第拾玖次 十六武蔵
十六武蔵の遊び方について、
わかりやすいサイトがありました
■ご参考
https://www.hm.pref.hokkaido.lg.jp/wp-content/uploads/2025/01/20b0b5b9909833c1ab7f5d156c41db21.pdf
「⋯⋯よく来てくれた」
賭場は、群生する蒲の先、海岸の手前の空き地にて作られていた。
駿河湾から吹き付ける風を、厚く植えられた松が緩衝し、緩やかな風が流れる。
重右衛門が伊織とお露の前に立ち、口を開く。
「やあ、はじめまして。君が國駒文治郎だね。⋯⋯そちらは?」
「ああ、はじめまして。こちらは俺が連れてきた見届人の饕餮だ。中立だから安心してくれ」
「聞かない響きだね。大陸のほうかい?」
「⋯⋯いえ、偽名ですのでお気になさらず」
そう言って、重たい視線で重右衛門たちを見つめる。
「⋯⋯そうかい」
「じっくり挨拶するような仲ではないだろう。説明するからこっちへ来てくれ」
文治郎は目の前の小屋へと誘導する。
風よけ程度の簡素な小屋だ。
そして、その前には白い文様を刻む地面が広がっていた。
床には、円と文字が刻まれている。
その数、三十一。
正確に等間隔で並んだ、白い円。
それらが縦横斜めに線を結び、巨大な四角と三角を作り出していた。
重右衛門は目を見開く。
「これは⋯⋯」
その続きを文治郎が口にする。
「そう、十六武蔵だ。やったことぐらいあるだろう」
小屋の中心には、低い卓が置かれている。
卓の上には、一枚の盤。
古びた木製の――本物の十六武蔵だった。
「……ほう」
重右衛門が盤を覗き込む。
手で触れ、縁をなぞる。
「借り物だ」
文治郎が言った。
「博徒は虚勢を張ってなんぼだ。虚勢と見抜かれなきゃ、それは実勢になる」
浅く笑って続ける。
「博打の道具なら俺の力でいくらでも作れる。だがな……本物が一つあるだけで、勝負は締まるもんだ」
文治郎は表情を引き締め直して話す。
「まず、盤の話だ」
文治郎が指を鳴らす。
「上から、一から五で行を。左から、いろはで列を表す」
盤を示す。
「例えば中心の位置は、“三のは”って具合に呼ぶ」
重右衛門は真剣に耳を傾ける。
「親は重右衛門、
子は俺の一回勝負だ」
「駒は――」
文治郎は闘技場の方を見た。
そこには、いつの間にか現れた雪骸が並んでいる。
十六体。
無言で、動かず、待機している。
「東條伊織と、こいつらだ」
伊織が小さく息を吐いた。
「⋯⋯人を駒にするつもりか」
「嫌か?」
「お前の遊びのために張る命はない」
「ああ、確かに遊びだが、俺にとっては命をかけた重要な戦いだ。俺はあんたとも戦いたい」
「ふん」
「それに、受けるつもりで来たんだろう。俺はあんたの戦いを見た。いつだって命を賭けてきたはずだ。今さら尻込みする理由がない」
「いいだろう、話を続けろ」
伊織は重右衛門に目配せし、黙る。
文治郎は満足そうに頷いて、十六武蔵の基本的な勝負について認識合わせを進めていく。
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親の駒一体、子の駒は十六体。
親の駒は中心から、子の駒は正方形の外周を囲むように配置し勝負を開始する。
親の先行で勝負を始める。
親も子も自分の手番で駒を一つ移動させることができる。
移動は線のつながる先へのみ可能で、線がつながっていても他の駒がいる場所へは移動不可。
親の駒が移動したとき、子の駒に挟まれる状況となれば、挟んだ子の駒は消滅。
子の駒が移動した結果、親の駒を挟んでしまっても消滅はしない。
子は親の駒を包囲し、身動きを取れなくすれば勝ち。
親は、子の駒が消滅し数が少なくなることで、親の駒を包囲することができなくなれば勝ち。
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伊織は、黙って円の一つに立つ。
足元の白線を見下ろす。
円の直径は、二尺ほど。
狭い。
一歩踏み外せば、即座に外に出る。
見届人の男が、無言で頷いた。
お露は、壁にもたれて酒を飲んでいる。
「今回の特別規則はこうだ」
「まず、駒はそれぞれ指定の円に配置される」
「円から完全に出た時点で負けだ。飛び上がっても同じだ。着地して外なら終い」
伊織が聞く。
「完全に出たとは具体的になんだ。片足が残っていればいいということか」
「その通り。円のなかに片足を残しておけば問題ない。そうしないと、お互いの駒で戦えないからな」
そう言って周りの顔をゆっくり見回す。
「俺と白髪頭は、駒をどこに動かすか宣言し、盤上で駒を動かす。宣言に則り、それぞれの駒も対応した円へ移動する。こっちの駒たちは俺の意思を汲み取るから、そっちはお露が伝達を手伝えばいい」
「⋯⋯そして、親の駒である東條伊織、あんたが移動先の円に移動したとき、あんたを挟んで隣り合う位置に俺の駒二体が並んでいれば戦闘開始だ」
重右衛門が眉を上げる。
「子の駒はいつ動き出すんだい」
「親の駒が円内の地を踏んだ瞬間だ」
「事前に予備動作は?」
「円を踏んだ圧を感知して初めて行動する。信じろ」
伊織も口を開く。
「制限時間は?」
文治郎は振り子を出す。
「こいつが十回往復したら饕餮が太鼓を叩く。それまでの間だけ、互いに攻撃していい。殺してもいいし、弾き出してもいい」
「だが、できなきゃ駒は消えない」
伊織は、思わず舌打ちした。
「普通は、親駒が子の駒の間に入れば、その時点で子の駒は最低二つ消えるだろう」
「だが、ここじゃ違う。
必ず――戦え」
重右衛門も口を挟む。
「それだけじゃないね。たとえ一体でも短時間で殺すのは無理だ。だが今回の勝負では、伊織が戦うときは必ず、最低でも二体、挟まれた状態で戦闘が始まる。あまりに不利じゃないか」
お露が吹き出した。
「最初から殺しに来てんじゃねぇか」
文治郎は嘆息し、言葉を返す。
「当然だ⋯⋯まさかこの期に及んで出し惜しみするつもりか? 知っているぞ、左足の力。言ったはずだ、すべてを賭けろと、全身全霊かかってこい」
「それに、開始前に雪は排除してやる。回復はしない」
気持ちがいいほどにまっすぐな文治郎の言葉に、伊織は沈黙の後、納得する。
そして獰猛な笑みを浮かべる。
「⋯⋯そうか、ねじ伏せてやる」
だからといって状況が好転するわけではない。
基礎的な膂力に天と地ほどの差があるのは間違いないのだ。
「⋯⋯出し惜しみしていると、あっけなく死ぬぞ」
「くどい。⋯⋯一つ聞く。まさかお前の駒に囲まれ、移動先が潰されれば、本来の規則通り即そこで負けということはないだろうな」
文治郎は目を見開く。
「はは、考えていなかった。⋯⋯普通に考えれば終わりだろう。⋯⋯だがそうだ、不公平だな。円のなかに足がある限り、お前が死ぬまで、こちらの勝ちは確定しないことにしよう」
伊織は左足に籠もる熱を感じていた。
「⋯⋯やはりお前たちを選んでよかった。続けるぞ」
文治郎は続ける。
「決着の条件は今決まった。単純だ。
東條伊織の反則か死亡による決着。
もう一つは、俺の駒が反則か死亡により排除されることによって、東條伊織の移動を防ぐことができなくなったときだ」
「膠着状態は?」
「親の勝ちでいいだろう」
再度沈黙が訪れる。
「⋯⋯いいな。
では今決めた結果をもって勝負を終了とする」
伊織が居心地が悪そうに問う。
「⋯⋯一応聞くが、賭けるものは決めてあるんだろうな」
伊織が文治郎と重右衛門、両者の顔を見て言う。
「俺からは、そちらが求める情報を。俺が求めることは命をかけた勝負そのものだ」
「⋯⋯その求めに応じて、こちらからは伊織の命を賭けることにしたよ」
「は?」
お露が驚く。
「なに、伊織を捨てるわけじゃない。君たちに言ってもわからないだろうが、伊織が死ねば僕の目的も潰える。それは死と同義だ。それぐらい一蓮托生なんだ。だが、死ぬまでにも一晩ぐらい時間がほしい事情があるだけだ」
さらに深い沈黙が場を包む。
「⋯⋯それだけ伊織は死なないと信じているし、僕が死なせないさ。それに、命を賭けるという勝負の前提、これを僕が破った場合、君の力はどういった結果をもたらすだい」
重右衛門は文治郎へ問いかける。
「前例がない。わからないが、こと賭博において俺のこの力は万能だ。恐らく雪に干渉して、死に値する罰則をあんたに与えるだろうな」
「そういうことだよ。伊織、安心して戦ってくれるかい」
「ああ、わかった」
ここで沈黙を守っていた饕餮が唐突に口を開く。
「⋯⋯ところで、私からもよろしいでしょうか」
同じ見届人のお露が応じる。
「饕餮だっけ、あんたは中立だろ?」
「ええ。だから中立の立場で提案をさせてください」
文治郎が目で先を促す。
「いえね、少々、駒側の実力に結果が委ねられすぎると思いまして。難しいようには思いますが、もしそこの東條伊織殿が、子の駒の半数、つまり八体を排除したとき、場の呼称を入れ替えるのはどうでしょうか」
文治郎と重右衛門は、その提案の凶悪さにに気づき目を見開く。
お露が言う。
「どういうことだ?」
「つまり、伊織殿が中心にいて、真上に一つ進みたいとき、重右衛門殿は“三のろ”へ進めと宣言されますね?」
「ああ」
「しかし、先ほどの条件を満たしたとき、真上の位置は“三のろ”ではなく、“五のと”となっているかもしれません」
「何言ってんだ? それじゃあ勝負が成立しないだろうが」
「ええ、だから入れ替えには規則性を持たせます。その規則を先に解いたほうが、駒を動かせるようになる。いかがでしょう」
文治郎は答える。
「⋯⋯饕餮お前⋯⋯とんでもないことを言いやがる。⋯⋯だが面白い。乗った」
重右衛門も続く。
「条件は同じなんだ。断る理由はないね。⋯⋯そのかわり、入れ替えの前に一度伊織と作戦を練る時間がほしい。そちらの提示する勝負をのむんだ、それぐらいいいだろう」
「構わん」
文治郎は即答する。
そこへ一人理解が追いつかないお露が待ったをかける。
「待て待て、宣言した先が移動できない場所ならどうなる」
当然のことだと饕餮は返す。
「無効でいいでしょう。相手の番に変わります」
「逆に移動できたら? どうやって把握する」
「口頭での宣言のみにします。そして時間はかかりますが、移動できたといった結果を逆に盤面に反映させます。そこから規則性を見いだしていただく勝負となります」
「……そんな勝負、成立しねぇだろ。命がかかった状況で、そんな人間離れした思考ができるはずがねぇ」
お露の言葉に、饕餮はわずかに首を振った。
「お露さん。あなたが思う以上に、知恵という名の天井は高いのです。
極限に追い込まれたとき、人は時に、自分でも想像しえなかった高さへ辿り着く」
静かな声だったが、不思議と場を支配する力があった。
「私は、このお二人を見てそう判断しました。
胆力、知力、覚悟――いずれも、人の上澄みに属する存在です」
沈黙。
やがて、重右衛門が小さく息を吐いた。
「……褒めてくれているところ悪いけどね。随分と性格の悪い仕掛けだ」
それでも、その口元には笑みが浮かんでいた。
文治郎もまた、低く笑う。
「まったくだ。だが……より面白くなった。
さすがは、遊びとはいえ俺を一度破った男だ」
「恐縮です」
饕餮は、わずかに頭を下げた。
文治郎は大きく両手を叩いた。
「よし。ここまでだ」
場の空気が、一気に引き締まる。
「命、誇り、過去――全部乗せだ。
今さら芋を引く奴はいないな」
誰も答えない。
否――答える必要がなかった。
そこにいる全員の目が、すでに覚悟を示していた。
文治郎は、深く息を吸い込む。
胸の奥で、久しく忘れていた感覚が灯る。
――賭場に立つ者としての、高揚。
命を削る勝負の、甘美な熱。
それを噛みしめるようにして、叫んだ。
「一刻の後――十六武蔵を開始する!」
その声が、松林を抜け、夜の海へと溶けていく。
風が吹いた。
白線の上に立つ伊織の髪を、静かに揺らす。
伊織は、足元の円を見つめる。
わずか一尺半の、小さな領域。
だが――そこは、生と死の境界だった。
右の掌に、左足に、熱が集まる。
血が、魂が、意志が、そこへ流れ込んでいく。
(……来い)
心の中で、そう呟く。
(全部まとめて、ねじ伏せてやる)
重右衛門は、遠くから伊織を見つめていた。
祈りにも似た静けさで。
お露は酒をあおり、短く吐き捨てる。
「……とんでもねぇ夜になりそうだな」
饕餮は、盤と駒、そして人々の配置を冷静に見渡す。
すべてが整った。
運命も、偶然も、策略も。
すべてが、この盤の上に載せられた。
やがて。
太鼓が打ち鳴らされる。
乾いた音が、夜を裂いた。
――勝負が、始まる。




