まえがき
わたしが世間を騒がしている魔女の存在を信じなかったのは、自分の目で確かめていないからではなく、魔女は童話やおとぎ話など空想の世界の住人でいて欲しかったためでしょう。
世界は科学技術によって支えられている。誰だって知っています。子供のわたしですら知っているくらいですから。
蒸気は産業を変革させ、その力を利用した鉄道は全国に張り巡らされ、都市と地方を結びました。船は風への依存から開放され、今や鉄で作られた船が外洋へと乗り出しています。交通路に頼っていた手紙も、電信によって地球の裏側まで一瞬で送ることが可能です。そして空を漂うだけだった気球は、飛行船の登場により、自らが望む方向へ移動できるようになりました。
目前に迫った20世紀に、現代を振り返れば、恐らく科学の時代と呼ばれることでしょう。
そんな科学万能の時代に魔女が実在するなど、そんなでたらめな話を誰が真に受けることか。
もちろんわたしも作り話だと思っていました。
こうして、自分が箒に跨がって空を飛ぶまでは。
ロンドンに魔女が出没したと騒がれ始めたのは数年前のことでした。それ以前のロンドンに、いえ、世界のどこででもですが、本当に空を飛ぶ魔女が存在したという話はありません。
ある寒い日の朝のこと。学校に登校してみると、ようやく打ち解けてきた隣の席に座る学友が、眼を輝かせてわたしを待っていました。彼女は鞄から、恐らく家から黙って持ち出した新聞を取り出して、わたしの前に広げました。新聞には見事なイラストでビッグ・ベンを背景に、わたしが想像していた通りの姿をした魔女が空を飛ぶ光景が描かれ、イギリスに魔女が出没したことを知らせていました。子供のわたしでも作り話だなと一笑に付したほどです。同じ新聞を読んだ他の同級生たちも反応は似たより寄ったりでした。
しかし、わたしの心はそうした態度とは正反対に高ぶりました。本当に魔女がいるなら空を飛ぶところを一度は拝見したいと望むようになったのです。その日はもう勉強どころではありません。魔女の存在を知った翌日から、わたしも新聞を気にするようになりました。しかし、家に届けられる新聞は文字ばかりで、しかも女の子が読むべきではない政治や経済、海外の話ばかりでした。だからわたしは友達が持ってくる新聞を、興味がない風に装いながら、内心では心待ちにしていたのです。
一度取った態度を簡単に変えるのは悔しいし、それに恥ずかしいものです。
それから何ヶ月も経ちました。が、魔女は変わらず新聞のなかにしか現れませんでした。いつしかわたしは「やはりこれは作り話なんだ」と日に日に増えていく魔女の記事を読みながら考えるようになりました。それに、たとえ本当に魔女がいるとしても、わたしの生活に関わり、変化を及ぼすとは思えません。いつまでも手の届かない、実在するかも分からない存在を待っていられるほど、わたしは我慢強い子供ではありませんでした。
次第に魔女への執着は薄れ、その魔女に固執していたことすらも、記憶から抜け落ちていきました。