第弍拾次 開戦
十六武蔵の遊び方について、
わかりやすいサイトがありました
■ご参考
https://www.hm.pref.hokkaido.lg.jp/wp-content/uploads/2025/01/20b0b5b9909833c1ab7f5d156c41db21.pdf
空高くから、鳶の鳴き声が響いていた。
澄んだ空気を裂くようなその声は、これから始まる勝負の合図のようでもあった。
饕餮が静かに口を開く。
「――時間になりました。始めましょう」
「重右衛門殿、文治郎殿は盤面のある小屋へ」
重右衛門のいる小屋は、厚い壁で仕切られている。
伊織たちの様子を、直接見ることはできない造りだ。
「伊織殿は、配置へ」
軽く出た咳を鎮め、促されるまま、伊織は地に描かれた盤面の中心へと歩を進める。
踏み固められた土の上に、白く描かれた線。
そこに刻まれた、無数の円と交差点。
「各位置には番号を振っています」
饕餮は淡々と説明を続ける。
「上から一から五で行を。左から、いろはで列を表します」
「今、伊織殿が立っている中心は“三のは”です。
では、小屋の準備が整うまで、お待ちください。
****
重右衛門は、小屋の中の椅子に腰を下ろした。
目の前の机。
その上に置かれた盤。
彼はじっと眺め、指先で縁をなぞり、軽く叩き、裏を覗く。
一つひとつ、確かめるように。
「盤や机に仕掛けはない。そんなせこい真似はしない。安心してくれ」
文治郎が、ゆっくりと落ち着いた口調で言う。
「口ではどうとでも言えるよ」
重右衛門は肩をすくめた。
「本気で勝つつもりなら、イカサマくらいやって当然だと僕は思うけどね」
飄々と返す。
だが、内心は違う。
重右衛門は、十六武蔵に関しては強い方だった。
規則も把握している。
勝つための定石も、ある程度は身につけている。
――だが。
目の前の男が、あえて選んだ勝負だ。
単純な実力勝負で終わるはずがない。
伊織の戦闘、負傷の度合い。
一つの読み違いで、形勢は簡単にひっくり返る。
必勝の手が、即座に敗北へ変わる可能性もある。
苦しい戦いになる。
「親の駒は一つ。だが、子の駒は十六体だ」
文治郎が言った。
「宣言の手間を減らすため、名をつけた。
まあ、こっちの都合だ。
あんたには大して影響しないだろうが、一応な」
盤面の駒には、それぞれ名が彫られていた。
「忠勝、直政、常晴……」
重右衛門は鼻で笑った。
「⋯⋯十六神将か。初代将軍にでもなったつもりかい?」
「そうだ、いいだろう」
文治郎は口角を上げる。
「せっかくだ。存分に楽しませてもらう」
「⋯⋯なら、武蔵たる伊織に対して、僕は義経かな」
「くく……興が乗ってきたようだな」
文治郎の表情が、ゆっくりと変わっていく。
覚悟と自信。
そして、どこか歪んだ狂気。
それらが混じった笑み。
「だが、最後に笑うのは俺だ。お前は勝てない」
「怖いね。それが君の本性かい?」
「今のうちにおどけていろ」
「すぐに、その余裕面を引きつらせてやる」
「……始めようか」
****
伊織は準備を待っている間、盤面を観察した。
砂粒の細かさ、制動具合、石の配置。
刀で地面を刺し、穴を広げ硬さを確かめたりもした。
一通り確認し終えると、
伊織は深く息を吸い、瞑想する。
心を研ぎ澄ませる。
久々の、守るもののない戦い。
存分に戦える。
――だが。
相手は、十六体の雪骸。
心を解く。
そんな欲張りはしない。
せめて、迅速に終わらせてやる。
そう考えた瞬間、左足がじんわりと熱を帯びた。
どん。
太鼓の音が響く。
「これより、十六武蔵開始!」
饕餮の声が場に響いた。
まずは、親の手番。
伊織は、静かに宣言を待つ。
「伊織殿。“二のろ”へ」
動き出す。
直線ではない。
左から、大きく回り込む。
――円の中に、体の一部が触れた瞬間。
雪骸が動き出すという規則。
――体の一部でも円内にあれば、違反ではない。
ならば。
無茶は、最初にやる。
規則が曖昧で、仕切り直しも効く序盤に。
線引きをする。
重右衛門とは、事前に決めていた。
「できるだけ、移動先の右側から優先して倒す」
次の手を、読みやすくするために。
だが――ここは欲張る。
伊織は走る。
俯瞰するように、盤面を把握する。
指定された円の脇を通り過ぎる瞬間、刀を縁に突き立てた。
同時に、すでに目前にいる雪骸が、動き出す。
だが、伊織の攻撃準備は終わっていた。
右足を軸に。
持ち上げた左の蹴り足が、風を裂く。
次の瞬間。
首を刈り取るような一撃。
脛当てが眩く光り、轟音が炸裂する。
伊織は、結果を確かめずに振り返った。
すでに、後ろの雪骸が迫っている。
円の限界ぎりぎりまで。
だが、光に一瞬、怯んだ。
伊織は刀を抜き、躊躇なく踏み込む。
少し力を抑えた前蹴りが、雪骸の腹へと衝撃を叩き込む。
雪骸が仰け反るその隙に、
両の膝下を断ち、巨体を後ろへと倒れさせる。
伊織流れるような動作で、円内に残った脚を刀の背で打ち払い、円の外へ弾き出した。
――決着。
一瞬の出来事だった。
振り子はまだ四往復。
戦闘の終わりを告げる太鼓の音は未だならない。
数瞬遅れ、呆然としていた見届人たちが、ようやく我に返る。
どん!と気の抜けた太鼓の音が鳴る。
「……強いとは思っていたがよ……」
「凄まじい……その一言ですね」
お露が眉をひそめた。
「⋯⋯いや待て、最初の蹴りのとき、円から離れただろ。違反じゃねえのか?」
伊織は残心を解き、静かに答える。
「この刀は、俺の一部だ」
「屁理屈だろ」
「比喩や、達人の境地のような意味ではない。
この刀はこの身から生じるものだ。
それを円に残していた。規則には反していない」
「⋯⋯」
お露は黙り、饕餮を見る。
饕餮は、しばし考えた後、言った。
「……事実であれば、明確な違反とは言えませんね」
伊織は続ける。
「嘘をつく理由がない。
嘘なら、文治郎とやらの力が、
代償として命を取り立てに来るんだろう」
淡々と、当然のことのように言う伊織に、饕餮の興味はより深く重くなっていく。
その視線を意に介さず伊織は続ける。
「すべてを賭けろと言ったのは、あいつだ。
だから、全力で応えただけだ」
饕餮は、静かに頷いた。
「……わかりました。
文治郎殿に確認しましょう」




