語り
湧き水の傍、火を焚いた場所。
そこに俺とミキさんは立っていた。
「んー、と。大体罠といえばこんくらいかなぁ?」
ミキさんは、勝手に工具代わりに使っていた大蛇の牙で肩をトントン叩きながら拠点を見渡し、俺もそれにならう。
「ここまでやれば、上出来だろ」
湧き水を中心とした拠点の周りには、自然の物ばかりで作った罠がひしめいていた。
ツタや植物の繊維でできた単純なロープトラップから、不自然にぶら下がっているツタを踏むと、石が括りついてある一角ウサギの頭部が刺さるように落ちてくるトラップまである。
あれは一体どうやって作ったのだろうか、どういう罠なのか。みたいなのも沢山ある。
俺が探索に出ていた数時間で罠だらけになった拠点は、頼もしいようで恐ろしい。
「……自衛隊ってこんな罠まで習うのかよ」
「いやいや!私の趣味だよ」
なおさら怖い。
大熊の死を見届け、暗い心地のまま帰った俺に待ち構えていたのは、ミキさんが作製した罠の数々だった。
とぼとぼと歩いていた俺の足にロープが引っ掛かって転びそうになり、その先にあった自然な窪地を枝葉で巧妙に隠した落とし穴に落ちそうになった。
ミキさんが「そこに落とし穴あるよー」と言わなければ絶対に落ちてました。落ちていたら窪地にある岩に頭をぶつけて死んでたかもしれなかったらしい。
だがまぁ、そのお陰かは分からないが、感傷的な気持ちは程良くほぐれた。
でもミキさんに感謝はしない。死にかけたから。
「罠って全部でどのくらい作った?」
「そうねぇ、十個から十五個ってとこかしら」
様々な魔物を想定して作ったらしいが、正直、あの「肉塊」や大蛇、大熊に準する魔物をその場にあった物だけで作った罠で倒せるとは到底思えない。
罠という名目ではあるけど、倒すことが目的ではなく、逃げるための足止めがいいところだろう。
それから、滅茶苦茶重い大蛇の下半身を二人で協力して動かし、なんとかして湧き水を囲うように置いた。
これで魔物が襲ってきたとしても壁になるだろう。毒が残ってるかもしれない頭部は放置。
ひと段落着いたかと思えば、ミキさんが唐突に言う。
「あ、そうだ。十河くん!この槍と大牙は預けるから、ちょっと周りの見回りをしてきて?」
ずい、とむしろ俺の物である筈の槍と牙を手渡される。
子供のように武器を持ちたがったミキさんがどういうつもりだ?
訝しんでると、ミキさんは「いいから、いいから」と俺の背中を押して向こうへ追いやる。
仕方なく、トラップに注意しながら拠点を離れることにした。
そしてその間にやっておきたかったことを消化する。
高所から密林を見渡すということだ。
なんで最初にしなかったと言えば、混乱しててそれどころではなかったから。
今は落ち着いて何をすべきかが分かってきたが。
地形を確認することはかなり重要だろう、更なる発見もあるかもしれない。
拠点からあまり離れていない場所で手頃に大きい木を見つけ、登っていく。
別に高所恐怖症ってわけでもないのでひょいひょいと高く登る。ずっとインドア派だった俺だが、意外と野生児かもしれない。
枝が開けた場所を見つける。
腕や足で身体を固定しながら外を覗いた。
一面、密林だった。
近くで大きな鳥が木の間から飛び立つ。それはやがて、小さくなって再び緑の絨毯の中に入っていった。
淡く期待していた。
実は近い場所に道があって、そこを通れば直ぐに街でなくとも、村に行くことが出来るのではないかと。
実はそんなに大きな密林ではなく、頑張って一日歩き続ければ密林を抜けられるのではないかと。
「そう、上手くはいかないか……」
苦笑して、まるで身体で木を殴るように乱暴に背を木に押し付ける。やってられないな。
いや、むしろ、今までが順調すぎるのか。
寝床はあのお椀形に枝分かれした木で代用できた。
水源はあったのですぐ死ぬことはない。
大蛇の素材で作った罠もあるようだし、食料も大蛇からはまだ肉を取ることができる。
魔物には正面から会ったことはないし、「肉塊」を除くと拠点は襲われていない。
一人での探索の帰りは警戒せずに魔物に遭遇しなかった。
むしろ幸運な方なのだ。
生き残っているだけでも幸せなのだと知ろう。
「でもなぁ、不味いよなぁ」
ミキさんだ。彼女は現在の、明確とした敵である。
……そう、彼女は貧乳であり、俺は巨乳好きだ。
ところが、いくらどんな時、場所でも死の間際にいるとしても、俺と彼女の性別は違う。
つまりムラムラしてしまうことがあるのではないだろうか。
……ああそうさ、童貞の考えることなんてたかが知れているよ。過酷な状況であってもこんな思考に陥っているよ。
だけど、事実、今朝起きて「肉塊」の襲撃にあった時、ミキさんが俺の寝床に居た時、クラクラしそうな匂いが漂っていた。
断じて匂いフェチなどという変態ではない、俺はノーマルだ。
だがしかし、だがしかしだ。
ミキさんの服装はシャツのみであり、ボデーラインははっきりと浮かび上がっている。はっきり言おう、エロい。
荷が重い。童貞の俺には荷が重いよ。
お姉さんキャラであることも一因がある、童貞からすればかなり好印象だ。いや違う、そうじゃねぇ!
……まったく。童貞、童貞と繰り返し、一体全体何を期待しているのだろうか俺は。
情けない。
俺はそんなヤワじゃない。
フーッと深く息を吐いて、首を振り、密林のこととミキさんのことを一旦思考の外に置く。
そろそろ戻っていいかな。
ところでミキさんは何をしてたんだろうか、俺に見られて不味いものがあるのか?
……水行で、裸とか?
ふむ。
いや、いや。
……ふむ。
……もうちょっと待とう。
精神統一。
□□■
暫く待ってから。
日が頂点を過ぎ、夕方になろうかと感じた時に帰ることにした。
時間にして二時間は待った。これで、もしラッキースケベな展開になったとしても俺に責任はない。
不安と期待でドキドキしながら拠点に帰ってみると、湧き水の付近にはミキさんの姿はなかった。
慌てたが、すぐに木の上からミキさんの声が掛かる。
「ゴメンねー?ちょっと色々したくてさー」
「いや、大丈夫、俺もしたいことあったから」
木から降りてきたミキさんは俺の言葉を受けて困った顔になって、もじもじしながら目線を泳がせる。
「ええと、そうだよね、男の子だもんね。一人でしか出来ないこともあるよね」
「ミキさん、なんか勘違いしてない?」
「……うふふ」
似たようなことは考えてましたが。
そう言われ、演技をやめて笑い出すミキさん。
何をしていたか聞いてみたいが、ここは我慢すべきだろう。本当にプライベートな事柄かもしれないしな。
ただミキさんの服は水で濡れたようにしていた。予想もとい妄想は当たってたかも。
「少し早いですけど、晩ご飯にしますか?」
「いいねー、ヘビのお肉でも食べよっか」
俺が大蛇の肉を削り取る作業をする。作業をしながら大蛇の背骨も何かに使えそうとかなんとなく思っていると、木の根に腰掛けていたミキさんが微笑みながら話しかけてくる。
「ほんと、十河くんって弟と似てるなー」
「へー、どのへんが?」
「ちょこっと馬鹿なところとか、弄り甲斐があるところとか?」
弟さんにも、俺にも失礼だ。
俺ってそんな馬鹿なことしたかな?いや、してない。なんとなく決めつけてるんだろう。
半分受験を諦めた浪人生だから頭は悪いけど。
「俺、別に馬鹿じゃねーよ。なんで決めつけてるんだよ」
「んー、なんとなくかな?じゃあどこの大学?それとも高校生かな?」
俺ってやつは。
流しておけばよかったのだ。
「……浪人生だけど」
「うふふ、予想的中~♪」
嬉しそうに笑うミキさん。なにがそんなに面白いのか。人には散々言っておいて貴女は自衛隊じゃないですか。
自衛隊が頭悪いなんて全く思わないけど、勉強できなくても入れるイメージがあるため、ミキさんが頭良いとは限らない。
悔し紛れに聞き返す。
「そういうミキさんはどうなん?」
「自慢だけどK大学だったよ。中退したけど」
K大学とは、大学の御三家と呼ばれる由緒正しい大学である。偏差値は、70前くらい。
頭良かった。凹む。
いつの間にかに火を起こしていたミキさんに、削り取った肉を木の枝に刺して渡す。
土が剥き出しの地面にそれを刺して焼けるのを待つ。
昨日とほぼ同じシチュエーション。違う所は、周りは罠だらけで昨日と違い精神的に楽だという点だ。
火を見つめながら、体育座りをしているミキさんが話しかけてきた。
「十河くんさー、地球っていうか、元の世界に帰りたい?」
その質問は少し答え辛かった。
俺は浪人生だったけれど、努力という人間が行うべきことを心根から避けていたから。
駄目人間だなとは自覚している。勉強をしなければならないのに出来なかった。環境が悪いとかはなかったが、単に俺のやる気の問題だろう。
そんな中で、異世界へトリップ。
嬉しくなかったわけではない。マンガや小説のような展開に浮ついたのは認める。
だが「あの場所」で、神による選別を目の当たりにすれば神の手違いで異世界へ行くだとか、使命があるから異世界へ行くだとかではないことは自明だ。
カミの遊びなんだ。
死が当然のようにある異世界なんだ。
「帰りたい、かな。やっぱり」
目も合わさずに答えた。
チートがあって、無敵で、美少女が沢山いるみたいなことがあれば喜んで異世界に居たい。勉強が出来なければ何もならない、何か能力がなければ意味がない日本、地球より全然良い。
だけどそうじゃないのはもうわかっている。
ここは現実だ。
異世界での現実を知れば、日本に住んでいることがどれほど幸せだったか実感できる。
それこそ日本が命を脅かす危険がない、平和な場所だということは頭ではわかっていた。
けれど俺は変化を望んでいた。俺を取り巻く環境の変化を。
「そうだよね。帰りたいよね」
ミキさんの横顔をちらりと見ると無表情、というよりどんな顔をすればわからない顔。
「……ジュースとか、ゴクゴク飲んで、カップ麺とか食べてー」
「あはは!確かにね」
「ミキさんは?」
「……私は友達とか家族に逢いたいかな」
「家族?」
「弟だね」
「……ミキさんって、もしかしてブラコン?」
「うふふ、そうかも」
「弟さんは幸せだー」
「十河くんは彼女とか居なかったの?」
「冴えない童貞の浪人生に居ると思う?」
「質問を質問で返したら駄目よー。居ないと思う」
「当たりだよ……自衛隊って訓練キツイの?」
「そりゃあ勿論。何度吐きそうになったかわからないわね」
「うっへえ、俺には無理だな」
「でも十河くん運動神経は悪くないわよね」
「まあ、はい」
「ぷ、なんで敬語になんの」
「……実はあんま年上の女と会話したことない」
「あはは、照れちゃってまぁ」
「うるせ」
「ミキさんて身長何センチ?」
「えー、何よその質問。172」
「でか!俺168なんだけど」
「女の子に向かって、でか!とか失礼じゃない?」
「ミキさんのようなパワフルな女子はきっと心もタフだから大丈夫」
「わかってないわねー、強気な子こそ心は繊細なの」
「大蛇の死体見てもたいして驚かないミキさんは大物ですよ」
「自衛官の卵ですから。それに血は見慣れてるし」
「え、なんで?」
「……デリカシー無いね」
「……あっ……いや、そっちが振っただろうが!」
「あはは」
「いい性格してるなほんと」
「ありがと♪」
「褒めてない。前もしたぞこのやり取り」
「………」
「………」
「……会えた人が十河くんで良かったかな」
「俺も。中年のおっさんとかだったらテンションガタ落ちだわ」
「ちょっとー、そこは照れるとこでしょ」
「え?あぁ、そうかな」
クスクスと笑い合う。
「……肉そろそろ焼けたんじゃね?」
「そうねー、食べよっか」
自分の前にあった肉を火から離して、かぶりつく。
やっぱり、硬い。
▽▽▼
硬い肉の食事を終えた俺たちは、体力は温存しておいた方がいいだろうということで眠ることにした。
そしてミキさんが寝床に着いたのを確認して、俺も木を登って寝場所へ行く。
この寝床は広いわけではなく、膝を抱えるようにして眠らなければならない。
縦には高さがまあまあある。普通に座っても少し余裕があるくらいだ。
そこで、俺は座禅を組んでいた。精神を集中しているところだ。
もしかしたら魔法が使えるかもしれない異世界で、精神を鍛えない道理があるだろうか。
ミキさんの前では間違っても出来ない。なので彼女が寝静まった頃にすることにしようということに。
手を重ね、親指で円をつくるようにする。親指の先は触れるか触れないかギリギリにする。そうすることで意識が親指の先に集まるからだ。
都会の喧騒から離れたせいなのか、周りの空気を敏感に感じ取ることが出来ている気がする。
食事の時は気にしなかったが、よくよく耳を澄ましてみると、虫や鳥の鳴く声が聞こえてくる。
静寂ではない、だが鳴き声を含むそれが本来の自然な無音、なのかもしれない。
幸い、「肉塊」の足音のような不快な音は無い。
心静まる。
いつか魔法が使えそうな気がする。
……いかんいかん、邪念だ。
心を落ち着かせて。
しかし、座禅してる時は意識はどこに向ければいいのだろう。
一角ウサギを見つける前に黙想した時は、「外」を意識した。
たぶんだけど、何も考えないことが大切なのだろう。
無になる。
自然と一体になる。
そんなところではないだろうか。
俺は自分がこの密林の世界に溶け込むように、自分の意識を遮断していく。眠るわけじゃない、自然と一つになる。
俺たちは自然に生かされている。自然の中で生きてるんだ。
これは近代に至るまでは当然の感覚だったのかもしれない。
人間は自然に感謝すべきという感覚。
それを無視して、自然を物質として捉えることで発展した地球。
どっちが正しい世界かなんてわからない。
どうすればいいかなんてわからない。
生きていれば、それでいいや。
おっと、邪念だった。
そのまま座禅を続けていたら、いつの間にか夢の世界だった。




