行進が始まる
肌寒さが身を包む中、朝焼けが獣人たちの陣地の跡を照らす。
一夜明ければ寝泊まりした地を離れる。それが、どれだけ素晴らしい立地であっても。
それが獣人の文化……だったらしい。
主に平原やなだらかな丘が大半だった獣人の国はどこで寝るにしても困ることは少なく、気候は穏やかで優しいものだった。
土地を愛し、感謝し、平穏をもたらす山脈に敬意を。ただそれだけの質素で美しい生き方だったという。
グラデムなどの若い世代は知る由もないが、年老いた獣人は親の代から懇々と聞かされた話だった。
おとぎ話のようなものだった。それを聞いた情報だけで真似ているだけに過ぎない。
だがどういう訳か、獣人たちは古い文化の轍を恐る恐る踏んでいくだけで、矜持にも似たものがふつふつと湧き上がるのを感じていた。
不幸中の幸いか、極国で生まれ育った獣人たちは移動をしながらの生活はむしろ慣れ親しんだものだった。
それが悪意や恐怖から逃げるためだけだったか、かつての文化を欠片でも残そうとしたものだったかは今となっては分からない。
採掘場に行くための森の入り口付近。先日、ラダートル国の兵士や傭兵たちが集まっていた場所には、数人の人影だけがあった。
椅子と呼ぶには粗末なものに腰掛けているのは二人。
獅子のような顔を持つ巨躯、獣人の若王のグラデム。
ラダートル国の軍を指揮していた初老の男、フラスト=ブロスコー。
そして両者の間に立つのは立ち合い人として現れた、グラデムよりも更に大きな龍人の女のメレナ。
グラデムと、フラストの背後にはそれぞれの腹心たちが数人立って控えている。
十河は、その獣人たちの間に混ざるように立っていた。
先日の休戦協定はいわばその場のしのぎの仲裁だった。
龍人の無茶苦茶ともいえる強引な協定は、お互いに利のあるものとなったが、一夜明けた今となってもお互いの緊張感は高まっているとまで言えた。
獣人にとっては同等な交渉の場が出来たが、それまでだった。
ラダートル国としては採掘場を取り戻せたものの、獣人と黒づくめ、それに龍人のという不確定要素があった。
「さて、それで君たちの王様の判断はどうなったのかな。始めてくれ」
最初に口火を切ったのは龍人のメレナだった。急かす風でもなく、自然な切り出し方だった。
初老の男のフラストは背後の部下に目配せをすると、部下は丸められた羊皮紙を渡す。
手慣れた手つきでフラストがそれを広げ、数秒目を通した後に、口を開く。
「……結論から言おう。我が国王は和平を望んでいる。かつての獣人たちの暮らしていた土地の範囲を古い地図からすでに洗い出しており、返上する用意がこちらにはある」
「ッ!」
グラデムは思いがけない言葉に驚き、やがて疑念がその身を包むのを感じた。
何年だろうと戦い、黒づくめの女子供も極国の縁だろうと全てを利用して国を取り戻す覚悟をしていた。
だが、肩透かしを食らった。良くても領地内での生活を認める程度で、対価として労働を求めるだろうと踏んでいた。
その予想は、半分当たっていた。
「ただし、条件がある」
グラデムは「だろうな」とは思ったものの、口は挟まずに続きを待つ。
「我が国の宗教に、帰依することだ」
「……なるほどな」
グラデムが怒気を孕んだ声音を漏らす。
帝国の支配下にあるラダートル国の宗教は、聖霊教だ。
ラダートル国側で立っていた兵士が動きを見せたが、フラストは片手をあげて制する。
「形だけでいい。口約束にも近いものだ」
「俺たちを奴隷として扱うことを肯定した宗教に屈しろというか」
「獣人の王よ。私はしがない少将だが、王から信頼を置かれている数少ない者という自負がある。この和平は、獣人にとって恩恵は多いものになるだろう」
「……」
グラデムは黙考する。
十中八九、罠だと確信はしている。だが危険を冒さなければ勝ち取れないものも事実。
どうするべきか考えていたところで、ふと、違和感を覚える。
「なぜ、領土を明け渡せるのだ」
「狂った前王によって生まれてしまった獣人との確執をこの機に解消し、この地に平和を……」
「そうではない。ラダートル国は、実質的には帝国の属国だろう」
「……たしかにその通りだ。しかし本来は我々の領土であり、帝国に口を挟まれる謂れはない」
「馬鹿な。そんな風に押し通られるものか」
「領地内の管理は国に一任されている。なに、兵と肩を並べる私だがこう見えてもそこそこの貴族だ」
「何もわからない愚かな獣ではない。獣人は今や、少なくない人数がいる。そんな他種族の勢力に、ましてや奴隷として扱っていた者たちに、帝国の支配下にある属国が領地を簡単に明け渡すなど許されるわけがない。なにを企んでいる」
「では、どうしたい。土地のほかに他に何を求めている」
グラデムは、感情的になってきた自分を律しようとしながら、再び驚きを隠せなかった。
圧倒的優位にいるであろうラダートル国側が、条件を出してくれと言うのだから。
それとも、こちらの需要を把握して先回りするように潰す気なのか。グラデムは困惑する。
出方を伺いながら、口を開く。
「では、人間たちと同等の扱いと、私たちの先祖への詫びとして帝都でも使える通貨を出せるだけ出してもらおう」
「ああ、良いだろう。できる限りの努力をしよう」
二つ返事だった。ここまで来て、すべて嘘なのだとグラデムは確信する。
「どこまで私たちを愚弄する気だ。王の言葉の代理だけかと思ったが、貴様が何も考えずに判断をしているではないか! 十河! 陣地に向かってくれ!」
「まさか獣人たちを襲っているとでも? 落ち着け、若き獣人の王。言っただろう、私は王から信を置かれているものだと。それに黒づくめ、君にも聞いていてほしいから退席はご遠慮願いたい」
十河はどうすべきか迷って龍人のメレナに視線を向ける。立ち合い人として仕事をしてくれ、と思いながら。
メレナは十河の視線の意図を汲み取って、発言する。
「うん。先ほど彼の仲間を見てきたが、動く様子は見られなかった」
「決してそんな卑劣なことはしないと誓おう。傭兵たちも、そんな無益なことはしないだろう」
そんな時だった。爽やかな風が吹くと同時に、ポーンと、木琴を鳴らしたような柔らかい音が辺りに響く。
「フラスト様」
「あぁ」
ラダートル国側の兵士が模様の刻まれた筒をフラストに持ってきた。魔道具だ。
それを、フラストは耳に当てる。
グラデムはなにをしているのかわからなかったが、十河はそれを見て電話を連想する。
話し口がないことから一方的な連絡手段なのだろうとも当たりをつけた。
この魔道具で連絡を取ることによって、採掘場が占領された直後に軍を動かし、緊急で傭兵を集めたうえで向かうことができた。
「なっ……」
しばし黙っていたフラストだったが、見るからに動揺を見せる。
筒を耳から外し、しばし考えたのちに、にっこりと笑う。
「はは、これはずいぶん、本気のようだ」
「なにをしている」
「申し訳ない。この魔道具で我が王からお言葉が届けられていた」
「我々のことか?」
「もちろん。喫緊の問題……いや、渡りに綱といったところだからな」
「では、ラダートル国の王はなんと伝えたのだ」
「獣人たちに土地を渡したうえで国として認める条件の追加だよ。残念ながらこれは伏せられるよう言われている。ただその条件を達成させるためには、貴殿らにラダートル国の首都まで来てもらう必要が出てきた」
「なにっ?」
「獣人の王はもちろん、黒づくめにも来て欲しいとのことだ」
無理だ、十河は思った。思い浮かべるのは帝都での日々だった。
獣人は奴隷としていたぶられ、日本人は魔族によっていきなり魔族だと罵られ多くが死んだ。
それを思えば、暴力や裏切りがうごめく極国と同じような地獄だろう。
グラデムはフラストの目を見て言う。
「たとえここに座るのが子どもであっても、そんな無謀には付き合わん」
「そうだろうね。敵の本拠地にのこのこと出向くなど、到底不可能だ。そこでだ」
再びフラストの背後の兵から差し出されたのは、鎖と首にはめられる枷。
獣人にとって忌々しい隷属の象徴ともいえるそれを、フラストはグラデムに差し出す。
「私が人質になろう。ここ一帯の領地を任されている領主の貴族であり、少将の位をもつ私なら不足はないだろう」
□□■
グラデムたちは始めに、身を差し出したフラストが影武者でないかと疑った。
だがフラストが人質になるにあたって、武装を解除し、待機していた兵士たちの前で獣人側の人質になると宣言したときの兵士たちの狼狽ぶりからしてひとまず本人だろうと信頼することにした。
そしてフラストは単身、獣人たちの集団の中まで連れてこられた。
すでに集団は移動を始めており、フラストの住まう拠点まで行進し、そこで準備を整えたのちにラダートル国の首都へ向かう予定だ。
フラストに枷はつけなかった。グラデムの意向であり、人間と同じことはしないという意思表明だった。
ラダートル国の軍というよりも、フラストの配下の兵士たちの背後を獣人たちの集団が遠くから追う。
歩き始めてから、報酬を受け取った傭兵たちがパラパラと去っていく様子も散見された。
フラストは屈強な獣人の戦士に囲まれて見えない。もしも彼が裏切ったとしても、すぐには救助されないだろう。
その方向を見ながら、十河はパルガに話しかける。
「大胆なことをするやつだよな」
「やはり、それほどまでに信頼してもらう目的が何なのか気になるところだ」
「……まぁ、そこまで知る必要は俺たちにはないし、関係ない。って言うのは、冷たいかな?」
十河はパルガに、ともに暮らさないかと提案していた。
獣人が国を取り戻し終わった後は日本人たちは安全が保証された極国に戻る気でいたのだ。
十河としてはこれ以上の危険を冒す必要などないと思っている。
名誉も地位もいらない。獣人たちのような誇りなども、後から少しづつ育めばいい。
魔族認定してきた聖霊教とは縁の無い極国なら、気候などの環境は十河たちが体感してきた通り厳しいとしても、穏やかに暮らせるはずだろうと期待している。
「すべてが上手くいくのならそれで良いと我は思う。極国での暮らしか。我としては、そこでも冒険者を続けてみたいところだな」
「お前が冒険者ってのが違和感ありすぎるな……」
「では、オーロラについてはどうする」
「龍人が気にしてる様子だったし、そいつに任せることになるんじゃないかな」
「だが、あの通りだぞ」
二人して背後を見ると、ポルにべったりの黒髪の女がいた。ジェイクや、アンミュ、真里谷もそれにすっかり慣れてしまっているようで、ほとんど気にも留めていない。
オーロラというのは彼女の仮の名前だ。
なんとも綺麗な名前を考えたのは、上野だった。龍の住まう山脈の向こう側に微かに見えるオーロラを見て、そう提案した。
獣人たちは慣れない日本人の発音を――もちろん、日本人にも異国の言葉ではあるが――いたく気に入った。
ポルにそれを伝えてもらうと、本人も気に入ったのか「おーろら!」と嬉しそうに繰り返し喋っていた。
「それはポル次第だな。アンミュだっけ、その子絡みの話は聞いたけど……本当に優しいな」
「ポルによると、オーロラは少しづつだが知性を取り戻しつつあるらしい。そうなれば、言葉も喋るようになるのではないか」
「人間語を喋るか分からないけどな。龍人も龍人だ。なんも教えてくれねぇ」
明らかにオーロラが何者なのか知っている振る舞いをしているというのに、誤魔化すだけでハッキリとしない。
十河としては問い詰めてやりたいところだが、変にこじれて獣人とラダートル国の中立を放棄なんてされたら面倒だと思い、静観することに決めている。
「十河は獣人とラダートルの方に集中してくれたらいい。黒づくめのために」
「そうさせてもらうか。気になりはするけど。あぁ、あと気になると言えば」
「真里谷のことか」
こくりと頷く十河。
帝都から脱出する際に、パルガが本能的に行った行為。
その後、瀕死だった緋灰鳥のカイを回復させ、別の種族に見まがうほど成長させた光。
「十中八九、俺の『燐光』と同じ種類のものだろうな。俺のも大熊から貰ったもの……だと思うし。その時以降能力を発動したことは?」
「無い。我が止めている。十河の懸念と同じだろうが……」
「あぁ、反動があるかもしれないな。使い過ぎると、ひどい時は血反吐も吐くぞ」
「……やはり無理をしているではないか」
「おっと。でもまぁ、こうして生きてるってば。昨日のアドバイス通り、少しづつ反動を解放してるから心配すんなって」
「いま、全てを解放するとどうなる」
「さぁな。分からん」
十河は嘘をついた。大体の見当はついている。
極国で第一王女を殺した後に受けた反動で失った味覚。
未だに戻る気配はない。
パルガの心配そうな態度を見れば、戦いに関係のない部分を失って良かったと後になって安心したとは言えそうになかった。
▽▽▼
その一日はほぼ移動に費やされた。
途中で休憩を挟んでも、無駄なことはせず、ひたすらに歩き続けた。
身軽な恰好で、強靭な肉体を持つ獣人にとっては苦ではない道のりだった。
しかし重い装備をまとった人間はそうもいかず、暗くなってからは兵士たちの足取りは重くなって獣人がやきもきする場面もあった。
途中、フラストによって獣人たちに人間の装備を預けるという提案がなされた。
荷物持ち、ひいては奴隷扱いかと憤慨する獣人もいた。
だが、無防備な恰好で暗闇の中で前を歩かせると考えればいいとグラデムが説き伏せ、その提案が受け入れられる。
事実その通りで、魔物が襲い来る可能性は低くなかった。
幸いにして魔物は現れず、一行は無事に、予定よりも早くフラスト=ブロスコーの本拠地へと訪れることができた。
「意外と、広そうだな」
十河はなんとなく小さな領地を思い浮かべていたため、そう呟く。
頑丈そうな外壁が横いっぱいに広がっていた。その周りの一周するには、かなりの時間が必要だろう。
壁の向こう側からは、人々の生活を思わせる煙がいくつも立ち昇っている。
「上げろー!」
外壁に登っていた兵士の声に続いて、跳ね橋が引き上げられる重い音が響いた。
すでにフラストを除く兵士や傭兵たちは外壁の中に入っている。跳ね橋があがるのを確認すると、外壁に立っていた兵士も姿を消す。
獣人たちはというと、その一連の流れを見ることもなく、外壁からやや離れた場所で陣地を敷いている。
各々の家族や、友人の間で食事が始まろうとしている。
敵の拠点のすぐそばということもあり、昨日のようにはしゃいだりはしない。
ひと息つき、準備を終えて、十河たち日本人たちも例外なく食事にありつこうとしたときだった。グラデムの腹心の獣人がテントに現れる。
「ソゴウ、王がお呼びだ」
呼び出された十河は足早にグラデムの寝泊まりするテントへと足を運ぶ。
中に入ると、グラデムとフラストが同じ鍋の飯を食らいながらも、距離を置いて座っていた。
フラストは特に気にせず食事を行っていたが、グラデムは気まずそうな顔をしている。
「……来たか」
「おいおい、どういう顔でここにいればいいんだ、俺は」
「気にしなくていい、黒づくめ。私から話があるだけだからね」
「飯を食う前だったんだけど、俺もこれ食べていいですかね。貴族様」
「ふん、俺の飯だ。この少将様に気を遣う必要はない」
「はは、そうとも。気にせず食べるがいい。いやぁなかなか美味しいじゃないか」
十河はそこらに置いてあった器を手にとって鍋から粥をよそう。
話が始まる気配もないので、熱がりながら粥を口に運んでいると、だしぬけにフラストが話を始める。
「不思議に思っただろう。私の対応に」
グラデムが無言を貫くため、仕方なく十河が「まぁ」と軽く答える。
フラストは器にさじを置くと、大きくため息をついて話しはじめた。
「知っての通り、かつて獣人を追い出し、領土を超えて好き勝手な侵略を進める狂王が戦争を始めると、まるで我々を救うように帝国は動きだした。そして、現在の通り帝国の属国だ。良くできた筋書通りのようにな。帝国の王家は何かと手を尽くしてくれたが……。今から話すこれは憶測、いや、一部の者の通説に過ぎない」
とそこまで話すと、続けることに決心がいるのか、フラストは再び口を閉ざしてしまう。
重苦しい雰囲気を醸し出し始めたフラストに、あえて十河は呆れたような声を出す。
「……えーと。あくまで俺は獣人の手助けをする立場だから、急に歴史の話をされても困るんですけど」
「君にも関係のある話だ。信頼してほしくてこの話をしようと思ったが、どうにも怖くてな。……狂王が狂王に至るまでも、帝国との戦争も、その後の異様に順調に進んだ戦後処理も、ある組織の思惑が存在していたとしか思えないのだ」
「やけに勿体ぶるな少将殿。獣人の利になる情報か、それは」
フラストは「さぁ、どうだか」と呟く。その表情を十河が改めて見ると、険しいものになっていた。
決心と憎悪とが織り交ざった顔だった。貴族の、高い地位を持つ領主が見せるには余りにも感情的だった。
「君たちを不利な立場にさせた者たちと同じなのだよ。そう……聖霊教さ」




