新聞部員、のっけから度肝を抜かれる
結局松田が燃えた件については、明確な証拠も無かったために有耶無耶の内に流されることになった。コロヌスについても彼女がやったと証明できる物はどこにも無かったので、お咎め無しという結果に落ち着いた。
そもそも最初にちょっかいをかけてきたのは松田であること、そしてその松田は己の腕力を頼みに常日頃から学園内でやり放題やっていた鼻つまみ者であったことから、そんな松田を撃退したコロヌスを非難する者は殆どいなかった。それどころか彼女をヒーローと称える者まで現れる始末であった。
「どうしてあんな馬鹿が野放しになっているんだ? 教員連中は何をしているんだ?」
しかし当のコロヌスはそんな周囲からの賞賛の声には目もくれず、あんな男がなぜ今まで放置されていたのかという疑問で頭をいっぱいにしていた。それに対しては翌日の昼休み、いつものようにコロヌスと高雄とアイビーの三人で固まって昼食を取っていた際にアイビーが説明した。
「どうやらあの松田という男、ボクシングの全国大会で二位に入るほどの強豪選手らしいですね。十年に一人の逸材と呼ばれるまでのポテンシャルを秘めており、実力もそれ相応にあるのだとか」
「だから、返り討ちを恐れて誰も注意しないと?」
「そういうことになりますね。そして松田もまたそれをいいことに、学内で散々暴れ回っているようです。さらに一部からは、彼は裏で生徒会とも繋がっているとか」
「つまりは生徒会にとって邪魔な人間を、彼らに代わって松田が潰す。そしてその見返りとして、生徒会は松田の悪行を揉み消している。そんな噂もあるんですよ」
その時突然、アイビーとは違う声が彼女の隣から聞こえてきた。コロヌスと高雄は揃って声のした方に視線を向け、そしてそこに一人の女生徒がいることに気がついた。
その女子はアイビーの隣に椅子を置き、そこに腰を下ろして焼きそばパンと牛乳パックを手に持っていた。亜麻色のショートヘアを持ち、目を大きく見開いた、活発な雰囲気を持つ少女であった。
「誰?」
そんな未知の少女を目の当たりにしたコロヌスが呆然と呟く。高雄も言葉にこそしなかったが、彼女と同じ気持ちを抱いていた。そんな二人に対し、アイビーがその自分の隣に座る女生徒を手で指し示しながら彼女の説明を始めた。
「こちらは秋ヶ瀬春美様。新聞部に籍を置く一年生でございます」
「どうも、秋ヶ瀬春美と申します。よろしくおねがいしますね?」
春美はアイビーに続くようにそう言ってから敬礼し、次いで軽くウインクをする。元気だなあ、とダウナー気味に考えながら、コロヌスがアイビーの方を向いて彼女に言った。
「いつ仲良くなったんだ?」
「転校した次の日にです。一人で動くよりも内部の人間に助力を請う方が、効率的に学園内の情報を集められるかと思いまして」
「それで同学年で新聞部をやっている私に白羽の矢が立ったって訳らしいです。確かに新聞部は色んな情報集めて回ってますから、理には適ってますよね」
春美がアイビーの後を継いでそう言った。コロヌスはそれを聞いて「なるほどな」と納得したように頷き、そのまま続けてアイビーに尋ねた。
「それで? その新聞部の人が、なんで私達のところにいるんだ?」
「なんでも私に学園内の情報を提供した見返りとして、私達のことについて取材がしたいそうです」
「取材? 新聞にでも載せるのか?」
コロヌスが眉をひそめる。春美は慌てたように顔の前で両手を振り、「なんでもかんでも記事にするつもりはありませんよ」と言ってから言葉を続けた。
「もっと言うと、取材って訳でも無いんですよ。純粋に、ちょっと皆さんの事について興味がありまして。それで個人的にもっとお近づきになりたいなー、なんて思ったわけですよ」
「近づいてどうするんだ」
「どうもしませんよ。本当にお二人のことを知りたいだけなんです。前触れもなくいきなり現れて、それまで誰も気に留めていなかった男子生徒といきなり懇ろな関係になって、そしてちょっかいを出してきた不良をボコボコにした謎の美人転校生。これもうどう見ても不思議の塊じゃないですか? 興味持たない方がおかしいですよ?」
ねっ? ねっ? そう一息にまくしたてる春美の目は、明らかに知的好奇心で輝いていた。コロヌスと高雄はそんな彼女の勢いに少し圧倒されたが、コロヌスの方はすぐに「そ、そうか」と気を取り戻し、顔から動揺を消し真面目な表情を浮かべて言った。
「君が私達に興味を持っているのはわかった」
「そうですか? ありがとうございます」
「しかし、君は私達の事が怖くはないのか?」
「怖いとは?」
「松田の一件は知っているだろう。自分もああなるんじゃないかとか、そんな事思ったりはしないのか」
「他の人達みたいに?」
春美が同じように笑みを消して問い返す。コロヌスは目を細め、アイビーは「随分ストレートですね」と感心したように呟き、高雄は自分の周囲の空気が暑くなってくるのを感じた。
「そうだ。君も私が怖いんじゃないか?」
松田の一件以来、コロヌスを英雄視し、憧れの感情を抱く者も確かに増えた。しかしその一方で、謎の力を使って松田を火達磨にしたコロヌスに恐怖を覚える者も少なからず存在した。現に彼女のいるクラスの中にもコロヌスを恐れる者はそれなりにおり、あからさまに彼女を避ける者までいる有様であった。
「怪物か何かを見るような目で私を見てくる連中もそれなりにいる。君はどうなんだ? 本当に仲良くなりたいから私達のことを知りたいのか? それともただ単に、怪物の中身を知りたいだけなのか?」
春美は即答しなかった。ただコロヌスの顔をじっと見つめるだけで、一言も言葉を発しなかった。しかしそのコロヌスを見る顔は穏やかで、少なくとも「怪物」に恐怖している類のものではなかった。
「それの中身を知らないまま、それの価値を決めてはいけない」
そしてその内に春美が呟く。耳聡く聞きつけたコロヌスが「どういう意味だ」と尋ねると、春美は小さく笑って「ただの受け売りです」と答えた。
「受け売り? 誰の?」
「父のです」
春美が澱みなく答える。そこで初めて高雄が口を開く。
「秋ヶ瀬さんの父親はどんな仕事をしてるの?」
「まあその、カメラマンです。色んな所に行って、色んなものを撮ってるんですよ」
春美は高雄の問いかけに対しても嫌な顔一つせずに答えた。少し躊躇いがあったが、高雄は問い詰めようとはしなかった。それから春美は続けて、「父さんは色んな事を教えてくれたんです」と言った。
「人には常に敬語で話しなさい。情報は念入りに、出来る限り複数のルートから集めなさい。何事にもまずは疑ってかかりなさい。相手を第一印象だけで好き嫌いするのはやめなさい、みたいな感じに」
「素晴らしい父君だな」
「はい。私の誇りです」
コロヌスが賞賛し、春美もそれに頷いて答える。そして春美は「だから父の教え通り、まずは知りたいんです」と言って、再びまっすぐコロヌスを見た。
「あなたが怪物なのか、ヒーローなのか。本当の事が知りたい。全部知って、それからあなたを判断したいんです。お願いします。どうか私に、本当の事を教えてくれませんか?」
あなたは何者なんですか? 春美はどこまでもストレートに己の疑問をぶつけてきた。高雄はそんな風に問いかけてきた春美を見て「なんて怖い物知らずな人なんだ」と内心冷や汗をかいた。
「そこまで知りたいか。君こそ知的好奇心の怪物だな」
そしてコロヌスもまた、春美に向かってド直球な表現を用いた。高雄は即座にコロヌスに視線を移し、「あなたもあなたで自重してください」と流す冷や汗の量を更に増やした。
アイビーはそんな両者を交互に見ながら「二人ともいい根性してますね」と牛乳を飲みながら他人事のように呟いた。
「わかった。そこまで言うなら、君の求めに答えるとしよう」
そして結局、折れたのはコロヌスの方だった。そして驚く高雄と顔を輝かせる春美の前で、コロヌスは続けて「今週末の夜に連絡するから、その時指示した場所に会いに来てくれ」と言った。
「何か必要な持ち物はありますか?」
「特にないな。強いて言うなら、動きやすい服装で来てくれると助かる」
「カメラとかは大丈夫ですか? プライバシー的にまずかったりします?」
「問題ない。持ってきても構わんぞ」
「わかりました。それじゃあ電話番号送っておきますね」
「ではこちらも渡しておこう。赤外線でやれるだろうか?」
「えーと、トリスタータさんのがそれで、私のがこれだから……はい、大丈夫です。機種的に問題は無いですね」
「じゃあ送るぞ」
「はーい」
それから春美とコロヌスはとんとん拍子に話を進めていき、そのまま互いの電話番号を交換した。アイビーと高雄の意志は完全に無視されていた。
しかしこの時、高雄は二人が勝手に話を進めていることよりも、「異界」の住人であるはずのコロヌスが「こちらの世界」のブツである携帯電話を平然と使いこなしていることの方に驚いていた。高雄はその理由を聞こうとアイビーに目を向け、そして視線から相手の意図を察したアイビーは彼に小声で答えた。
「リザリス様が説明書と一緒に送ってきてくださったんです」
「リザリス? 誰ですか?」
「コロヌス様の姉君です。リザリス様は異界マニアでございまして、異世界の情報やら物品やらを独自に集めていらっしゃるのです」
そんな姉が、異世界で厄介になっている妹を助けるために、自分のコレクションの一つである文明の利器――コロヌスの向かった世界で使われている「携帯電話」と呼ばれるアイテムを届けてくれたのだ。アイビーはそう説明した。高雄はその説明を聞いて納得したが、一方で「また濃い人が出てきたなあ」と苦笑いを浮かべた。
「異界マニアってなんなんですか? 聞いたこと無いんですけど」
「言葉通りですよ。異世界ラブなお人のことです。まあ、この場合は実際に会ってみるのが一番かもしれませんね」
そして高雄の問いにアイビーがそうはぐらかすように答えるのと、コロヌスと春美の間で調整が終わるのはほぼ同時であった。その後春美は殆ど手をつけてない焼きそばパンと牛乳パックを持ちながら席から立ち上がり、「金曜の夜に会いましょう!」と元気良く声をかけて教室から出ていった。周囲のクラスメイトが不思議そうにその後ろ姿を追いかける一方、アイビーはため息混じりにコロヌスに問いかけた。
「よろしかったのですか? あのような約束をしてしまって」
「知りたいと言ってきたから明かすまでだ。何の問題も無い」
自分からバラしていく必要もないが、必要以上にコソコソ秘密にする程のものでも無いだろう。コロヌスはそう答えた。アイビーと高雄も特に心配や不満があった訳ではないので、コロヌスがそう言うならそれでいいかと開き直ることにした。
「それに、あいつは私達のことを知りたいと言ってきた」
そしてメイドと少年が揃ってそう思った時、不意にコロヌスが口を開いて言った。アイビーは「それがどうかしたのですか?」と問いかけ、コロヌスは彼女の方を見ながらそれに答えた。
「他の連中は私達の事を上辺だけで判断している。だがあいつは印象だけで判断せずに、私達のことをしっかり見ようとしている。嬉しい事じゃないか」
「たとえそれがただの好奇心から来ている事だとしてもですか?」
「大いに結構。少なくとも周りの噂に流されて、自分から動こうとしない連中よりかはよっぽどマシだ。全ては知ることから始まるのだからな」
アイビーの問いに、コロヌスは堂々たる口調でそう答えた。それから彼女は視線をアイビーからその背後にいるクラスメイトに向け、その視線を感じた女子のグループは逃げるように俯いた。
「だから私は全部晒すぞ。正体も明かすつもりだ。別に後ろめたいことをやっている訳じゃないんだ。何の問題もあるまい?」
そしてそのグループから目線を逸らしつつ、コロヌスが言ってのける。アイビーと高雄はその姿を見て、共に一つの思いを抱いた。
「これはもう梃子でも動きそうに無いですね」
「ですね」
こうなったコロヌスはもはや止めることは出来ない。彼女の作った流れに従うしかない。アイビーと高雄は同じ事を考え、そして不安そうにため息をついた。
そして時間は過ぎ、金曜の夜。秋ヶ瀬春美は首からカメラを提げ、ノートとペンを入れた小さいバッグを背負いながら、上機嫌で指定された公園へと向かっていった。いったいそこで何が見れるのだろう。春美は未知の事象に対する危機感などは欠片も抱かず、ただ期待と興奮に胸躍らせながら目的地へと向かった。
目当ての公園は自宅から歩いて十分という所にあった。深夜なこともあって人気は全く無く、不気味な静けさに包まれていた。しかし規則的に置かれた街灯によって、公園の中はある程度の明るさが確保されていた。
「おお、来たか」
そうして街灯に照らされた公園の中には、既にコロヌスの姿があった。そして春美に向けて声をかけてきた彼女の周りには、既に学園で知り合ったアイビーと高雄、そして初めて会う女性がいた。
コロヌスら三人は学園の制服を着ていたが、その女性は違った。その女性は水色の和服を華麗に着こなし、頭からふさふさな狐の耳を生やし、後ろではこれまた毛で覆われた尻尾を何本も揺らしていた。こちらもまた狐のそれを思わせるような色合いと形をしていた。
あの人はいったいなんなんだ? 春美はその女性の姿を認めるや否や、一も二もなくそちらへ駆け出した。本当にあの人は何者なんだ。彼女の期待は今やはちきれんばかりに膨れ上がり、知識欲が彼女の体を突き動かしていた。理性は沈黙し、警戒心もまた完全に心から消え去っていた。
そんな彼女がコロヌスの足下にいる「それ」に気づいたのは、彼女がコロヌスの数メートル先まで近づいた時だった。
「え?」
その存在を認識し、ここでようやく警戒心が息を吹き返す。そうして鳴らされる警鐘に従うまま、慌ててその場に立ち止まる。そして春美は目を凝らし、注意深くそれの存在をじっと見つめた。
犬かな? 最初はそう思った。首輪をつけ、そこからリードを伸ばし、四つん這いでコロヌスの傍にいたそれを、春美の頭は当初そう認識した。しかし彼女の思考回路はすぐに、それが犬ではないと理解してしまった。
あれは犬ではない。あんな大きな犬はいない。
「わん! わん!」
あれは人間だ。
「こらポチ! 真夜中に騒ぐでないわ!」
和服の女性が叫んだのは、まさにその時だった。獣の耳を生やした和服の女性はそう声高に叫び、そしてその四つん這いの人間に向かって鞭を振り下ろした。四つん這いの人間――銀色の髪を備えた小柄な少女は服を着ておらず、その無防備な背中に勢いよく鞭がぶち当たった。
空気を裂く打擲音が辺りに鳴り響く。
「わふううううん!」
そしてそれから一拍遅れて、犬のような少女の雄叫びが公園の中に木霊した。その声には艶があり、涙を流して舌を突き出しながら鞭の余韻に浸るその顔は明らかに喜んでいた。
「わ、わん、わふう……ん」
「まったく、躾のなってない犬はこれだから困る。もういっぺん叩かないとわからんのかのう?」
「シュリさん、あの、何も知らない人が来ているので、程々にお願いします」
そうしてハアハアと肩で息をしながら物欲しげに自分を見上げてくる少女に対して鞭を持った獣耳の女性がそう吐き捨てる。すると高雄が女性の隣まで近づいて注意を促し、そこで初めて件の女性は春美の存在に気づいたのだった。
「ん? おお、そなたがコロヌスの言っていた女子か。よう来た。歓迎するぞ」
そして春美を見つめながら、そのシュリと呼ばれた女性は何もなかったかのように自然な態度で彼女に話しかけた。しかし手に持った鞭は隠そうとはしなかった。春美は返答も出来ずに暫し呆然とした後、思い出したようにコロヌスの方を向いて彼女に問いかけた。
「あ、あの、これなんなんですか? SMか何かなんですか?」
「そうだ。わんこプレイだ」
コロヌスは即答した。「それがどうかしたのか?」と言わんばかりの、堂々たる物言いであった。あまりに開き直った言い方であったので、春美は何と返していいかわからず、ただただ口を開けて呆然とするしか無かった。
そして不意打ちを食らって言葉に詰まり、「ああ、うん、そうなんだ」と曖昧な声を漏らす春美に向かって、コロヌスはニヤリと笑いながら彼女に問いかけた。
「さあ準備をするんだ。これからもっと凄い物が見られるぞ」
しかしその言葉が春美の脳内に到達する事はなかった。彼女はこの時、時折思い出したように振り下ろされる鞭の動きと、それを食らって嬉しそうに吼える少女の姿を呆然と視界に納めていた。それのインパクトが強すぎて、他の事象に頭が回らなかったのだ。
結局、ショートした春美の思考回路が復旧するのは、それから三分後の事であった。