表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

雨音と共に

作者: MaChaTo

◆1

「ねぇ兄ちゃん、妖精って見たことある?」まるでライオンの(たてがみ)のような寝癖をつけた弟の(さとる)が聞いてきた。

「妖精? 兄ちゃんは見た事ないな。智は見た事あんのか? それよりお前、寝癖が凄い事になってるぞ。学校に行く前にちゃんと直してから行けよ」

 自分の頭を鏡で確認して、智は「うわっ! こりゃ凄いや」と驚く。

「うん。寝ぐせはちゃんと直すよ。昨日の夜なんだけどね、夜に目が覚めてトイレに行ったんだ。そしたら廊下の所で、なんか小さいのが光ってたんだよ」

「小さいのが光ってた?」弟の奇妙な話に、俺は怪訝な表情を浮かべながら訊き返した。

「うん。それでね。よく見てみたら、小さな女の子だったんだ。僕、捕まえようとしたんだけど、すぐにリビングの方に、逃げて行っちゃったんだ。それで、後を追いかけたんだけど、もういなくなっちゃってた。多分あれは、妖精だったんじゃないかなって思うんだ」

「どうせ寝ボケてたんだろ。そんなのいるわけねえよ」と俺は笑い飛ばした。

「ほんとだよ。ほんとに見たんだ」智が必死に食い下がってくる。

「じゃあ、今度出てきたら、写真でも撮って俺に見せてくれよ。そしたら信じてやるよ」

「わかった。写真を撮って、兄ちゃんを驚かしてやる」智が意気込んで言った。

 そんなもの撮れるわけねえよと思いながらも「あぁ、楽しみに待ってるよ」と俺は答えた。


◆2

「今日も雨だから電車通学だね。今年の梅雨は、長引きそうだってニュースで言ってたけど、雨だと兄ちゃんが不機嫌になるから、早く梅雨が明けて欲しいな」今日もまたライオンヘアーの智が言った。

 一体どんな風にしたら、こんな頭になるのだろうか。

「いつ俺が不機嫌になった事があるんだ? 俺の心は、太平洋よりも広いんだぞ」太平洋という表現が、智には今一つぴんと来なかったようで、きょとんとしている。

 まあ、濡れるのは鬱陶しいし、暗い空は気分を重くする。智の言う通り、俺は雨が大嫌いだった。

 テレビで本日の星座ランキングが始まり、智の注意はそちらへと流れた。智の星座は射座で、順位は三位。まずまずの成績だ。ラッキーアイテムは、アンティーク雑貨だそうだ。

「兄ちゃん。あんてぃーくざっかって何?」智が質問してきた。

 一瞬、俺はうーんと考え「古くて、味のある日用品だ」と答えた。

「日用品って?」

「普段の生活で使う物だ。例えば、智が今使ってる食器とかだ」そう言って、俺は智の皿を箸で指差した。

「そっか、このお皿、あんてぃーくかな?」智が皿を少し持ち上げて、観察する。

「長年使ってるけど、それはアンティークじゃないな、母さんの部屋にある箪笥なら、アンティークだぞ。なんたって、母さんが花嫁道具として、家に持って来たもので、婆ちゃんの代から使ってるからな」

「そっか。じゃあ、後で見てみよっと」

「そうだな。ラッキーアイテムが見つかったし、智は今日、きっと良い事があるぞ。だから、テレビばっかり見てないで、早くご飯を食べろよ」

「はーい」と嬉しそうに返事をして、智は再び箸を動かしだした。

 食卓には、大根おろしが添えられた焼き鮭、だし巻き卵、ほうれん草のおひたしに、豆腐と大根とネギが入ったみそ汁が、各自のテーブルに並んでいた。テーブルの真ん中の大皿には、昨日の残り物のおかずも並んでいる。

 母親は、いつも料理を作り過ぎる癖がある。そして、やたらと人に料理を食わせたがるのだ。智の皿が空になったら間髪を入れず、これも食べろ。あれも食べろ。と、おかずを皿の上に乗せていく。

「母さん。智は食べたかったら、自分でおかずを取るし、自分のペースで食べたいだろうから、次から次へと皿の上に乗せるなよ」呆れて俺は注意する。

「あら。春人(はると)に怒られちゃった」と母親は舌を出した。反省している様子は、一切感じられない。一体どれだけ世話焼きで、食わせたがりなんだ。おかげで智は丸々と太ってきているじゃないか。

 食事を終え、いつもと同じ手順で忘れ物がないか、荷物を確認して、俺は家を出た。

 傘を差して駅までの道を歩いていると、ポツポツと雨粒が傘を打つ。時折打つ大玉の雨粒の音が、特に際立っていた。

 普段は自転車で通学をしているのだが、雨の日は電車で通学しているのだ。梅雨のおかげでここのところずっと電車通学だ。周りを見渡すと、人々はまるで駅へと、見えない巨大な磁石に、引き寄せられるているようだ。

 改札に辿り着き、ICチップ入りの乗車券が収まった財布を後ろポケットから取り出す。慣れた手つきで読み取り部分にかざして、改札機を通り抜けた。階段を下りてホームに着くと学生やサラリーマンが、傘を開いたり揺すったりして、雨の雫を地面に落としていた。

 いつもと同じ柱の横に佇み電車を待った。すると昨日と同じ時間に、今日も電車がホームへと滑りこんでくる。ドアが開き、人々が一斉に車内へと、吸い込まれていく。俺は空いてる座席へは目もくれず、いつもと同じドアの左脇の定位置へと身を運んだ。

 電車が走りだし、次の駅でまた数人の乗客が乗り込んできた。乗客の中に一人の女の子がいた。セミロングの髪に、アーモンド形の綺麗な瞳をした女の子。白いシャツにスカートから伸びた健康的な足が眩しい。その女の子の存在を確認して、俺は頬を緩めた。

 彼女は俺の方へと近づいてきて、笑顔で「おはよう」と声を掛けてきた。その笑顔は、梅雨時にも関わらず、まるで晴れた日の青空のようだ。その笑顔を見て、この子はきっと純粋なんだろうなと俺は勝手に想像した。俺も「おはよう」と返事を返した。

 梅雨に入ってから、毎日のように電車で顔を合わす女の子。全く知らない女の子だったのだが、毎日同じ時間の同じ車両に乗り合わせていて、前から気になっていたのだ。

 ある時、その女の子が手元から定期券を落とした。落ちた定期券はスルスルと地面を走りだし、俺のスニーカーにぶつかった。その定期券を拾い上げ彼女へと返したら「ごめんなさい」と恥ずかしそうに彼女は言った。

 その日から俺たちは会話を交わすようになった。定期券が彼女と会話をする機会を与えてくれたのだ。俺は心の中で定期券に「ありがとう」と称賛を称えた。

 俺達は最近見た映画の話や、休みの日は何をしているかなど、他愛のない話を繰り返した。彼女の名前は雨宮涼子(あめみや りょうこ)肌の色は白く、透明感のある瞳が彼女の美貌を作り出しているのだろう。

「ここの所ずっと雨だね。でも私、雨って結構好きなんだよね。苗字に雨って入ってるからかな? それに雨が降ると竹下君が電車通学になるしね」彼女は少しはにかんでそう言った。

「確かにそういうのわかる気がする。俺も名前に春って入ってるからか、季節は春が一番好きなんだ」多情多感な俺は、必要以上に照れてしまい「竹下君が電車通勤になるしね」の部分に関しては、返事を返さなかった。ちなみに竹下というのは俺の名字でフルネームは竹下春人(たけした はると)だ。


 雨が降るたびに、俺たちは同じ時間を共有した。


 俺は次第に彼女に魅かれていった。


 大嫌いだった雨が、だんだん好きなってきた。


◆3

 今日もまた、食卓には明らかに人数分以上の料理が並んでいた。

 父は名古屋に単身赴任中なので、現在の我が家の家族構成は、母と弟と俺の三人暮らしだ。しかし料理は明らかに三人分以上の量がある。そして例のごとく、母は食事中に智の皿が空く隙を窺っている。

「最近、毎日雨なのに兄ちゃん何だか機嫌が良いね。今までだったら、朝起きて雨が降ってると、今日は電車通学か、鬱陶しい。ってぼやいてたのに」智が言ってきた。

「これだけ毎日雨だと、さすがに慣れてきたんだよ。別に機嫌が良いわけじゃねえよ」本当は機嫌が良かったが、その理由が雨が降ると、気になる女の子に会えるからだなんて、恥ずかしくてとても弟には言えない。


◆4

 暖かい六月の雨に包まれながら、俺は駅へと目指した。傘を打つ雨音が、なんだか心地良かった。

「おはよう。竹下君……」

「おはよう。雨宮さん」

 今日の雨宮さんの表情はいつもと違い少し強張っていた。

「実は竹下君に話してなかったんだけど、近々アメリカに引っ越す事になったんだ。お父さんの仕事の関係でさ」

「え……? アメリカに引っ越すって事は、外国に住むの?」俺は驚いて目を丸くした。「うん。学校もアメリカの学校に通うことになる。前々からお父さんから話はされてたんだけど、昨日正式にアメリカ行きが決まったんだ」俯いて彼女が言った。

「そっか……。どれくらいの期間向こうに行くの?」

「最低でも二年は帰れないって、お父さんが言ってる。長ければずっとかもしれない」

「引っ越しはいつになるんだい?」狼狽しながらも、矢継ぎ早に質問を繰り返した。

「梅雨明けにはもう引っ越して日本にはいないと思う。ほんと突然過ぎるよね。今年中に引っ越しはないって、お父さん言ってたのに……」

「梅雨明けか。梅雨が明けても雨宮さんがいるなら、電車で通学しようかなって、考えてたんだけどな」照れと落胆の入り混じった声で俺は言った。俺たちは梅雨の間に出会い。梅雨明けと共にお別れするのか……


 心臓の鼓動が速くなるのを感じた。


 狼狽して視線をさ迷わせた先には、窓に張り付いた雨粒が、車内灯の光を乱反射させてキラキラと輝いていた。


◆5

 梅雨が明けて、本格的な夏が始まった。ふと思い出して、俺は智に訊いてみた。

「そういえば、妖精はどうしたんだ? あれ以来もう見てないのか?」

「あっそうだ。忘れてた。あの後にまた見たんだよ。それで写真を撮ったから、兄ちゃんに見せようと思ってたんだ。ちょっと待ってて」そう言って、智は自分の部屋へと向かった。しばらくすると、智がデジタルカメラを片手にリビングに戻ってきた。

「なんだよ。なんか写真撮れたのかよ」どうせ、大したものは写っていないだろうと思いながら、俺は智に言った。

 智がデジタルカメラを操作して、自慢げに画面を俺に見せてきた。その画面を見て俺は、目を大きく見開いた。画面には小さな女の子が写っていた。そして、さらに驚かされたのはその女の子の顔が、雨宮さんにそっくりだったのだ。

「ほらね。ほんとにいたでしょ」智が言ってきた。俺は唖然として、言葉が出なかった。

「でも、梅雨が明けてからは、全然出て来なくなったんだよね。梅雨の妖精なのかな? それとも僕が写真を撮ったから、どこかに引っ越ししちゃったのかな?」


 俺は彼女の姿を思い描いた。


 妖精が姿を消した理由が、梅雨が明けたからなのか、智が写真で撮ったからなのかは、わからない。

 

 だから来年、再び梅雨の季節が訪れたら、俺はいつもと同じ電車で、彼女を待ってみようと思う。


―了―

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ