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ロア・オブ・ライフ  作者: 爺々屋
『新たなる光』編
56/82

巻き込み逃走劇・Ⅰ

「おはようございます、アンミュお嬢様」

「……もう、朝ですの」


 目覚めの悪い朝だった。

 アンミュの身体には相応しくない大きすぎるベッドから怠そうに降りると、控えていたメイドによってテキパキと服は脱がされ、髪などの身だしなみを整えられていく。

 真っ白なシャツと、紺色の制服のスカートを着せられた。

 アンミュにとってのいつも通りの休日明けの朝……という訳ではない。

 昨日はメヒールに諭されて家に帰った後、何もする気が起きず、ただ漫然と過ごしてしまった。そのせいか身体が重い。


(忘れてしまえばいいですのに……切り替えが遅いのは、わたくしの悪い癖ですわね)


 アンミュは背筋を伸ばし、メイドを引き連れてその足で家族の集まる大広間へ向かう。

 大きな屋敷なのは自慢なのだが、歩く距離にだけは苦労させられていた。

 朝は父と母とアンミュの三人で必ず食事を摂らなければならない。何かと忙しい父も朝ばかりは時間を取るようにしていた。

 メイドが恭しく扉を開け、アンミュが大広間へと足を踏み入れる。

 父と母が席についていて、アンミュを笑顔で迎える。というのがいつもだった。

 しかし、何故か父と母は席につかずに立っており、アンミュを睨むように顔を向けた。

 そこには父と母以外の人物が居た。見知らぬ人物。


「アンミュさん、ですね?」


 しかし、胸に金色で『聖霊教』の十字架が縫われた真紅のローブに全身を包む者……アンミュはそれを知っていた。

 彼らは『聖霊教』の高位の魔法使いである司教のみで形成された、実働部隊とも言われる『異端懲罰官』だ。

『聖霊教』に著しく仇なす者が現れた時、真紅を纏う者がそれを連行に向かい、存在を消すという。

 アンミュは視界が歪んだように錯覚した。

 黒づくめと接触していたことがバレてしまったのか、それとも黒づくめが捕まってしまったのかと考えを巡らせるが、答えは当然出ない。


「はい……わたくしが、アンミュ=トスオルトですわ」

「お父上とお母上には話してありますが、黒づくめと接触していたとして貴女に異端の疑いが掛かっています。疑いを晴らしたくば教会にて弁明を聞きましょう」


 アンミュの動悸は激しくなっていき、手にはじわりと嫌な汗が滲んでいた。

『異端懲罰官』の話には続きがあった。

 彼らが異端だと疑った者は……殆どが行方不明、もしくは何らかの形で死に至っていると。

 顔面を蒼白にして、答えることも出来ないで立ち尽くしていたアンミュに母が声を掛ける。


「残念ね。アンミュは優秀な子だと思っていたのに」

「……お母様?」


 続けて父が厳しい語調で言う。


「我ら一族は代々聖霊様を信奉してきた。そして、代々恩恵を預かってきていたというのに……」

「お父様……?」

「アンミュ。君は今日からトスオルト家の人間ではない。勘当だ。異端の疑いを掛けられた人間が我が一族に居るなど、先祖に顔向けが出来ない」

「は……え……?」

「なに、子の多い親族なら居る。彼らから養子を迎え入れれば、家が断絶することはないだろう」


 父の言葉が終わらないうちに、アンミュはその場を逃げ出した。


 止めようとしたメイドを押しのけて、力が出ない脚でがむしゃらに走る。

 背後からは優しかった父の叫び声と、衛兵の鎧の擦れる音ばかりが聞こえてくる。

 窓から屋敷を出て、子どもの頃に見つけた秘密の裏口を通る。

 その草木の穴は、身体が大きくなったアンミュには小さかった。枝や草でアンミュの肌に小さな傷がついていく。

 やがて、貴族の住宅街を出た。意識的に人の目の届かない、日陰の道を走る。

 寒さからか、それとも恐怖や絶望からか。薄着のままのアンミュは歯をガチガチと鳴らす。

 足取りがおぼつかず、不格好な走り方だ。

 目的地などなかった。黒づくめと接触していたのが露見したのなら、学園に行こうが、『満腹皿の里』に行こうが、庇ってくれる人など居ないのだから。

 泣き喚くのだけは我慢して、あてのない逃避行を続ける。

 漠然と、ポルの下宿先の方向へ走っていた。

 あんなにも昔は毛嫌いしていたというのに、今は情けなく頼ろうとしている自分にアンミュは泣きたくなる。

 ポルの下宿先など聞いていない。だから何処に居るかもわからない。


「うっ……ぐすっ……なんで、こんな……」


 アンミュの悲しみは怒りに変わっていく。

 黒づくめを突き出していれば、むしろ讃えられていただろう。黒づくめが全て悪い。あれが居なければ、こんな事態にはなっていなかった。


「違うっ!そうじゃないですわ!もう、いやぁ……!」


 何もかもが嫌になってくる。アンミュは溢れ出る感情に身を焼かれる思いで一杯だった。

 その時だった。


「アンミュ!」

「……っ!ポル!」


 頭上から声を掛けられる。屋敷に比べればあまりにも小さな一軒家の二階の窓から、ポルが上体を乗り出していた。

 ポルが窓を開けるために近付くと、人通りの少ないはずの裏道で、この地域では見覚えのない桃色の髪を偶然にも見つけたのだった。


「裏口。待機!」


 窓からポルの姿が消えると、一抹の不安がアンミュを包む。

 しかし、すぐにポルは裏口の扉から現れた。


「アンミュ。無事?」

「いえ、あの……」

「潜伏。早急」


 ポルはどもるアンミュの手を引いて家へ入る。モーブリー夫妻はまだ床に就いているのか、静かであった。

 急ぎ足で、二階のポルの部屋にへと入っていく。

 誇り高き貴族の娘であるアンミュが苦しそうな顔で、朝から、一般国民の街中を薄着のまま素足で走っていた。

 そんなアンミュの様態からどんな事態が起こったのか想像がついてしまった。


「アンミュ。足。治療」

「え?……あ」


 素足のアンミュの足は血だらけだった。痛ましい足にアンミュは今になって気付いたようで、痛みに顔をしかめる。

 ポルがアンミュの足に手を翳す。


(こう)治癒(キュア)


 アンミュの足から痛みが引いていき、目立つ怪我が塞がった。


「……感謝しますわ、ポル」


 もう貴族ですらないですのに、とアンミュは自身の言葉遣いに思わず苦笑してしまう。

 アンミュは懺悔するように、訳を聞かれる前に話し始めた。


「どうやら、マリヤツと会っていたことが『聖霊教』に割れたみたいですの。『異端懲罰官』がわたくしの家にまで訪ねてきましたわ。もうわたくしは異端で、貴族ですらないですわ」

「……」

「あら、貴女はこんな時でも無表情ですのね。冷たいこと。いずれわたくしは『異端懲罰官』に見つかって、火焙りにされてしまいますの。親しい者の誰にも最期を見られることなく、暗い何処かで。わたくしがまだ子どもですから、本気で包囲している訳ではなかったようですけど、捕らえられるのも時間の問題でしょう」

「……アンミュ」

「ふふ……笑うなりなんなりしなさい。貴女と違って不完全なわたくしが尻尾を出したのでしょう。本当に、何も出来ない……」

「アンミュ」


 ポルは、泣き顔を伏せたままのアンミュの手を握る。アンミュは、それを握り返す。


「逃亡。一緒。パルガ。マリヤツ」

「黒づくめというお荷物に加えて、異端であるわたくしまで?無茶ですわ」

「否。私。同行。逃亡。可能」

「……は?」


 赤く腫らした目を見開いてポルを見ると、ポルの青い瞳は真っ直ぐにアンミュを見据えていた。

 信じられなかった。この娘は、どこまでも愚かで救えない。

 でも、そんなポルを知っていたからこそ、ここまで来たのかもしれないと再び自己嫌悪に苛まれる。

 アンミュは叫びにならない悲痛を漏らした。


「貴女は、なぜそこまでっ、優しいのですの……貴女は、あの時だって、どんな時だって……」

「ーーそれは、違う」

「え?」

「優しさとかじゃなくて、これは自己満足。私の思い描く目標の私は、アンミュを見捨てない。私は、理想の私の完成のためにアンミュを助ける。そう、これはただの私の我が儘」


 一息に言い切ったポルは動き出す。

 逃亡用の荷物を詰めていた麻袋をベット下から引っ張り出し、アンミュのためにも衣服をいくつか棚から取り出し紐で縛る。それをひょいとアンミュに投げた。


「これ、あなたの服。私は馬と馬車を持っているから、それでパルガたちと同じように紛れて逃げよう」

「貴女、普通に喋れましたの?」

「……一部。限定」


 ポルはしばらく着ることのなかった父の形見のローブを身に纏い、アンミュに顔を隠すための布と、素足よりはマシだと言って新品の靴下を手渡す。

 最後に、あらかじめ書いてあったモーブリーに宛てた手紙を机に置いた。

 ポルが部屋を出ようと扉につま先を向ける。だが、その足は止まった。


「行って、しまうのですね?」

「っ!」「モーブリー、さん」


 寝巻き姿のモーブリーが部屋の扉の前の廊下に佇んでいた。その目元は穏やかである。


「盗み聞きしてしまい、済みません。アンミュという方の話も全て聞きました」

「くっ……!」

「待って、アンミュ」


 魔法を行使しようとしたアンミュを制して、ポルはモーブリーを見やる。


「見逃して。モーブリーさん」

「関わるな、という事ですね」

「うん」

「それは出来ません。無理にでも、関わらせていただきますよ」


 そう告げたモーブリーが、手に待っていたずしっと重い袋をポルに渡す。


「ぴったり三十万セスタです。それくらいしか用意出来ませんでした。邪魔にならなければ良いのですが」

「……なんで?」

「はっは。ポルさんは分かりやすいですからね、妻が先に気付きましたよ。ポルさんがまるで遠出の支度をしているようだと」

「……ごめんなさい」

「いいえ、ポルさんの才能は誰よりもわかっているつもりです。学園などに収まる人材ではなかったのですよ。いずれ、帝都も出ていたかもしれませんね」

「でも折角、モーブリーさんがボルボ族の私に機会をくれたのに」


 モーブリーは「はっは!」と何でもないように笑い飛ばして、ポルと目線を合わせた。

 目と目が合わせているだけなのに、言葉を尽くすよりと伝えたいことはお互いに伝わっていた。

 穏やかな目つきだったモーブリーが、まるで元気な少年のような顔になる。


「さぁ、ポルさん!ゆっくりしている暇はありません!『聖霊教』の奴らはしつこいですよ!大商人のキャラバンが帝都を出る直前の今が好機です!……私は泣いて怒る妻を宥めながら、外での活躍を応援していますね」


 ポルは力強く、頷く。


「うん。いってきます」


 ポルとアンミュはモーブリーの脇を抜けて、階段を降り、走り、家に隣接した小さな馬小屋に入っていく。

 散歩や買い物の荷物持ちしかしていなかった馬のピオに馬車を繋いだ。

 アンミュは顔を見られないように大きな布を被って、荷台に座る。


「行くよ。アンミュ」

「ええ……」


 ポルがピシャリと手綱を捌くと馬車は勢いよく馬小屋の外へと飛び出した。

 目指す先は、大商人が出立する北の大門だ。


 そんな彼女たちの様子を、モーブリーはポルの部屋の窓から見送る。その目は穏やかなものだった。


「また、必ず会いましょう。ポルさん」




 □□■




 朝の帝都は目覚めたばかりで、人の動きも緩慢だ。

 早朝からギルドへ向かったパルガを見送った後、真里谷は女店主に別れの挨拶をするために屋台を訪れていた。

 二人はまだ店開きもしていない屋台の前で言葉を交わす。


「そっか、もうお別れなんだね。故郷に戻るんだったらしょーがない」

「ウん。短かっタケど、楽しカッたよ」

「ぴー!」

「あぁごめんごめん、カイくんもね!……で、結局、マリアちゃんの顔は見れなかったなぁ?」

「ごメンなさい、そレだけハ」

「いいよいいよ!ようやく見れた顔が、嫌がる顔だったら嫌だしね!」


 騙しているようで悪く思いながら、女店主には感謝していた。


(もしこの人に会ってなかったなら、もっとビビりになってただろうなぁ。あと兵士さん)


 パルガが宿屋に戻ったのを確認してから、真里谷は宿に戻って「荷物」に変身して帝都を去るという予定だった。

 チラチラとギルド方面の道を見るも、まだパルガは帰ってこない。ギルドマスターとの話が長引いているのかもしれない。


「そだ、マリアちゃん。最後に何か食べてく?特別に何でも無料で良いよ!」

「ヤッた!ありがトう。じゃア、あまり気持チ悪くならなイようナので……」

「あっはは!なぁにそれ!」


 ふと、女店主が顔を真里谷の後ろへ向ける。

 まだ人の少ないはずの宿屋の近くが野次馬で騒がしくなっていた。

 真里谷も騒ぎの中心を見やると、真紅のローブに身を包む二人組が『満腹皿の里』に入っていっていた。


「うっわ、朝っぱらから嫌なもの見ちゃったねぇ」

「……今のハ?」

「あれかい?異端を取り締まる『聖霊教』の偉い上にやばい奴らだよ。久々に見たけど、やっぱあの赤は目に痛いわぁ」

「おう、なんだお前らもう居るのか」


 女店主の幼馴染の兵士がひょっこりと姿を現す。いつになく、武装がしっかりとしていた。


「あら、今日は良い装備ね。どうしたの?『異端懲罰官』があの宿屋に入っていったのと関係ある感じ?」

「そうそう。何でも、この宿屋に黒づくめがいるんだとよ。取り逃がさないように俺らもこうして取り囲んでんの」

(えっ……)


 真里谷は心臓の鼓動と呼吸の間隔が短くなっていくのを感じながら、周りをさっと見渡す。確かに数人の兵士が控えていた。

 パルガは現れず、リャーノは朝から姿を見せていない。

 どうすれば良いかわからなかった。動くべきか、それともパルガの帰還を待つべきか。


(でも、パルガが私と関わっていることを知っていたら。どちらも……)


 狼狽える真里谷に気付くことなく、女店主と兵士は会話を続けている。


「黒づくめってそんなに強くないんじゃなかったっけ?魔法どころか魔力すらないって聞いたことあるんだけど」

「いやいや、先輩によると獣人の数十人の男たちを一人の黒づくめが素手で皆殺しにしたとか」

「へぇー。掃除してる黒づくめを見たことあるけど、大した連中にも見えなかったけどねー。見た目によらないってことかしら」

(なーんなんそれ!?尾ひれ付き過ぎぃ!いや、本当にどうしよう……!)


 宿屋の中の調査を終えた『異端懲罰官』たちが外へ出る。関わりたくないのか、野次馬たちはそろそろと引いていく。

 女店主は当然やましいところはないので、その場を動かない。兵士は油断しきって女店主と会話する。


(うん、このまま二人に混じっていよう!大丈夫、いける!)


 真里谷は動かない、という選択をした。誤って『異端懲罰官』と視線を合わせないように女店主を凝視する。

 しかし。

 無情にも二つの真紅のローブはこちらに真っ直ぐに歩いてきてしまう。


「そこの三人組。宜しいですか」

「はいぃ?おーやおやおや『異端懲罰官』様たちじゃなーいですかー!お目にかかり光栄でーす」

「おいッ、馬鹿!す、済みません!こいつ、育ちが悪くて」

「問題ありません。そんなことより、逃げ出したりした黒づくめは見ていないですか?」

「悪いけど見てないねぇ。居るってのは確かなのかい?」

「メヒール枢機卿が直々に仰っていたのだ、間違いないだろう。……そこの、フードを被った者は?」

「……知らない」


 真里谷はゆっくりとなるべく良い発音で喋った。体が揺れるほど心臓は跳ね回っている。


(完璧なはず。バレない。早く、向こうに行って……!)


 けれど、その願いは誰にも届くことはなかった。


「ふむ。……では、そのフードを取っていただいても?」


 真里谷の思考が止まる。喉がみるみる乾いていく。

 返事に詰まっていると、女店主が割り込んできて怒鳴った。


「ちょっと!この子は顔を見られたくないの!女の子に無理強いするつもり!?」

「ええ、後で謝罪しますよ。失礼」


 指を真里谷に向けた『異端懲罰官』の一人。たちまち、風が巻き起こる。魔法だ。

 真里谷は慌てて頭巾を抑えようとする。しかし、強風は無慈悲にその頭巾を吹き飛ばした。


「あ、あっ」

「んなぁ!?」

「マリア、ちゃん?」


 フードがぱさりと地面に落ちると共に、真里谷の長過ぎる黒髪が晒しだされた。

 青ざめた顔、驚愕する顔、頬を吊り上げた嫌らしい顔が並ぶ。

 得意満面な『異端懲罰官』は真里谷を見下ろしつつ嬉しそうに叫ぶ。


「ふはははは!見つけたぞ!民に紛れるとは卑劣なり魔族!さぁ、聖霊様の天罰を受けよ!……火の理に願い誓う!」

「おっと、私を忘れないで欲しいですね。……火の理に願い誓う」


『異端懲罰官』たちが真里谷に手の平を向ける。火の魔法で、焼き殺す気だ。

 もう終わりだと。死ぬんだと。真里谷は肩の力が抜けた。

 こんなにも唐突に死んでしまうなんて異世界の人間はなんて可哀想なんだろうと、真里谷は思った。

 前髪で目を隠したままの真里谷が、呆然としている女店主と兵士に向けて言う。


「騙してテ、ごめンなさい」


 言えた、と思えた。

 涙が出る暇もなかった。

 だが、火の光が膨らんでいき、詠唱が終わりそうな時だった。


「おぉぉおっとぉぉお!?身体が勝手にぃいぃ!!」

「何ッ……!?」「ぐあぁ!?」


 飛び出した兵士が両腕を広げてのラリアットを『異端懲罰官』たちにぶちかます。

 鍛錬を怠らない屈強な兵士は、易々と魔法使い二人の細い身体を吹き飛ばした。

 魔法の詠唱を思わぬ形で中断させられた『異端懲罰官』の一人は咳き込みながら怒り狂う。


「くっ……!邪魔だてする気かぁぁあ!」

「違うんですッ、これは黒づくめに身体を操られてー!!」


 女店主も倒れているもう一人の『異端懲罰官』にのし掛かるよつに縋りつく。良く見れば、ちゃっかりと関節を極めていた。


「あぁー!頭が割れるように痛いー!!司教様っ!助けておくれよー!」

「ぐぁあ痛いぃ……!邪魔だ!どきなさい!どけぇ!」

「うおー!俺の頭もとても痛いー!あと身体がー!」

「ぐはっ……この、雑兵がぁあッ!!」


 苦悶する『異端懲罰官』たちに見られないように、女店主と兵士が笑っているのを真里谷は見た。


「……っ」


 必死に嬉し涙を堪えて、前髪をかきあげながら真里谷は邪悪そうに笑って、高らかに叫ぶ。


「ふーはっはっは!そノまま足留めをしてオけ人間ドも!さらバだー!!」

「ま、待て!」


 真里谷は落ちていた頭巾を拾い、ギルドの方面へと走り出す。パルガと合流し、生きて逃げるために。

 今なら、いつまでだって走り続けられそうだった。


 女店主と兵士を捨て置いて、『異端懲罰官』らは真里谷を追っていく。

 残された二人はやり切った笑顔で地面に背中合わせに座っていた。


「あーあ、やっちまったぜ。異端認定されちまったら嫌だなぁ」

「洗脳されたって言えば大丈夫じゃなーい?いやーマリアちゃんの顔見れて超満足っ」

「……結構可愛かったな」

「ねっ!完全に私の予想通りだったわー!」

「へいへい」




 □□■




 朝日が射す室内には部屋の主であるギルドマスターのピークェストと、大きな牙の飾りを首から提げた熊のパルガが向かいあっている。

 ピークェストはパルガの話を聞いて、納得がいったような、そうでないような微妙な顔だった。


「……なるほどねぇん。だから最初に聖霊教徒か聞いてきたのねぇ」

「ウム。ギルドマスターほどの人に事情は知っていてもらいたかった」

「黒づくめのソゴウ、ねぇ。話には聞いているわぁん。闘技場で成人の男の獣人を、数十人、たった一人で殺し尽くした男だってね」

「……十河は優しい男だ。それが事実だとすれば、嘆き、苦しんでいるだろう」


 黒づくめは魔法が使えない。

 つまり、魔力がない。

 しかし、洗脳を得意とする。

 ピークェストは魔法ではない洗脳とは何かを、疑問に思っていた。解きようのない矛盾は矛盾のまま国民に広がっていき、どうしたことか受け入れられていた。

 シンプルに疑問をぶつける。


「パルガちゃんはそのソゴウが獣人を倒せることは不思議に思ってないみたいねぇ?」

「ああ、十河は強い。誰かを守る時、その強さは目を見張るものだ」

「ふーん。どんな魔法を使うのぉ?まさか、獣人より筋力が凄まじいってことはないでしょう?」

「ウム、そうだな。だが魔法の類を使ってはいない。それだけだ」


 答えになっていないということは、つまり答えられなれないということだ。

 ピークェストはどんな表情をすべきか迷ってから、笑った。


「ま、私はソゴウとやらなんてどーでもいいけどねぇん。それよりぃ、私はパルガちゃんが心配なのよぉ~。もしかしてぇ、今もそのソゴウに洗脳されてるんじゃないかってぇ」

「ピークェスト」


 ニコニコと笑っていたピークェストの全身が、少しだけ、粟立つ。

 長く強大な魔物と相対していなかったからか、その感覚に興奮を憶えた。


「我が友を、侮辱するか」

「……んっもぉ、冗談よぉ!やぁねぇパルガちゃんったら!怒っちゃやーよぉ!」


 昔より牙が鈍っているピークェストとはいえ歴としたSランク冒険者なのだ。警戒心を抱かせるとなると、並大抵のことではない。

 やっぱり将来は有望ね、とピークェストは内心で喜んだ。


「さぁて。それじゃ、そのマリヤツ?って子を荷物ということにするために、貴重品を隣国に輸送するっていう依頼でも捏造しとくわねぇん」

「感謝する、ギルドマスター。礼は必ず」

「あらそぉ?ならぁ、エルフ族に伝わるという洗髪剤を……」


 そこで、扉がやや乱暴に数回ノックされる。

 ピークェストは気配に既に気付いていたのか、当然のように「入っていいわよぉん」と返事をする。

 扉が開くと、ノックしたと思われる全身布で覆われた人物が荒く息をしながら居た。真里谷だ。

 その後ろから受付嬢が真里谷を引っ張っていて、カイからしつこいくらい顔や首を突かれていた。


「ぴっぴー!」

「痛っ、痛い!ぎ、ギルドマスター!不審者ですよ、この人!いきなりパルガさんの居場所をカタコトで聞いてきて、教えた途端に!それに、兵士さんや『異端懲罰官』に追い掛けられてて……!痛ぁ!突かないで!」

「パルガっ、えト、ばれた!追いかケ、られテる!」


 パルガとピークェストはすぐに状況を飲み込んだ。

 扉の奥からドタドタと騒がしい足音が近づいてきていて、退路が絶たれていることも察する。

 パルガは受付嬢から真里谷を引き離してから、ピークェストに言う。


「ギルドマスター。先ほどの発言、少しだけ訂正しよう」

「ふぅん?何て訂正するのかしらぁん?」

「我は洗脳されていたのだ」

「あら、なら私もきっとそうだわぁ」

「は?あの、お二人とも、何を」

「ーーガッラァアァ!!」


 パルガは咆哮をあげながら窓のある壁に向かって豪腕を振りかざした。

 大きな音を立てて壁が破壊されると同時に、真紅のローブを纏う者と兵士がギルドマスターの部屋に現れる。


「追い詰めたぞ!魔ぞ……」

「残念だが、さよならだ」


 真里谷を肩に担ぐパルガはそう言い捨てて、崩れた壁の穴をさらに広げて壊し、外へ飛び出す。

 ただの人間なら足が容易に折れる高さだが、パルガは何ともないように着地して、背中に真里谷を乗せて走り出していた。

 残された『異端懲罰官』は去って行くパルガと真里谷を見て歯軋りをし、苛立ちを隠そうともせずにピークェストに詰め寄る。


「ピークェスト様!貴方ほどの御方が魔族を取り逃がすとは……!なんたる事ですか!」

「そうなのぉん?私ぃ、魔族って認識出来なかったわぁ。おそらく洗脳されてたのねぇん」

「くっ……!追うぞ!!」


 無礼を謝ることもせずに、慌ただしく『異端懲罰官』と兵士たちは去っていった。

 風通しの良くなった部屋で状況がいま一つ掴めていない受付嬢は、ひとまずピークェストに告げる。


「壁の修理費は経費からは下りませんからね」

「うっふん。ギルドのお金は私のものよぉ……!」

「ギルドマスター」

「あ、こ~ら!女の子が青筋なんて立てちゃ、ダ・メ・よ!」

「……はぁ」


 ピークェストはパルガたちが走っていった北の方角を見やってから、近くに置いてあった細長い大きな箱を開いた。

 受付嬢はその中の物を見て、思わず感嘆の声を漏らす。

 ピークェストはなだらかな曲線が特徴の、鮮やかな深緑と紺の二色が入り混じる大弓を担いで告げた。


「ミュンちゃん。私ぃ、ちょっと派手目に運動するから宜しくねぇん☆」

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