父、自慢する
新たにやってきたトリスタータ一家は、非常にフレンドリーな面々であった。彼らは異世界からやってきた高雄と春美を邪険に扱わず、彼らの質問に快く答えた。
「いつもはどこに住んでるんですか?」
「ここから遙か北にある極寒の地、シュトラーフェンと呼ばれている場所だ。そこに城を築き、町を治め、一族静かに暮らしているのだ」
「寒くないんですか?」
「無論外は寒いとも。だが城の中は結構快適だぞ?」
「どうしてそんな所に住んでるんです?」
「このシシルがノーザンワンズの一人でな。彼女が快適に暮らせるよう、寒い場所を選んで引っ越したのだ」
「ノーザンワンズ?」
ゼルヴェーの言葉を聞いた高雄が首を傾げる。するとコロヌスが彼の方を向き、その疑問に対して答えた。
「魔族の一種で、北方の地で生活している一族の事だ。寒さに強いが、その分暑さには弱い」
「そちらの世界にある昔話に登場する、雪娘のような存在です。主に氷結系統の魔法を操り、そして上級魔術師にもなれば、大陸全土に吹雪を巻き起こす事も出来るのです」
アイビーが補足を加える。コロヌスは「母上もそのマスタークラスの一人なのだ」と頷き、続けて高雄に言った。
「父上はそんな母上と結婚した時に、自分からシュトラーフェンに行くと決めたのだ。父上自身は地底の国ゲルマーゼの出身で、特別寒さに強い訳では無かったのだがな」
「だからといって、寒さに弱いシシルを地の底に連れて行く訳にもいくまい。あそこは町のすぐ脇で溶岩の河が流れているような場所だからな。シシルに負担をかけるわけには行かなかったのだ」
そんな娘の説明に対し、ゼルヴェーが立派に整えられた口髭を指で撫でながら言った。ゼルヴェーの横に座っていたシシルフェルトはその青ざめた頬を僅かに赤らめ、「この人は一度こうだと決めたら退かない人なのです」とか細い声で言い放った。それから彼女は自らの伴侶の肩に両手を置き、コロヌス達の方を向いて微笑みながら言った。
「でも、ゼルヴェー様はそんな人だから、シシルはこの人について行こうと思ったのですよ?」
それは氷のように透き通るような、それでいてどこか儚げな笑顔だった。乱暴に扱えば簡単に壊れてしまうような、ガラス細工の人形のようでもあった。
綺麗、と、そのシシルフェルトの笑みを見た春美は思わず呟いた。高雄も全く同じ感想を抱いていた。そうして高雄が見惚れていると、横からコロヌスがその彼の頬を強く引っ張った。
「さすがに母上に欲情するのは許さんぞ」
「し、してないって!」
ジト目で声をかけるコロヌスに対し、涙目になりながら高雄が反論する。それからようやっと頬を解放され、そこを痛そうにさする高雄を見ながら、シシルの横に座っていた末妹ペトラムが元気良く笑いながら彼に声をかけた。
「お義兄さま、おもしろーい! コロヌス姉さまとそこまで打ち解けてるなんて、やっぱり相性抜群みたいだね!」
「あ、相性?」
「そうだよ、相性! リザリス姉さまからお墨付きももらってるんでしょ? まさにベストカップルって奴だね!」
ペトラムがまるで自分の事のように嬉しげに話す。それを聞いたコロヌスは「そうだろう、そうだろう」と上機嫌に答えたが、その横で高雄は戸惑ったような表情を浮かべていた。
「高雄さん、どうかしましたか?」
それに気づいたシシルフェルトが高雄に声をかける。その透明な眼差しを受けて、高雄は躊躇いがちに口を開いた。
「その、僕とコロヌスさんの関係について皆さんがどう思ってるのか、気になっちゃって」
「というと?」
「もしかしたら、僕がコロヌスさんと付き合うのを認めてないんじゃないかなって、そう思ったりしてるんです」
「私は駄目とは思っておらんぞ」
申し訳なさそうに言った高雄の言葉に、ゼルヴェーが即答した。シシルフェルトとペトラム、リザリスもそれに同意した。
「シシルも、駄目だとは思っていません」
「私も、私も!」
「高雄ちゃんが良い人だって事は、私達皆わかってるの。だからもっと胸を張って、コロヌスの恋人である事に自信を持ちなさい」
どこまで優しい言葉だった。しかし高雄はそれが逆に怖かった。
「で、でも、僕、なんの力も持ってないんですよ? コロヌスさんみたいに強くないし、美形でもないし。全然釣り合わないですよ」
「だから、我々の眼鏡に適っているか不安だということか」
「はい」
「つまり君は、相手と同じ立場に立っていなければ、その者は恋愛をしてはならないと、そう思っているのかね?」
「はい……」
「それは横暴だよ」
しかしゼルヴェーは、その高雄の言い分を真っ向から否定した。高雄は唖然としてゼルヴェーを見つめ、そしてゼルヴェーもまたその視線を受け止めながら彼に言った。
「恋愛に力の強弱は関係ない。立場も、人種も、年齢も、性別さえもだ。誰かが誰かを好きになる、そこに壁を設けてはならない。私はそう思っている」
「シシルも、そう思っています」
シシルフェルトが夫の意見に同意するように言葉を述べる。それからシシルフェルトは高雄をじっと見つめ、形の良い紫色の唇を開いて言った。
「シシル達は別に、あなたのことを甘やかしている訳ではありません。あなたの想いの強さを知り、そしてあなたがそれだけ強い想いを持ちながら今の状況に迷いを持っていることを知ったから、その背中を押してあげようとしているだけなのです」
「私が思念波を飛ばして、あなたの心を父上達に教えてあげたのよ。私の能力、忘れた訳じゃないでしょう?」
リザリスが母親の補足をするように話しかける。高雄はリザリスの読心術のことを思いだし、そしてその高雄に向かってゼルヴェーが話しかける。
「高雄君。これからもどうか、コロヌスの事をよろしく頼む」
「はやく赤ちゃん見たいなー!」
しかし横からペトラムが口を挟む。そのあけすけな言葉によってそれまで張りつめていた場の空気が一気に和らぎ、高雄もまた肩の重りが取れたような、そんな感覚を覚えたのだった。
「僕、頑張らないとな」
そして再び和やかな雑談を始めた面々を前にして、高雄がしみじみと呟く。するとその彼の肩に手を置きながら、コロヌスが高雄に声をかけた。
「ああ、頑張ろう。一緒にな」
「はい!」
高雄はコロヌスを見つめ、元気良くそう答えた。そこに迷いの翳りは一筋も無かった。
その後はアイビーの作った夜食を囲みながら、さらに話が盛り上がっていった。途中でシュリが春美に「帰らなくていいのか?」という類の質問を投げたが、春美は「今日明日は帰らないって伝えておきましたから」と答え、家の心配はしなくていいと言った。
「藤澤君は大丈夫なの?」
それから春美は高雄に対して同じ質問をしたが、高雄はそれには答えず、黙ってうなだれるだけであった。隣のコロヌスも複雑な表情を浮かべ、テーブルの一点を見つめていた。
「高雄様の方も大丈夫です。どうかお気になさらず」
それを見て空気を読んだアイビーが助け船を出す。その三人を見た春美も「地雷を踏んだか」と一瞬気まずい表情になり、そしてすぐに「はい、わかりました。ありがとうございました」と焦ったように言った。
そうして一瞬緊張した空気になりながらも、その会談はすぐに元の明るさを取り戻した。雑談の流れは主に春美が質問し、それに異世界組が答えるという形になっていた。
「その時、私を一息に食らわんと大海蛇が大きく口を開けてきた。シシルだけではあきたらず、貪欲なサーペントは私をも生贄として食らわんとしてきたのだ。そしてそのサーペントの感情を表すかのように瞬く間に空は曇り、雷が轟き、波は大きく荒れていった。船は揺れ、風と雨が激しく私を打ち付けた」
そしていつの間にか、食堂は若き日のゼルヴェーの武勇伝を聞く場所と化していた。しかし誰もそれに対して不満を漏らしたりはせず、春美に至っては目を輝かせながらその話に聞き入っていた。
そんな春美の目の前で、ゼルヴェーは椅子から立ち上がって腰の剣を引き抜き、切っ先を高々と天に掲げながら声高に言い放った。
「しかし私はその巨大な怪物を前にして、逃げるという選択肢は選ばなかった。必ずや奴を倒し、腹を引き裂き、愛するシシルを救い出すと心に誓った! 私の剣は、そして愛と勇気は、この程度の障害に怯むことは絶対に無いのだ!」
「言ってて恥ずかしくないのかのう」
シュリが苦言を呈したが、他の面々は興奮で顔を全身を熱く火照らせながらその話に耳を傾けていた。そしてゼルヴェーもまた己の興奮を隠そうとせず、まくしたてるように言葉を続けた。
「私は跳んだ! サーペントが船を噛み砕いた! 私はそのサーペントの頭の上に立ち、剣をその目玉に突き立てた! それが致命傷となり、サーペントは大きく絶叫し、その場に崩れ落ちた!」
「それで、どうなったんですか?」
「サーペントの巨大な死骸は一度海に沈み、それから仰向けに海の上に浮き上がった。私は真っ先に腹を裂き、飲み込まれていたシシルを救い出したのだ。私もシシルも血塗れだったが、二人の血は雨が洗い流していった。そしてその雷鳴轟く嵐の中で、私はシシルに告白したのだ」
愛するシシルフェルトよ、私と一緒になってくれないか。ゼルヴェーはそう言うと同時に剣を鞘に納め、隣に座るシシルフェルトに手を差し出した。シシルフェルトも何も言わずにその手を取って立ち上がり、「昔の通り」にそれに対して言葉を返した。
「はい。このシシルフェルト、地獄の底まであなたと共にありましょう」
二人は無言で見つめ合い、そしてどちらからともなく互いの体を抱きしめ合った。場はしんと静まり返り、その中で春美がぽつり、「綺麗」と呟いた。
「あなたにもきっと良い人が見つかりますよ」
その春美に向かって、アイビーがそれとなく声をかける。春美もまた彼女の方を見て「ありがとうございます」と返した。
一方でその後もゼルヴェーの英雄談は長く続き、ギャラリーもまたそれを熱心に聞いた。シュリもなんだかんだ言って、彼の話を楽しげに聞いていた。中には過激な話もあり、初な春美は「うわあ」と言いながら真っ赤になった顔を両手で覆った。自分の話をされたシシルフェルトは恥ずかしそうに顔を俯かせ、春美よりも幼げな外見をしていたペトラムは全く抵抗なく「次は? 次は?」と楽しげに話の続きを催促した。
そしてその「熱い」話を聞きながら、不意にコロヌスがテーブルの下で高雄の手を握った。高雄は不意のことに驚いてコロヌスの方を向き、そしてその顔を見ながらコロヌスが言った。
「なあ、今夜、いいか?」
コロヌスが顔を赤くして言った。高雄は驚いて目を剥き、その目を見ながらコロヌスが続けて言った。
「父上の話を聞いていたら、その、な。それに最近ご無沙汰だったし」
そこまで言ってコロヌスが視線を逸らす。その顔は茹で蛸のように真っ赤で、今にも爆発しそうであった。
「それで、どうだ? 大丈夫か?」
高雄は何も言わず、そのコロヌスの手を握り返した。コロヌスはハッとして高雄を見返し、そしてそのコロヌスを熱のこもった視線で見ながら高雄が言った。
「はい。僕で良ければ」
コロヌスの顔が一気に華やぐ。高雄もその嬉しげな顔を見て、期待と緊張でその顔を彼女と同じように赤くした。
ゼルヴェーと他の面々はそれに気づかず、談義に花を咲かせていた。
「ふうん」
しかしリザリスはそれに気づいていた。心を読むまでもなく、彼女はこの後二人が何をするのかを理解していた。
「これは楽しいことになりそうね」
そして秘め事の約束を交わしてもじもじし始める妹とその伴侶を見つめながら、リザリスは誰にも見えないように舌なめずりをした。
「今夜は戦争かしら」