見つめ、アイビーもまた己の主に視線を向けた。


「奴らからか?」

「おそらくは」


 二人のやりとりを聞いた高雄もまた息をのむ。これは生徒会から送られてきたものに違いない。彼らはまったく同じことを考えていた。


「どうしましょう?」

「今日は部活には行かないで、放課後まっすぐ君の家に向かおう。そこでこいつを見てみるんだ」


 高雄の問いかけにコロヌスが答える。続けて高雄は「春美さん達にはこのことは言わないんですか?」と尋ね、コロヌスはそれに対して首を横に振ってから答えた。


「ああ。彼らには伝えないでおこう。これは我々の問題だ。彼らを巻き込む訳にはいかない」


 これには高雄とアイビーも同意した。そして新聞部にはアイビーがその件を伝える事になり、その内にコロヌスと高雄はそそくさと彼の家に向かうことにした。

 高雄の家は二階建ての一軒家で、彼一人が住むには十分すぎる広さを持っていた。高雄がここで一人暮らしをしている事を知ったコロヌスは、最初の頃は「寂しかったろうに」と大いに困惑したものだった。そして気の毒に思ったコロヌスは「私の城で暮らさないか」と提案もしたが、高雄はそれを丁寧に断った。

 ここには母さんとの思い出があるから手放したくない。高雄はそう言った。彼の事情を知るコロヌスはそれ以上言い返せず、結局彼の言葉を尊重することにしたのだった。そうしてコロヌスと関係を持った後も、高雄は基本的にはこの家で一人暮らしを続けていたのであった。


「リビングで見てみましょうか。プレーヤーありますし」


 そんな人気の全くない家の中に入り込んだコロヌスは、高雄に先導されるようにして玄関を抜けてリビングに向かった。複数人での生活を想定して作られた広いリビングに入った二人は、そこでテレビとDVDプレーヤーのスイッチを入れ、持ってきたディスクの観賞を行う準備を進めた。


「申し訳ありません。遅れてしまいました」


 アイビーが合鍵――ちなみにコロヌスもこの家の合鍵を持っていた――を使ってドアを開け、まっすぐリビングにやってきたのは、高雄が件のディスクを挿入しようとしていたまさにその時であった。コロヌスはそう言ってリビングに入って来た従者の姿を認めるなり「問題ない。今見ようとしていたところだ」と返し、アイビーもそれに安心してコロヌスの横に腰を下ろした。ここにはテーブルはあったがソファの類は無く、三人は横一列に並んで絨毯の上に腰を降ろした。


「じゃあ、再生しますね」


 やがてディスクを入れた高雄がそう言いながら、リモコンの再生ボタンを押す。液晶テレビの画面が一瞬暗転し、次にそのディスクの内容を再生し始めた。

 最初にそこに映し出されたのは、全裸のまま両手を吊されたソーラの全身だった。


「え?」


 一瞬、高雄は自分が何を見ているのかわからなかった。ソーラは目隠しをされ、猿ぐつわを噛まされ、足がギリギリ地面につかない位置で吊り下げられていた。周囲は真っ暗で、そこが何処なのか判別することは出来なかった。

 そしてその幼げな顔と、シミ一つ無い雪のように白い体には、赤黒い痣がいくつも刻まれていた。よく見ると出血している個所もあり、その姿は見るからに痛々しかった。


「なにこれ」


 それを見た高雄が呆然と呟く。コロヌスとアイビーは何も言わずにソーラを見つめていた。

 そうして画面を凝視する三人の目の前で、その画面の端から一人の男が姿を見せた。その男の姿を見た高雄は不意に「あっ」と叫んだ。


「あいつ!」

「ボクシング部の松田とかいう奴か」


 高雄の言いたいことを代弁するかのようにコロヌスが呟く。アイビーもそれに頷き、「あれは確かに松田という男ですね」と言った。

 その三人の前で、松田は嫌らしい笑みを浮かべて吊されたソーラの横に並びながら口を開いた。


「よう、コロヌス。見えてるか? お前の大事な友人だぞ」


 松田がソーラの顎を持ち上げる。ソーラの顔は傷だらけで、とても痛ましかった。そしてそのソーラに視線を向けながら、画面の中の松田が続けて言った。


「ジョゼとかいう奴が教えてくれたんだ。このソーラって奴が、お前の友人の一人だってことをな。ついでこいつが、藤澤とかいう奴の家に出入りしていることも教えてくれた。捕まえるのは簡単だったぜ?」


 それから松田は、得意満面の笑みをこちらに向けながら説明を始めた。どうやってソーラを捕まえたのか。ソーラに何をしたのか。ソーラがどんな反応を返したのか。彼はこちらが聞いてもいないことを嬉々として語っていった。

 高雄達三人はそれを平然と聞いていた。


「おい、ソーラ!」


 その内松田は、ソーラの猿ぐつわを外してやった。そして顎下から彼女の両頬を掴み、カメラが置かれているのであろう正面にその顔を向けさせ、彼女の耳元で態とらしく大声で言った。


「なんか言ってやれ! 助けを請うなら今の内だぞ!」

「お願いします! 助けてください!」


 ソーラが即座に助けを求める。その言葉は松田が自分の台詞を言い切る前から放たれ、悲痛な響きを持って三人の耳に入り込んだ。


「なんで私がこんなことされなきゃいけないんですか!? お願いコロヌス様! 助けて下さい!」


 そして彼女がそこまで言った瞬間、空気を切り裂く鋭い音が轟いた。松田が空いていた方の手に持っていた鞭を振り下ろし、ソーラの背中を容赦なく打ちつけたのだ。背中を強かにぶたれたソーラは即座に悲鳴を上げ、背中を反らして苦悶の表情を浮かべた。


「嫌! 嫌ぁ!」


 ソーラが首を激しく左右に振り乱す。それを見た松田は一際大きな笑い声をあげ、勝ち誇ったような表情を浮かべてこちらを見た。


「お前が悪いんだぜコロヌス! お前が生徒会の要求を突っぱねるから、こうして無関係な奴が痛い目を見るんだ! 自分がどれだけ迂闊なことをしたのか、じっくり後悔するんだな!」


 松田がそこまで言って、再びソーラの背中に鞭をぶつける。ソーラは律儀にそれに反応し、悲鳴をあげつつ追撃から逃れようと体をくねらせる。

 そんな無駄な足掻きが、松田の嗜虐心を更に加速させた。彼はゲラゲラ笑ってさらに鞭を叩き、鞭を振りつつカメラの方を見て言った。


「おっと、今更心を入れ替えたって手遅れだからな? 俺は暫くこいつで遊ばせてもらう。返す気はさらさら無いからな。それか、もしお前が俺の前で土下座して謝れば、ひょっとしたら返してやるかもしれないなあ?」


 再び松田が大笑いする。そうしてゲラゲラ笑う松田と口元を苦痛で歪めるソーラを共に映したまま、ビデオは再度唐突に暗転した。そして暗闇が数分続いた後、ディスクは完全に再生を終わらせた。


「楽しんでいましたね」


 そうして完全な暗闇に包まれたテレビの液晶画面を見ながら、不意にアイビーが言葉を漏らした。コロヌスもそれに頷き、同じように無音と化したテレビに視線を向けつつ言った。


「ソーラにとってはご褒美だったろうな」

「助けなくてもいいんですかね?」


 高雄がそれに対してそう問いかける。彼は不安げな表情こそ浮かべていたが、必要以上に動揺していたりはしなかった。

 ソーラがどういう人間なのかを理解していたからだ。


「別にいいだろ。飽きたら飽きたで帰ってくるだろうし」

「あの方は殺しても死なない方ですから。ましてや素人の人間にやられるはずもありません。放置で大丈夫でしょう」


 そんな高雄からの問いかけに、コロヌスとアイビーがそれぞれ答える。彼女達もまた必要以上に警戒してはいなかった。そして高雄も素直にそれに頷き、彼らはそれ以上その件について追求することは無かった。ディスクの事もまた彼らの間で話題に上る事は無くなり、結局その「脅迫」が実を結ぶ事は無かったのだった。

 そして実際、彼らがそのDVDを見た二日後に、何事もなかったようにソーラが高雄の家にやってきた。時刻は午後七時、家の中には高雄と、そして彼と一緒に夕飯を食べようと集まっていたコロヌスとアイビーがいた。


「例の映像見たよ」


 リビングにやってきたソーラにコロヌスが問いかける。ソーラも恥ずかしがる素振りは見せず、自然な動作でテーブルの前に腰掛けながら向かい側に座るコロヌスを見た。


「興奮しましたか?」

「どうにも演技っぽさが抜けきれてなかったな。悪くはないが、これといってそそられる事は無かったな」


 ソーラの問いかけにコロヌスが答える。この時高雄とアイビーは共に夕飯の準備を進めており、二人してキッチンに引っ込んでいた。なおアイビーはこれを利用して高雄から「こちらの世界」の献立を勉強しており、そしてコロヌスは自炊しようという気はさらさら無かった。


「お前こそどうして帰ってきたんだ? あそこにいればもっと虐めてもらえたのに」

「いや、パワーはあったんですよ。本気で私をいじめてやろうという気概も感じられたんです。でもちょっと、単調というか何というか、あまりにも責めがワンパターンすぎまして」

「飽きたというわけか」

「そうなんです。面白くなかったんですよ。ひたすら痛めつけるだけじゃなくて、もっとメリハリつけてくれないと、やられる方としてもなんだかシラケちゃうんですよね。え、まだそれ続けるの? みたいな感じで」

「そんなものなのか。では百点満点で点数をつけるとしたら、松田の責めはどれくらいになる?」

「三十点ですね。もっと責めのバリエーションを増やして、緩急もつけないと、いつまで経っても三流のままですね」

「プロのマゾは言うことが違うな」

「何の話をしているんですか」


 そんな会話をしているコロヌスとソーラの元に、それぞれ鍋と食器を持った高雄とアイビーがやってきた。彼らはテーブルの上にそれらを置き、てきぱきと配膳を済ませていった。もちろんそれにはコロヌスとソーラも協力した。


「今日の夕飯はなんなのだ?」

「今日は肉じゃがです。アイビーさんが作ったんですよ」

「高雄様に教えていただいた通りに作っただけです。私一人の功績ではありません」

「だがお前が失敗するとも思えん。期待しているぞ」

「コロヌス様はご飯作らないんですか?」


 その配膳の最中、ソーラがコロヌスに問いかける。コロヌスは「作らないぞ」と断言し、続けて高雄を見ながら口を開いた。


「高雄が作ってくれるからな。私がわざわざ作る必要は無いのだ」

「それ、言ってて情けなくないですか?」

「でも専業主夫って言葉もありますから、コロヌスさんの考えはそんなに間違っている訳でも無いですよ」


 コロヌスの解答に渋面を浮かべるソーラに対し、高雄がそれとなくフォローを入れる。コロヌスもそれに頷き、そして「私は掃除と洗濯を担当している。別に怠けている訳ではないぞ」と付け足した。

 それを聞いて驚いたのはソーラだった。


「ここに来る度にそれやってるんですか?」

「その通りだ。高雄が食事を作り、その間に私が先程言ったことを片づける。最初は手間取ったが、今では自分一人で大抵の事は出来るようになったぞ」

「あのコロヌス様が家事を……!」

「恋は人を変えるものなのですね」


 コロヌスの言葉を聞いたソーラは驚嘆の表情を浮かべ、食器の配膳と終わらせたアイビーがしみじみと呟く。コロヌスはなんだかバカにされているような気がしてムッとした表情を浮かべたが、高雄はそれを見て苦笑しながら「でも、実際助かってるんですよ」とさりげなくフォローを入れた。


「コロヌスさんは手際も良いし覚えるのも早いしで、とても助かってるんです。今までは全部自分で済ませてたから、色々と大変な時もあったんですけど、本当に助かってるんです」

「そうだろう、そうだろう。もっと感謝するがよい」

「はいはい。料理の出来ない騎士様は黙っていてくださいね」


 そうして入った自身のフォローに対して鼻を伸ばすコロヌスに、アイビーが容赦なく言葉を返す。コロヌスは一気に不満そうな表情を浮かべるが、そこを高雄とソーラがとりなす。二人の擁護を受けたコロヌスは再び調子に乗り、アイビーがそれに冷めた視線を向ける。


「そんなに天狗になられるのでしたら、まずは食事を自分で作れるようになってみてはいかがですか?」

「お前はよくもまあ人の気にしている部分を軽々と刺激していけるな。私だって頑張ればそれくらい楽勝なのだからな」

「では、期待していてもよろしいと?」

「その通りだ。見てろよ、後で吠え面かかせてやるからな!」

「まあまあ。それより早く食べましょうよ。早くしないとご飯が冷めちゃいますよ」


 とても賑やかで、穏やかな空間がそこに広がっていた。高雄は目の前でぎゃあぎゃあ騒ぐ三人を見ながら、本当の「家族」ってこういうものなのだろうか、としみじみ思った。

 もしそうなら、この生活がずっと続いてほしい。この暖かい空気の中にずっと包まれていたい。彼は心からそう思った。


「ずっと」

「うん?」


 不意に高雄が呟く。コロヌスだけがそれに気づき、彼に視線を向ける。


「どうした? 何か心配事でもあるのか?」

「いえ、そうじゃなくて。ただ、ずっと」


 ずっとこのままでいたい。

 高雄は目にうっすらと涙を溜めながら、心の底からそれを願った。





 ずっと。いつまでもずっと。

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