喰らうは誰か
「ふぁ~あ……」
何度目かになる密林での朝を迎えた。
鳥のさえずりが聞こえるような気持ちの良い朝ではない。肌にまとわりつく湿った空気を吸い込んで木から降りる。
「あ、十河くんおはよ」
「おはよざぃまーす」
俺とミキさんはほぼ同タイミングで起きて、朝の余韻に浸ることなく、ちゃっちゃと川の水で顔や身体を洗ってから、速やかに出立する。
昨日、魚を得たことはとても喜ばしいことだった。
しかし小熊から恵んでもらった魚は大きかったとはいえ、二人が腹を満たすにはいささか量は少なく、出立してから間もなく、ぎゅるると俺の腹の虫が鳴いた。
「……私も足りなかったんだから、我慢してよ」
「……面目ない」
俺は気まずそうにして、手で腹をさすり、空腹を紛らわす。
俺たちは昨日と変わらず、密林の中を無言で、黙々と、草葉を払って歩いてゆく。
密林の外を目指して。
▼▼▽
「はぁ……はぁ……」
歩く、歩く、歩く。
歩くことしかしていない。
もうどれだけ時間が経ったかもわからない。
もう見慣れてしまった密林の風景。慣れてしまった泥や虫。
昨日とは打って変わって魔物と遭遇しない道のり。
しかし、危険が見えないことで俺たちの感覚は鈍くなってゆき、思考は知性のない生き物のように単純になり、感情は本能に従って醜くなってゆく。
変わらない風景、空腹、疲れてゆく身体、いつ襲われるかわからない緊張感、目的地の見えない旅路。
その全てが精神をガリガリと削ってゆき、何も考えようとしないことで、心労を減らそうとするが、あまり意味はなかった。というより、何も考えないで歩くというのが難しかった。
歩いていて、「やはり拠点を出ない方が良かった」と思ったことは何度あるだろうか。「引き返そう」と言おうとしたことが何度あるだろうか。
その度にミキさんを見て、気が失せる。ミキさんの顔は決意に満ちていて、真剣だ。生半可な決意の俺とは違った。
弱音を吐こうとするたび、圧倒される決意の前に、貧弱な俺の意思は潰される。
「ふぅ……はぁー……」
精神が弱くなっていくにつれて、受験のストレスを抱えていた俺を思い出す。弱かった俺を。
異世界に来てからは、生き残る事だけを考えていれば良かった。今もそうだ。
だけど、今はミキさんという存在が、俺の心を支えると同時に、圧迫してくる。
なんでそんなに気丈で居られるんだ?なんで弱さを見せないんだ?
少しくらい、女らしく「疲れた」とか、「もうやだ」とか言ったらどうだ?
そう言えば、きっと俺は「大丈夫だろ」とか「頑張ろうぜ」って励ますだろう。
そうすれば、俺には余裕が有ると、俺が頑張らなきゃと、俺の方が強いと、俺の方が上であると。そう思えるのに。
「…………………」
俺は弱いよ。
受験ごときでつまづく俺がこんな環境に耐えられるのが本当はおかしいんだよ。
ミキさんは俺を引っ張ってくれる。
たかが数歳。俺は年下だ。でも男だし、もう大人に近い。それなのにこの体たらく。
もう嫌だ、辛い。
ここで休憩しないか、と言えばミキさんはうなずいてくれるだろう。
けど俺は言わない、言いたくない。認めてしまうから。
でも言葉を飲み込むたびに、俺の空の腹の中には鬱憤が積まれてゆく。
醜い感情。嫉妬だ。俺はミキさんに嫉妬を抱いている。
ミキさんの心の広さや優しさを知ったから?いや違う、最初から、異世界に来ても元気なミキさんが憎たらしかった。
だから、弟に会いたいと言っていた時はホッとしていた。この人にも弱い面があると、俺が勝っている強さもあると。
でも、違うと思いはじめた。
ミキさんは心の拠り所として、「弟に会いたい」としてる。
でも俺には、無い。何も無い。生き残っているだけ。何の目的も無い。ただ生き物としての本能で生きてるだけ。
そこに、差を感じる。
ミキさんと俺の価値は比べようもないと。
……ああ、いけない。マイナス思考だ。
でも仕方ないんじゃないかな。
ミキさんは優秀で、俺は足でまとい。魔物を倒した数は、ミキさんの方が多い。
武器も罠も全てミキさんに頼りっぱなしだ。火だって、ミキさんが持ってたライターが無ければどうしようもなかった。
俺は、ミキさんにとって必要な存在か?……あり得ない。
俺には何の価値も無い。
……言い過ぎだろうか。だけど、それに近い気がする。
「キィァアーー!」
すると横から、黒く滑らかな皮で、コウモリの羽を生やした一つ目の魔物が飛び出してきた。
俺はビクリとして、反応できなかった。けど、前に居たミキさんが横薙ぎに槍を振るう。
先が見事に目玉に当たり、魔物は驚き、逃げていった。
「ちょっとー、十河くんボーッとしないでよー、危なかったよ今?中型だったらやられてたよー?」
強く責めることなく、やんわりと注意してくれるミキさん。まさに大人の女性だ。憧れちゃうね。
「……ごめん、ちょっと疲れてて」
「あらら?そうなの?言ってくれれば良かったのに。じゃあ休憩しようか」
ほらな。お優しいこと。
……なんて、我ながらひどい性格だな。
ミキさんと会話したお陰で、人間らしい判断力が戻ってきた。そのせいでミキさんに申し訳ない気持ちが湧いてくる。こんなにも良くしてもらっているのに、なんなんだ、俺は。何様なんだ。
ミキさんに対する嫉妬心は薄れたが、その分、自虐する。
俯いたままの俺を心配してか、ミキさんが屈んで顔の高さを合わせて言う。
「大丈夫?具合が悪かったりする?……あ、もしかしてお腹壊したりした?」
良い人だ、本当に。
「大丈夫だから、少し休憩したら、また進もう」
苦々しく、笑いながら俺はそう告げる。俺は上手く笑えているだろうか。
「ん、わかった」
それだけ言うと、ミキさんは槍を膝に置いて、俺の正面にある倒木に腰掛けた。
情けないな、なんだか。
ミキさんの前で格好なんて今更つきはしないが、男としてはもう少し頑張りたいところだ。
でもちょっとだけ、休もう。疲れてるんだ。
そう思い、目をゆっくりと閉じた。
寝てはいなかった。
だけど、俺の意識はそこにはなかった。
意識というものが今のこれであるなら、違う。そう言える。
意識は、世界に溶け込んでいた。
密林の中の、ミキさんと俺がいる小さな範囲の世界。
そこに俺の意識は溶けている。全てを鋭敏に感じ取ることが出来る。
二人の人間の呼吸。木。土。風。虫。微生物、熱気、水、石、死骸、汗、肌、魔物、肉………直感的に、本能的に、感じ取る。
その中の、魔物。
忍び寄る、魔物。
殺意をひしひしが感じる。
溶けていた意識を俺の身体に無理矢理纏めて、瞼を開く。
「ミキさん、後ろだっ!」
「えっ!?」
ミキさんは素早く槍を構え、振り返る。
しかし、何も起きない。そこにあるのは、見飽きた密林の風景のみ。
ふぅ、とため息をついてミキさんが呆れて俺に身体を向ける。
「も~、脅かさないでよ十河く……」
その時、
「アああアアアアアあああアアあああああアアアああああああああ」
突如、大蛇並に巨大な「口だけ」を有した真っ赤なモノがミキさんの背中に襲いかかる。
「………ッ!?なにッ!?」
ミキさんは、咄嗟に横に転がることでその化け物の襲撃を避ける。しかし、そのモノは俺とミキさんを分断するように間に居た。
人間のような歯並びで、歯茎が剥き出しになり、粘着質な涎が歯を不気味に見せている大口。
口以外の部分を包む真っ赤で、うねうねとしてる体皮。
これは間違いない、大型の魔物だ。「肉塊」に相当する!
「ミキさん、逃げるよ!」
ミキさんが居る方と逆に走り出した俺だが、
「わかっ……十河くんッ!」
ミキさんの呼びかけに振り返ると、大口の化け物が全身をくねらせて俺へと近づいていた。
「クッ……!キモいんだよ!」
後方に、手にしていた銅の剣を口の中を目掛けて投げる。狙い通り、回転しながら大きく開かれた口に近づいた。
だが、ギロチンのように閉じられた歯によって銅の剣は呆気なく砕かれる。
「はぁ!?マジかよ!」
それを機にして、ガチンガチンと恐ろしい音を歯並びの良い口から出しながら、大口が近づいてくる。
足元の木の根に足を取られないように意識しながら大口から逃走する。
手元の武器は牙か、打撃武器しかない。そんな近接の武器であんなのに勝てる訳がない。
「はぁ…!はぁ…!あっちに居るオネーサンの方が肉付きが良いぞ!」
「……聞こえてるわよっ!」
見ると、ミキさんが槍を両手に握りながらこっちに走ってきていた。
「ミキさん、なんで!」
「やっぱり、ほっといて逃げるって無理じゃん!」
「………ふは!」
本当に、本当に良い人過ぎるぞ、ミキさん。
こんな呑気な会話をしながらも、大口は俺を追いかけてくる。さっきよりも距離が縮まっている。
「十河くん、武器は……キャア!?」
「ミキさん!?」
振り返る。大口は逃げる俺よりも近づいてくるミキさんをターゲットにしていた。
ぐねぐねと身体を動かし、ミキさんを喰らおうとする大口。
ミキさんは木を挟んで、上手く立ちまわっている。簡単そうに見えるが、俺はあそこまで冷静になれないだろう。
「ミキさん!絶対にソイツに噛まれちゃ駄目だ!槍を一本くれ!」
「くぅ…!パスっ!」
錐揉みしながら一本の木の槍が飛んできた。それを俺は両手でしっかりと掴み、先の尖った方を向けて、大口の身体へと全体重を掛ける……!
しかし。
手に伝わった感覚は肉を裂いたものではなく、固いゴムを刺す感覚。
「……くそ、通らねぇッ」
「うっそッ!?」
俺は今度は牙でやろうと、腰から牙を抜いて大口にもう一度得物を刺そうとする、が。
そこには、口。
カパァア、と俺の方をいつの間にかに向いていた大口の、口の中を見た。
ビッシリと細かく、乱雑に並んだ口のなかの小さな鋭い歯は、いかなる物であろうと削ることが出来て、喰べられるだろう。
「う、うおぉおおあああ!」
「十河くんっ!」
俺は倒れこそしなかったが、恐怖で足が竦み、そこで立ち止まっていた。
腰も入れずに木の槍を突き出すが、むしゃりと、無感動に木の槍は大口に喰べられた。
「はあ!」
ミキさんは、手に持ったナイフを上段から振り下ろす。ズムっと籠もるような低い音。
俺を喰らおうと迫っていた大口は動きをピタリと止めたと思うと、耳を塞ぎたくなる金切り声を立てる。
「キキキキアアアアアぁああああああああアアアア!!」
これは、効いてるのか。
「ナイフならなんとかなる!十河くん、なんとか気を引いて!」
脅威だと感じたミキさんの方を再び向く大口。
さっきはビビっちまったが、次は俺の番だ。
「後方不注意ッ!」
手頃な大きさの石をさっと拾い、まんまと背を向けている大口のミキさんが切った傷とは違う場所に牙を突き立てる。
大柄なゴブリンを殺した方法と同じだ。
強く、石で牙を強打する。
ズブズブと、牙は木の槍とは違ってスムーズに大口の皮を貫く。
「カカギキィイいいい……!」
痛みに対してかはわからないが奇妙な鳴き声を漏らす大口。
しかし、大口はミキさんだけを狙い続ける。
ミキさんが盾代わりにしていた木も、幹を大口にほとんど食い尽くされてメシメシと音を立てて倒れる。
ちっ!と舌打ちしたミキさんは、今度は傍にあった木にスルスルと登りだした。
「なにしてんだ!?」
「ひーきーつーけーてー!」
ミキさんの奇行に思わず叫んだが、役割は変わらないそうだ。
大口はミキさんを喰らわんと木の幹を齧りとってゆく。
「俺も気にしてくれよ、大口やろう!」
牙を傷口に「入れる」。手も半分、大口の中に埋もれてしまっていて気持ち悪い。
「キキきあああアぁぁぁあああああぎいいぃいイイ!」
これには耐えられなかったようで、金切り声。
すると、牙が埋まったままとんでもない力でギュルリと振り返る大口。
「ぐあぁあ!?」
俺は腕ごと持っていかれ、身体が宙に浮かぶ。大してない握力から逃れた牙を大口の肉に残して、俺は飛ばされる。
身体を地面に強打し、肺の中の空気が叩き出される。意識が朦朧とするが、ガチンガチンと大口が音を鳴らしているのが聞こえる。
ああ、不味い。立たなきゃ、死んでしまう。
あの大口が俺の頭を食べている場面を想像し、膝を震わせながらも立つ。
「おりゃあああああ!」
すると、木からミキさんが飛んでいた。伸びた手にはナイフ。まるでプールに飛び込むかのようだ。
ナイフが大口の頭の頂点に真ん中あたりまで刺さり、ミキさんは逆立ちしてるようになっている。
ミキさんは驚異的なバランス感覚で、ナイフを刺したまま、重力に従って上に位置していた脚を下へと振り下ろす。
「食らえぇぇぇえええ!」
握っていたナイフが、果物を切るように大口の身体に一本の傷跡を残していく。
地面に降り立ったミキさんは素早く俺の元へ走ってきた。
「よし!今の内に逃げよ!」
大口からは血は出ていないが、かなり苦しんでいるように見える。
「ゴホッ……おっけ、行こう」
先程のダメージが残っていたけど、逃げることに徹した方がいいだろう。
「あとこれ!回収しといたよ!」
差し出すミキさんの手には牙。ああ、そういえば刺したままだったか。
ぬらぬらと大口の体液らしきものが付いているが、この程度気にしていたらとっくの昔に死んでいる。
「よく抜き取れたね……サンキュ」
それを受け取り、未だもがき苦しむ大口を視界に入れながら俺たちは逃げることにした。
▽▽▼
十分程だろうか。
方向も確認せずに大口が居る方の逆を進みに進んだ。というより、走った。逃げた。
俺が「もう無理」と言って、やっとミキさんは立ち止まった。
うっすらと汗をかいているミキさんが、笑顔で振り返る。
「十河くんっ、私たち、凄くない?あんな化け物に勝っちゃったよ!」
「あれは勝ったってことでいいんですかねぇ……」
「良いんです!」
「はいはい……了解」
勝利は勝利だろう。けど失った物が多い。残っている物は槍一本と、ナイフ、牙、打撃武器、ライター……だけだ。
大口に飛ばされた時に水の容器もどっかに飛んでいってしまった。まだ三分の一ほどは有ったというのに。
これから、大丈夫か……と顎に手を当てて考えこんでいると、背中をバシぃとミキさんが叩く。
「ほぉーら!そんな顔しない!二人で居ればなんとかなるから!」
ね?と笑うミキさんを見て、小さいことに悩んでいた俺は消えて、暖かく思う。
本当に、良い女だよ。あんた。
「……なにニヤけてんのよ。ちょっとお姉さんに優しくされたら、すーぐ童貞はこんなんだから困っちゃうわねー!」
微笑んでいると、ミキさんが調子を取り戻したように、俺の前をスキップして、いたずらっ子のような笑みを浮かべていた。「あーやだやだ!」と言って、先に進んでいく。
この女郎……と微笑んでいた頬を引き攣らせて、ミキさんの背中を追いかける。
すると。
唐突に、横から。
蛇が、飛び出して。
ミキさんに、喰らいついた。




