新聞部員、はしゃぐ
「我々の事は既に知っているかもしれないが、改めて名乗っておくとしよう。私はコロヌス・デル・トリスタータ。騎士をやっている。こっちがアイビー・シュトロナーム。サキュバス族の一人で、私の城でメイドとして仕えている。そしてこっちの男の子が藤澤高雄。こちらの世界の住人で、私の夫だ」
春美がショック状態から立ち直った後、コロヌスは彼女と向かい合った状態で自分達の事を紹介していった。この時にはソーラも「犬ごっこ」を止め、黒いローブととんがり帽子を身につけた「いつものスタイル」に戻っていた。
そのソーラと、彼女の隣に立つシュリに目を向けながらコロヌスが続けた。
「そこのいかにも魔法使いな外見をしているのが、ソーラ・ナ・ゾーラ。見ての通り魔術師だ。変態だが、実力はかなりのものだ。そしてその横にいるのが、シュリ・ルーシェン。君の世界の言葉で表現するならば、妖狐というやつだな。我々の中では最年長だ」
コロヌスの紹介を受けたソーラが「よろしくお願いします」と頭を下げ、シュリは「よろしく頼むぞえ」と愉快そうに笑みを浮かべて手を振った。ついでとばかりに臀部から生やした九本の尻尾もまた、楽しげに左右に揺れていた。
「皆、私の仲間達だ。高雄以外は全員魔族で、我々は皆こことは違う別の世界からやってきたのだ。異世界というやつだな。当然私も魔族の一人だ。ついでに言うと、高雄は我々が自分達の世界に召還し、そこで関係を持ったのだ」
最後にコロヌスが自分達の素性と、高雄と知り合った経緯を簡単に説明する。この時コロヌスはさりげなく高雄の肩に手を置き、その手の感触を知った高雄は恥ずかしそうに顔を赤らめた。
「さて、何か質問は?」
そうしてコロヌスの紹介を聞き終えた秋ヶ瀬春美は、しかしコロヌスの質問を求める声に対して何のリアクションも見せなかった。彼女は再び思考回路がショートしたかのように目と口を半開きにして、呆然とその場に立ち尽くしていたのであった。
「どうした? どこか具合でも悪いのか?」
そんなその場に硬直する春美を見て、コロヌスが心配するように声をかける。すると横にいたアイビーがコロヌスの制服の袖を引っ張り、そして注意を自分に向けたコロヌスに対して「あなたが情報を一度に出し過ぎるからこうなったのでは?」と小声で咎めるように言った。
「どういう意味だ?」
「理解の範疇を越えた情報を一気に流し込まれて、脳がその情報を処理しきれずにパンクしたのではないかということです。ここは一度、彼女が疑問に思っている事から順番に、一つずつ話して聞かせた方が得策ではないかと思いますが」
「むう」
アイビーの忠告じみた提言を聞いたコロヌスは小さく唸ったが、結局は彼女の提案に従うことにした。自分に落ち度があるのは明らかだったからだ。
しかしそれを受けてコロヌスが改めて口を開こうとしたその時、今まで止まっていた春美が活動を再開した。彼女は全く不意に口を動かし、右手をまっすぐ上に伸ばしてコロヌスの発言を遮るように言葉を発したのだった。
「あ、あの、質問いいですか!?」
その声は緊張と驚愕で裏返っていた。いきなりそう言われたコロヌスは「お、おう、なんでも言ってみろ」と若干気圧され気味に返し、そしてそれを受け取った春美は思いきったように質問をぶつけた。
「その、い、異世界から来たって、本当なんですか?」
「もちろん本当だ」
「トリスタータさん達が魔族だっていうのも?」
「本当だ」
「藤澤君があなたの夫だっていうのもですか?」
「それはまあ、言葉のあやだ。まだ正式に籍を入れたわけでは無いんだ」
春美は間を置くこともせず、矢継ぎ早に尋ねた。コロヌスも「これは好都合だ」と思いながら、それら全てに堂々と答えた。
「なんで藤澤君を自分達の世界に呼んだんですか?」
「結婚するためだ」
「へっ?」
「結婚したいから呼んだのだ」
「な、なるほど……」
しかし全ての疑問に対する答えを受け取ってもなお、春美の表情は曇ったままだった。
「まだ完全に信じたわけではなさそうだな」
そしてなおも半信半疑な視線を向ける春美に対し、コロヌスは片足に重心を乗せながら声をかけた。顔つきは凛々しく、全身から優雅なオーラを放っていた。
そんな無駄に格好つけたコロヌスに対して「あなたの返しが大雑把すぎるんですよ」とアイビーが口を尖らせる。一方、春美はそれに頷いて申し訳なさそうに答えた。
「すいません。まだなんていうか、確証が持てなくて」
「インチキかドッキリか何かと思ってしまっている。そういうことか?」
「は、はい」
「気にすることはない。私は別に怒っている訳ではないのだからな。君を責めるつもりは無いよ」
肩を縮こまらせる春美に対してコロヌスが優しく声をかける。その姿を見て心臓が跳ねるのを自覚しながら、春美はコロヌスの問いかけに対して「わ、わかりました」と頷いた。この時、春美の頬は僅かに紅潮していた。
それを見た高雄がコロヌスに向かって一瞬ムッとした表情を浮かべる。さらにそんな高雄の反応に気づいたシュリが面白そうにニヤニヤ笑っていたのだが、当のコロヌスはそれに気づかなかった。
「なら、そうだな……」
そしてコロヌスは気づかないまま言葉を漏らし、それから「やはり直接見せた方が早いか」と呟いた。そして足を肩幅まで開いて重心を元に戻し、おもむろに右手を顔の真横にまで持ち上げた。
「あの、何を?」
「正体を明かすだけさ」
不思議そうに声をかける春美にコロヌスが答える。そして春美の視線を受けながら、コロヌスがおもむろに指を鳴らす。
次の瞬間、その鳴らされた指の中から炎が噴き出し、瞬く間にコロヌスの体を飲み込んでいった。
「え」
春美は三度唖然とした。その春美の眼前で、事態は着々と進行していった。コロヌスの頭頂部から足先までを包み込んだ炎は自らその形を変え、やがて数秒もしない内に鋭角的な全身鎧へとその姿を変えた。顔を覆う兜からはねじれた二本の角を生やし、背中からは赤く燃えるマントを垂らしていた。そして鎧の形をとった炎はなおも爛々と燃え盛り、街灯よりも眩い光を周囲にまき散らしていた。
その炎の鎧を纏ったまま、次にコロヌスは右手を横に流す。すると鎧を形作っていた炎の一部が右手に流れ、掌の中で凝集し、大きく膨れ上がって一振りの長剣へと姿を変える。コロヌスはそれを握りしめ、感触を確かめるように勢いよく眼前で振り回した。
「魔界騎士、というやつだ」
剣を振り終え、灼熱の鎧を身につけたコロヌスが声を放つ。その声は兜の中で反響し、くぐもった物となって外に響いた。
その声を聞いた春美は思わず尻餅をついた。腰砕けになった彼女は立ち上がることも出来ないまま唖然とした表情をコロヌスに向けていたが、そこに怯えや恐れといった要素は無かった。
むしろ「格好いい」と、目を輝かせてすらいた。
「納得してくれたか?」
鎧姿のコロヌスが剣を肩に担ぎ、春美に声をかける。春美は口を開けたまま何度も首を縦に振った。
そうして春美の理解を得られた後、鎧を消したコロヌスは彼女にこれからどうするかについてを説明した。
「私達の世界に君を招待しようと思う。来てくれるか?」
春美は頭をハンマーで殴られたような衝撃を味わった。これで四度目だ。春美は震える声で「いいんですか?」と尋ね、コロヌスは「むしろ何か悪いことでもあるのか?」とさらりと返した。
「そもそも君を夜に呼んだのも、我々が移動する所を不特定多数の人間に見られて、色々面倒にならないようにするためだったのだ。私は最初から君を向こうに連れて行くつもりだったのでな」「な、なるほど」
「それで、どうする? 来てみるか?」
「ぜひ! ぜひお願いします!」
そして結局、春美はコロヌスの招待に乗るのであった。
ソーラの生み出した「扉」を潜った先にあったのは、月夜をバックにそびえ立つ一つの古城であった。
コロヌスと出会ったあの城だ。高雄は懐かしさを覚えずにはいられなかった。一方で春美はそのいかにも中世ファンタジーの世界に出てくるような立派かつ無骨な外見の城を前にして、感動するかのように瞳を潤ませていた。
「凄い。本当に私、異世界に来たんだ」
その城を見上げながら春美が言葉を漏らす。既に炎の鎧を脱いでいたコロヌスはそんな感動に浸る春美の背中を軽く叩き、「驚くのはまだ早いぞ」と言ってからそこにいる全員に前進を促した。彼らはそれに従い、コロヌスを先頭にして城内に入った。
正門を抜け、中庭を通り、正面玄関の大扉を開けてメインホールに入る。ホールは広く開放感の作りをしており、奥には上階へ続く階段が、両側の壁面には他の部屋へ続く扉が、天井には豪奢なシャンデリアが吊されていた。
凄すぎる。春美はその生まれて初めて見る景色を前にして、まさに開いた口が塞がらないと言うような有様であった。
「あ、あは、ははははっ」
もはや笑うしかなかった。今の気持ちを言葉にすることは不可能だった。感動と喜びに心を震わせた彼女は、一人でホールの真ん中まで来ると同時にその場でぐるりと回転し、自分を取り囲む景色を全て視界に収めようと全身で周囲を見回した。
カメラのことなど頭から吹き飛んでいた。今は何も考えず、この世界にどっぷり浸りたい。春美は大きく口を開けて満面の笑みを浮かべながら、その場で子供のようにはしゃぎ回った。
「凄い! 凄い! こんな所に来れるなんて夢みたい! あはははっ!」
「とても喜んでおるようじゃのう」
その様子を遠目で見ながら、シュリがコロヌスに問いかける。コロヌスもそれに頷き、「連れて来た甲斐があったというものだ」と満足そうに言った。それから彼女は高雄の方を向き、「君も懐かしいだろう?」と楽しげに尋ねた。
「はい。とても懐かしいです」
高雄はすぐにそれに答えた。彼もまた、緊張と高揚で顔を赤くしていた。そしてそれを見たコロヌスは唐突にむらむらした。頬を赤らめる彼を素直に「可愛い」と思い、その思いはあっという間に彼女の理性を乗り越えた。そしてコロヌスは感情に身を任せるまま、彼に横から抱きついた。
「ちょっと、コロヌスさん? どうしたんですか?」
コロヌスの突然の蛮行に、当然ながら高雄は目を丸くした。コロヌスはそんな彼の頬に自分の頬を押し当て、熱のこもった声で彼に話しかけた。
「すまない。君がとっても可愛かったものでな。つい我慢出来なくなったんだ」
「さすがにここではまずいですよ。秋ヶ瀬さんもいるんですよ?」
「それはわかっているんだが、どうにも抑えられなくてな」
「そこは抑えてくださいよ」
「いっそのこと見せつけてしまおうか? 私達の関係を口で説明するより、ずっとわかりやすいと思うぞ」
「人の話を聞いてください!」
コロヌスの肩に手を置き、彼女を引き剥がそうと力を込めながら高雄が言い返す。しかし騎士の力は少年のそれを凌駕し、コロヌスは高雄の抵抗など歯牙にもかけずにその体にがっしりと組み付いて離れようとはしなかった。
アイビーとシュリ、ソーラの三人はそれに気づいていたが、助け船を出そうとはしなかった。全員がコロヌスと高雄に生暖かい視線を向け、その成り行きを静かに見守っていた。春美は依然異世界の空気にどっぷり浸っており、高雄達の方に気づくことは無かった。
まったく騒がしく、統率の取れていない有様であった。
「アイビー様、少々よろしいでしょうか?」
そんな彼らの元に、不意に兵士の一人がやってきた。彼は城主のコロヌスが「手一杯」である事を知るや否や、すぐさまその側近であるアイビーに話の矛先を向けたのであった。春美がその鎧を着込んだ兵士を見てさらに興奮する傍ら、問いかけられたアイビーもまた自然な動きでそれに答え、そして「どうかしましたか?」と彼に尋ねた。
「それが、コロヌス様に会いたいと仰っている方がおられまして」
「コロヌス様に? それはいつ頃の事ですか?」
「今日の夕方過ぎに来られました。それでその、その方は今も、奥の部屋でお待ちになられております」
「中に通したのですか?」
こちらの承諾も無しに他人を城内に入れたのか。そう視線で訴えるアイビーに対し、その兵士は肝を冷やしながら彼女に言った。
「それが、その、やって来られたのが姉君でございまして」
「え?」
「リザリス様がどうしてもコロヌス様に会いたいと、こちらで待っておられるのです」
兵士がそう答えるのと、コロヌスが抱きついていた高雄ごと何かに押し倒されたのはほぼ同時だった。
「な、なんだ!?」
派手な音がホールに響き、そこにいた全員が反射的にコロヌスと高雄に目をやる。浮かれていた春美もそれによって意識を無理矢理引き戻され、驚いたように目を見開きながら二人を見やる。
「い、いたた……」
「高雄、大丈夫か?」
そして床に押し倒されたコロヌスは、意識を取り戻すと真っ先に高雄の心配をした。彼女と横並びに倒された高雄は痛そうに後頭部を手で押さえていたが、そのコロヌスの視線に気づくと彼は涙目のまま無理矢理笑って答えた。
「だ、大丈夫です。このくらい平気です」
「本当に平気か? 血とかは出てないか?」
「は、はい。それは」
「それは大丈夫。私がちゃあんと障壁でカバーしてあげたから」
その時、彼らの頭上で女の声がした。高雄の返答を遮るように放たれたそれを聞いて、当の高雄は「誰が来たの?」と不安に駆られた。一方でコロヌスは高雄の横で渋い表情を浮かべ、困ったようため息を一つついた。
「ステルスでちょっかいをかけるのは止めてくれませんか?」
そして高雄を抱き抱えたまま上体を起こし、彼の肩に手を回した状態でコロヌスが声をかける。高雄は彼女が誰に話しかけているのか不思議に思ったが、次の瞬間、彼の眼前の空間が渦を巻いて捻れていった。
「な、何? どうしたの?」
「安心しろ高雄。敵じゃない」
不安がる高雄をコロヌスが落ち着かせる。その間にも彼らの目の前に生じた捻れはどんどん大きくなっていき、そして渦が彼らの背丈と同じくらいに大きくなり、内に向かう回転が止まった次の瞬間、その捻れの中から一人の女性の顔が飛び出してきた。
瞳は大きく、眉は太い。美人ではあるが、彼女が持っていたのはコロヌスのような凛々しい美しさではなかった。それはむしろおっとりとした、柔和な雰囲気を湛えた美女であった。
首だけ出していたのが途轍もなく不気味であったが。
「は?」
「ふう」
そうしてそれを見て呆気に取られる高雄の目の前で、その生首だけの女性は大きく息を吐いた。次に彼女は僅かに首を捻り、顔の両側から腕を出した。そして露わになった両手を動かして捻れの縁を掴み、声を上げて力を込めた。
「よいしょっと!」
すると今度はそれに引っ張り上げられるようにして、全身が捻れの中から飛び出してきた。そうして勢いよく飛び出した女性はゆっくりと宙を舞い、やがて二本の足でコロヌスと高雄の前に着地した。
「安定の着地!」
女性がお茶目っぽく声を放つ。一方でその全身像を見た高雄は思わず息をのんだ。
腰まで伸ばしたふわふわの金髪。金の刺繍が刻まれ、ボディラインを強調するように体にフィットした赤いドレス。ドレスの胸元は大きく開かれ、妖艶な魅力を醸し出していた。
正直言って目に毒であった。「大人の色気」を全身から放つ彼女の姿はどこまでも扇状的で、男の劣情を嫌でもかき立てるものであったのだ。そして優しげな顔立ちと過激な服装とのギャップが、また男の欲を刺激するのであった。
「ハァイ、コロヌス。元気そうで何よりだわ」
そうして全身を露わにしたその女性は、何事も無かったかのようにコロヌスに声をかけた。その顔立ちと同じように柔和な口調であった。コロヌスもまたその女性に対して片手をあげ、「まったくいたずらも大概にしてください」と苦笑混じりに返した。
「いつも通りですね」
「全くじゃのう」
そしてその闖入者を前にして、アイビー達は全く警戒していなかった。件の兵士も驚きこそしていたが、腰に携えていた剣を抜いたりはしなかった。しかし異世界から来た高雄と春美は何が何だかわからず、その女性に対して不安と警戒の入り交じった眼差しを向けていた。
「だから、大丈夫だ。この人は敵じゃない」
そうして肩に力を込める高雄の頭を撫でながら、コロヌスが優しく告げる。高雄はそれを聞いて「じゃあこの人は誰なんですか?」と問いかけ、コロヌスはその女性を見つめながらそれに答えた。
「リザリス・ウル・トリスタータ」
それに対し、コロヌスは静かにそう告げた。高雄は目を丸くし、そしてコロヌスとリザリスを交互に見やった。
「それって、もしかして」
「私の姉だ」
高雄がリザリスに目を向ける。金髪を揺らし、たわわに実った胸を持ち上げるように腕を組んだリザリスは、その彼の視線に気づいて軽く手を振りながら声をかけた。
「よろしくね。藤澤高雄ちゃん」