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魔女たちの晩餐

「わたしが採用されるのをご存知だったのですか?」

 居間へ戻る途中、階段を登りながら、前を歩くエミリアに訪ねます。

「わたしはマスターにソフィーが正式な魔女に相応しい技量を得たとお伝えしただけよ。知っていたらきっと先に話していたわね。嬉しい知らせを秘密にするなんてできないもの」

 エミリアは振り向いて無邪気な笑顔を花開かせます。癒されます。みんながママと呼び慕うのもよく分かります。

 居間に戻ると、出た時とは打って変わって人が増えていました。ルースとレイラは帰投して、いつものようにカードを切っていました。エセルとカースティはソファでお互いに寄せあって眠り、パトリシアはシャーロットの髪を様々な形にして遊んでいます。

「ママ、どこに行っていたの? こっちへ来てお話の続きを聞かせて」

 わたし達が戻ってきたのにいち早く気づいたパトリシアは弄んでいたシャーロットの髪をそのままに駆け寄り、エミリアの腕をとって暖炉の前の椅子に引っ張ります。

「パトリシア、待ってちょうだい。ルースとレイラは帰ってきているわね。みんなに聞いてほしいことがあるの」

 エミリアはパトリシアを近くの椅子に腰掛けさせました。シャーロットはそっとエセルとカースティの寝ているソファに寄ると二人を揺すって起こしました、ルースとレイラは向き直り、カードを置いて居住まいを正しました。

 促されて一歩前に出ます。みんなの注目がわたしに集まりました。悪いことをしてないのに、注目を集めるのは極度の緊張を伴います。急に喉の渇きを覚えました。エミリアは後ろからわたしの両肩に手を置き、軽く力を入れます。まるで気後れするわたしを支えてくれているようです。

「ソフィーが正式に採用されたわ。改めて今日からソフィーはわたし達の家族ね」

 エミリアが言い終わると同時に、わっと歓声があがり、口々に祝福の言葉を受けます。

 正式に魔女として認められたことが、消化できていないからか、まだ戸惑いもあるのが正直な気持ちです。レイヴン――この呼び方をみんなは好んでいませんが――になることは、魔女として生まれ変わった者の必然で、他に逃げ場のない、否応がなく踏み入れなければならない道なのです。貴族の子が貴族であるように、労働者の子がまた労働者であるようにもはや運命や宿命と言ってもいいでしょう。

「おめでとう、ソフィー。わたしも嬉しいわ。今日は頑張ったものね。正式な魔女といっても今までと変わらないわ。明日からも訓練に励みましょう。さ、ごはんよ、ごはん」

 レイラはわたしの手を取り、居間の奥にあるテーブルまで引いてくれます。そういえば先ほどからいい香りがほんのりと漂っていました。美味しそうな香りに胃が刺激されます。お祝いといえばご馳走です。正式採用の日ですから、お祝いが期待できます。空腹で凹んだお腹とは反対に期待で胸が膨らみます。

 テーブルの上にはろうそくに照らされて輝く食器に盛られた料理がところ狭しと並べられているかと思いきや、カツレツ、シチュー、カレー、フィッシュケーキ、茹でたジャガイモ、蒸した野菜、ビスケット、バター、チーズ、紅茶にホットミルクと普段と大差ないメニューでした。しかもサイドテーブルに控えている量も明らかに少ない。まだ調理中なのでしょうか……。

「ほら、ソフィーも席について。お腹減ってるでしょう?」

 女中が引いてくれた椅子に腰掛けました。みんなで日々の糧に感謝の祈りを捧げて食事の開始です。

 訓練後の食事は空腹を満たすために口と手は休まることを知りません。しかも初めての長時間飛行の後なのです。品位を損なわない程度に、飢えた子犬のごとく食事に勤しみます。最初に嫌いな蒸し野菜をカレーでごまかして食べ、カツレツとフィッシュケーキを堪能し、バターをたっぷり塗ったビスケットをミルクで胃に流し込みました。

 控えの女中は空いた皿を下げ、サイドテーブルから追加の皿をテーブルの隙間に置き、紅茶を注ぎ足しと大忙しです。追加された野菜を今度はシチューと一緒に口にしました。

 わたしに限らず魔女はこぞって大食漢です。

 一回の食事の量は男性の三人分は必要です。飛行をした後なら五人分はないと空腹で眠れなくなります。わたしが魔女になって昏睡から回復したときに、最初に感じたのは空腹でした。

 何故に大量の食事を必要とするかについては、魔女の使うコーリングや飛行に膨大な力を必要とするからと、もっともらしい説明を付けられていますが真相は不明です。また食べる量のわりに体の成長には貢献する気配はなく、わたしはむしろ痩せる一方です。ちなみにエミリアは、ルース曰く、魔女になる前からすでにそうだったとのことです。

 二人分を食べ終えたところで空腹で暴れていたお腹も落ち着きを取り戻しました。追加はまだ来ないので紅茶を口にしながらみんなの様子を伺います。

「ビスケットー。あー、バターはエセルがぬるのー!」

「ミルク、ミルクとって。あ、ルースじゃない。ママがとって」

 エミリアは両脇に陣取るエセルとカースティのためにお皿を取ったり、料理を切り分けたりと大忙しです。それでいて自分のお皿はしっかり空にしているのですから、彼女の要領の良さには感服します。

 エミリアの手前に向かい合わせで座るルースとレイラの今夜の任務を話題にしていました。

「まったく。星を気球と見間違えたなんて信じられないわ」

「陸軍としても実績が欲しいだろうし、過剰に反応せざるを得ないのよ」

「問題そこよ。ヤードならともかく陸軍の気球隊からの連絡だなんて。自分たちの気球を飛ばせばいいじゃない。納得いかないわ」

 レイラはカツレツにフォークを突き刺してぷりぷりと怒っています。

 なるほど、わたしと別れてルースと向かった任務は、陸軍からの依頼だったようです。魔女に誇りと責任と持つレイラにしてみれば、わたし達の役割をないがしろにする任務は我慢ならないのでしょう。

「どんな理由でも任された仕事をきちんとこなしてこそ魔女よ。それはレイラが一番よくわかっているとママは思っているわ」

 エミリアはカースティの口元を奇麗にしながら二人の話に割り込みます。

「そうそう、結果的にお国のためになっているのだから」

「なによ姉様まで。任務中に文句を言っていたのは姉様じゃない」

「まあ、ルースったら」

「ちょっとレイラ。ばらさないでよ」

 ルースとレイラはペアを組んでいるからか、歳は離れているのに言葉遣いも態度も対等に接します。気のおけない言動はときに口論まで発展しますが、どちらも些細な物事に拘らない性格なのかすぐ仲を取り戻すのです。

 食事時の会話はエミリア、ルース、レイラの三人が中心でした。パトリシアはエミリアとの間にレイラがいるし、食事中の会話はあまりお上品でないと考えているらしく黙々と手と口を動かしています。そのパトリシアの正面に座るシャーロットは持ち前のマイペースさを発揮して眠たげな眼差しでゆっくりと、しかし着実にお皿を空にしていました。

 新参者のわたしは末席でシャーロットと肩を並べ、まだ打ち解けたとは言い難い隣人をもっとよく知ろうと、こうして観察を続けているのです。

「ところで紋章官さんは今夜は遅いの?」

 テーブルからもサイドテーブルからも料理が消え失せ、皆が一服している時、話す事もないから仕方なくといった風にルースがエミリアに訪ねました。

「夕方から公務で出かけたわ。戻るのは明日の午後と仰っていたわ」

 紋章官とは王室から派遣されている初老の男性。直接の上司であるマスターが滅多にロンドン塔に顔を出さないのに比べ、公務で外す以外はロンドン塔に居て、食事も一緒に取ります。座る場所はエミリアの真向かい。つまりわたしの隣です。

 紋章官の本来の職務は紋章の管理や国儀の手配です。魔女がロンドン塔に住むことになってから、ヘラルド・オブ・アームズの一人が派遣されたのです。塔が王室の施設として適切に使用されているかを監視する言わばわたし達のお目付け役です。

 わたしが塔に来たばかりの頃は、滲み出る頑迷さと厳格さを隠さない姿の気配を感じるたびに、野生の獣のごとく紋章官から逃げていました。しかし、彼はわたしに口を利くでも干渉するでもなく、ただ居るだけなで無害なのが分かると、いつしか過剰に反応することもなくなりました。今では部屋に新しく置かれてまだ周囲の雰囲気に馴染んでない彫像のようなものだと考えています。

「ソフィーも正式に採用されたことだし、当直を考え直さないとね」

「気が早いわよ。その前に夜間飛行の訓練があるでしょ」

 自分の名前が呼ばれたので何事かとエミリア達のほうを向きます。

「でも姉様、帰投時はずいぶん暗かったわ」

「それはレイラが一緒だったからじゃない。あたしの時なんてどれだけ訓練したと思っているのよ」

 あの僅かな夜間飛行を実績と認められるのは甚だ迷惑です。今日初めて外での飛行を経験したばかりなのに、次の段階を飛ばして実戦投入とは危険極まりない。レイラはわたしが墜落したのを忘れているのでしょうか。

「たしかに動ける魔女を増やしたいレイラの気持ちは分かるわ。けれど急いては事を為損じるものよ。基礎飛行の訓練を続けましょう」

「じゃあ教官はまたわたしにやらせてよ」

 レイラが勢い良く手を挙げます。

「あんたも相変わらず物好きね。そんな面倒なことに自分から手をあげるなんて」

 パトリシアはレイラの提案を一笑に付します。

「レイラは飛ぶのが好きだからね。わたしはレイラの教え方は上手だと思うよ」

 シャーロットが珍しく話に参加しました。

 その後は新作のドレスや本の感想に話題が移りました。傍からでは彼女たちはどこにでもいる仲の良い姉妹そのものです。そしてまだこの一員になれないわたしは思うのです。完成された人間関係に入り込むのはとても難しいと。


 お皿が下げられてから30分も経つというのに追加の料理が来る気配はありません。普段は食事が終わるとすみやかにテーブルから離れ、居間でお喋りを続けるのが習わしです。なので、誰も席を立たないところを鑑みるに、まだ食事が出てくるのだと密かに期待していまた。でも、エミリアが腕のなかで居眠りを初めてしまったエセルとカースティを起こさぬよう席を立たないから、テーブルを離れないだけの可能性も捨て切れません。

 ひもじい思いでベッドに潜ることを想像しながら、せめてもの足しにと紅茶をお腹に入れ続けます。最悪の場合はお菓子を作ってもらうことも視野に入れねばならないでしょう。こんな夜に迷惑な話ですが……。

 と、危惧をしていたわたしの鼻に甘い香りが漂ってきました。空腹の不安のあまりついに幻聴ならぬ幻嗅を引き起こしてしまったようです。

「「ケーキだ!」」

 エセルとカースティが歓喜の声をあげます。心を覗かれたのかと驚き、二人を見ると居間の方へと手を伸ばしています。その視線の先を追い、わたしも居間のほうを振り向くと、ケーキの載った皿を持つ女中の姿がありました。女中たち静々とテーブルに寄り、慎重に動作で二段重ねの巨大なケーキをわたしの前に置きました。

「こ、これは?」

 誰に問うでもなく思わず口に出ます。

「もちろんお祝いよ」

 エミリアは満面の笑みを浮かべています。それはルースもレイラもシャーロットもパトリシアも同じでした。そしてエセルやカースティは喜びを抑えきれず、エミリアの腕から飛び出してわたしの両隣に陣取ると、今にも飛びかからんとする勢いでケーキを凝視しています。

 てっきりレイヴン就任のお祝いかと思いましたが、クリームをたっぷりと塗った真っ白なケーキにはロウソクが立てられていました。その数は13本です。

 女中がろうそくに火を灯しました。

「お誕生日おめでとう!!」

 お祝の声が居間中に響き渡りました。そうでした。今日はわたしの誕生日でした。初めて外の空を飛ぶ不安。墜落の恐怖。広い海と地平の彼方に沈む夕日の感動。そして突然のレイヴン就任の重圧と、数々の出来事が立て続けに起こったおかげで、誕生日であることをすっかり忘れていました。

 皆の期待する眼差しがわたしに注がれています。

 お祝いされた嬉しさと注目を浴びる恥ずかしさで、少しだけ膝が震えています。テーブルに手をついてケーキを身を寄せると、ろうそくに息を吹きかけました。

 ロウソクの炎が一瞬勢いよく燃え上がり、細い煙を立てて消えました。改めて沢山の祝福の言葉に包まれます。

 女中がケーキを切り分けるのを今か今かと待ち望んでいたエセルとカースティは、自分たちの席にお皿が置かれるやいなや、競って席へ戻ります。そうしてケーキにフォークを突き立てて頬張り、さっそく口の周りをクリームとホイップまみれにしていました。

 わたしも遠慮せずに大きく削り取ったケーキの塊を頂きます。上品なクリームとホイップが口の中に広がり、体を溶かしてしまいそう。

「ねえさん、これ美味しいわね。どこから取り寄せたの?」

「違うわ、ニコラにお願いしたの。彼女はフランス仕込みで元はパティシエなのよ」

「女性のパティシエなんて珍しいわね」

「ええ、だからいろいろ苦労があったみたいよ」

「人は見かけによらないものね。こんなに上品な甘さを作れるなんて」

「ルース、ニコラに失礼よ。彼女にはいつも量だけの料理ばかりで役不足だろうから、お願いして腕を振るってもらったの」

 ニコラは料理長。ホワイトタワーに来て間もない頃、塔を徘徊しているときに地下で出会いました。恰幅のよい年配の女性です。

 ケーキの後にはローストビーフやカツレツ、ミートパイなどが追加され、お腹を十分に満たすことができました。

 十二分に満足すると食後はいつものように居間に移り、各自がお気に入りの場所に収まります。

 わたしは部屋の隅にある長ソファの肘掛けにクッションを重ねて横になります。暖炉の前ではパトリシアがエミリアへしきりに話しかけ、シャーロットは傍らで二人の話に耳を傾けて、ときどき頷いたり笑ったりしています。ルースとレイラは向かい合わせのソファに腰掛けて、カードの続きをしていました。エセルとカースティの姿がないのは、二人はもうお休みの時間だからでしょう。

 次第に瞼が重くなってきました。急に体が気怠くなり、エミリア達の姿が闇の中に消えて行きます。

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