魔界騎士、目立つ
コロヌスとアイビーはあっという間にクラスに溶け込んだ。コロヌスは外見の凛々しさとは裏腹に人当たりの良い性格をしているというギャップが、アイビーはひたすら丁寧で物腰の柔らかい姿勢が受けに受け、その日の午後のホームルームが終わる頃には一躍クラスの人気者となった。なお女子高生と言うには明らかに違和感を覚えるモデル顔負けの顔つきと体つきもまた、彼女らの注目度を否応なしに上げる要因の一つとなっていた。
「ねえねえコロヌスさん、どこの部活に入るか決めた?」
「アイビーさんは文化系の部活とか似合いそうよねー。あ、でも案外運動部とかもいけそうかも?」
「あー、大人しそうなくせして実は、ってやつ? それありそうかも。ていうか本当にありじゃね?」
「でもやっぱり文化系だよ! そっちの方が似合うって! 絵描いたりとか本読んだりとか、そっちの方が絶対似合う! 絶対だって!」
そして放課後、コロヌスとアイビーの周りには何人もの女生徒が取り巻いていた。この時コロヌスは高雄の席に、アイビーはコロヌスの席についていた。その姿は一見すると、日本の学校に慣れない留学生に対して元からいた女生徒達が親切に案内をしているようにも見えた。
しかし実際は、彼女達は相手の意見などそっちのけで好き好きに議論を始めていた。転校生二人は口を挟むことも許されず、トークの勢いに若干気圧されてすらいた。
「こちらの世界の女子は結構押しが強いのだな」
「面の皮が厚い、とも言いますが。もう少し相手の事を気にしても良いとは思いますね」
そんな自分達の目の前でキャイキャイ騒ぐクラスメイトを前にして、コロヌスとアイビーは共に思念波を飛ばして会話した。二人は自分達を取り囲んで騒ぐ女生徒達が所謂「悪い人間」ではないことに気づいていたが、それでも「もう少しこちらのことを慮ってくれ」とも思っていた。
「まだまだ子供ということか」
「そのようですね」
そして彼女らより何百年も多く時を生きてきた魔族二人は、結局そう結論づけて我慢する事にした。それからコロヌスとアイビーは愛想笑いを浮かべ、偶に相槌を打ちながら、その女生徒達の一方的な話に付き合った。
別に部活云々の話に興味があったからではない。彼女達は先程からトイレに行っていた「ある人物」を待っていたのだ。
「ごめんなさい、待ちましたか?」
やがてその人物がドアを開けて姿を現した。それを認めたコロヌスは「来たか!」と見るからに嬉しそうに表情を明るくして勢いよく腰を上げ、アイビーもまたそれに続いて椅子から立ち上がった。
「大丈夫だ。そんなに待ってはいないよ」
「そうですか。じゃあもう帰りますか?」
「そうするとしよう。君の家まで案内してくれるんだったな?」
「いいですよ。そういう約束でしたしね」
立ち上がったコロヌスと新たにやってきた男子生徒が言葉を交わす。それからコロヌスとアイビーはそれまで自分達を囲んでいた女生徒達には目もくれず、まっすぐにその男子生徒の元へと向かった。そして三人は転校生二人が男子生徒を挟み込むように並び、会話を弾ませながら正面玄関へと向かっていった。
この時コロヌスとアイビーが浮かべていた表情は見るからに楽しげであり、それまで見せていた愛想笑いとは明らかに異なるものであった。
「え、なにあれ」
「どういうこと?」
それまで取り巻いていた女生徒達は、一様にその光景を唖然とした顔で見つめていた。自分達の事は程々にあしらっておいて、なんであれにはあんな楽しげに接しているんだ? コロヌス達が適当に相槌を打っていた事に目聡く気づいていた彼女達は、その心に等しく疑問と嫉妬を抱いた。
「ていうか、誰あれ?」
「さあ? あたし知らないけど?」
「え、マジで誰よあいつ? ウチのクラスにあんなのいた?」
そして女生徒達は同時にその男子生徒に対して疑念を抱いた。それから話題はすぐにその男子生徒の事へと移っていったが、結局その男子生徒が誰なのか気づいた者はいなかった。
今まで自己アピールをしてこなかった藤澤高雄は、クラス内では既に「いないもの」として扱われていたのであった。
一方で転校した次の日から、コロヌスは猫を被るのを止めた。授業の合間の休み時間や昼休み、そして放課後に至るまで、彼女は何か用事が無い限りは常に高雄と共にいるようになったのであった。彼を軽視していたクラスメイト達は一様に驚き、その存在を再認識するまでに至った。
「それで、ここはどうすればいいのだ?」
「ここはね、こうしてこうすれば……」
「おお、そうか。そう言うことだったのか。いや、助かったよ。ありがとうな」
学校でのルール、授業でわかりにくかった部分、こちらの世界の常識など、コロヌスはそう言ったありとあらゆる事を高雄に尋ね、高雄もまたそれに快く答えていった。その間、他のクラスメイトは眼中になかった。
もちろん他の生徒達との関わりを捨てた訳ではない。話を振られればしっかり答えたし、相手の質問にも不都合の無い範囲で快く答えた。しかし自分から話の輪の中に首を突っ込むようなことはせず、彼女が自分から声をかけるのは決まって高雄とアイビーだけであった。話題の彼女の姿を見ようと上級生が教室にやってくることもあったのだが、「高校一年生」であるコロヌスはそんな先輩からの誘いさえも一蹴し、二人と組むことを優先したのであった。
「アイビー、高雄、昼になったぞ。腹ごなしに行こう」
「はいはい」
「大声で言わなくともわかりますよ。では参りましょうか」
「うむ。さあ行くぞ、すぐ行くぞ。時にアイビー、今日は何を作ってきたのだ?」
「今日はシンプルにサンドイッチです。コロヌス様と高雄様と私、ちゃんと三人分用意してきました」
「アイビーさん、いつもすいません。朝だけじゃなくてお昼まで作ってもらって」
「構いません。私が好きでしていることですから」
そして高雄とアイビーもまた、コロヌスの問いかけに自然な態度で答えた。一緒に転校してきたアイビーはともかく、なぜ高雄までがそんな態度を取るんだ? 残りのクラスメイトはすぐにその関係を疑った。
「もしかしたらあの転校生達と高雄はデキてるんじゃないか?」
「同棲してるのかも」
「昼飯作ったとか言ってたしな」
「ひょ、ひょっとして、もうヤるところまでヤったとか?」
そんな噂が生まれるのに大して時間はかからなかった。そしてその根拠のない噂は、まるで伝染病のように瞬く間に学校中に広まっていった。そして噂を聞いた者の中にはそれを真に受ける者もおり、あからさまに高雄に対して嫉妬と劣等感を抱く者も現れた。
なにせ「絶世の美女」と言っても不思議の無い転校生二人を当たり前のように侍らせ、人目もはばからずに仲良さげにしていたのだ。特に自分の外見や能力に自信を持っていた者、自分より影の薄かった彼を見下して優越感に浸っていた者としては、全く面白くない状況であった。そして誘いを断られた上級生もまた同様の念を抱いていた。
こうして、それまで他の生徒達から全く無視されてきた藤澤高雄という存在は、一変して興味と羨望、嫌悪と嫉妬の対象として一躍時の人となったのであった。
「放っておけ、放っておけ。よその視線なんぞ無視しておけばいいのだ」
そしてそんな周りからの注目が高まっている事を自覚した高雄は当然のようにコロヌスに相談を持ちかけたが、彼女はそう言って高雄の頭を軽く叩いた。魔界騎士とそのメイドが転校してから五日目、昼休みの教室の中での事だった。この日も当たり前のように高雄とコロヌスとアイビーの三人で固まって食事をとっており、その中でコロヌスは高雄からの問いにそう答えたのであった。
「しかし、ここは随分と大きいのだな。他の学校もこんな感じなのか?」
そして話題を逸らすように、コロヌスが高雄に話しかける。高雄はそれを聞いて「ここが特別大きいだけですよ」と答えてから続けて言った。
「他の学校はもっと小さかったりしますよ。ここはいわゆるマンモス校って呼ばれてる学校で、こういう場所の方が少ないんです」
全校生徒千三百人超。この明星学園は都心部に近く、周囲に高層マンションが建ち並ぶ人口過密地帯でもあったので、自然と学校の規模も「マンモス校」と呼ばれる程に大きくなっていったのだ。高雄からそう聞いたコロヌスは納得すると同時に続けて彼に問いかけた。
「しかし[まんもす]とは? こちらでは大きな物をそう呼ぶのか?」
「物の例えですよ。マンモスっていうのはあくまで学校についての例えであって、なんでもかんでもマンモスって表現する訳ではないです」
だからここにはいろんな人がいるんです。高雄の返答に、コロヌスとアイビーは揃って感心した声を上げた。それからアイビーは「面白い所ですね」と言ってからサンドイッチを頬張り、一方でコロヌスは食べかけのサンドイッチを持つ手を止めて扉の外に目を向けながら高雄に問いかけた。
「色々というのはつまり、頼もしい者もいれば素行不良の者もいると言うわけか?」
「まあ、ガラの悪い人も何人かいますけどね」
「なるほど、だからああいうのがいてもおかしくはないと」
コロヌスの言葉に高雄が気づき、咄嗟にドアの方に目を向ける。そこには制服をだらしなく着崩した見るからに素行の悪そうな三人の男子生徒が立っていた。真ん中の独りは髪を金色に染め、残りの二人は頭髪を刈り上げていた。彼らはじっとコロヌスを見つめ、ニヤニヤと不快な笑みを浮かべていた。
「あれは誰だ?」
「真ん中にいるのは松田。三年生でボクシング部の主将です。両隣の二人はそれぞれ宮本と吉田。共にボクシング部の部員です」
眉をひそめるコロヌスにアイビーが答える。彼女はここに来る前にこの学園の全校生徒と教師の顔と名前を覚えてきていたのだった。
それからコロヌスは取り巻きに目を移して「どっちがどっちなんだ?」と返し、アイビーはそちらを向くことなく「そこまで知る必要も無いでしょう」とあっさり答えた。
「雑魚の顔を一々覚えていたらキリがありませんよ」
「お前は全部覚えて来たんだろう?」
「あなたがそこまでする必要は無いということです」
「おいてめえら! ふざけた事抜かしてんじゃねえぞ!」
そんなコロヌスとアイビーの問答は、向こうの三人組にもばっちり聞こえていた。そして雑魚呼ばわりされた取り巻きの一人が眉間に皺を寄せて怒鳴り散らし、高雄は思わず肩を竦めた。
大丈夫だ。コロヌスはそんな高雄の肩に手を置き、そして椅子から立ち上がって松田ら三人に向き直った。
「私に何か用か?」
「その通り。察しが良くて助かるぜ」
松田がニヤニヤ笑いながら答える。彼はポケットに手を突っ込み、背を丸めてこちらを睨みつけていた。威嚇のつもりだろうか? コロヌスは真面目にそんな事を思った。
そう思案していたコロヌスに向かって、松田が続けて話しかけた。
「どうだ? お前、俺らと一緒に飯食わねえか?」
「断る」
即答だった。それだけ答えてコロヌスは元の席に戻り、平然と食事を再開した。
「ふざけてんじゃねえぞコラ!」
それを見た松田は激昂した。ドアの縁に拳を叩きつけ、噛みつくようにコロヌスに叫んだ。
「てめえ、一年の癖にいい度胸じゃねえか。先輩様に楯突こうってのか? ああ?」
「うるさい奴だ」
「付き合ってあげてはいかがですか? おそらくあれは自分の思い通りにならないと気が済まないタイプのようですし」
しかしコロヌスは怯える素振りを見せず、アイビーがそんな彼女に声をかける。そのアイビーの口調もまた嫌々と言った感じであり、相手に対する敬意は皆無であった。
それがさらに松田の神経を逆撫でした。
「いい加減にしろ! 俺の言うことが聞けねえってのかよ!」
「松田さん、一回ヤキ入れてやる必要あるんじゃないですかね?」
「そうっすよ。さっきからお高く止まりやがって。世間知らずの留学生様に、一度この学園のルールって奴を教えるべきっすよ」
取り巻きがそれに同調するように囃し立てる。それを聞いた松田は嗜虐的な笑みを浮かべ、「それもそうだな」と答えながらまっすぐコロヌスを睨んだ。
高雄は生きた心地がしなかった。アイビーは黙々とサンドイッチを頬張っていた。コロヌスは食事を中断してため息を一つ吐き、そしておもむろに右手人差し指を伸ばして松田に向けてそれを突きつけた。
「ああ? てめえ何してやがる」
「どこまでも生意気な野郎だぜ。殺されてえのか?」
取り巻きが思い思いに声を荒げ、思う存分メンチを切る。
その次の瞬間、横にいた松田の体が発火した。
「え」
突然横から熱波が来たことに驚き、取り巻き二人が松田に目を向け、そして唖然とする。そして彼らが視線を寄越した時、松田は既に半狂乱の状態に陥っていた。
「ひ、ひいい、熱、熱い! 熱いいい!」
両腕を振り回し、何度もその場で飛び跳ねて陽を消そうとする。しかし服ごと体を焼き尽くす炎は一向に消えず、やがて松田は痛みと熱さに耐えかねて床の上に転がった。
火は消えなかった。取り巻き二人も何とか火を消そうとしたが、その松田を燃やす炎は彼らの介入を拒むように轟々と燃え盛っていた。
「どうなってんだよこれ! どうなってんだよ!」
「俺が知るか! いいから消すんだよ!」
「そろそろよろしいのでは?」
取り巻きが無駄な努力を続ける一方、サンドイッチを食べ終えたアイビーがコロヌスにそう話しかけた。
「これ以上やると大事になりますよ。よその世界で死人を出すわけにもいかないでしょう」
アイビーの言う通り、既に教室とその周囲は騒然となっていた。コロヌスはそれを聞いて「仕方ないな」と嫌そうに顔をしかめてそう答え、それからおもむろに指を鳴らした。
「……へっ?」
直後、松田を覆っていた炎が一瞬で消えた。炎はその上の部分から赤く光る粒子へと変わっていき、彼を残して方々へ散っていったのであった。そして最後に残された松田の体は、それまで燃やされていたのが嘘のように綺麗な姿を保っていた。服が焦げていることも無ければ火傷を負っていることも無く、皮膚の水分が蒸発して煙を吐いているようなことも無かった。
「へっ、へへへへっ」
しかし床に尻餅をついていた松田は傷を負わない代わりに、全身から滝のような汗を流していた。口から壊れた笑い声を吐き出していたその表情は完全に怯えきっており、歯の根が合わないようにガタガタ震えながら焦点の合わない視線をコロヌスに向けていた。
「な、なんだよ、なんだよこれ。なんなんだよお前」
そして松田が弱々しく呟く。コロヌスがそんな松田に視線を向ける。その冷たい視線を受けた瞬間、松田とその取り巻きは揃って小さい悲鳴を上げた。彼らは完全に抵抗の意志を無くし、捨てられた子犬のような眼差しを向けていた。
その三人を前にして、コロヌスが静かに言った。
「次は本当に燃やすからな」
それに対する松田とその取り巻きの返答は迅速なものだった。彼らは一斉に立ち上がり、尻を蹴り飛ばされるように大慌てで逃げ出していった。しかし騒然とした空気はなおも残り続け、そして松田とすれ違うように教師の一人が教室の前まで走ってきた。
「おい、いったいどうしたんだ? 物が燃えたとか聞いたが、いったい何が起きたんだ?」
教師はここで何が起きたのかわからないようであった。そして教師から事情を聞かれたクラスの人間は一斉にコロヌスを見たが、それから何をどう説明すればいいか全くわからず、結局誰も彼もが口を半開きにしたままその場で硬直していた。
「どう説明するんです?」
「はぐらかすだけさ」
そして高雄からの問いかけに、コロヌスはそう答えた。それから彼女は周りの視線に気づきながらも、それを全く気に留めない調子で続けて言った。
「嘘も方便という奴だ。本当の事を話したところで信じてくれないだろう?」
本当に大丈夫かな。高雄はコロヌスの言葉に納得しつつも、それでも不安を拭いきれずにはいられなかった。