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ロア・オブ・ライフ  作者: 爺々屋
密林編
14/82

火葬

「………はっ?」


 視界からミキさんが消えた。

 でも代わりに俺は見えていた。

 見たことのある色の鱗を有した蛇を。

 それがミキさんの横腹に喰らいつく瞬間を。

 でも反応出来なかった、目の前で起きたことを脳が処理していない、受け止められなかった。


「うぐぅぅああああ………!」


 ミキさんの、呻き声。


「……っ!ミキさんッ!」


 声を聞いて、泣き出しそうになりながら、弾かれるように走り出す。

 見えた鱗の色は、紫に青が混ざった毒々しい色。見たことがあるどころか、触ったことがある。ミキさんが作った盾にも使われていた鱗だ。そう、大蛇の鱗。

 ミキさんが見えた。

 しなやかな細い腹に、地球でも見ることがある程度の大きさの蛇が喰らいついている。

 それが俺には現実かどうかわからなかった。


「こ、の……くぅ……!」


 ミキさんはナイフを取り出し、反抗しようとしてるが力が入らないようで、ナイフを握ったままの腕はプルプルと震えている。


「ミキさんッ!」


 俺は牙すら持つことを忘れて、がむしゃらに素手で蛇の目を貫く。

 蛇は驚き、ミキさんから口を離す。それを見逃さずにもう片方の手で蛇の鼻先を掴んでミキさんから引き離す。

 蛇が身体に巻きついてきた。万力のように締め付けてくる。身体中の骨が軋みをあげるが、そんなことでは俺は止められない。


「こぉぉのやろぉぉおお!」


 かの大熊のように目の中に突っ込んで、体液や血が手に付くのも気にも止めずに激しくかき回す。


「死ねよぉぉおおおお!」


 蛇は大蛇のように長く耐えることなく、やがて力尽きた。

 身体に巻きついていた蛇をほどいて投げ捨てながら、ミキさんに駆け寄る。


「ミキさん!大丈夫か!?」


 腹を抑えて、木に寄りかかっているミキさんの顔は憑き物が落ちたような、落ち着いた表情だった。

 でも、ミキさんの腹に空いた二つの傷口は白いミキさんのシャツを真っ赤に染めていた。

 目の前が真っ暗になる錯覚。


「……おー、十河くん。仇を、討ってくれたかー」


 なんて言いながら、微笑む。

 明らかに、致命傷だ。

 助からない。そう直感してしまった。


 嘘だ。嘘だ。嘘だ。


 俺はどんな表情をしてたんだろうか、ミキさんはいつもより大人びた微笑みで、俺を手招きする。

 思考が止まっている俺は逆らわずにミキさんに近寄って、しゃがむ。

 よく見れば、ミキさんの額には冷や汗が浮かんでいる。


「……十河くん、私、弟、いるって、言ったじゃん?」


 何の話だ、それを話したらミキさんは助かるのか。訳がわからない。なんでこんなことになっているんだろう。


「その子ね、私と違って、両親が居ないの。私と弟は、義理の関係なの」


 話は聞こえて、理解しているのに、目の前のことが上手く把握出来ない。

 俺の手は震えている。

 血だ、血を止めなくては。


「弟が、12で、私が、17の時かな、初めて会ったのは」


 俺は溢れる命を止めるように、ミキさんの手の上から傷口を押さえる。


「可哀想な子でね、事故で、両親亡くして、弟の、両親と友達の、私の親が、弟を引き取ったの」


 どくどくと、血は止まらない。


「暗かったけどね、私が、頑張って、明るく、してあげたんだ、イタズラしたりして。最初の頃は、よく泣かれちゃったけど」


 あはは、とミキさんが笑う。

 俺は泣いていた。泣きながら、傷口をただ押さえ続ける。血は止めどなく流れている。


「でも、一昨年の、春くらいに、私の、親も事故で死んじゃってね」


「それで弟が、壊れちゃったんだ」


「親族も、呪われている子、とか弟のこと言って、誰も近寄ろうとしなかったんだ、馬鹿みたい、だよね。私、その親戚殴っちゃった、あはは」


「でね、お金が無い、から、仕方なく、自衛隊に、入ったんだー。死ぬほど、キツかったなぁ」


「でもね、弟に、銃を持ったよ、とか、言ってあげると、凄いね、って、無表情でだけど、言ってくれる、んだ」


「嬉しくて、また以前の弟が、戻ってくる、かも、しれなかった、のに」


「それなのに、いま、私、死にかけちゃって」


「弟を、また、1人に、しちゃうなぁ……」


 ミキさんは、そっと俺の涙を拭う。でも涙は止まらなくて、ミキさんの手は涙で濡れていく。


「……ね、十河くん。もし、弟が、こっちの、世界に来てたら、伝えて。駄目な、お姉ちゃんで、ゴメンね、って」


「……やめろよ」


 震える声で、俺は反発する。こんな終わり方は嫌だ。


「なんで遺言みたいなこと言ってんだよ!まだ死なないで済む方法があるかもしれないだろ!俺たちが二人なら、なんでも、なんとかなるんだろ!」


 涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら、請うように、嘆願するように、傷口を押さえながら叫ぶ。

 そんな俺を、ミキさんは小さい子をあやすように頭を撫でる。


「もう、痛みを感じない、ってやつ、なんだ。視界も暗く、なって、きちゃった」


「…………ッ!でも!でも!」


 優しく、力のこもってない手で俺の伸びっぱなしの髪を撫でる。


「もう、駄々を、捏ねないの。たぶんね、もうすぐ、私は、死んじゃう」


 何のことはないように、淡々と笑顔で現実を叩きつけてくるミキさん。そんな妙に現実を見てるところだけは変わらない。


「怖く……ないのかよッ」


 自分のことを、自分の死を、他人事のように告げてくるミキさんに無性に腹が立って怒鳴ってしまった。

 すると、ミキさんが傷口を押さえることもやめて、両手で俺の頬をバチっと叩いて挟み、顔を上に向けさせる。


「……怖いに、決まってるでしょ」


 俺の顔を挟む両手は震えている。ミキさんは、ボロボロと涙を零していた。

 そりゃあそうだ、怖いに決まってる。もうすぐ自分は死ぬなんて、怖いに決まってる。

 ゴツっと額を合わせて、どちらからともなく嗚咽を漏らす。


「ひとりぼっちに、なりたく、ないよぉ………」


「ミキさん、俺、俺……」


 鼻が当たるほどの距離で、どっちの涙かわからないくらいに二人は泣き合う。


「十河、くんは、密林を、生きて、出て、ね」


「うん、ああ、ああ、わかってる、わかってる」


「寒いな、十河、くん」


「ああ、ああ!」


 ぎゅっと、ミキさんの身体を抱きしめる。思っていたよりも小さくて、そして冷たい。

 俺はガタガタと震えるばかり。


「怖い……怖い、よ……」


「大丈夫、大丈夫……そばにいるから、ミキさん、俺、ここにいるから」


 少しでも体温が伝わるように。

 淋しい思いをさせないように。

 悲しみをまぎらわすために。

 強く、強く、抱きしめる。

 一瞬だけでも長く、生きていて欲しいから。

 頬と頬を合わせていると、耳元で小さく声がした。


「ゴメンね…………ユウ」


 まさに、ぷつっと糸が切れたように、ダラリと俺の腕の中のミキさんの力が抜けた。

 動かなくなった。

 でも、抱きしめ続けた。ミキさんの骨が折れそうになるくらい。そうすれば、痛がって起き上がってくるんじゃないかと思って。


 いつまでそうしていただろう。

 ずっと、ずっと、もう冷たくなってしまったミキさんを抱きしめている。

 俺の体温はミキさんの身体に吸収されてゆく。だけどミキさんは一向に温かくならない。


「なんでだよぉ…………」


 俺の声かすらわからないくらいに、掠れて歪んだ声。


「なんでなんだよッ!」


「俺じゃなくて!なんでミキさんが死ななくちゃいけなかったんだよ!」


「ふざけんな!なんで……なんでだぁあ!」


 叫ぶと、顔にこびりついたミキさんの血が顔を引き攣らせる。

 俺が涙をこれほど貯め込んでいたなんて知らなかった。

 初めて、こんなにも悲しい気持ちになって。

 初めて、ここまで人の為に涙を流している。

 哀しみと怒りと悔しさが混ざって、黒くなった感情が胸をかき乱す。


「なんでだよ……なんでだよぉ……!」


 喉の奥から絞り出す疑問に、誰も答えてはくれなかった。

 後ろで物音が聞こえる。

 魔物が近づいてきている。

 俺の叫び声が呼んだのか、血の匂いが呼んだのか。どちらでもいい。


 力なく振り返ると、子熊が居た。

 なんの縁があるのやら。

 よく見てみれば、額に角の先が覗いていた。子どもだからかまだ小さい。

 俺を食べに来たのか。それとも地べたに横たわる蛇を食べに来たのか。それもどちらでもいい。

 だけど、ミキさんだけは、駄目だ。

 ミキさんをそっと地面に置いて、ミキさんの手にあったナイフを取る。

 ナイフは右手で逆手に持ち、牙は左手で正面を突くようにして、重ねて構える。

 この人だけは、やるものか。

 だけど小熊は、動かずにジッと俺を見つめる。

 瞳はとても大熊のそれに似ている。理性的な瞳だ。


「なんだよ……来るなら、来いよ」


 子熊が足を踏み出す。ゆっくりと近づいてくる。

 俺は動かない。ここから離れたら、ミキさんがひとりぼっちにしてしまう。

 俺を噛み殺せる位置まで来た。さぁ、どうするんだ。


「来いよッ!」


 子熊は、風のような速さで手を突き出すようにして襲い掛かってきた。


「うらぁぁぁあああ!」


 牙を目に入れようとするも、首を傾げる動作だけでするりと避けられる。

 ナイフで首を斬ろうとしたが、手首を固い肉球で止められてしまった。

 そのあまりの速い対応にどうすることも出来ず、抵抗する間もなく倒されてしまう。


 倒れされた俺は抵抗もしないで、手足を投げ出して、静かに諦めの涙を流す。

 もう、もう、いいや。

 ミキさんが死んだこの場所でなら、死んでいいや。


「殺せよ……」


 俺はお前の親が目の前で死にそうにしていても、何もしてやることはなかった。

 しかもここは弱肉強食の世界だ。

 食われても、俺は弱かった。ただそれだけということ。


「……殺せよ!」


 俺は泣いていた。

 この世の中の不条理に、理不尽さに、俺の弱さに、心の、体の弱さに。

 静かに目を閉じる。

 これで、おしまいだ。




 べろりと慣れない感触と共に、顔半分が濡れた。

 驚いて目を開けると、子熊は俺の顔を一心不乱に舐めていた。

 俺の涙と、ミキさんの血もろとも舐めてくる子熊。

 それは、獣臭くて、唾臭くて、生温かくて。

 嬉しさと悲しみが、一緒になってこみ上げてくる。


「なんだよ……哀れんでんのかよ」


 顔は、もう舐められていない箇所がなくなっていた。唾が付いて、不快だ。不快のはずだ。


「やめろって……」


 俺にのしかかったまま、子熊はベロベロと俺の顔を舐め続ける。

 でも俺はそれにも抵抗することはなかった。

 言葉の通じない、人ですらない、魔物であるはずなのに。どうして子をあやす親のように優しく舐めてくるのだろうか。


「ちくしょう……」


 現実から目を背けるように、子熊のゴワゴワとした体毛に顔を押し付ける。なにも抵抗されない。


「ちくしょう……」


 俺は、しばらくの間泣いていた。




 ▽▽▼




 ミキさんの遺体は燃やす事にした。死体を魔物にくれてやるわけにもいかないし、俺のけじめでもある。

 その前に、ナイフとライターとトレッキングシューズは貰うことにする。これは遺品になるのだろう。

 ポケットからライターを取って、靴は靴下ごと抜き取る。なんだか悪いことしてるみたいだな。

 靴の足のサイズは合うだろうか、と履いてみるとピッタリだった。


「ミキさん、足でけーなー……」


 からかいに返ってくる言葉は無い。


 ミキさんは眠り姫のように、今にも起き上がってきそうなほど綺麗に死んでいた。

 一応脈を取ってみたが、なんの反応も無かった。当たり前か。

 子熊は、前回のように立ち去ることなく微妙な距離で俺から離れずに座っている。


「別に骨をやったりしねーぞ」


 話し掛けてみても、なにも言わずに座っている。なにを考えているのやら。

 ミキさんに、枝や葉を積み上げて、足の先から段々と上へと昇っていくように隠してゆく。

 ミキさんの安らかな顔。一際大きい葉っぱを乗せて顔を隠してやる。

 準備を進めてゆくにつれて、ミキさんの死の実感が染み渡る。でも俺は途中で泣かなかった。

 涙は枯れてしまった、なんてキザなことじゃなくて、いつまでも泣いていたらミキさんに怒られそうな気がして。


 油なんかがあれば勢い良く燃えるのだろうけど、生憎とそんなものはない。


 完全に枝と葉とで埋まって、ミキさんの姿は見えなくなった。


 ライターで、葉がこんもりと積もった中心に火を着ける。


 ゆっくりと、順調に火は燃え広がり、やがて全体を大火が覆う。


 熱気が俺の肌を触るが、俺は離れない。なるべく近くに居たかった。


 もっと喋りたかった。もっと笑いあいたかった。

 こんな状況だからかもしれないけど、ミキさんのことを人として、女性として好いていた。

 命も、心も、なんども救われた恩人。


 臭い言葉を考えるまでもなく、自然と口から漏れ出していた。


「ありがとう。じゃあな」


 感謝と別れの言葉で綴られた、シンプルな見送りになった。

 俺たちは、こんくらいが丁度いいだろう?

 笑顔で、火を見つめながら。


 また、不覚にも泣いてしまった。


 日が落ちても、火は静かに燃え続けた。


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