第弍拾弍次 虚勢
饕餮が小屋で結果を伝える。
「親駒が“一のは”へ移動後、交戦。結果、“清秀”“忠世”“忠次”――三体が消滅しました」
重右衛門と文治郎は、再び驚く。
今度は素直に、その表情に出る。
文治郎は聞いた。
「なぜ三体なんだ」
饕餮が説明する。
「親の駒は“清秀”を掴み、“忠世”の方へ投げました。その勢いは凄まじく、後ろで待機する“忠次”をも巻き込み、運よく三体が円の外側へ出ました」
「お露、伊織の状態は?」
「悪いが、言えねぇな」
「……説明してくれるかい」
饕餮が口を開く。
「我々が主観で語りすぎると、事実が歪んで伝わる可能性があります。それに、貴方や文治郎殿の口車に乗せられて、意図せず一方へ肩入れしてしまうような事態は避けたいのです」
「伊織の状態次第では、戦略も変わるんだけどね」
「それは俺も同じだ。十六体の駒の損耗状況はわからない」
「ええ。ですから中立たる私とお露さんは、結果のみお伝えしようと思います。各々、駒の状態も計算に入れて戦ってください」
文治郎はあっさり受け入れる。
「いいだろう」
重右衛門は少し考えた後、答える。
「……先に説明してほしかったな。なら、受け入れる代わりに提案させてくれ。各手番ごとに最大の持ち時間を決めよう。文治郎、君の力で砂時計を出してくれ。……そうだな、短く一服程度の時間でどうだい」
「わかった。いいだろう」
そう言うと、周囲から雪が集まり、卓上へ砂時計が三つ現れる。
その万能さを改めて確認し、重右衛門は目を細めた。
「では続けるぞ……忠佐を“一のに”」
そう言って駒を伊織へと近づける。
砂時計を返し、重右衛門の前に置く。
「せっかちだね。僕は君ほど十六武蔵に慣れていないから、ゆっくり考えさせてもらうよ」
十分に時間を使い、考えてから口を開く。
「……“二のろ”へ」
忠佐から離れ、より敵の多い場所へ。
落ちきった砂時計を返し、文治郎へ。
「いらん。そのまま持っておけ……元忠を“三のに”」
伊織を囲む網を縮めるように駒を動かす。
戦闘がないまま、盤面は動き続ける。
伊織を“三のろ”へ動かし、敵集団へより切り込む。
常晴を“四のろ”へ進め、伊織の進路を塞ぐ。
伊織を“三のは”、中心へ戻し、敵陣形が崩れる隙をうかがう。
元忠を“二のに”へ移動させ、三角地帯へ誘導するよう道を開ける。
伊織を“二のろ”へ離脱させ、誘いに乗らない。
直政を“三のろ”へ詰めさせ、さらに伊織への距離を縮める。
重右衛門は覚悟を決める。
伊織には十分に休息を与えられた。
徐々に縮みつつある包囲網を、ここで突破する。
「伊織を“三のは”へ。戦闘だ」
子の駒二体に挟まれる位置。
戦闘の合図だ。
ここで二体を倒せれば大きい。
「承知しました。お露さん」
「ああ、行くぞ」
そう言い、
見届人二人がもう一つの戦場へと向かう。
それを見届け、文治郎が口を開く。
「開幕二戦とは異なり、ここまで慎重だったな」
「当然さ。伊織は生身だよ。君の駒のように無尽蔵に動けるわけじゃない」
文治郎は目を伏せて答える。
「生身……か。本当に……いや、いい。この勝負には関係がない」
重右衛門が何かを言いかけた時――
どん、と太鼓の音が鳴る。
結果は――
「親の駒が“三のは”へ移動後、交戦。“四のろ”にいた常晴が消滅し、“二のに”にいた元忠は生存。続行となります」
当初の打合せ通り、移動方向に対して右側の“常晴”を優先して倒した。
無理をするなとは言ったが、二体倒したい場面だった。そのために十分な休息を与えていた。
重右衛門が振り返る中、文治郎が淡々と駒を進める。
「そうか、ならば康忠を“四のろ”へ」
常晴を倒し、空いた穴は即座に塞がれる。
そして、重右衛門の意識を切るように、砂時計を強く卓に置く。
「……どうした、随分表情が硬い。まだ始まったばかりだというのに」
「……ああ、すまないね。集中しすぎると、ついね」
そう言うと、重右衛門は目を閉じ、熟考に入る。
お露はその姿を見て、心の内を推し量る。
重右衛門は伊織の野郎の戦いを見ていねえ。
だから二体同時に倒せなかった理由について、こう考える。
一、単純に間に合わなかった
二、左足の状態が悪い
三、咳が悪化した
四、敵の攻撃を受け、怪我を負った
この中なら一であって欲しいだろうが、楽観視して戦略を決めるわけにゃいかねえ。
そんで二、四についちゃあ、重右衛門がどうこうできるもんでもねえ。
だから三を前提に動く。
つまり逃げて、伊織の呼吸が整う時間を稼ぐ。
それしかねえ。
その答え合わせは、砂が落ちきると同時にやってきた。
「……伊織を“二のろ”へ」
最も囲まれにくい場所へ逃げる。
間を置かず、文治郎が迫る。
「忠佐を“一のは”だ」
重右衛門は息を大きく吸い、ゆっくりと吐き出す。
“一のい”“一のろ”は詰みだ。
次の手で追い詰められ、身動きが取れなくなる。
“三のい”も方向は違うが同様に詰み。
“二のは”へ逃げるか、再度“三のは”で戦うか。
逃げた先はさらなる包囲。
どうせどこかで敵を倒せねば負ける。
ならば、包囲が少しでも緩いうちに、内側で戦って崩壊させるべきだ。
文治郎が声をかける。
「随分と弱気だな。今も逃げるか戦うか迷っている。……違うか」
「ああ、次の僕の手のことかい?とっくに決めているさ。今考えているのは何手先で、どういう状況に持ち込めば勝ちが濃いか、だね」
文治郎は肩をすくめる。
「そんな透けて見えるような虚勢、いつまで続ける気だ。一度、一体しか倒せなかった。それだけだ。もっと信頼してやればいいだろう。……それとも何か、東條伊織の不調に心当たりでもあるのか」
「人の話を聞かないね。お望み通り今回は戦うよ……“三のは”だ」
――しかし。
「親の駒が“三のは”へ移動後、交戦。“四のろ”にいた康忠、“二のに”にいた元忠は共に生存」
重右衛門は椅子から腰を浮かせ、血の気が引いた顔で続きを待つ。
「……続行です」
饕餮が神妙に結果を伝える。
(生きていた⋯⋯)
直後、重右衛門は糸が切れたかのように椅子へと落ちる。
「どうやら、期待外れはお前ら方だったようだな」
重右衛門は沈黙を貫く。
「……」
「ちっ、何も言い返せんとはな。もういい、終わらせよう。忠勝を“二のろ”へ」
砂時計を重右衛門の前へ乱暴に置く。
「どの道死ぬんだ。さっさとしろ」
「……はは、随分な言いようだね、全く」
重右衛門は俯いたまま、呟くように話す。
「……だけどね、気が早いよ、國駒文治郎。……正直に教えてあげるけど、ここまでの勝負で僕は読みを外していない。思い通り過ぎて面白くないなあ。……そうだ、助言をしよう。もう一度思い返してみるといい、致命的な見落としをしていないかね」
「聞くに耐えんな」
「……そうかい。だが僕は勝つつもりでいるからね。時間はたっぷり使わせてもらうよ」
お露は、重右衛門の目を見て背中に冷たいものが走る。
普段余裕を崩さない男が、顔面を蒼白とさせ、うなだれている。
言動はからは虚勢張っているとしか思えない。
ほぼ確定した死を前に、策もなくあがいている。
そんなみっともない男の白髪から覗く目は、冥府のように暗く、深く、濁って見えた。
だが、重右衛門の選択は変わらない。
どの道、戦って倒す以外に勝つ方法がない。
だから限界まで逃げて時間を稼ぐ。
伊織の呼吸を整えるために。
「涙ぐましいな。そうやって稼いだ僅かな時間で、何かが変わるのか」
「……うるさいな。諦めないよ。最後まで最善を尽くす……こんなところで死ねない」
「最善を尽くしたところで、なんなんだ。少し時を稼げば状況がよくなるのか? 東條伊織が出血をしていたらどうする。むしろ死が近づいているかも知れないぞ」
重右衛門は両手で頭を抱える。
「静かにしてくれ! だいたい君は何なんだ。勝手に勝負を挑んできて、全身全霊でこいだの、期待外れだの」
「ああ、そうだったな。実際、あの化け物どもを数体倒したんだ。それだけでも称賛に値する。……ただ、俺の期待が高すぎただけだ。⋯⋯さあ決めろ、すぐに死ぬか、いくらか逃げて死ぬか、もうそれだけだ」
「……“四のは”」
逃げてから死ぬ道。
「お前の言う最善を尽くすとは、確定した死を先延ばしにするだけなのだな。饕餮、残念だが、せっかくの配置換えの提案は不要だったらしい。⋯⋯忠佐を“二のは”へ」
それでも重右衛門は、時間を限界まで使う。
「……“四のに”だ」
そして、戦わない選択。
「もはや何も言うまい。康忠を“四のは”へ」
戦わない選択肢が削がれていく。
もはや重右衛門は、時間いっぱい黙っているだけ。
絞り出すように、
「……“三のに”」
戦わずに済む最後の手だった。
「これで詰みのようなものだな。正成を“四のろ”へ」
三角地帯へ誘導すべく、後方にさらに圧をかける。
「詰み……だって?」
「まだわからんのか?……命に手がかかったぐらいで、正常な判断ができなくなるとは……お前もそんなものか。どちらへ進もうと戦闘だ。“三のは”へ下がれば四体を相手にしなければならない。論外だ。“四のに”へ戻っても戦闘。奇跡的に生き残っても、その後の連戦に耐えられまい。“三のほ”も同様だ。三角地帯へ追い込まれる。そこから勝てるとはお前も思うまい」
重右衛門が嗤う。
「……くく、ははは!」
「呆けたか。存外に脆かったな」
重右衛門は懐から貧乏徳利を出し、勢いよく喉に流し込む。
「誰が呆けたって? ずいぶんな言いようだね。こっちは笑いが止まらないというのに」
「ふん、聞くに耐えんな。さっさと――」
「“三のは”だ」
一瞬、場の空気が凍る。
饕餮は聞き直す。
「今、なんと?」
「聞こえなかったのかい。伊織を“三のは”へ移動させるよう言ったんだ」
「……さんざん時間を稼いだかと思えば、諦めたか」
「好きに言えばいい。だが予言しよう。⋯⋯君の失った熱は、このあと最高潮に達する」
「まだ嘯くか。⋯⋯饕餮、お露、東條伊織の最期を見届けてこい」




