少年、見せつける
順応性高いなあ。目の前の光景を眺めながら、高雄はしみじみとそう思った。
「ほう、君は剣が使えるのかね」
「昔剣道を嗜んでた程度ですよ。それに僕のやってたことはあくまでスポーツで、実際に戦ってた訳ではないです」
「だが剣の基本的な使い方は心得ているのだろう? 立派な事ではないか」
彼の視線の先では新聞部部長の冴島康夫と、「向こうの世界」からやってきたゲードランの長、マクシマスが実に仲良さげに話し合っていた。その親密さたるや、まるで数年来のつきあいのある友人同士のようであった。
この数分前、康夫はコロヌスとマクシマスから全てを聞かされていた。異世界の事やコロヌス達の正体。それらと高雄や春美がどう関わってきたのか。そしてなぜ自分達がここに来ているのか。それらの全てを、彼は一度に頭に叩き込まれたのである。
「なるほど。わかりました」
しかし全てを聞かされた康夫は、その話を素直に受け入れた。即答であった。その顔は明らかに今の状況を理解した上で楽しんでおり、無理してわかった振りをしているようには見えなかった。
「困るなあ、秋ヶ瀬さん。こういう面白い事はもっと早く言ってくれないと。僕だけ除け者にされてるみたいじゃないか」
あまつさえそんなことまでのたまう始末だった。そうして異世界の全てを認めた康夫は、普通の人間を前にするかのような自然さで異形のマクシマスの正面に立ち、にこやかに彼と談笑を始めたのだった。そんな高雄や春美以上の柔軟さを見せた康夫を前にして、マクシマス以外の異世界組は一様に彼に向けて驚嘆の眼差しを向けた。
「普通に馴染んでるぞ」
「凄いですね」
「これは逸材を見つけたのやもしれぬのう」
コロヌスが呆然と呟き、アイビーが素直な感想を述べる。その横ではシュリが広げた扇で口元を隠しながら目を細め、ソーラが「ほへー」と間抜けめいた声を上げていた。春美は一人不満げな顔を浮かべ、「もう少し驚いてくれてもよかったのになー」と愚痴をこぼした。
一方でリザリスとペトラムは康夫の元に向かい、彼とマクシマスの話し合いに加わった。
「ねえねえ、私からも質問があるんだけどいいかしら?」
そして二人の間に割って入るようにして、リザリスが図々しく話しかける。康夫は不意の闖入者に少し驚きながらも、すぐに姿勢を元に戻してそれに頷いた。
「はい、いいですよ。なんですか?」
「前に春美ちゃんに聞いたんだけど、康夫君って新聞部にいるのよね?」
「はい」
「それって、康夫君と春美ちゃんの二人だけで活動してるのかしら?」
「はい。そうです」
康夫は即答した。それを聞いた高雄が真っ先に反応した。
「新聞って、二人だけで作れるんですか?」
「頑張ればそれなりに作れるよ。部数は少ないし、ページ数も少ないけど、それでも新聞らしい物はなんとか作れているよ」
「なるほど」
「だが苦労も多いだろう。人手が少なければ、その分一人当たりにかかる負担も増えるはずだ」
その高雄の問いに答える康夫に対して、高雄の横にいたコロヌスが腕を組みながら話しかける。対して康夫は「まあキツいことはキツいですね」と苦笑し、それから眼鏡をかけ直しつつコロヌスを見すえて言った。
「でも、僕も秋ヶ瀬さんも好きでやってますから。辞めたいとは思ってませんよ」
「立派な事だ」
マクシマスがうんうんと首を縦に振りながら答える。康夫はそれを聞いて「ありがとうございます」と返し、しかし困ったように笑みを浮かべながら「でもやっぱり人手は欲しいですけどね」と小声で呟いた。
「じゃあ手伝いましょうか?」
その時、高雄が唐突に言った。康夫と春美が同時に高雄に目を向け、高雄はドキリとしながらも言葉を続けた。
「その、困っているようなら、僕も手伝える範囲で手伝おうかなって思ったんですけど。ちょうど僕帰宅部で、特に部活も入ってなかったし……迷惑でしたか?」
「いや、うちの部に入ってくれるのは大歓迎だけど、いきなりどうしてだい? なんでそんなことを思ったのかな?」
上級生の康夫が高雄に問いかける。当然の疑問だ。今日出会ったばかりの赤の他人がいきなり「あなたの部に関わりたい」などと言い出したら、誰でもその理由を聞きたがるだろう。
しかし高雄には、これといって高尚な理由は無かった。しかし取り繕っても気まずくなるだけなので、高雄は素直に自分の思ったことを康夫に告げた。
「その、困ってるみたいだったので、何か手伝えないかなって思っただけなんです。本当にそれだけなんです」
「それだけの理由で?」
「は、はい。見て見ぬ振りは出来ないっていうか、そんな感じで……」
「そうなのか」
高雄の言葉を聞いた康夫は険しい顔を浮かべて考え込んだ。それを見た高雄は「余計なことしたかな」と自分の軽率さを悔やんだ。
しかし実際のところは、康夫は大いに困惑していた。聡い彼は高雄が純粋な善意からその申し出をしていることに気づいており、それ故に戸惑っていたのだ。こんな自分を気にかけてくれる「お人好し」に会えたのは、これで二人目だ。彼は今までの事を思い出し、その上で高雄からの問いかけに嬉しさすら感じていたのだった。
「なるほどね」
そしてリザリスは、そんな康夫の心の内を全て見透かしていた。彼女は己の能力を使い、康夫が異世界の事象にこだわる事、高雄の善意に気づいていること、それを受けて康夫が悩んでいる事、それら全てを把握していた。
なぜ彼がそれを素直に受け取れずにいたのか、その理由もまた掴んでいた。
「これは捻くれてもしょうがないわね」
そうして彼の心の底、そこに刻まれた記憶の情景を覗き見た彼女はそう思い、そっと心の目を閉じた。同時に彼の取り巻きに対して僅かながら殺意も芽生えたが、リザリスはその暗い炎を意識してもみ消した。
しかしコロヌスは敏感にそれに反応した。コロヌスは姉の方を向き、小声で彼女に問いかけた。
「見たんですね?」
「ええ」
「中身は?」
「それは教えられないわ」
リザリスが澄まし顔で返す。それから彼女はコロヌスをじっと見つめ、懇願するように妹に言った。
「でも、出来ることならあの子を助けてあげて。いくらなんでもあれは酷すぎる。お願いよ」
「そこまで深刻なのですか」
「不憫ではあるわ。それ以上は言えないけれど」
そう言ってリザリスが顔を暗くする。姉がここまで沈み込むのだ、きっと相当なものなのだろう。そう察したコロヌスはそれ以上は追求せず、高雄と共に康夫を見据えて彼に言った。
「私も君を手伝おう」
「えっ?」
寝耳に水とばかりに康夫がコロヌスを見る。高雄もまたコロヌスを見つめ、そのまま康夫が彼女に問いかける。
「なぜですか?」
「理由は二つある。一つ目は君を放っておけないから」
一瞬リザリスに視線を送り、その後で再度康夫を見ながらコロヌスが告げる。それを聞いた康夫が「二つ目は?」と催促し、コロヌスが頷いて高雄の肩を掴んで抱き寄せる。
「彼と一緒にいたいからだ。高雄が君を手伝うと言うのなら、私も喜んで力を貸そう」
コロヌスは自分を誤魔化したりはしなかった。しかしあまりに正直な物言いであったので、シュリとマクシマスは共に「他に言い方はあっただろうに」と呆れた表情を浮かべた。他の面々も同じような感想を抱き、一方で彼らが「一線を越えている」事を知っていた春美は、ただ一人赤面して視線を逸らしていた。
その中にあって、康夫は呆気にとられた表情を浮かべていた。しかし彼はすぐに笑みを浮かべ、困ったようにコロヌスに言った。
「正直なんですね」
「それが私の取り柄だからな」
「もしかして、あなたは藤澤君と恋人同士なんですか?」
「将来結婚する予定だ」
これにはさすがの康夫も吹き出した。コロヌスはムッとして「私は本気だぞ」と言い放ち、高雄もそれをアピールするようにそっとコロヌスの腰に手を回した。
「僕達は本気です」
「う、うん。そうなんだ。わかったよ。ごめん」
そして高雄の言葉を聞いた康夫はすぐに姿勢を元に戻し、まず笑った事を謝罪した。それから彼は二人を見つめてそっと問いかけた。
「じゃあその、キスとかも、したのかな?」
「見たいか?」
「えっ」
コロヌスにそう言われた康夫が再び呆気に取られる。その康夫の眼前でコロヌスが高雄を正面に抱き留め、己の顔と相手の顔を近づける。
「コロヌスさん」
「なんだ」
「続きをしたくなるんで、舌はやめてくださいね?」
「わかった」
そして至近距離でそんなやりとりをした後、二人はそっと互いの唇を触れ合わせた。貪ることこそしなかったが、二人はそれからたっぷり十秒、その甘く柔らかい感触を味わった。
「……」
康夫は目を丸くして、無言でその光景に見入っていた。魔族連中はそれとは対照的に、公衆の面前で愛情交換を行う彼らに冷やかしの声を浴びせていた。
「部長も驚いたりするんだ」
その中で、春美は顔を赤くしながらも康夫の姿を見て驚いていた。春美が康夫の驚いた顔を見るのは、何気にこれが初めてであった。
そして結局、高雄とコロヌスは揃って新聞部に籍を置くことになった。ついでとばかりにアイビーもそこに加わり、新聞部は全部で五人となった。
「姉様、今日も来たよ!」
「このシュリ様も来てやったぞ。ほれ、なんぞ菓子でも出さぬか」
しかし実際には、その部室にはそれ以上の人間が出入りしていた。正確には、そこに不法侵入しているのは人間ですら無かったが。
「ええい、気が散るから離れていろ! 私は今宿題を終わらせるので忙しいのだ!」
「その程度の問題、そなたなら朝飯前であろう? あの獄炎が、たかが計算如きに遅れを取るはずもあるまい」
「そうだよ。姉様そのくらいの問題なら一分で解けるでしょう? だからそれは脇にどけて、ペトラム達と遊ぼうよお!」
「いい加減にしろ! 私の邪魔をするな!」
彼らはコロヌスの城とその部室を繋ぐ「門」を構築し、部活の時間になると当たり前のようにそこに顔を出していたのであった。
そして平時は活動が無いためにそこで黙々と宿題を片づけていたコロヌスにちょっかいをかけ、キレた彼女が炎を纏って暴れ始めるのも日常の風景と化していた。部室内の備品に傷が付かないのが不幸中の幸いであった。
「一気に賑やかになりましたね」
「いいんですか、これ?」
そんな、ある意味「化け物屋敷」と化した部室の有様を前にして、春美と高雄は少し気まずそうに顔を暗くした。しかし康夫は全く気にすることなく、むしろ楽しそうに微笑みながらそれに答えた。
「いいじゃないか。賑やかなのはいいことだ」
「あ、はい」
部長がこう言うのなら仕方ない。二人はおとなしく引き下がるしか無かった。それになんだかんだ言って、彼らも彼らでこの状況を楽しんでいたのだった。
「まあ、いいか」
「うん」
逃げ遅れたペトラムに後ろから抱きつき、容赦なく首絞めに入るコロヌスを見ながら、二人はのんきにそう言葉を交わした。
「ギブ! 姉様ギブ! 死ぬ! 死んじゃう!」
「やかましい! お前のような奴はこうだ! お仕置きだ!」
新聞部は今日も平和だった。