只今の日本人の現状
現在、保護されている日本人の大人の人数はおおよそ五十人で、子供が大体二十人。
大人といっても、高校生、下手すれば中学生もその中に含まれる。佐藤くんは子どもの分類だったが。
各所から依頼される掃除の仕事は大人が早朝から一、二時間行い、夕方にまた一、二時間行うというスケジュールだ。
キツそうに見えるが、浜島さんなどによると殆どの人が観光気分で楽しんでいるんだとか。
帝都は広く、まだまだ行っていない場所があるらしい。
しかし俺は掃除の仕事をすることはなく、殆どを教会内で過ごす。
働きに出てる人達が少し羨ましいが、俺にもやるべきことがあるのだ。
渡された紙に、早くはないが、つらつらと人間語を書いていく。
そう、俺と佐藤くんは日本人のための簡単な辞書の作製を行っていた。
しかし、作業する手は度々止まってしまう。
「辛いコレ。手が痛い」
「あはは、僕も手が攣りそうです」
「ありがとう、一人だったらもっと大変だったよ……」
俺が人間語を書き、それの横に佐藤くんがキチンと俺が言った意味の日本語を書いてくれている。
「ぼ、僕は身体が弱いから、仕事に連れていってもらえませんでしたから……」
「仕事っつーか、ボランティア程度の掃除らしいけどね。あまり思い詰めないで良いんじゃないか?というより、辞書作製も仕事だろ?」
「そ、そうですよね!これも立派な仕事ですよね」
生真面目な佐藤くんは仕事に行けないことに気を揉んでいた。
俺はどちらかというと観光出来なくて悔しい、ってとこだな。
「さて……今日はこんくらいで良いだろ。それじゃ俺はあの人の所に行ってくる」
「あ、はい。じゃあ僕は子ども達の所に行ってきます」
「がぁ!」
「あ、パルガも来る?おいで、一緒に勉強しよう」
佐藤くんのもう一つの仕事は居残りの子ども達に人間語を教えること。
佐藤くんもほんの少しずつ、人間語を憶えてきてるらしい。
パルガに関しては日本語も。
恐ろしい。
ちなみに、大人は人間語を自分たちで憶えてもらうようにしている。
しかし残念ながら消極的な人が大半を占める。理由としては、通訳が出来る俺が居るからなのだろう。
「俺としては一人でも多い方が助かるんだけどなぁ……」
「む、何をボーッとしてるのだ十河くん。早くこの文を訳したまえ」
「あぁ……はいはい。済みませんね、上野さん」
その消極的な大人の一人が、この和訳をせがむ長くボサボサな髪の女性、上野ユミさん。
年齢不詳だが「君よりは年上」らしく、「敬意を払いたまえ」だと。
大変腹立たしい。
彼女は佐藤くんと同じく身体が弱く、教会の中に居る。業務は文化の相違点を探ることなのだが。
「……それで聖書とか、歴史書の分析って必要なんですかね?」
「む、何を言うかと思えば。言っただろう?これらを読み解くことは、ニアイコールこの世界の特色を読み込むということなのだと」
「はぁ、そっすか……えっと、これは『制約神は何事であろうとも行き過ぎることを否とし、森羅万象に制約を設けた』ですかね」
「ほほう、第二節にしてやっと全ての神が現れたか。しかし信仰の神の数が七というのは何か意味が……」
上野さんが聖書や歴史書を読み進めるのは良いのだけど、いかんせん一々時間が掛かるのでもっと方法があるのではないかと思ってしまう。
ガラス張りの窓の外を見やると、パルガが子ども達と遊んでいる。おい人間語の勉強はどうした。
「あ、佐藤くん端っこに居る……ありゃ藍ちゃんに追い出されたか……」
「む、君はさっきから注意が散漫しているぞ。早く続きを訳したまえ」
「はぁ、申し訳ないですぅ」
柔らかな風が部屋の中を吹き抜ける。本の紙がパタパタとめくれてしまい、上野さんは慌てふためく。
「……ふ」
なんだかんだで、平和だよな。
「君は急に笑い出して気持ち悪いな。十河君の顔で、笑顔は悪人にしかならないからやめた方が良い」
……大変腹立たしい。
□□■
やはりというか。全て上手く事が運ぶことなどということは無い。
数個のランプで照らされた大部屋の中央で、筋肉モリモリな中学生と中年のおっさんが罵りあっている。
「ああそうだよ!ウンザリしてるんだよ!折角異世界に来たってのに、いつまでもいつまでも……ゴミ掃除!馬鹿か!?なぁ、なぁ、なぁ!?」
「馬鹿はお前だろうがッ!最初から帝都の近くに居たお前は知らないだろうが、魔物は、一人で倒そうなんて……思えるもんじゃない!」
「そりゃあお前がビビりだからだろ!?俺は違う!剣とか槍があれば余裕でぶち殺せる!」
その日の夜、俺たちはいつも通り配られた食事を摂っていた。
事の発端は、柔道で高校の推薦を貰っているという身体の大きな中学生が、掃除をしたくないと喚き出したことからだった。
「もう、最近の子は血気盛んねぇ」
「いやいや岡本さん、確か佐藤くんと同い年だよあの子」
「ぷはぁ、スープうまかー!」
「いや美味いけどさぁ……藍ちゃんって大物だよね~」
騒がしくはあるが、直接俺たちと関係がある訳ではないので他の大人に任せようと思う。
俺はいつものメンバーに加えて、上野さんで集まっている。後ろで上野さんがしつこく和訳しろーと喧しい。無視だ。
誰もがくだらないと思っているのか、二人に声を掛ける人は居るが、無理に仲介しようとする者は居ない。
寝食を共にしているとはいえ、赤の他人だという事だ。
「なぁ、おい、なぁ。俺は柔道の全国大会で準優勝したんだぞ?その辺の雑魚に負けるかよ」
「武道を嗜んでいて何故そうも落ち着いてられない!?今はまだ保護されている段階なんだぞ!これ以上迷惑を掛けるつもりか!」
「あー、あー、あー、あー。分かったよ!分かった!」
お、これは柔道ボーイが折れてくれたのかな?
中年のおっさんもそう言う中学生に安心したのか、一息ついてから中学生から少し離れる。
だが、中学生の様子が変だった。
ポケットに手を入れたかと思うと、小振りなナイフを取り出す。
「なっ、何を持ってるんだ!」
「あ?武器だよ武器。安心しろおっさん、あんたを殺したりはしねーよ」
恐らく雀の涙ほどの給金を使って買ったのだろうナイフ。
それを自慢気にチラつかせながら、何故かこちらに歩いてくる。
中学生の視線の先にいるのは、パルガ。
……おいおい、マジかよ。
「魔物を殺してみせれば良いんだろ?あの熊を今から殺すから、見とけ」
柔道中学生がニヤニヤとしながら、余裕の歩みでパルガに向かうと、道は自然と開いていく。
中学生が赤の他人であるなら、パルガは得体の知れない動物。
ナイフを持つ巨漢に立ち向かう勇気を出す必要など無い。
しかし俺からすれば、思慮が浅い、の一言に尽きる。
パルガは確かに子熊ではあるが、飛竜の翼を食い千切れる実力を持っている。
野生の動物と柔道がとても強い人間。
全く相手にならないという程でも無いにせよ、五分五分だろう。
周りとは違った意味で、中学生を止める必要は無いと判断した。
パルガなら上手いこと丸く収めてくれるだろう。
「こら、なんばしよっとさ!熊さん殺しちゃ駄目!」
そう叫び、中学生の前に踊り出たのは藍ちゃんだった。
まだご飯を食べているものだと思っていたのでギョッとする。
一早く藍ちゃんを止めようと動いたのは浜島さんだった。
「ちょっと!藍ちゃん!駄目だよ!危ないよ!」
浜島さんは普段からは想像出来ないくらい強い語調で藍ちゃんを止めようとする。
しかし、腕を掴まれた藍ちゃんは、浜島さんの手を乱暴に振りほどいてしまう。
「浜島おじさんはうるさい!……ねぇ、この熊さんは良か熊さんなの!殺しちゃ駄目なんだよ!」
「チッ……るっせぇんだよクソガキ!!すっこんでろやッ!!」
より一層、空気が静かになる。
怒号を叩きつけられた藍ちゃんは、ぺたりと座り込み、やがてしくしくと泣き始めてしまう。
すぐさま荒木さんと岡本さんが藍ちゃんの下へ駆け寄り、抱き締めて慰める。
その様を見て中学生は居心地が悪いように舌打ちをしてから、パルガにまた近付いていく。
「邪魔が入ったけど今度こそ殺してや、る……?」
パルガはいつの間にかに立ち上がっていた。
こちらに背を向けるパルガの表情は読めない。
「お?なんだ、やんのか!?あ!?」
立つと意外と大きいパルガを中学生がナイフを突き出して懸命に挑発する。
しかしパルガは対照的にゆったりと二本足で、中学生に向かって歩き出した。
中学生の突き出すナイフが当たるほど近くへと寄っていく。
俺にはわかった。
パルガ、怒ってる。
「あ?殺していいのか?じゃあ殺すからな、恨むんじゃねーぞ!?」
殺そうとする相手に恨むんじゃねーぞって無茶苦茶だなおい。
そして、中学生がナイフを動かそうとした次の瞬間。
パルガの頭突きが中学生の頭に炸裂する。
呻き声を出して尻餅をついた中学生に、パルガは覆い被さるように四つ足になると顔をグイッと寄せた。
「グラァァァアアアッ!!」
中学生の怒号など可愛いものと思える程の、咆哮。
大部屋どころか、教会全体に響いていそう強烈なものだった。
大部屋に居る誰もが耳を塞ぎ、至近距離で咆哮を受けた中学生は耳を抑えて悶絶していた。
一仕事終えたように溜め息をついたパルガが藍ちゃんの下へ行くと、頬を遠慮がちにペロッと舐める。
「……ぐす、熊さん、ありがと」
「がぁ」
パルガを知る数名や、子ども達の何人かは笑顔でパルガを見つめる。
だが、知らない者はそうはいかない。
横目でちらと周りを見ると、恐怖を覚えたような人も少なからず居るようだ。
優しさによる行動とはいえ、熊の咆哮を直に浴びた人間……特に日本人が、怯えるのは仕方のないことだろう。
「……パルガ、脅かし過ぎだ。でも良い仕事だった。頭を冷やしに行こうぜ」
「がぁ」
「あ、待って、僕も、行くよ」
雰囲気が悪くなったので、外に行こうとすると、浜島さんも慌ててついて来た。
司祭の方にさっきの大声の事情を話し、散歩をすると告げてから教会の中庭に出る。
大部屋よりも少し広い中庭は虫すら居らず、しんと静まり返っていた。
大きな石を切り出した腰掛けに座ると、浜島さんが呟くように話し始めた。
「さっきは、凄かったね。パルガくんだっけ?僕も腰が抜けるかと思ったよ」
「ええ……結構の人数を怯えさせちゃったみたいですけどね」
「う~ん、僕は有効な一手だったと思うよ。……僕が藍ちゃんをもっと強く止めてれば、泣かせることも無かったけどね」
あぁ……でも、藍ちゃんの事だ。無理やり止めたとしても、柔道中学生に立ち向かっていっていただろう。
「はは、藍ちゃんはあの年齢で我が強いから……気に病むことは無いと思いますよ。多分、明日にはケロっとしてるだろうし」
「うん、そうだったら良いけどね。それに比べて僕はあの中学生にビビって、前に出れなかった」
「いやぁ、あの中学生……本当に中学生なんですかね?あれは怖い。柔道全国二位なんて、化け物級ですよ」
実際に彼は強いのだろう。
だけど、殺すとか殺されるとか本当の命のやり取りをしていなければ、俺にとってその迫力は嘘くさい。
化け物だらけのこの世界で、化け物級、なんて言葉は意味を成さないのかもしれない。
「うん……十河くん、ちょっと僕の話をしていいかな?」
何を思ってかわからないが、そう質問をしてきた。
拒む理由も別にないので、受諾する。
「……どうぞ」
「ゴメンね、急に。僕さ、ほら、身体は大きいでしょ?でも気が弱いから昔はイジメられてたんだ。小学校、中学校……とね」
「そうなんですか」
俺はどうだったんだろう。
昔の自分を忘れた訳じゃないが、今とは違う気がする。
「だから、高校生になって、相撲部に入ったんだ。これで少しは気が強くなるだろうと思って。そのお陰か、明るくなったと思うし、イジメられることも無くなった」
でも、と苦しそうに浜島さんは懺悔のような言葉を続ける。
「そしたら大学生活の一番楽しい時期に、この世界に連れてこられた。そしたら、僕は強くなった僕を忘れてしまったみたいに気がまた弱くなってしまった」
「……気にし過ぎですよ。幼女止められなかったくらいで。そんなんで凹んでちゃ、これからの人生ままならないと思いますけど」
「そうじゃないよ。彼は、ナイフを持ってたんだ。もしかしたら逆上して藍ちゃんを刺していたかもしれない」
浜島さんはその場面を思い浮かべたのか、苦い表情になった。
もしそうなっていたら、俺もナイフを手に持って、跳び出していただろう。
何故、浜島さんがこうも悔いているのかは何となくわかる。
セブアルさんを護衛していた冒険者が、目の前で死んだことがあるから、死が身近にあるものだと知ってしまったから。
「結局、女の子の命より自分の身の安全を優先したんだ、僕は」
「誰も気にしませんよ。そうなっていたとしても、責められるのは中学生の方だ」
なんだか、浜島さんは俺に似ていると思った。
ドバレアの時、そういえば俺も似たような事を考えていた。
だけど。やっばり。そうなのだろう。
「でも、もし……」
「浜島さん。キツイ言い方ですけど、それは自惚れですよ」
いつかのフェインさんのように、今度は俺が浜島さんへ言葉を投げつける。
「人はいつか死ぬんです。この世界だと、より顕著にわかります。どんなに死んで欲しいと望んでも憎たらしく生き延びるヤツも居れば、どんなに生きて欲しいと望んでも……死んでしまう人も居る」
浜島さんが不安そうな顔でいるので、笑ってみせる。
しかしすぐに俺の顔じゃ意味がないと思い直し、声のトーンを優しくすることにした。
「だから、後悔しても仕方ないんです。それからどうするのかが、重要なんじゃないですかね」
「……なんだか、十河くんの方が、年上みたいだなぁ」
「あっ、いや!偉そうにすんませんした!」
慌てて謝ると、さっきまでの陰鬱な浜島さんは居らず、楽しそうに笑っていた。
□□■
「おいミサラ、ネーレ。明日の準備は出来てるか?」
「うんっ、バッチリだよお父さん!」
「出来てるわよ~。ご飯でしょ、お金でしょ、後コレとコレと……」
「服はどこだよ」
「あ!そうだったわ~!うっかりうっかり♪」
「おいおい、しっかりしてくれよぉ……」
フェイン達は客が居なくなった『春ノ風亭』で、多くなった荷物を纏めていた。
しばらくの間、宿を休業して帝都に行くことにしたのだ。
カウンター席に座るフェインの様子は落ち着かない。
「はーっ、どうも胸騒ぎが止まねぇな……もっと早く動けば良かった」
「あなたの勘が外れることは滅多に無いから、心配ね~」
「帝都にゃニルマが居るはずだがよぉ、アイツめんどくさがり屋だからなぁ……」
「面倒だったら帝都が半壊しようが動かないわね!」
「元気良く不吉なことを言うんじゃねぇ!おら、ネーレ。もう寝る時間だぞ。先にベットに入ってろ」
「はーい。おやすみなさーい!」
ネーレが寝室に行ってから、より真剣な表情になるフェインと笑顔を崩さないミサラが残る。
「で、どんな胸騒ぎなの?」
「このドでかい感じは……魔族だ。恐らくだが、帝都に向かったみてぇだ」
フェインの言う、胸騒ぎ。
ミサラが言う、勘。
それは『闘気』を極めているフェインが会得した「第六感」であることを二人は知らない。
「兵隊さんも外の魔物が興奮してるーって言ってたわよ」
「……『海』を越えて来たか、それとも元々スピエルゼウク大陸に居て動き出した、のどちらかだな」
「それで、足はどうするの?普通のお馬さん?それともスレちゃんを喚ぶの?」
「あぁ、そのつもりだ。あいつも昔の半分の力も出ないだろうがなぁ」
ふー、とフェインが落ち着こうと息を吐く。だが胸のモヤは晴れない。
するとミサラが、後ろからフェインに抱きつく。そして耳元で囁いた。
「あなたは優しすぎるから、十河くんやポルちゃんが心配なんでしょ?」
「……別にあいつらだけじゃねぇ。帝都にゃ旧い友人がちったぁ居るからな」
「うふふ。相変わらずね?」
「るっせぇ」
「大丈夫よ、あなた。みんなあなたが思っているほど弱くないわ。大丈夫」
そう言われ、フェインは今度こそ緊張が解けたように深い溜め息をついた。
若干頬を赤らめたフェインが振り向かずに言う。
「あー、その、なんだ。いつもありがとよ」
「うふふ♪ 良いのよ……あなた」




