魔界騎士、異世界から男の子を呼びつける
「このバカチンがァ!」
赤髪の女が放った左ストレートが顔面に決まり、銀髪の少女が真後ろへ吹っ飛んだ。その漆黒のローブを纏った少女はとんがり帽子を頭から吹き飛ばしつつ石畳に激突し、苦しげに呻き声を漏らした。
「き、きもちい……じゃなくて痛い。なんてことするんですかぁ・・?」
「お前が失敗するからだ! あの有様を見ろ!」
そしてその少女は一瞬悦び、すぐに半泣きの顔になって恨めしそうに言葉を放つ。対する彼女を殴った赤髪の女は、その顔を怒りに歪めて声を荒げた。そして赤い鎧を着こんだその女は顔を怒らせたまま、自分達の立っている城壁の下にある中庭を指さした。
彼女の護衛役である兵士達もそれに従うように中庭に目を降ろした。少女もまた上体を起こして石畳の上を這いずって城壁の端まで移動し、縁に手をかけて覗き込むように中庭に目を向けた。
その中庭は中央に円形の噴水が据えられ、周囲に草木や色とりどりの花々が植えられた、鮮やかで広々とした空間となっていた。そして普段なら舞踏会や立食パーティーが開かれるような絢爛たるその場所は、今は炎が舞い怒号が飛び交う地獄と化していた。
「ギャアアアアアッ!」
その地獄の中心部、半壊した噴水を足蹴にするようにして、深紅の鱗に身を包んだ一匹のドラゴンが立っていた。その二本足で立つ巨大なドラゴンは雷鳴のような雄叫びを上げながら、辺り構わず火の息を吐きまくっていた。ドラゴンを討伐せんと立ち向かっていった兵士達が一人残らずそれらの攻撃の餌食となり、炎に巻かれて呻いていた。
「ひいい!」
「あち! あちちち!」
「こりゃかなわん、逃げろ!」
彼らは皆黒光りする頑強な鎧を身に纏っていたが、ドラゴンの前ではそれらはただの紙切れも同然であった。そうして炎に巻かれた兵士達はたちまち戦意を失い、武器を投げ捨て、蜘蛛の子を散らすように方々へ逃げていった。
一方でドラゴンは、そんな外敵を討伐する気ゼロな兵士達に対して追い打ちをかけたりはしなかった。代わりに新たに向かってくる兵士達に向かって火の息を吐きつけ、兵士達を追い払っていった。やがてドラゴンは天高く首を伸ばし、闇夜に浮かぶ月に向かって勝ち誇ったように雄叫びをあげた。
「グギャアアアアッ!」
敵を蹴散らしながら炎の海の中に鎮座し、月夜に向かって高々と吼えるその姿は、まさに灼熱を統べる王であった。
「誰がドラゴン呼べって言ったオラァ! さすがにドラゴンと結婚する趣味は無いぞ! 召喚魔法間違うとかどういうことだお前ェ!」
「ありがとうございます! あ、違う。ご、ごめんなさいぃ!」
そんな絶望的な光景を見てから鬼のような形相で食ってかかる赤髪の女に対し、少女は地面にへたり込んだまま慌てたように涙目で謝罪した。なお怒られた時、その少女は一瞬だけ愉悦に満ちた表情を浮かべていた気がするが、きっと気のせいであろう。そして少女はその後も両手で頭を庇い、「詠唱の時にちょっとくしゃみしただけなんですぅ!」とどこか楽しげに自己弁護を続けた。しかし女はそれに対してさらに容赦なく罵声を重ねていった。
そうして怒りの感情を爆発させる女の後ろで、彼女の護衛役の兵士の二人が小声で話し合った。
「でもぶっちゃけさ、もうドラゴンでもいいんじゃね? コロヌス様余裕で婚期逃してるんだし」
「ご両親から身を固めなさいって最後に言われたのいつだっけ? 三百年前?」
「二百五十年前じゃね? どっちにしろ相手の選り好みしてる場合じゃないと思うんだけどな俺は」
「ああん!?」
その二人の話は赤髪の女にバッチリ聞こえていた。銀髪の少女にも聞こえていた。そしてコロヌスと呼ばれた赤髪の女は瞬時にそれに反応し、凶悪な顔で背後の兵士二人を肩越しに睨みつけた。睨まれた兵士二人は即座に会話を中断し、背筋を伸ばして「ハッ! 申し訳ありません!」と反射的に答えた。
それを見て苛立たしげに鼻を鳴らしたコロヌスに対して、銀髪の少女が恐る恐ると言った形で立ち上がりながら言葉をかけた。
「でもコロヌス様、やっぱり無茶ですよ。異世界からお婿さん引っ張ってこようだなんて滅茶苦茶ですよう。いくらこっちで貰ってくれる人がいないからって言っても、やりすぎですよう」
「こっちで貰ってくれる人がいないからこうしているのだろうが。まったく、どいつもこいつも私がちょっと結婚適齢期を過ぎただけで、いきなり私のことを相手にしなくなりおった。凄まじく不愉快だ」
そんな間延びした声で話しかける少女に対し、コロヌスが恨み節をぶつけた。しかしその恨みは少女個人ではなく、自分を相手にしなくなった世間そのものに向けられていた。
「だいたい、何が結婚適齢期だ。その期間でしか結婚出来ないというのか? どこまでもふざけた慣習だ。私は婚期は過ぎたが、どうだ? 枯れたように見えるか? 老婆のようにボロボロになっているのか?」
「ご心配なく。あなたはとても魅力的ですよ」
そうしてドラゴンそっちのけでコロヌスが愚痴をこぼしていたその時、不意に護衛兵の背後から声が聞こえてきた。その場にいた全員がそちらに振り向き、そしてそこに一人のメイド服姿の女性が立っている事に気づいた。切れ長の目と短く切り揃えた紫色の髪を備えた、怜悧な雰囲気を持つ大人の女性であった。
「コロヌス様。あなたは素晴らしい素質をお持ちです。見目麗しく、剣の腕も立つ。美と力を兼ね備えた、まさに完璧なお方と言うべきでしょう」
「そ、そうか? やはりそうなのか?」
「その通りです。ですが慣習というものは、そんなあなたの長所さえも殺してしまうものなのです。結婚適齢期を過ぎたあなたに目を向ける者は、こちらの世界にはもはや一人もおりません」
メイドがコロヌスに近づきながら淡々と現実を突きつけていく。そうして一度持ち上げられてからどん底に叩き落とされたコロヌスは、その顔を一気に暗いものへと変えていった。この時彼女達の横で中庭のドラゴンが居丈高に吼えたのだが、それに反応したのはコロヌスの護衛兵二人だけであった。
メイドはドラゴンの雄叫びに気づいていたが、視線と意識はコロヌスに向けていた。そしてドラゴンの吐いたブレスの余波によって激しく己の服と髪がなびかれても全く動じる事無く、その場に平然と直立したままコロヌスに話しかけた。
「さて、こちらの世界で結婚の機会を完全に奪われたコロヌス様。このままでは一生独身となり、能無しの烙印を押される事になるのですが、どうしされますか? 彼らの言う通り、ドラゴンとご結婚なさいますか?」
メイドがそこまで言ってから、後ろにいた護衛兵二人を肩越しに見やる。兵士二人はその視線に気づき、「やっぱりアイビー様もそう思われますか」とメイドに声をかける。メイド、もといアイビーはそれに対して頷き、「四の五の言っている場合でないとは思っております」と返した。
「自分が非常によろしくない位置におられる事は、ご自身がよくご存じかと思われます」
「わかっている」
そしてコロヌスもまた、己の置かれていた状況がよろしくない事は理解していた。誉れ高き魔界貴族の出でありながら、未だに後生に血を残す事が出来ずにいたのはこの世界では恥としか言えなかった。下手をすれば「力を持ちながら男を捕まえられなかった無能」として、今後一生後ろ指をさされながら生きていく事になる。そんな屈辱は絶対に避けねばならない。
しかしそれでも、コロヌスは目に付いた男全てに節操なく股を開くほど自棄になってはいなかった。誰とくっつかは自分で決める。
「だが駄目だ。ドラゴンとだけは絶対に駄目だ。第一私は小さくてぷにぷにして可愛い子の方が好みなのだ。あんなデカい奴とズッコンバッコンするなんてお断りだ」
「そのショタコン癖いい加減治した方がいいですよ」
「それ以前に貴族の娘がズッコンバッコンとか言わないでください。みっともない」
コロヌスの言葉を聞いた護衛兵の一人が呆れたように返し、アイビーが言葉遣いを注意しつつあからさまな軽蔑の視線を向ける。その間にもドラゴンは城壁で囲まれた中庭の中で盛大に暴れ回り、辺りは完全に火の海に包まれていた。
それを横目で見てから、アイビーがコロヌスに話しかけた。
「では、早くドラゴンを討伐なさっていただけませんか? あれを倒せるのはあなただけだと思いますので」
「言われなくてもわかっている。結婚できないならば倒すまでだ」
「それとコロヌス様、どうやらソーラ様の召喚魔法は半分成功していたようです」
「どういう意味だ?」
いざドラゴン討伐に参らんと縁に足をかけたコロヌスにアイビーが声をかける。正面を向いたままメイドの方に首を回すコロヌスに対し、アイビーは右目を挟み込むように横向きにした右手のピースサインを顔の前に置きながら言った。
「私の紫蔦眼光が捉えました。あのドラゴンの中にあなたのお目当ての方がおります」
「どういうことだ?」
「どうやら誤ってドラゴンが召喚された後、さらにそのドラゴンの腹の中に正規の召喚魔法が発動されたようなのです」
「つまり、本命が奴の体内にいると?」
「そうです。ですからドラゴンを倒し、その腹を裂いて本命を救出すれば」
「そいつとセックスできる!」
「最低です。言葉遣いに気をつけてください」
頬を緩め、凛々しい顔を喜悦に輝かせたコロヌスに対し、目の前で横向きにピースをしたままアイビーが淡々と罵倒する。コロヌスは動じることなく、顔を正面に戻して剣を抜き、毅然とした表情でドラゴンを見下ろす。
「邪悪なドラゴンよ! 聞こえるか! 貴様の暴虐、この獄炎の騎士たるコロヌス・デル・トリスタータが止めてやろう!」
「私達が勝手に別世界から呼んだだけなんですけどね」
「なんか申し訳ないです」
そして威勢良く啖呵を切るコロヌスの後ろで、アイビーと黒衣の魔法使い--ソーラがそれぞれ淡々と突っ込みを入れる。コロヌスはそれらに対して全く意に介さず、使命感に満ちた勇気凛々たる態度でドラゴンを見据える。
ドラゴンもまた、そのコロヌスの存在に気づいてそちらに顔を向ける。首を伸ばしたドラゴンの顔は余裕で城壁の天辺まで届き、両者は水平に視線を向けたまま互いを見つめ合った。
その真正面についたドラゴンの顔に向かって、コロヌスが自ら引き抜いた剣の切っ先を突きつける。そして目を細め、ドラゴンに向かって自信満々に、声高に宣誓する。
「さあドラゴンよ! 私と一対一の決闘だ! 貴様も男ならば、正々堂々と」
コロヌスがそこまで言った時、ドラゴンが大口を開けて彼女に噛みついた。
「えっ?」
ドラゴンは彼女の立っていた城壁の一部を抉り取り、それごとコロヌスを口内に取り込んだのである。
「あ」
騎士と石を丸ごと口に入れたドラゴンはそれから長い首をまっすぐ垂直に延ばして鼻先を天に突きつけ、そして大きく喉を動かしてそれらを首から胃袋へと送り込んだ。伸びた首が上から下へと蠕動し、やがて腹まで到達した所でドラゴンが「食った食った」とばかりに大きくゲップをする。
「あーあ」
その捕食活動の一部始終を見ていたアイビーが「やっちゃったなあ」と他人事のように呆れた声を出す。護衛兵はそんなアイビーとドラゴンを交互に見やり、ソーラは「私も食べられたいなあ」と羨ましげにドラゴンの口を見つめていた。首の蠕動を終えたドラゴンはゆっくりと顔を降ろし、次の獲物を見定めようとアイビー達に目を向けた。
「うわ、こっち見てる!」
「アイビー様、コロヌス様は無事なのですか?」
「あの方があれくらいでくたばるタマではないのは、あなた方もご存じのはずです。ほら、あれをご覧ください」
悲壮な声を放つ護衛兵達に対してそう返した後、アイビーがドラゴンの腹を指さす。何が起こるのかと疑問に思い、全員がそちらに視線を向ける。
そのドラゴンの腹から剣の切っ先が飛び出してきたのは、まさにその時であった。
「……!?」
異変に気づいたドラゴンが即座に顔を下げて自分の腹を見据える。そこには確かに自分から見て爪楊枝程の大きさしかない銀色の剣が、自分の腹を内から突き破り、外に顔を出していたのだ。
ドラゴンが自分の身に起きた事を理解しようと目を細める。次の瞬間、不意に腹から突き出た剣の切っ先から火が点いた。
さらにその直後、火はたちまちの内に剣を飲み込み、やがてドラゴンそのものを飲み込んだ。
この時になって、ドラゴンは初めて自分の身に起きた事の重大さに気がついた。しかし気がついた時には手遅れであった。気づいた時にはドラゴンは文字通り「火達磨」と化していた。
「おお、さすがは獄炎!」
「火を吐くドラゴンをそれ以上の火で焼くとは! なんという方だ!」
「終わりですね」
全身を焼き尽くす炎を消さんとドラゴンが身悶えする様を見ながら、護衛兵とアイビーがそれぞれ感嘆の声と淡々とした声を放つ。ソーラは彼らの横で「私も焼いて欲しいな」と物欲しげに呟いていた。その間もドラゴンは焼かれ続け、その動きも段々と緩慢なものになっていった。
そして炎に包まれていたドラゴンが殆ど動かなくなった時、ドラゴンを覆い尽くしていた炎が唐突に消えた。そうして火が消えた後、そこには全身黒焦げになったドラゴンの姿があった。
ドラゴンはだらしなく両手を垂れ下げて口を開けたまま、その場に棒立ちの体勢で突っ立っていた。そしてやがて自重に耐えきれなくなり、ドラゴンが力なくその場に倒れ込む。一際大きな震動が城壁を襲い、護衛兵とソーラが大きくよろめく。アイビーはその場からびくともせず、中庭でドラゴンと対峙していた兵士達は倒れるドラゴンから全力で距離を離した。
「コロヌス様? 見つかりましたか?」
やがて壊れた城壁の端まで向かったアイビーが、ドラゴンの焼死体を見下ろしながら声をかける。彼女がそう言った直後、ドラゴンの腹をぶち破るようにしてそこから「何か」が外に飛び出した。
それは腹を破ると同時に高々と宙に舞い上がり、空からドラゴンの血をまき散らしつつ、やがてアイビー達のいる城壁の所に着地した。
「おお、コロヌス様!」
それを見た護衛兵の一人が喜びの声を上げる。あれくらいで死ぬとは思っていなかったが、それでも主の無事を確認できたのは心の安まることであった。もう一人の護衛兵も同様に安堵のため息をつき、ソーラとアイビーも安心したように彼女の元に近づいていく。
そうして集まっていった面々は、全身血塗れになりながらそこに立つコロヌスが一人の少年を抱き抱えている事に気づいた。
「その子が?」
「本命のようですね」
ソーラが首を傾げ、コロヌスがそれに答える。背の低い、コロヌスと同じように血塗れになっていたその少年は目を閉じ、死んだように大人しくなっていたが、その内彼女達の眼前で少年がゆっくりと目を開いた。
「う、うう……」
「目が覚めたみたいですね」
それを見たアイビーがコロヌスに声をかける。それに対してコロヌスは小さく頷き、そして自ら抱いている少年の方を見て優しく声をかける。
「君、大丈夫か?」
「あ、あの、ここは?」
その時には既に少年も完全に意識を取り戻していた。彼は目を見開いて不安げにコロヌスを見つめ、コロヌスもまたその少年を優しく見つめ返していた。
「その子は異邦人。こことは違う世界からやってきた子です。まずは心を落ち着かせて、それからゆっくり事情を説明しましょう」
「わかってる。何事も第一印象が大事だからな」
アイビーの助言に従うようにコロヌスが頷く。そして少年の方に向き直り、真面目くさった顔でそのあどけなさの残る少年の顔を見ながら口を開いた。
「少年、セックスしよう!」
次の瞬間、アイビーがコロヌスの顔面にドロップキックを叩き込んだ。