メイド、拉致される
その男達は知能は高くなかったが、悪知恵は回る方だった。彼らはその「依頼」を遂行するにあたって、標的を直接攻めるのではなく、その取り巻きから崩していこうと考えた。
アイビー・シュトロナーム。彼らはコロヌスの友人と思しきその女性に狙いをつけた。この女を
辱め、それを材料にコロヌスを脅迫し、「依頼」を達成しようと目論んだのである。いかに超能力じみた力を使えようが、友人を人質にされては奴も首を縦に振るしかあるまい。必ずや、生徒会傘下の「実行部隊」の一員となってくれるであろう。
「来たぞ」
「よし、かかれ!」
アイビーの拉致は呆気ないほど簡単だった。口元をマスクで隠し、しかしこの学園の制服を身につけたままの彼らはアイビーがトイレから出てくるのを待ち伏せ、全員で一斉に掴みかかった。まず用意したハンカチで真っ先に口を塞ぎ、両手を後ろに縛り上げ、全員で隣の男子トイレへ引っ張り込んだ。そして掃除用具入れの中にある「清掃中」の看板を引っ張り出して外に置き、ついでにモップを押し戸式のドアの前に斜めに置いて、誰も入れないようにする。
完璧だ。ものの数秒で密室を作り上げた彼らは、そのままアイビーを地べたに叩きつけた。男達から解放されたアイビーはすぐに彼らを睨みつけたが、男達はそれに怯むことなく、ニタニタと笑いながらアイビーを見つめていた。
「私に何をする気ですか?」
アイビーが問いかける。その声は恐怖で震えており、しかしそれでいてなお気丈さを保とうとしていた。男達はその「虚しい努力」を見て、一様に下卑た笑みを浮かべた。
「何って、決まってんじゃねえか」
「お前にはちょっとばかり、痛い目に遭ってもらおうと思ってな」
アイビーがひきつった悲鳴を上げる。それから彼女は床に腰を降ろしたまま、相手から逃げようと足をばたつかせて後ろへ下がる。しかしやがては背中が壁にぶつかり、その堅い感触を知ったアイビーは咄嗟に後ろを肩越しに見た。
「恨むんなら、コロヌスを恨むんだな」
そのアイビーに向けて、男の一人が声をかける。アイビーはその男の方に向き直り、「どういう事ですか?」と震える声で尋ねた。
「あいつがいけないんだぜ? あいつが生徒会様の頼みを蹴るから、お前がこんな目に遭う羽目になっちまったんだ」
「お前には交渉材料となってもらう。ボロボロに汚されたお前を見りゃ、あいつも自分がどれだけ愚かな事をしたのか理解するだろうよ」
「ま、あいつと仲良くなったのが運の尽きと思ってくれや」
周りの男共がゲラゲラと笑い、その内の何人かがカメラを用意する。おそらくはあれを使って自分が辱められる様を撮影し、コロヌスに送りつける肚なのだろう。
「なんて卑怯な……!」
阿呆なりに知恵を絞ったと誉めてやるべきか。
「そんな、そんなことって……」
アイビーが震えた声を喉から絞り出す。目元に涙を溜め、歯の根は噛み合わずカチカチと音を立てていた。
鼻水も垂らしてやった方が喜ぶだろうか。さすがに演技臭いと疑われるだろうか。
「さ、本番だ」
そんなアイビーを見据えながら、男の一人が大股で前に出る。アイビーはその男を見上げ、「来ないで!」と悲鳴を上げる。
「いや! やめて!」
「おとなしくしやがれ! ぶっ殺されてえか!」
男がアイビーの制服の胸元を両手で掴む。そして腕を左右に引っ張って力任せにボタンを引きちぎり、その下に着ていた白いシャツを露出させる。
アイビーがその外面を絶望に染まらせる。
「ひっ……」
「せいぜい楽しませてくれよ」
制服の端を掴みながらその男が耳元で囁く。彼の後ろにいた男達が一斉に歓喜の声を上げる。
アイビーもまた心の中で歓喜の声を上げた。今日は「大漁」だ。若く逞しい雄の群れを前にして、彼女の心の中で悪魔の本性がガッツポーズをした。
「やめて! 触らないで! 誰か助けて!」
さあ来い! どんと来い! アイビーの悲鳴に呼応するかのように、男達が一斉に彼女に群がる。
この瞬間、アイビーは目の前に「ご馳走」を用意してくれた運命の神様に対して深く感謝した。
「アイビー? いないのか?」
その後、いつまでたっても部室に姿を見せないアイビーを心配して、高雄とコロヌスは部室を出て彼女を探すことにした。ジョゼはまだこの学園にとっては余所者であったので、悪目立ちしないよう部室に残る事になった。
「アイビー? 何かあったのか?」
「アイビーさん? いないんですか?」
周りの生徒達が怪訝な眼差しを向けてくるが、それに構う事無く二人は声を上げてアイビーを探し回った。そうして校舎をくまなく探し回った後、二人は三階にあるトイレの前に来ていた。そこにある男子トイレの扉の前には「清掃中」の看板が立てられており、中は誰もいないかのように静まりかえっていた。
「どこにもいないぞ。どうする?」
「もしかして、一人で先に帰っちゃったとか?」
そのトイレの前で、コロヌスと高雄が言葉を交わす。二人とも深刻そうな表情を浮かべ、さしものコロヌスもその顔に僅かながら不安の色を見せていた。
そしてそんなコロヌスは、高雄の問いかけに対して「それも考えられんだろう」と眉をひそめて言った。
「部室の門が使われた形跡は無い。あちらの世界に戻れる門は、我々はあそこにしか置いてないのだ」
「アイビーさんが新しい門を勝手に作ったとか?」
「それはありえん。あいつにそこまでの魔術的素養は無いし、それにあいつは私を信頼している。何かあった時は、真っ先に私に連絡を寄越しているはずだ」
「僕の家に向かってるってことは?」
「その場合でも同じだ。一足先に君の家に行くと、私に連絡が来るはずだ」
「じゃあ」
そこまで言って、高雄は自分の言葉を飲み込んだ。彼の言わんとする事を察して、コロヌスもまたその顔に翳りを見せた。
「何か厄介な事に巻き込まれているのだろうな」
「そんな! じゃあ早く助けに行かないと!」
「わかっている。だがあいつが何処にいるのか解らなければ動きようがない。それに私は魔力探知も得意ではないんだ」
焦りを見せる高雄の問いかけに、コロヌスもまた同じように焦りの声を返す。
彼らの後ろにある男子トイレのドアが開かれたのは、まさにその時であった。
「おや、二人ともどうかされたのですか?」
そこから出てきたのはアイビーだった。制服は乱れ、髪もボサボサに崩されていたが、その顔はどこか満たされたように喜悦に輝いていた。
「アイビー」
「どうしたんですか? ボロボロじゃないですか」
その惨憺たる有様を見た高雄とコロヌスが、同時に不安げな表情を浮かべる。しかしアイビーは満足げな笑みを浮かべたまま、二人に「ご心配なく」と声を返した。
「身なりはこれですが、危害を加えられた訳ではありません。体の方は無傷です。それどころか、今は活力に満ち溢れている程です」
「どういうことだ?」
コロヌスが眉をひそめて問いかける。彼女の下僕は主の方を向いて「話は少し前に遡るのですが」と前置きした後、それまで自分が何をされていたのかを赤裸々に語って聞かせた。
「そんなことって……」
それを聞いた高雄はその顔から血の気を引かせていった。しかしコロヌスは彼の横でニヤニヤと笑みを浮かべ、「馬鹿な連中だ」ととても楽しげに呟いた。高雄は信じられないと言いたげな顔で彼女を見据え、そのまま追求するようにコロヌスに尋ねた。
「なんでそんなに余裕なんですか? アイビーさん襲われたんですよ?」
「笑いたくもなるさ。人間がサキュバスをレイプしようとしたんだからな」
しかしそのコロヌスの返事を聞いて、高雄はアイビーがなんの種族だったのかを久し振りに思い出した。
「あ」
「そいつらの精の味はどうだった?」
事の真相に気づいた高雄の隣で、コロヌスが意地の悪い笑みを浮かべながらアイビーに尋ねる。襲われる振りをして男達から精を「絞り尽くした」アイビーは、その時の味と感触を思い出すかのように唇に指先を宛てがいながらそれに答えた。
「美味ではありましたが、何事も食べ過ぎは良くありませんね」
「胃もたれか?」
「そんなところです。やはりどれだけ美味しくても、ファーストフードは一つ二つに抑えておいた方が賢明ですね」
「なら、胃腸薬でも買って帰るか?」
「そうですね。お薬でもいいのですが、よければお口直しがしたいです」
冗談めかして問いかけるコロヌスに対して、アイビーがそう答えて高雄をじっと見つめる。その目は本気で獲物を見定める目だった。
「高雄はやらんぞ」
その高雄を守るように、コロヌスが彼の前に立つ。アイビーは口を尖らせて「いけずな方ですね」と放ち、コロヌスは負けじとその悪魔を見ながら「なんとでも言え」と返した。
「駄目な物は駄目なのだ。他の男で我慢しろ」
「新しい餌を探すのは面倒くさいからしたくないです」
「だったらなおさら我慢しろ。高雄はお前のおやつじゃないんだぞ」
駄々をこねるアイビーにコロヌスが言い返す。一方でさすがの高雄も、これに対して「僕が手伝います」とは言えなかった。快く他人の性処理を請け負えるほど、彼はまだ「人間」の倫理から外れてはいなかったのだ。
「それじゃあ、アイビーさんを襲った人達は今どうしてるんですか?」
なので高雄はアイビーのコンディション回復を手伝う代わりに、自分が抱いた疑問を彼女にぶつけた。アイビーは閉め切られた男子トイレのドアを肩越しに見た後、名残惜しそうにそれから視線を逸らして再び高雄を見ながら彼に言った。
「死んではおりません。干からびてるだけです」
「それ、大丈夫なんですか?」
「二、三日もすれば復活するでしょう。問題はありません」
アイビーが断言する。高雄はそれを信じて頷くしかなかった。するとコロヌスが高雄の肩に手を置き、そして彼を安心させようとするように優しい声で彼に言った。
「大丈夫。アイビーは滅多に人殺しはしない。少なくとも、自分の腹を満たしてくれた人間を手に掛けるような真似は、絶対にしない。だろう?」
「ええ。自分から餌場を潰す必要はありませんからね」
コロヌスの問いにアイビーがしれっと言ってのける。さりげなく酷いことを言っているなと高雄は思ったが、彼はそれ以上アイビーを責めたりはしなかった。
最初に襲ってきたのは向こうだ。言ってしまえば、これは奴らの自業自得なのだ。
「ですが、これで諦めるとは思えません」
そんな時、唐突にアイビーが口を開いて言った。どういう意味だとコロヌスが尋ねると、アイビーは彼女を見ながらそれに答えた。
「彼らはあなたを生徒会の一員にするために、私をあなたを脅迫する材料にしようとしていました。おそらくは生徒会に命令されてあのような事をしたのでしょう」
「そして生徒会は、これくらいで攻撃を止めるとは思えない。お前はそう思うのか?」
「あくまで私の直感ですが。一度や二度失敗したくらいでは、彼らは引き下がろうとはしない。私はそう思っております」
アイビーはそう断言した。コロヌスと高雄も
同意見だった。あの生徒会が、たった一度のミスで身を引くとは思えない。彼らは全く同じ思いを胸に抱いていた。
これは中々面倒な事になりそうだ。
「お二人とも、どうか気をつけてください。いつ何時、どこから攻撃が飛んでくるのか、全く予測がつかないのですから」
「ああ、わかってる。ここは奴らのホームグラウンドだからな。何が来ても不思議じゃない」
「警戒を怠るなって事ですね」
高雄の言葉に騎士とメイドが頷く。そうしてその場の三人で認識を統一させた後、アイビーがその場の雰囲気を変えるかのように口調を明るいものに変えて高雄達に言った。
「さて、難しい話はこれくらいにして、早く部室に向かうとしましょうか」
「そういえば晴海達のことをすっかり忘れていた。向こうもこちらのことを心配しているだろう」
「早く戻りましょう。みんな待ってますよ」
高雄の呼びかけに応じるように二人が頷き、まっすぐ部室へと向かった。春美と康夫はアイビーの姿を見て驚きはしたものの、コロヌスがそれに対して「こいつはもう大丈夫だ」と言ったので、二人はそれ以上追求しようとはしなかった。
「次は何が来ますかね」
そうして全員揃ってのいつも通りの部活が始まった後、不意に高雄がコロヌスに小声で尋ねた。コロヌスは部室にあった「初心者用写真撮影マニュアル」を眺めながら、神妙な面持ちを浮かべてそれに答えた。
「何が来るか予想は難しいが、まあロクなものじゃないだろうな」
「そんなに酷いと思いますか?」
「相手を懐柔させるために、その友人を強姦して脅迫材料に使おうとする連中だぞ。穏便に済むと思う方がおかしい」
コロヌスは正直に自分の意見を述べた。一方でコロヌスのその返答を聞いた高雄はこれから来るであろう未知の恐怖に思いを馳せ、その表情を陰鬱なものにした。
「安心しろ」
その高雄に、コロヌスが優しく声をかける。
「君は私が守る。何があってもな」
簡潔な言葉だったが、それは他のどんな言葉よりも高雄を勇気づけるものだった。
彼らの元に一枚のディスクが送られてきたのは、その三日後の事だった。