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まだ書いていない最終話――なぜAIは、私しか知らない結末を書けたのか

作者: 春凪とおる
掲載日:2026/10/16

「先生、海外で妙な動画が出ています」


 担当編集の篠原さんからの電話は、いつもより半音低かった。

 凪トオコは洗いかけのマグカップを持ったまま、台所で立ち止まった。


 Webで小説を書き始め、『灯台守の娘』が書籍になってからも、しばらく経つ。

 巻を重ね、読者も少しずつ増え、最近になって初めてアニメ化の話まで水面下で動き始めた。

 それでも、担当編集から「先生」と呼ばれることには、いまだに慣れない。


「妙、というと」

「リンクを送ります。……先に言っておきます。驚かないでください、は無理だと思いますが」


 通話を切らないまま、スマホに届いたURLを開く。

 英語のタイトル。再生数は四十万回。

 サムネイルには、見慣れた灯台と、見慣れた少女の横顔があった。


 澪だ。

 トオコが三年かけて書いた長編『灯台守の娘』の主人公。


 再生ボタンを押した。

 潮風に揺れる髪。原作の冒頭どおりの、錆びた螺旋階段。


 BGMは、アニメ化の打ち合わせでトオコが

「こういう音が似合うと思います」

 と口にしたことのある、細いピアノの旋律によく似ていた。


 アニメ化の企画は、水面下で進んでいる。

 けれど、一般にはまだ何も発表していない。

 そして、澪が振り向く。


「――今日も、灯りをつけなきゃ」


 声を聞いた瞬間、背中が冷えた。

 柊木ゆり。


 以前、雑誌のインタビューで

「澪の声なら、この人のイメージです」

 と、トオコ自身が名前を挙げた声優の声だった。

息継ぎの癖まで似ている。


「これ、いつ投稿されたものなんですか」

「投稿は二日前のようです。うちが知ったのは、今朝です。公式窓口に情報提供が入っていて、確認して、すぐ先生に連絡しています」


 画面の中で、澪は原作の中盤を歩いていた。

 誰にも発表していないアニメの中を。


* * *


 最初にその動画を見つけたのは、ひなたという大学生だった。

 深夜二時。眠れずに海外の動画サイトを流し見していて、手が止まった。


(うそ、アニメ化決まってたの?)


 鳥肌が立った。

 作品のファンになって二年。単行本は全巻持っている。

 公式の発表なんてどこにもなかったのに、画面の中では澪が動いていた。


 指が勝手に動いた。

 引用投稿の画面を開き、

「すごいもの見つけた!!!」

 と打ちかけたところで、ふと止まった。


 スタッフ表記がない。

 制作会社のロゴもない。


 概要欄には、翻訳アプリで読んだ限り

「これは私の個人的なファンメイドです」

 という一文だけが、長い文章の途中に埋もれていた。


(……公式、じゃない?)


 拡散ボタンから、指を離した。

 自分が今これを広めたら、どうなるんだろう。


「新アニメ始まったらしい」

 と信じる人が出る。

 逆に、投稿者を叩く人も出る。

 そのどちらにも、自分は責任を持てない。


 ひなたは動画のURL、投稿日時、概要欄のスクリーンショット、ほかの動画へのリンクを、ひとつのメモにまとめた。

 それから、出版社の問い合わせフォームを開いた。


〈作品のファンです。これが公式のものか分からず、ご連絡しました。誰かを責めたいわけではなく、確認していただけたらと思います〉


 送信ボタンを押したあと、心臓が少しだけ静かになった。


 朝になって、出版社から返信が届いた。


〈ご連絡ありがとうございます。差し支えなければ、最初にご覧になった時刻と、保存されているスクリーンショット、ほかに見つけられた転載先があれば教えてください〉


 ひなたは、見つけた時刻と、保存してあった画像と、メモにまとめたリンクをそのまま送った。

それだけだった。


 ひなたが見つけた深夜には十万回ほどだった再生数は、朝には四十万回を超えていた。


 ファンからの一通がなければ、出版社が動画を保存するのは、もっと遅れていただろう。

 篠原さんは後にそう言った。


* * *


 出版社の法務は動き出した。

 動画の保存。投稿者への連絡。

 プラットフォームへの申立て。篠原さんは何度も言った。


「先生は何も悪くありません。まず、事実を確認します」


 確認すべき事実は、多すぎた。

 公開済みの小説をもとにしているが、許諾はしていない。


 映像も音楽も、トオコは知らない。

 声は、柊木ゆりさんに酷似している。

 全部が事実で、全部が、どこから手をつけていいのか分からないほど大きかった。


 二日目の夜、動画が別の場所に現れた。


 切り抜かれ、誰かが「Japan's New Anime Series」とタイトルをつけ、そこには存在しないはずの公式風のロゴと、「第一話」という話数表記が付いていた。


 三日目には「制作:???」というスタッフクレジットまで付いていた。

 投稿者の「ファンメイドです」という一文は、どこにも残っていなかった。


 トオコは、自分のアカウントを開いた。

 フォロワーは三千二百人。

 発売日のお知らせと、猫の写真と、締切への愚痴しか流れていない小さなアカウント。


〈出回っている動画は、公式のアニメではありません。私は原作者ですが、許諾も制作への関与もしていません〉


 送信して、三分で最初の返信が来た。


〈え、この人本当に作者? 公式アカウントじゃなくない?〉

〈フォロワー三千って少なくない?〉

〈作者を名乗る人が一番あやしいんだよね〉

 画面を見つめたまま、トオコは小さく息を吐いた。

 

 ――私が書いたのに。

 澪の名前を決めた夜も、灯台の描写を何度も直した朝も、全部私のものなのに。


 いま画面の中では、私のほうが、偽物だった。


* * *


 柊木ゆりさんの所属事務所が、公式サイトに告知を出したのは、その翌日だった。


〈現在拡散されている動画について、弊社所属の柊木ゆりが当該音声の収録を行った事実はございません〉


 それだけだった。

 経緯の説明も、感情の言葉もない。


 篠原さんは電話口でゆっくり言った。


「過去の出演音源を加工したのか、新しく生成した音声なのか、いま専門家に確認しています。ただ、権利の整理は……簡単ではありません」


 分かっている。

 分かっているけれど、トオコが怖かったのは、そこではなかった。


 本人が言っていない言葉を、本人が言ったように、世界へ流せる。


 画面の中の澪が、原作にある台詞を、柊木さんの息づかいで話す。

 それは確かに「作られた」ものだった。

 けれど、聞いた人の耳には、本物と区別がつかない。


 事務所の告知は、淡々としていた。

 柊木ゆりは、収録していない。

 それなのに、画面の中では、彼女にしか聞こえない声が澪を演じている。


 しかも、その名前を最初に挙げたのは、トオコ自身だった。

 自分が思い描いただけの配役が、本人の知らないところで「実現」してしまっている。

 そのことが、トオコには怖かった。


* * *


 最初に確認された転載のひとつが、削除された。

 篠原さんからそう連絡が来たとき、トオコは一瞬、ほっとしてしまった。

 そのほっとした数分間が、あとから思えば、一番長い休息だった。


 別のサイトに転載が現れた。

 スペイン語の字幕。韓国語の字幕。

 縦型に切り抜かれた三十秒のショート動画。

 吹き替えをつけた別言語版。


「公式第二話」と書かれたサムネイル。

 一つ消せば、二つ、別の場所から現れる。


 法務の担当者が疲れた声で言った。


「元投稿者がどれほど協力してくれても、いったん外に出たものは、すべては回収できません」


 知っていたはずだった。

 インターネットがそういう場所であることは。


 でも、それが自分の作品に起きるとは、どこかで思っていなかった。


* * *


 元の投稿者は、意外なほど早く、出版社の連絡に応じた。

 アカウント名は halcyon_mio。

 澪の名前をそのままIDに入れている。海外在住の、会社員だという。


 最初の接触のあと、やり取りは出版社の法務が引き継いだ。

 必要なら、外部の弁護士も入る。


 その日の夕方、篠原さんがトオコの部屋まで来た。


「投稿者から回答が来ました。法務で確認して、必要なところだけ訳してあります」


 差し出された数枚の紙を、トオコは受け取った。

 最初の一行は、短かった。


〈続きが見たかったんです〉


〈本当に、あの物語が好きでした。最初は自分のために、AIで続きの場面を作ってみただけです〉


〈思った以上に出来が良くて、誰かに見せたくなりました。短い部分だけ公開したら、反応が来て、うれしかったです。それで次の場面も作りました。また見せたら、また反応が来ました〉


〈お金は取っていません。作品が好きだっただけです。作者さんにも、喜んでもらえると思っていました。いつか、見てもらえたらうれしいなと〉


 文面は、ところどころ翻訳ソフトの硬さで途切れていた。

 それでも、悪意は読み取れなかった。

 トオコは、不思議な気持ちで読み終えた。


 怒りはあった。

 けれど、その怒りは、どこにも置き場所がなかった。

 この人は、私の作品を好きでいてくれた。

 続きを見たいと思ってくれた。


 その気持ちだけなら、分かってしまう。

 分かってしまうからこそ、苦しかった。

 

 好き、と、使っていい、は、どうしてこんなに近くて、どうしてこんなに遠いのだろう。

 この人にとっては、ほんの少しの「ファン活動」の延長だった。

 

 けれど、その延長線の先で、柊木さんの声は勝手に使われた。

 私は偽物扱いされ、出版社は削除の申立てに追われている。


 削除対応と、損害賠償を含めた今後の対応も検討されていると、篠原さんは言いにくそうに付け加えた。

 

 現実は、その先にも続いている。

 文面の最後に、もう一行あった。


〈最終回に当たる部分まで、もうできています〉


 トオコの指先から、すっと血の気が引いた。

 

* * *

 

 法務は、すぐに動いた。

 未公開部分をこれ以上公開せず、新たに第三者へ共有しないこと。これまでの投稿先を知らせること。削除と証拠保全にも協力すること。

 

 元投稿者は、悪意がなかった分、どの要請にも協力的だった。

 すぐに投稿先を一覧にして出し、自分の手で動画を削除した。

 求められた資料や、未公開部分の概要も提出した。


 けれど、すでに遅かった。


 最終回にあたる映像は、止められる前に、うれしくなった本人の手で、一度、公開されていた。

 削除しても、第三者が保存していた。

 転載されていた。字幕がつけられていた。


 出版社も法務も、元投稿者も、できる限りの対応をした。

 それでも、いったん外へ出たものは、完全には回収できなかった。


 その日の午後、篠原さんから電話があった。


「先生。確認していただきたいことがあります」


 声が硬かった。


「投稿者から提出された最終回の概要を確認しました。以前、先生から聞いていた最終章の方向性と、似ています」


 トオコは答えられなかった。


「先生に見てくださいとは、言いたくありません。ただ、どこまで一致しているのか、事実確認のために、先生ご自身に確認していただくしかなくて」


 トオコは、再生ボタンを押した。

 嵐の夜。灯台。澪が灯りを消し、幼なじみの航平を送り出す場面。


 凍りついた。


 それは、トオコが一年以上前から決めていた最終章と、骨組みがまったく同じだった。

 灯りを消す約束。ずっと前に落とした鍵の伏線。

 誰も気づかないはずの、小さな台詞。


 ――なぜ。

 どうして、知っている。


 最終章の構想は、完成した形では誰にも渡していないはずだった。

 打ち合わせでは、方向性だけ話した。

 プロットの断片は、クラウドの資料に置いていた。

 以前、資料の整理のためにAIへ、あらすじの一部を貼ったこともある。


 編集部で、アクセスログの確認が始まった。


 三日後に出た報告は、曖昧だった。


 編集部側のサーバーに、不審なアクセスは見つからなかった。

 クラウドの共有設定にも、明確な問題はなかった。

 ただし、ログが残っていない期間があった。


 トオコがAIに入力した断片は、確かに履歴に残っていた。

 ただ、それが外部で使われたかどうかは分からない。


 公開済みの伏線、過去のインタビュー、SNSの発言。

 それらを分析すれば、同じ結末に辿り着くことも、不可能ではない。


 漏れたのか。

 推測されたのか。


 分からなかった。

 調べれば調べるほど、可能性が増えるだけだった。


 ただ、一つだけ、はっきりしていることがあった。

 トオコは、古いパソコンの原稿履歴を開いた。

最終章の初稿は、AI版が最初に公開された日よりずっと前の日付で、確かにそこに保存されていた。


 私は、真似していない。

 それだけは、誰にも奪えない事実だった。


* * *


 その三日のあいだにも、最終章の映像は世界中へ拡散していた。

 タイムラインは、トオコの知らない言葉で埋まった。


〈AI版のほうが伏線回収うまくない?〉

〈これが本当の最終回でいい〉

〈作者もこの結末にするんじゃない? 実質、答え出てるでしょ〉

〈今から作者がAI版を真似したら笑う〉


 笑うことは、できなかった。


 トオコは、自分の原稿を開いた。ずっと前から、そこにある最終章。


 発表すれば、「作者がAI版をパクった」と言われる。

 変更すれば、「AIに先を当てられたから変えた」と言われる。

 黙れば、AI版が、事実上の最終回として定着する。


 どれを選んでも、私は、私の物語の作者でいられなくなる。

 私が書いたのに。

 私のほうが、偽物みたい。


 夜中に、トオコはもう一度、AI版の最終章を再生した。

 AI版の澪は、美しかった。

 嵐の夜、迷いなく灯りを消す。航平を送り出す。

 伏線はひとつの取りこぼしもなく回収され、読者が望んだ形で、きれいに、きれいに涙が流れるよう設計されている。

 

 画面を見ながら、思った。

 よくできている。悔しいけれど、本当に、よくできている。

 

 次に、自分の原稿を読んだ。

 トオコの書いた澪は、灯りを消す約束をしていた。

 けれど、いざ航平が船に乗る瞬間、約束を守れない。

 港で泣き出して、一番言ってはいけない言葉を言ってしまう。


「行かないで」


 そして、航平を怒らせる。

 伏線のひとつは回収されず、ひとつは、少し間に合わない。

 不器用で、ずるくて、合理的じゃない。

 十年言えなかったことを、最悪のタイミングで言う、人間の選択。

 

 なぜ澪は、ここで約束を破るのか。

 トオコは、三年間考え続けてきた。

 澪が何を怖がって、何を隠して、どんな夜を越えてきたのか。


 だからこそ、分かった。


 違う。

 これは、私の物語だ。


 AI版と違うから、私のものなのではない。

 何年も、あの子たちと一緒にいたから、私の物語なのだ。


* * *


 翌朝、篠原さんが、慎重に尋ねた。


「先生。最終話を、変えますか」


 変えれば、少なくとも

「AI版を真似した」

 と言われることだけは、避けられるかもしれない。

 その迷いが、確かにあった。


 トオコは、少しだけ黙った。

 窓の外で、郵便配達のバイクが止まった。


「変えません」


 自分の声が、思ったよりはっきりしていた。


「これは、私がこの子たちに用意した結末です」


 篠原さんは、何も言わなかった。

 しばらくして、小さく息を吐く音だけが聞こえた。


「……分かりました。公開の準備を進めます」


 公開の前日、法務から連絡があった。


 すべての転載を消すことはできない。

 流出の経路も、最後まで確定はしない。

 柊木さんの声についても、整理には長い時間がかかる。


 全部、分かっていた。

 公開当日、トオコは短い一文を添えた。


〈この最終話は、AI版より前から、私が書いていたものです。これが、私の『灯台守の娘』の終わりです〉


 そして、公開ボタンを押した。


* * *


 最初の感想が届いたのは、公開から一時間後だった。

 日本語。英語。韓国語。スペイン語。

 ひなたからも、短い感想が来ていた。


〈澪、ずるいですね。でも、あれが澪でした〉


 トオコは、画面を見つめて、少し笑った。

 

 夜が明ける少し前、海外のアカウントから、一通のコメントが届いた。


〈AI版とは違いましたね。私は、こちらの終わり方のほうが好きです〉


 トオコは、少しだけ口元をゆるめた。

 ありがとう、と返信を打とうとして、指が止まった。


 元動画は削除された。

 出版社が把握していた主な転載も、ほとんど消えたはずだった。

 画面の向こうで、見えない誰かが、まだあの結末を持っている。

 

 トオコは、返信欄にカーソルを置いたまま、長いあいだ動けなかった。

 窓の外では、夜が静かに明けはじめていた。


(了)

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― 新着の感想 ―
私もAIを使って誤字脱字の洗い出しや 読者目線での総評を毎回出してもらってます。 時々、結末を予想させますが、いまだに当てられたことはないです。ただ、今のところです。 でも、ふとこうAIの向こう側…
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