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第拾漆次 博徒の魂

 國駒文治郎は、かつて甲州で名を知られた博徒だった。

 腕前は確かだった。

 読み、張り、外し、捨てる。

 そのすべてに迷いがなく、卓に着けば場の空気すら支配した。

 だが、それゆえに目立ちすぎた。

 密告。

 捕縛。

 死罪。


 最期まで、文治郎は賭場にいた。

 逃げることもできた。

 だが、逃げれば、あの張り詰めた熱から遠ざかる。

 命を賭ける瞬間の、あの灼けつくような感覚。

 それを失ってまで、生き延びる理由はなかった。

 ――もっと、ひりついた勝負がしたかった。

 ――指先だけじゃない。

 ――こそこそ隠れたくもない。

 ――全身全霊を賭けて、堂々と勝負がしたかった。

 それが、國駒文治郎がこの地で落とした未練だった。


 文治郎の未練は、熱そのものだった。

 だからこそ、雪骸となっても熱が湧き上がることはなかった。

 文治郎は、すでに未練を自覚している。

 だが、燃えない。

 暴走もしない。

 肥大化もしない。

 理性だけが残り、熱を取り戻せない。

 だから文治郎は、すべてを賭けて取り戻そうとした。

 冷えきった身で、かつての熱を追い求めて。

 未練が疼く度、雪は再構成され、それは巨大な肉体ではなく、賭場の形になった。

 卓。

 札。

 灯り。

 勝負の場だけが、彼の存在理由だった。

 足りないのは、見合う相手だけだった。


***


 ある夜。

 賭場の仕切りを終え、文治郎は浜へ向かう道を、漫然と歩いていた。

 そのときだった。

 見てしまったのだ。

 巨大な雪骸と、たった一人で対峙する男を。

 まともに受ければ、即死するような攻撃。

 それを掻い潜り、かわし、切り落とし、踏み込み、断つ。

 腕が飛び、脚が砕け、雪が舞う。

 燃え盛る、激しい熱を帯びた男。

 その傍らに、もう一人。

 白髪の細身の男が立っていた。

 命のやり取りの最中にあって、どこか他人事のようで、それでいて誰よりも真剣に戦場を見つめている。

 静かで、深く沈み込むような熱を感じる。

 文治郎の胸が、久しく感じていなかったものを打った。

 ――熱だ。

 あれは、生きている熱だ。

 震えが走った。


 それからだった。

 文治郎は、二人を追うようになった。

 町で探し。

 路地で待ち。

 戦いの匂いを辿った。

 また化け物と戦い、

 また生き延びる。

 まるで命を捨てるかのように戦い、それでも必ず命を拾って帰る姿に、目を離せなくなった。

 気づけば、賭場のことも、役割も、どうでもよくなっていた。

 いつの間にか"夜を越え"、それでも二人を追っていた。


 影のように。

 気づかれぬように。

 だが、それに気づいた女がいた。

「……何見てんだ、お前」

 裏路地で、不意に声をかけられた。

 お露だった。

 壁にもたれ、腕を組み、胡乱な目で文治郎を見る。

 文治郎は一瞬だけ身構え、すぐに力を抜いた。

「……見ていただけだ」

「嘘つけ。ずっと張り付いてたじゃねぇか」

 お露は鼻で笑う。

「で? 目的は?」

 沈黙。

 しばらくして、文治郎は低く言った。

「……あいつらと、勝負がしたい」

「……正気か? 化け物だぞ」

「いや、博打だ」

 お露は目を瞬かせ、それから吹き出した。

「なんだよ、それ。言えばいいじゃねぇか」

 だが、文治郎は首を振った。

「違う」

 拳を、強く握る。

「今すぐやりたい。だが……駄目だ」

「?」

「あの男に、戦い以上の命の危機を与えたい。

 あの白髪の顔に、強い感情を刻みたい」

 声が、熱を帯びる。

「だから、内容を選ぶ」

 自分が得意な勝負では意味がない。

 一方的な勝利では、熱は生まれない。

 自分もまた、同じだけ危険を冒す。

 だからこそ、極限まで研ぎ澄まされる。

「得るものも、失うものも……

 お互いが、すべてを賭けられる勝負だ」

 文治郎は、笑った。

 歪んだ、しかし真剣な笑みだった。

「天秤の両側に、限界まで積む。

 ……天秤が壊れるほどに」

「……重てぇな」

 お露は肩をすくめる。

「で?」

「二人について、教えてくれ」

 文治郎は言った。

「目的、力、守るもの、癖……知っていることすべてだ」

 お露はしばらく黙り込み、それからニヤリと笑った。

「酒と肴、ありゃいいぜ」

「……安いな」

「安い命だ。十分だろ」

 そう言って、歩き出す。

「ついてきな。面白くなるからよ」

 文治郎は、静かに頷いた。

 失われた熱を、取り戻すために。

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