竜、撮られる
春美の携帯電話が鳴ったのは、彼女が高雄や他の面々を交えた会話が大分盛り上がってきた、その矢先の事だった。春美は「ちょっとごめんね」と断りを入れてからポケットに手を突っ込み、そこから携帯電話を取り出して着信スイッチを押し、それを耳を当てて「もしもし?」と通話を始めた。
「こっちの世界でも携帯って通じるんだ」
「これは驚きだ」
それを見た高雄とコロヌスが揃って驚く。アイビーはコロヌスと同じように目を見開き、それの存在を初めて見たシュリとソーラは一様に興味津々といった表情を浮かべた。ハドラムは残ったサンドイッチを食べるのに夢中で、リザリスは「携帯電話」なるアイテムが実際に機能している場面を前にして目を輝かせ、それから「どうして動いているんだろう」と高雄達と同じように疑問に思った。
「もしかしたらゲードランのせいかも」
「ゲードラン?」
「あ、部長ですか? はい、秋ヶ瀬です。どうかしましたか?」
そしてリザリスが思い出したように呟き、高雄がそれに反応する。春美はそんな疑問を抱くことなく、依然「部長」との通話に集中していた。
「……あっ!」
そして唐突に春美が叫ぶ。周りの者達は一斉に驚き、春美はそれ以上に驚いた表情を浮かべて通話先に神経を集中させていた。
「はい、はい、もちろんです! はい! 全然大丈夫です! ちゃんと用意できますので! はい!」
「どうしたんだ一体」
「どうやら非常事態らしいのはわかりますが」
その額から汗を流し、見るからに焦りの色を見せる春美を見て、コロヌスとアイビーが言葉を交わす。他の者達もただならぬ事態が起きていることは何となく察していたが、それでも具体的に何が起きているかについては、まだ想像を巡らせることしか出来なかった。
そうする内に、春美が通話を終えて携帯のスイッチを切る。そして明らかに気まずい表情を浮かべながらそれをポケットに戻し、その後コロヌスに視線を向けた。
その顔は明らかに助けを求めていた。
「どうした。何か面倒な事でも起きたのか?」
そんな春美からの「救援要請」を相手の視線から察したコロヌスが、それとなく声をかける。春美は一度口を開きかけて躊躇うように言い澱んだ後、しかし思い切った調子でコロヌスに尋ねた。
「あの、その、ここら辺で珍しい物とかって無いですか?」
「なに?」
「私の部、一ヶ月に一度新聞を発行してるんです。ほんの四、五ページくらいの薄い新聞なんですけど、その新聞の締め切りがちょうど明日で、それで私、その新聞で使う写真を撮る担当になってるんです」
「ああ、なるほど」
コロヌスはすぐに事情を察した。そして相手に確認するように、コロヌスが問題の要点を言って聞かせた。
「つまり明日締め切りの新聞に使う写真を、まだ撮影していないということだな?」
春美は黙って頷いた。額から滲み出ている汗の量が、彼女がどれだけ切羽詰まっているかを如実に表していた。
「写真はなんでもいいんだな? 人でも物でも、撮れればなんでもいいのか?」
「出来るならインパクトのある物が欲しいです。一面で使うので、こう見る人に、ドーンと強い印象を与えるような奴がいいです」
コロヌスの問いかけに春美が答える。それを受けて、コロヌスは「インパクトなあ」と考え込むように呟いた。するとそれを聞いていたソーラが「全身火達磨になってる私とかどうでしょう?」と目を輝かせて言ってきたが、コロヌスはそれを即座に拒絶し、ついでとばかりに指を鳴らしてソーラの体に火を放った。
「そんなもん学園の新聞に載せられるか! それで我慢してろ!」
「ああっ! 熱い! 熱い! 嬉しい!」
真っ赤な炎に包まれながら、ソーラがその中から喜悦に満ちた叫び声を放つ。高雄と春美は熱を肌で感じながらひきつった笑みを浮かべ、他の面々は呆れた表情でそれを見ていた。
「じゃああれとかいいんじゃないかしら」
するとその時、そんな人間大の炎を見つめていたリザリスが手を叩きながらそう言った。他の面々が視線を炎からリザリスへと移し、そうして全員の注目を集めてからリザリスが続けて言った。
「ゲードランよ。彼らに頼んでみるっていうのはどうかしら?」
「ゲードランか」
「おお、そういえばあ奴らがおったのう。すっかり忘れておったわ」
リザリスの提案を受け、コロヌスとシュリが同時に顔を輝かせる。またしてもその単語を聞いた高雄は頭に「?」マークを浮かべ、そのままコロヌスに問いかけた。
「ゲードランってなんですか?」
「この山に棲んでるドラゴンのことだ。温厚で雑食、群れをなして生活している。夜行性で光を嫌い、昼間は山の地下に潜んでいる。ドラゴンとは言っても、基本的に自分から他種族を襲ったりはしない。怒らせない限りはとても友好的な者達だ」
「それと彼らは同時に、転移用の門を自力で生成できるという珍しい能力を持っているの。だから昔からゲートドラゴンとも呼ばれていて、それが縮んでゲードランになったと言うわけよ」
高雄の問いにコロヌスが答え、続けてリザリスが補足を加える。一方でそんな姉妹二人の説明を聞いた高雄と春美は、興味と恐怖が半々の割合で混じり合った複雑な表情を浮かべた。確かにそれならインパクト十分だが、本当に大丈夫なのだろうか?
するとそれを見たハドラムが、微笑みながら二人に言った。
「ご心配なく。彼らはとても物静かな種族ですから、いきなり火を噴いてきたりはしませんよ」
「それにもしもの時は、わらわ達がおるしの。それでハルミよ、どうする? 試しに行ってみるかえ?」
シュリが春美に声をかける。春美は少しの逡巡の後、首を縦に振ってそれに答えた。
「わかりました。そのゲードラン達に会わせてください」
ゲードランの住処へは、ソーラが繋げた「門」を通してそこから直接向かうことになった。ノックもしないで押し入って大丈夫なのかと高雄は問いかけたが、コロヌスはそれに対して「彼らはそこまで繊細ではないから大丈夫だ」と答えた。
「もうちょっと燃えていたかったのに」
一方で強引に鎮火されたソーラはグチグチと不満をこぼしていたが、アイビーの「帰ってきたらもっと凄いことをしてあげますから」という言葉を受けて素直に「門」を作り始めた。
「痛いのが気持ちいいって感じる人って本当にいたんですね」
「筋金入りよねえ」
春美はそのソーラの姿を見て呆然と呟き、横に立ったリザリスがそれに同意するように言葉を漏らす。その間にソーラは「門」を作り終え、そして自ら「門」の取っ手を掴んでそれを押し開けた。扉の奥は白く眩い光で充満しており、奥の光景を伺い知ることは出来なかった。
「さあ、通ってください」
扉を全開にしてからソーラが促す。それに従って最初にコロヌスが、次に高雄が、その後からはほぼ同じ順番で全員が一斉に「門」を潜る。質量を持った光に全身を包みこまれ、視界が一瞬真っ白になる。しかし次の瞬間には光の感触も視界を遮る白い光も消えて無くなり、それに気づいた面々がゆっくりと目を開けると、そこには薄暗く広大な洞穴が広がっていた。
「誰だ? 何の用でここまで来た?」
そして背後の「門」が消えた直後、右側から重々しい声が響いてきた。全員が反射的に右を向くと、そこには自分達より一回り大きな体躯を備えた、二本の後ろ脚で直立する真っ青な竜がいた。
首は長く、翼は折り畳まれ、全身を覆う鱗は青く染まり、腹の部分は他に比べて僅かに白かった。前足は細く短く、後ろ脚は対照的に太くどっしりとしていた。口元からは髭を生やし、瞳は赤く爛々と輝き、その威風堂々たる立ち姿はまさにファンタジー世界に出てくるドラゴンそのものであった。
「お父様、どうしたのですか?」
「お客? 珍しいですね」
「これはこれは、魔族と人間が揃ってやってくるとは。どうしたことかのう」
そのドラゴンの声につられるように、四方八方から新たなドラゴンが次々と姿を現した。それらは体の大きさこそそれぞれ違っていたが、青い鱗に全身を覆われているのは最初に姿をみせたそれと全く同じであった。
そしてその青いドラゴンの一団に、自分達は完全に囲まれていた。それに気づいた高雄は思わずたじろいだ。
「大丈夫だ。任せておけ」
そうして息をのみ、怯えるように自分の後ろに隠れた高雄に対して、コロヌスが優しく声をかける。それからコロヌスは一歩前に進み、「落ち着いてくれ。我々は戦いに来たのではない」と声をかけた。
「私はコロヌス・デル・トリスタータ。貴族の娘である。それからこちらにいるのはそれぞれ……」
その後コロヌスは、怖じ気づくことなく堂々と、順番に高雄達の名前を紹介していった。名前を呼ばれた者達もそれに応えるように「よろしくおねがいします」と言葉を返し、最後に名前を呼ばれたリザリスが「どうぞよしなに」と深々と腰を曲げて頭を下げた。
そうしてリザリスが頭を下げた直後、周りのドラゴンも一斉に首を動かして頭を下げた。その動きを見た高雄は「本当に紳士的だ」と心の中で驚き、その一方で彼の前に立ったコロヌスが次にここに来た目的について説明した。
「そういう訳なので、どうかあなた達の姿を写真に撮らせてほしい。無理強いはしない。お願いしてもいいだろうか?」
「良いぞ」
髭を生やしたドラゴンは即答した。他のドラゴン達も口々に「それなら歓迎だ」だの「どこで撮影するのです?」だのと、見るからに乗り気でいた。
問題は一瞬で解決した。
「撮影の前に何か注文はあるか? 乗れる範囲で乗ろう」
「春美、何かリクエストはあるか?」
一方ですんなり事が運んだのを前にして、春美は呆然と口を開けていた。ゲードランの一体が催促し、コロヌスが声をかけても微動だにせず、やがてコロヌスが肩を掴んで揺らしたことで、春美はようやく自我を取り戻した。
「春美、どうした? 平気か?」
「は、はい。平気です。あまりにも即決だったので驚いただけです」
「だから言ったでしょう? ゲードラン達は友好的だって」
そうして心ここに在らずといった調子で声を放つ春美に対し、リザリスが笑いながら言葉を投げかける。春美は小刻みに頷いた後、いそいそとリュックからカメラを取り出しつつドラゴンに向けて言った。
「そ、それじゃあ、何か強そうなポーズ取ってもらっていいですか?」
秋ヶ瀬春美の撮影会は、その後十分ほど続いた。ゲードラン達は春美の問いかけに快く応じ、高雄達もそれに協力した。おかげで春美の写真撮影はとてもスムーズに進み、新品のフィルムはあっという間にドラゴンの写真で満杯になった。
「はい、じゃあこれで最後になります。ありがとうございました」
そうして最後の一枚を取り終えた後、春美が満面の笑みを浮かべながら声をかける。それを聞いたドラゴン達は一斉に体から力を抜き、リラックスするかのように翼を広げたり首を回したりしていた。中には高雄達に近づき、親しげに彼らと会話を交わす者もいた。
「それで、どうだ? 満足いくものは撮れたか?」
そうして仕事を終えてカメラをリュックにしまう春美の元に、最初に姿を見せていた髭のドラゴンが近づいてきた。そのドラゴンは頭を下げて春美を見据え、低い声で彼女に問いかけた。
「大満足です! 協力していただいてありがとうざいます!」
春美もその問いかけに対して笑顔で答えた。そこに怯えや恐怖は無く、代わりに相手に対する親しみと敬意に満ちていた。
そしてドラゴンもまた、それを聞いて嬉しそうに目を細めた。
「それは何よりだ。期待に添えられて嬉しく思うぞ」
「でも、どうしてここまで協力的なんですか? 赤の他人の申し出にここまで応じてくれるなんて」
そんなドラゴンに向けて、春美が純粋な疑問をぶつける。ドラゴンはそれに対し、「協調とは知性ある者のみが行える特権なのだ」と悠然と返した。
「どういう意味ですか?」
「我々ドラゴン族は、一般的には知能の低い、横暴な種族だと見られている。そして実際、本能のままに暴れ回る低俗な者達も多く存在する。我々はそいつらとは違って高い知能を有しているが、残念ながら他の種族の者達には、ドラゴンは皆同じに見えているのだ」
「要は彼らゲードランは、馬鹿な他のドラゴンと同列に扱われ、馬鹿にされているのが我慢ならないということです」
髭ドラゴンの言葉に続くように、アイビーが春美の元に近づきながら言い放つ。それからアイビーは腰に提げたバッグの中からカップを取り出し、反対側に提げた水筒の蓋を開けて紅茶をカップの中に注ぎ込む。そして紅茶で満たされたそのカップをドラゴンに差しだし、そのドラゴンはそれを受け取りながら「その通りだ」とアイビーの言葉に同意した。
次にアイビーは春美の分を用意し始め、ドラゴンは人間用のカップに入った紅茶を起器用に啜りながら、そのまま言葉を続けた。
「だから我々は、他の者達に知性を示すことにした。他種族と積極的に、友好的に接し、暴れるだけの能無し共と我々は違うのだということをアピールすることにしたのだ」
「なるほど」
ドラゴンの説明を聞いた春美は納得して頷き、アイビーからカップを受け取った。しかしそれを一口飲んだ後でまた別の疑問が頭の中でわき上がり、彼女はそれを口に出した。
「でも、それでもし相手に騙されたりしたら、その時はどうするんですか?」
「決まっている」
「皆殺しでございます」
ドラゴンに続いてアイビーがさらりと言ってのける。驚く春美の視線を受け、アイビーは「目には目を。これがこちらの世界の常識なのです」と答えた。
ドラゴンもそれに同意するように鼻から荒々しく息を吐き出し、それを聞いた春美は苦笑しながら「やっぱりドラゴンなんだなあ」と思った。
「ところで、そなた。こちらから一つ頼みがあるのだが」
するとその時、不意にドラゴンが春美にそう声をかけてきた。春美は快く「なんでしょうか?」と応じ、ドラゴンはそれに応えて口を開いた。
「うむ。実はな」
翌日曜日。新聞部部長の冴島康夫は春美に「集合場所」として告げられた公園の真ん中で、唖然とした表情を浮かべながら立ち尽くしていた。中肉中背、ぱっとしない地味な見た目をした彼はその眼鏡の奥で目を点にし、額から汗を流しながら眼前の光景を見つめていた。
「どうですか部長? サプライズです!」
その彼の目の前には、「門」を通してこちらの世界に戻ってきていた春美達の姿があった。そしてその彼女達の後ろに、彼女達よりも頭一つ分大きな背丈を持った、青い肌の男がいた。その男は背中から長い尻尾と翼を生やし、目は爛々と赤く輝き、全身を青い鱗で覆っていた。
「……そちらの方は?」
「ドラゴンです」
「マクシマスだ。よろしく頼む」
康夫の問いかけに春美が答え、青い人間が悠然と名を名乗る。そのマクシマスと名乗った人型のドラゴンを見ながら、康夫はただ「そ、そうですか」と答えるしか出来なかった。
「こちらのドラゴンは、知性を求めてこの世界にやって来たのだ。色々と質問をしてくるかもしれないが、どうかよろしく頼む」
そんな「転校生」コロヌスの問いかけも、康夫の頭には入ってこなかった。