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ロア・オブ・ライフ  作者: 爺々屋
密林編
8/82

手向け

 微かな揺れ。


 地が震えるような揺れではない。

 俺の体が揺り動かされている。

 ついさっきまで居た、憶えてもいない夢の中から覚めたことに気付く。

 次第に、五感の感覚を取り戻していく。

 最初に視覚と感覚。

 ミキさんが口を開きながら俺の肩を揺さぶってくる、顔が近い。

 次に嗅覚。

 風呂になど入っていない女の匂いと汗とが混じった濃厚な香り、それが俺の鼻腔をくすぐる。嫌ではない。

 そして聴覚。


「十河くん……!十河くん!起きて、お願い……!」


 微かな音量で、叫んでいた。

 なにをそんなに必死に伝えようとしてるのだろう。

 眠いんだよ、後にして欲しいな。

 なんて、ぼんやりと呆けていたら。

 最後にもう一度感覚、というより痛覚。おまけに味覚。

 鉄の味、血の味ともいう。

 頬をグーでど突かれた。

 寝呆けていた俺に、痺れを切らしたミキさんが殴ったのだ。


「いつまで寝呆けてんの…!下を見なさい、下…!」


 下、と言われて眠気の残る頭を動かして言われた通り下を一瞥する。


 そして「それ」を目にして、俺は眠気が吹き飛んだ。


 鳥肌が立ち、全身の神経が握りられたようで、呼吸が苦しくなる。


 恐怖だ、これは恐怖。


 大蛇と大熊の戦いの恐怖が圧倒的暴力に怯えなければならない恐怖であったなら、これは不可解な、理解できない、奇妙な、底の知れないものへの恐怖。

「それ」の肌は、本来の生き物なら覗き見ることのない肉の色、というより肉そのもので、「それ」は土や泥で薄汚れている。たびたび肉が脈を打っているのは見間違いではない。


 腹は餓鬼のように膨らみ、ジュクジュクと、生々しく蠢いている肉が主張されている。

 足は太く短い。その足が地を踏みしめる度にぐちょりと生肉を叩き合わせたような音が耳につく。

 腕は細く長く、手の甲と思しき部位は地に着いて、ズルズルと引きずっている。

 顔であろう部位には目玉が一つ、真ん中に位置している。

「それ」は俺が見たことも聞いたこともない、吐き気を催すほど気持ち悪い「魔物」だった。


「な……んですか、あれ」


 小声で、縋りつくようにミキさんに聞くが、ミキさんは強張った顔のまま首を横に振る。わからない、ということだろう。

 落ち着け、落ち着け。

 目を凝らすと、大きさはおよそ俺ぐらいだということが分かる。

 だが、あれがどれ程の脅威なのかが皆目つかない。

 水を求めてやってきたわけでもないようで、あっちこっちを行ったり来たりしている。

 幸い俺たちのいる木は地表から二メートル強くらいの高さなので、俺たちを見つけることは困難だろう。

 ギョロギョロと一つ目をせわしく動かして動きまわる「それ」。

 なにが目的なのかがわからず、ただ息を殺して「それ」を見守る俺と、ミキさん。

 やがて「それ」の動きがビタリと止まる。

 まさか、場所がばれたか。

 息が止まりそうになるが、そうではなかった。「それ」はある一点を凝視している。

 俺は目を細めて奥を望む。その先には一角ウサギ。

 あの渋い味の木の実を食べに来たのだろう。一心不乱に木の実にかぶりついている。

 俺の時もそうだったが、食事してる警戒心が無さすぎないか?

 昨日死闘を繰り広げた相手の無警戒さにやや落胆を隠せない。


「それ」が動く。

 既に肉の足音は無く、じわりじわりと、どう進んでいるのかわからないが、ウサギに近づいていく。

 意識を集中させなければ、目立っているはずの「それ」を見失ってしまいそうなほど存在が希薄になっている、身の毛がよだつ隠密能力だ。

「それ」の腕がぶれた。

 筋張った手、というより最早筋が見えている手がウサギを捉えていた。

 必死にもがくウサギ、だが脱出出来ない。

 そのまま「それ」は、ウサギを自身の肥大した腹に押し付けた(・・・・・)

 キューキューと断末魔を上げるウサギの足や体に、触手のような形をとった肉がまとわりついていく。

 やがてウサギは十秒もかからずに肉の中にズブズブと埋まっていった。

 ウサギを食べて満足したのか「それ」は踵を返して、密林の奥にグチャ、グチャと足音を立てて歩いていった。




 ▽▽▼




 俺たちは、「それ」がいなくなった後も暫くの間動けずにいた。

 しかしミキさんと密着してるのに気付いた俺が、転がるようにして木から降りる。

 この場所についさっき「あれ」が居たと考えたら怖くなり、たまらず木の槍を持って周りを警戒する。

 そんな滑稽な姿の俺を、ミキさんが疲れた笑いをしながら続けて降りてくる。


「いやぁ、気持ち悪かったわねー、怖かったー!ていうか見つからなくて良かったー!」


 そうおどけるミキさんの表情は優れない。当たり前だ、あれを見て平気でいられる者がいてたまるか。

 怖かった。

 あんなの、映画でしか見たことが無いし、地球には存在しない化物なのだから、当然だ。

 地球という人間の外敵が居ない、居たとしても同じ人間の世界。そんな地球が恋しくなった。


「なんなんだよ、あれ。聞いたこともないぞ」


 奴は、神は言った。

 設定は日本人が考えたものを合わせたと。

 つまり、ある日本人が考えた魔物ということでいいのだろうか。

 あんな醜悪なものを考える奴の気が知れないな。文句を言っても仕方ないと思うが。


「ねぇ十河くん、さっきのあれ、倒せると思う?」


 俺は首を振りながら即答する。


「無理だと思う。ウサギを捕まえた腕の動きが見えなかった。あと怖い」


 ミキさんは「確かにね」と賛同してくれるようだ。

 でも、と前置きしたミキさんは腕を組み、難しい顔をして呟く。


「なんとか、ああいうのを倒せないかしらねぇ。銃とかあればいいんだけど」


 ギョッとしたのは俺だ。

 いきなり何を言い出すのかこの人は。銃とかあればってゲームじゃあるまいし。

 やや引き気味の俺を打ち見るとミキさんは笑い、手をプラプラして言う。


「私、実は自衛官見習いなんだー。所詮見習いだけどね?」


 あぁなるほど、それでゴツいトレッキングシューズを履いていたり、木登りを簡単にしていたのか。

 感心したような顔をしていたのだろう、ミキさんは恥ずかしそうな顔で続ける。


「ホントに見習いなんだってば、取り敢えず銃は触ったことがあるくらいなんだよ?」


「それにしてもミキさんの第一印象は軽い、だったんですけど。自衛官てもっと厳格なんじゃないですか?」


「こんな異世界に来てまで自衛官ぶることないでしょ?」


 ウインクするミキさん。

 つまりこれが素の性格ということか。

 何故自衛官になったのだろうか、非行娘を親御さんが無理矢理入れたとかか。

 それは個人のことだし、どうでもいいが。


 その時はたと気付く。


「そういえば、ミキさんなんで俺の寝床に居たの?」


「……えー?別に鼻の穴にダンゴムシっぽいの詰めようとか思っただけですぅー」


「ぶん殴るよ。なんだよダンゴムシっぽいのって」


 これ、とミキさんが指差すものを見ると、ダンゴムシがそのまま五倍くらいの大きさになったのがいた。

 ひぃい!

 俺の鼻の穴はこんなに大きくない。いやそうじゃない。そういうことじゃない。実際されたらトラウマものだった。


「これからは絶対にすんなよ」


「はーい♪」


 絶っ対またするなこの人。

 弟さんの苦労が目に浮かぶ。

 今のやり取りで肩の力が抜けた俺は槍を杖にしながら、うんざりして話す。


「で、「あれ」……「肉塊」でいいや。どうする?対策でもするか?」


「そうねー、罠くらい仕掛けておきたいところね」


 罠か、いい考えかも。

 だけど道具が限られてる今そんなことが出来るか?


「落とし穴、とかが無難?」


 俺の言葉を受けたミキさんは軟らかく否定する。


「落とし穴ねぇ、確かに使えそうではあるけど、労力に報酬が見合うかなー?ハイリスクローリターンじゃない?」


「じゃあ他に罠ってあるか?」


 そうねー、と言ってうんうんとしばらく唸っていたミキさんが動きを止めて、目を開ける。


「肉塊さぁ、大蛇には目もくれなかったよね」


 確かに。俺たちが少し食べたとは言え、まだ肉の部分は殆ど残っているというのに。


「大きすぎて食べられないと判断したのか、それとも死体の肉には興味がないのか?」


「そうねー、どっちかってゆーと前者だったらいいんだけど」


 きっと俺たちくらいなら食べられるよ、とは言わない。

 肉塊に聴覚はあるのだろうか、視覚だけで動いているならやりようがまだあるが。


「んー、考えててもしょーがないね。適当にいくつか武器も作っちゃおうか」


 ふぐぐ、と背を反りながら伸びをするミキさん。全く胸が強調されない。

 優しい目でそれを眺めた後に、魔物に会わないように警戒しながら罠の材料を集めにいくことにする。

 俺が槍を使いたかったが、ミキさんが槍を使いたいとごねたので、俺が大蛇の皮で作った打撃武器を持っておくことになった。

 とりあえず集めたのは木の枝、蔓、若木などを多量に。

 どさっと集めたそれらを置くと、ミキさんは自信満々で「これだけ有れば罠を沢山作れるね!」と豪語してたので、任せる。



 罠の設置はミキさんに任せるとして、俺は打撃武器を持って拠点周辺の探索を進めることにした。

 槍の材料を探した時よりも広い範囲でだ。

 草で出来た靴まがいにも慣れてきて、すいすいと歩けるようになってきた。実はウサギとの戦闘後に破けて壊れてしまったのでこれが二代目になる。

 途中、一角ウサギや他の魔物を見つけた。

 目玉に羽が生えたような奴、スライムみたいな奴、岩そのものの奴、巨大なサソリ……などなどである。

 ちなみに、何故こんなにも魔物を見つけてるのに戦闘にならなかったかと言うと。

 数歩進んでは周りを見渡し、少しでも音が立ったならば脱兎の如く近くの木の上にエスケープしてるからである。

 見た魔物の中では弱そうなものに部類する一角ウサギにあれ程苦戦した。つまりそれ以上の魔物なら即死する可能性は高い。

 慎重に、慎重に、時には素早く。

 用心のし過ぎに越したことは無いだろう。


 一回だけ、首が一つだけだったら立派な軍用犬な三つ首の魔物に見つかったが、俺と目が合った。

 これは駄目か、と思った。

 しかしその瞬間に上から急降下してきたクチバシの鋭い大鳥に、三つ首の犬は首を貫かれて死んでいた。これが頭一つだけだったら生きてたのだろうか。

 大鳥はその場でグチャグチャと音を立てて三つ首の犬を食べてた。目玉をクチバシの端に咥えていたのを見た時は流石にうっ、ときた。

 願わくば、このように喰われて死ぬことがありませんように。


 警戒する項目に上空が追加された。




 ▽▽▼




 それからも慎重に歩いていると、突如として木の枝で遮られていた日の光が目に届いた。


 眩しさに目を細めるが、その奥にあった光景に目を奪われる。

 そこには、他の大木と比べても際立って巨大な木がそびえ立っていた。

 その大きさは天にも届かんばかりで、50メートルは優にある。

 巨木の周りは開けた空間になっており、害にもならない小動物の憩いの場となっているようだ。

 巨木の表面は緑色をしたコケが生い茂り、なんとも人が考えた自然の姿そのものって感じになっている。


「おお……凄ぇなぁ……」


 感心して、今まで限界まで張っていた警戒心が緩む。

 俺が両手を広げた幅よりも大きい根に辿り着くと、ぽっかりと穴が開いてる場所があった。

 なんだろう、と何気なく覗く。


「ぅおあ…!」


 警戒心が緩んだせいか変な声が出た。

 まるで大型トラックのような大きさの、水晶のような角を生やした熊が横たわっていた。

 間違いない、あの大熊だ。

 だがあまりにも動かない。様子を見てみると、腕に痛々しい穴が開いている。大蛇に噛まれた跡。

 もしや死んでいるのでは?と思い、一歩踏み出してみた。

 コケを踏んだ、湿った微かな音。

 大熊の瞼が、静かに開く。

 ヤバイっ!

 即座に反応し、後ろを向いて駆け出したが、背後から音がしない。

 恐る恐る振り向くと、大熊は横たわったままだった。動いていない。


「…………………………」


 迷ったが、大熊の近くに戻る。


 俺を狩る価値も無い小物と判断しただけかもしれないが、そうではない「気がした」。

 さっきよりも近い、大熊が手を伸ばせば余裕で届く場所まで歩く。

 やはり大熊は動かなかった。

 いや、動けないのだろう。

 近くに寄って判ったが、大熊は呼吸が苦しそうだった。人間なら全身に汗をかいてそうだ。

 更に、大熊の息が当たりそうなほど近づく。

 俺自身、なんで大熊に近づいているのかわからない。

 先の三つ首の犬のように突然として死ぬのではなく、傷によって、徐々に死に瀕していく大熊を哀れに思ったのだろうか。

 それともただの興味本位か。


 大熊の瞳は金色を持ち、理性的な目をしていた。到底獣の、魔物の目とは思えない「気がする」。

 ただの人間の俺にそんなことが分かる訳が無いと思うが、やっぱりそんな「気がした」。

 大熊の口が小さく開く。


『グォ……ォォ……ァグォ……』


 弱々しく、重い、言葉に聞こえる声が紡がれる。

 何かを俺に訴えようとしてるのか、警告してるのか。

 その呟きは続く、俺と目を合わせながら。

 五分は経った頃に淡々とした口調が、幾らか荒くなる。


『グゥゥゥ……ォォ……!』


 それに伴って、ズズンッと大熊の体が動く。

 それだけで空気が揺れ、俺は恐怖で寸秒、平衡感覚を失いそうになるが持ち堪える。

 顔を上げると、大熊が鼻先を俺に突きつけ、黄金の色をした瞳で俺をただジッと見つめていた。


『……グラァア』


 その一言は、やけにハッキリと発音された。

 大熊は水晶の角をそっと下ろして、俺の頭に添える。

 すると、魔法を打ち消した時の輝くような光ではなく、雲の間から差し込む日の光のように柔らかい光が仄かに俺を包んだ。

 いきなりの事態に俺は混乱する。


(えっ、なっ?これ、何のための光だ?魔法を打ち消すため?でも俺は、魔法を使えないから関係無いんじゃ?)


 だが、光が収まっても俺の体に変化は訪れなかった。


 ゆっくりと、見えない糸が切れた様に、大熊の命を繋いでいた何かが無くなって、大きな音と振動を響かせて横にゆらりと倒れた。

 ピクリとも動かない。

 大熊は死んだ。

 こんなにも呆気なく。

 嵐のような戦いをして勝利した大熊が。

 俺に看取られて。


 別に、大熊に命を救われた訳じゃない。

 ただ大蛇との戦闘の場に居合わせただけだ。

 この大熊には特別な感慨はない。


 だが、自然と俺は目を瞑り、手を合わせていた。


 以前の俺なら馬鹿馬鹿しくてやってないだろう。

 だけど、目の前であっさりと死んでいく生き物を見て、純粋に可哀想に思えた。

 手向けを送ろうと思った。

 死を見送った者として。



 不意に後ろで気配を感じる。

 振り返ると、小熊。

 大熊の子と思うのが自然だろうが、あまりにも普通の、熊の子供の大きさだ。違いは額から生えているまだ小さい水晶の角だけ。

 小熊は口に枝葉を咥えていた。

 トテトテと歩いて、俺を横を通り過ぎ、大熊の元に行き、大蛇に噛まれた後の腕の傷口の前に座った。

 口に持ってきた葉を含んで、くちゃくちゃと軽く噛んだ後に、それを吐き出して傷口に塗り込んでいる。

 薬草なのだろう。


 何度も、何度も。

 何度も、何度も。

 何度も、何度も。


 もう、大熊は動かないというのに。


『くぉぉん』


 一声、小熊が情けない声を出す。大熊は何も応えない。

 のそりと、小熊が歩いて俺の側を通り過ぎ、再び外へ歩いていった。


 俺には何も言う資格はない。

 少なくともこの密林は弱肉強食の世界。

 食物連鎖の頂点に近いだろう大熊と大蛇の激突は引き分けだったということだけだ。


 やり切れないような気持ちになりながら、拠点に帰った。


 帰る途中で魔物に会うことは無かった。

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