少年、お見合いをする
朝食を終えた後、一行は近くの山に散策に向かうことになった。「せっかくだからこの世界でしか撮れないような景色を撮ってみたい」という春美のリクエストを受けてのことであり、それに難色を示す者は皆無だった。
「私達はこの後用事があるから、君達だけで行ってきなさい」
ただしゼルヴェーとシシルフェルトはそれには同行せず、ここで別れる事になった。高雄は「何か仕事でもあるのかな?」と不思議そうに呟き、横にいたコロヌスはそれに対して「仕事じゃないな」と答えた。
「どういうことですか?」
「あそこを見てみろ」
小声で詳細を尋ねてくる高雄にコロヌスが同じくらいの声量でそう言い返し、続けて目線である一点を指し示す。それを受けた高雄がコロヌスの目の指す方へ意識を向けると、そこにはゼルヴェーの体にしなだれるシシルフェルトの姿があった。
そう言えば朝食の時からずっとあんな調子であった。シシルフェルトは見るからにゼルヴェーに甘えていた。そしてシシルフェルトは時折熱い吐息を漏らし、ゼルヴェーの胸元をその細い指で挑発的に撫でさすっていた。
「仲良くしっぽり、というやつだ」
それを視界に収めていたコロヌスが、困ったように苦笑しながら言ってのける。彼女の言葉の意味を察した高雄も頬を赤らめて俯き、「火がついちゃったってことですかね」と囁くように問いかけた。
「まあそういうことだろう。父上も母上も歳だというのに、お盛んなことだ」
「あら、いいことじゃない。少なくとも枯れ果てて愛情がすり減るよりは、ずっとマシだと思うわ」
その二人のやりとりに、どこからともなくリザリスが乱入してきた。しれっと高雄の隣に座った彼女は二人の放つそれと同等の声量で言葉を発し、そして呆気に取られる高雄を見つめながら柔和な笑みを浮かべて言った。
「だから、二人の邪魔はしちゃいけないわ。ここは素直に帰しておきましょう?」
高雄はすぐに頷いた。コロヌスもそれに同意した。他の面々は既に登山の準備のために席を立ち始めており、ゼルヴェーとシシルフェルトはなおも自分の席についたまま静かにイチャついていた。
「ところで、二人は準備はしなくていいの? 春美ちゃんとペトラムはシュリに連れられて出て行ったけど」
そしてリザリスが話題を変える。コロヌスはそれを受けて、さりげなく高雄の手を握りながら「問題ない」と答えた。
「そうなの?」
「ええ。私が高雄の世界で学生をしていた時、何度か高雄の家に泊まった事がありましてね。それでその時に、いつかこちらに泊まる時のために、高雄の服をいくつかこちらに持ち込んでおいたのです」
コロヌスとアイビーは、普段はこの城から転移魔法を使い、直接高雄の世界に飛んで来ていた。しかし「どうしようもなく寂しくなった」時は、コロヌスだけがこちらの世界には帰らずに高雄の家に厄介になり、そこで一夜を明かすのであった。
「だから、後は部屋に戻って着替えるだけで済むのですよ。一応リュックサックも持ち込んできてもいますしね」
「なるほど。色んな意味で準備万端ってことね」
お熱いことで。コロヌスの回答を受けてニヤニヤ笑いながらこちらを見てくるリザリスに対し、高雄は顔を真っ赤にしながら無言で俯いた。コロヌスは逆に肩をいからせ、しかし顔は同じように赤くしながらリザリスに食ってかかった。
「べ、別に私達が何をしようが、姉上には関係無いでしょう」
「もちろんその通りよ。むしろどんどんヤりなさい。不純異性交遊万歳よ。それに私としても、可愛い妹の赤ちゃんは早く見てみたいしね」
「姉上!」
高雄とコロヌスの顔は今や茹で蛸のように真っ赤であった。そうして朝の仕返しをするかのように初な二人を散々からかったリザリスは、それから何事も無かったかのように割り当てられていた個室に戻っていった。
「なあシシル、今日はまずどこに行こうか? 町に繰り出すか、それとも湖を眺めようか?」
「無粋な事を仰らないでください。シシルはもう準備万端なのですよ? そんなシシルを焦らすだなんて、いけずな方ですね」
ゼルヴェーとシシルフェルトは完全に自分達の世界に入っていた。高雄は声をかけようか迷ったが、片づけを終えてきたアイビーは「放置して大丈夫ですよ」と彼に答えた。
「むしろ邪魔をするべきではありません。我々は我々で準備を進めてしまいましょう」
二人はそのメイドの言葉に従った。そして両親以外の全員が食堂を離れ、そして三十分後に準備を済ませて再びここに集まってきた時には、既にゼルヴェーとシシルフェルトの姿は消えて無くなっていた。
「帰っちゃったみたいですね」
「そのようだな」
「では我々も行きましょうか」
アイビーの言葉に全員が頷く。それから彼らはここから一番近い所にある「セフ山」へと向かった。
その山は一個の巨大な岩石を大雑把に削ったような、無骨な形状をした岩山だった。樹木は無く、灰色の表面が外気にむき出しになっていた。天辺が雲の上に隠れている程では無かったが、それでも中々の標高を備えていた。そこに自分達以外の登山客はおらず、風の音ばかりが聞こえていた。
「登頂まで一時間はかかります。それほどきつい道ではありませんが、油断はしないように行きましょう」
高雄は麓からその山を見上げながら、食堂で聞いたアイビーの事前説明を思い出した。高雄としても、こんな未知の場所で油断をするつもりはなかった。
「モンスター的なものは襲いかかって来ないですか?」
「その心配はありません。凶暴なモンスターも山賊の類も滅多に見られませんから」
「もし出てきたとしても、私達が絶対守ってあげるわ。大船に乗った気でいて大丈夫よ」
そして高雄の横でそう不安げに問いかける春美に対してアイビーが親しげに、リザリスが自信満々に答える。他の面々も同様に頷き、異世界から来た二人はそれを見て大いに安心した。
この面々に喧嘩を売るような阿呆はいないだろう。
「では、行くとするかのう」
いつも通りの和服を身につけ、編み笠を頭に被ったシュリが声をかける。残りの者達もそれに頷き、山道へと入っていった。
道はひどく殺風景だった。道中で植物の類は一つも見られず、曲がりくねった登山道の全てが灰色で構成されていた。もっとも道の傾斜は緩く、足場はしっかりと踏み固められ、道幅も広かったので、登山自体はそれほど厳しいものではなかった。
「この山は、元々は大昔にあった浮遊山から剥がれてここに落ちてきた岩石の一部が風雨に曝され、形を変えて出来た物とされています。草木が生えていないのは、この山自体が一個の岩石であるために、生育に必要な条件を全く満たしていないからなのです」
本当に丸ごと一個の岩なんだ。登山途中に先頭を行くアイビーの解説を聞いた春美は素直に驚いた。そうして春美が驚いていると、彼女の前を進んでいた高雄が「空に山が浮いているんですか?」尋ねた。
「ええ。今も浮いていますよ。この大陸の中だけでも、大小併せて二百もの浮遊山が存在しています」
「そこには行けないんですか?」
「そうした山は全てドラゴンやその他の上級魔族の縄張りになっているので、おいそれと近づくことは出来ませんね」
「自分の家の中に他人がいきなり土足で踏み込んでくると嫌な気持ちになるだろう。それと同じだ」
コロヌスの言葉を聞いて、高雄は「なるほど」と思った。確かにそんなことをされたら自分だって嫌な気持ちになる。しかし山を丸ごと家にするとは、中々スケールの大きい事である。高雄は内心でそう感嘆した。
「ここってなんでこんなに道が整備されてるんですか? 私達以外に山登りをする人がいるんですか?」
「それなりにいるんですよ。連日盛況ってほどじゃないですけど、それでも遊興目的でここを訪れる人は結構いるんです」
その一方で、春美の問いにソーラがそう答えていた。ソーラは続けて「結構いい運動にもなりますしね」と付け加え、春美は額の汗を拭いながら「それは確かにそうですね」と返した。
「どうする? 少し休むかの?」
それを見たシュリが春美に問いかける。春美は首を横に振り、「山頂まで一気に行きましょう」と答えた。アイビーとコロヌスも肩越しに春美を見つめ、その二人にシュリが声をかけた。
「ここはハルミの言う通りにしよう。一気に登ってしまうとしよう」
二人は頷き、そして再び前を向いて登り始めた。春美もカメラとノートをしまったリュックを背負い直し、前に意識を向け直した。
山頂部へは、それからちょうど四十分後に到達した。
「おお……!」
「すごい……」
山頂部は平坦で、ちょっとした広場になっていた。サッカーが出来るほどではなかったが、それでも彼ら全員で腰を落とすには十分な広さであった。
そして落下防止に立てられた柵の向こうには辺り一帯を見下ろした光景が広がっていた。それは元いた世界で見てきたコンクリートジャングルではなく、町や街道、田畑がまばらに広がった、ひどくのどかで物静かな景色であった。
ここまで頑張って良かった。自力でここまで来た二人は、それを見て感動にも似た達成感を覚えた。
「ねえねえ! こっち来てご飯にしようよー! 先に腹ごしらえしちゃおうよー!」
そんな二人に、ペトラムが後ろから声をかける。高雄と春美が揃って後ろを見ると、コロヌス達は既にシートを敷き終え、その上で淡々と昼食の準備を進めていた。
高雄が「城から」持ってきた「自分の」腕時計を確認する。針は正午を差しており、それを見た彼は「時間の流れまでこちらの世界と向こうの世界で一緒なのだろうか」と思いを巡らせた。
「ほらほら、早く! 先に食べちゃうよー?」
しかしその高雄の思案は、ペトラムの言葉によって強引に中断させられた。それでも高雄は彼女を邪険に思ったりはせず、すぐに気持ちを切り替えて春美と共にコロヌス達の所へ向かった。
今日の昼食はサンドイッチとサラダ、それとカットされたフルーツの盛り合わせ。全てアイビーとリザリスが拵えた物だった。味も見た目も申し分なく、量も十分。彼らは喜んでそれらを口に運んでいった。
そしてその食事中に「そういえば、こっちの世界にもサンドイッチってあるんだ」と春美が不思議そうに呟き、それに対してシュリがかつて高雄に言ったのと同じ説明をした。それを聞いた春美は「ああ、そうなんだ」と納得したように頷き、シュリを見ながら続けて言った。
「パラレルワールドって言っても、そんなに大きく変わってる訳では無いんですね」
「根っこの部分が同じじゃから、それほど様変わりしている訳では無いという事じゃろうな。わらわ達がそなた達と同じような姿形をしているのも、おそらくはそれが理由じゃろう」
「建物とかの形も、実は私達の世界に昔あった物とそっくりなんですよ」
「ほほう。それは興味深い。やはり似たような価値観を持っているが故の類似なのじゃろうな」
春美とシュリの会話は見るからに盛り上がっていた。コロヌスはそれを見て「彼女は中々博識じゃないか」と、高雄に向けていたずらっぽく言った。平行世界云々の話がさっぱりわからなかった高雄はそれを受けて「人には得意不得意があるんです」とむくれ、不機嫌そうに視線を逸らした。
「でも、私もその通りだと思うよ?」
するとそれを聞いた春美が高雄の方を向き、不意にそう口を開いた。高雄は驚いて彼女に顔を向け、戸惑ったように「そ、そう?」と返した。
「うん。私はそう思う、けど」
春美がそれに答える。その言葉はどこか遠慮がちで、声色も弱々しかった。それを聞いた高雄も暫く返答に困ったような表情を浮かべ、結局「そうなんだ」と無難な回答を返した。
会話が続かない。気まずい空気が流れる。
「何これ、かなりよそよそしくない?」
それを見たリザリスが目を点にする。コロヌスや他の面々も同様に不思議そうに二人を見つめ、その中でシュリは袖の下から取り出した扇を広げて口元を隠し、「なるほどのう」と目を細めて言った。
「そなたら、まともに会話した事ないな?」
そしてシュリが二人に言い放つ。図星を突かれた二人は何も言えずに黙り込み、それを見たアイビーが目を伏せながら言った。
「図星のようですね」
「なるほどねえ」
それに続いてリザリスが納得したように声を漏らす。そのことに今気づいたコロヌスは驚いたように二人を交互に見やり、ソーラは背中に背負おうと準備していた大岩を宙に浮かせたままそちらへ意識を向けた。ペトラムはサンドイッチを食べながら、心の底でハドラムと何事か相談していた。
「ならちょうどいいじゃない。ここでお互いのこと、色々と話してみたらどうかしら?」
そしてなおも気まずい雰囲気にあった二人を見ながら、リザリスがさりげなく提案する。異世界から来た学生二人は揃って驚き、反射的にリザリスの方を見た。
「え、でも」
「そんないきなり言われても」
「このまま中途半端に終わらせるよりそっちの方がいいでしょう?」
二人は反論を試みたが、リザリスは一歩も退かなかった。高雄と春美は諦めたように口を閉ざし、彼女から視線を逸らした後で互いの顔を見合った。
「え、えっと……」
「じゃあ、どうしようか?」
しかし顔を合わせて何か喋ろうとしたところで、二人して言葉を濁す。同じ世界に属するほぼ初対面の二人は、互いに心のガードを崩そうとはしなかった。それを見たシュリは「恥ずかしがり屋じゃのう」と愉快そうに言い放ち、一方でリザリスはそれを見て不機嫌そうに頬を膨らませた。
「ああもう! なんでそんな遠慮してるのよ! ほら、ちゃんと相手の方を見て! 自己紹介でもなんでもいいから!」
「どうして姉上がそこまでやる気になっているのですか」
「この二人が煮え切らない態度を取るからよ。せっかくだからあなた達もここで友達になっちゃいなさい!」
眉をひそめるコロヌスにリザリスが毅然と言い返し、そのまま標的を高雄と春美に変えて力強く言い切る。そのあまりの剣幕にコロヌスは少したじろいだが、すぐに表情を元に戻して高雄の方へ視線を移した。高雄もそれに気づいてコロヌスを見返し、そのまま目で助けを訴えた。
「必要以上にベタベタしなくてもいい。とりあえずは自分から話しかけてみるんだ。やる前から諦めていたら何も変わらんぞ」
コロヌスは直接的な支援は行わなかった。なんだかんだ言って、彼女も姉の意見に賛成だったからだ。そして高雄の方も、助け船をもらえなかった事に対して落胆したりはしなかった。
ここは自分で何とかするべき時なんだ。コロヌスに背中を押され、勇気を分け与えられた高雄は自分から心にそう活を入れ、改めて春美に向き直った。落ち着け。何事も初めが肝心だ。
「あ、あのっ!」
「はいっ!?」
しかし高雄の第一声は緊張で裏返った。そうしていきなり大声で呼ばれた春美もまた、思わず肩に力を込めて驚いたように言い返す。台無しである。
「まるでお見合いじゃな」
それを見たシュリが楽しげに言い放つ。すると横からアイビーが「茶化してはなりません」とそれを咎め、シュリも素直に頷いて黙りこくる。
しかし肝心の二人には、そのやりとりは全く聞こえていなかった。ただ互いをじっと見つめ、いつも以上に緊張した面持ちで言葉を交わした。
「あ、あのね? 実は私も、藤澤君のこと色々知りたいなって、思ってたの」
「そ、そうなんだ」
「だからあの時、思い切って声をかけてみたんだけど、嫌だった?」
「ううん、全然。ちょっとびっくりしたけど、嫌じゃなかったよ」
先に口を開いたのは春美だった。高雄は嫌がることなくそれに答え、その後で続けて春美が言った。
「良かった。もちろん私も出来る範囲で、色々話していきたいからさ。君のことも、その、教えてほしいなって」
「うん」
「だからその、これからいろいろ、よろしく」
「こちらこそ、よろしく」
そこまで言って高雄がはにかむ。春美も同じように微笑み、それから二人は気恥ずかしそうに笑いあった。まだ遠慮がちではあったが、そこに明確な忌避の気配は無かった。
「一件落着でしょうか?」
「今日明日で片づく問題じゃないからね。スタートダッシュとしては最高よ」
それを見たアイビーがリザリスに話しかけ、リザリスが安心したように答える。コロヌスは腕を組みながら「うん、うん」と頷き、シュリも扇で口を隠したまま笑みを浮かべていた。いつの間にか入れ替わっていたハドラムは穏やかな空気を漂わせている高雄と春美を見て「僕の出てきた意味が無くなっちゃったな」とため息混じりに呟き、しかしまんざらでもなさそうに柔らかい笑みを浮かべていた。
「……」
そしてソーラは岩を落とす位置を間違えて胸から上を押し潰され、ひっそりと瀕死の重傷を負っていた。