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第拾肆次 女掏摸の一夜

 目覚めるといつも腹が減っている。

 おつゆは欠伸を噛み殺し、暖簾の陰で腹をさすった。

 雪が降っているというのに、寒くはない。息も白くならない。

 それがかえって気持ち悪いが、慣れてしまえばどうということもない。

 腹が減った。

 だから食う。

 金がない。

 だから盗む。

 それだけの話だ。


 茶碗を持つ手元は軽かった。

 まるで重さを失ったかのように気配なく、素早く意のままに動く。

 本来なら届かないはずの位置に、いつの間にか手がある。

 盗ったものは嵩張りもせず懐へ。

 そんなわけはない。

 が、どうでもよかった。

 まあいいか、とお露は思う。

 どうせ夢だ。

 殴られても、痛みは残らない。

 酒を飲めば酔うが、翌朝には跡形もなく醒めている。

 何より――夜が明けるたび、町は同じ顔をしている。

 人も、店も、声も。

 怒鳴られたはずの相手が、翌日には何事もなかったように飯を食っている。

(本物じゃない)

 だからいい。

 だから、気にする必要はない。

 腹が減ったら、また盗めばいい。

 酒が飲みたくなったら、また盗めばいい。

 お露は、そうやって一日を使い潰していた。

 なんだって手に入る。

 誰にも気づかれない。

 まさに夢のようだと、必要以上に手を動かす。

 隙を晒す奴らが悪いと片っ端から盗っていく。


 ――だが、その夜。

 町の空気が、変わった。

「……ない」

「おかしい……確かにここに」

 小さな声が、あちこちから漏れ始める。

 財布がない。

 形見がない。

 文が、髪留めが、刀が。

 お露は酒を啜りながら、ぼんやりとそれを聞いていた。

(騒ぎすぎだろ)

 盗られたくらいで、そんな顔をすることはない。

 どうせ夢なのに。

 そのときだ。

 外から、低い咆哮が響いた。

 獣の声ではない。

 人の声でもない。

 腹の奥を直接叩くような、重たい音。

「……何だ?」

 杯を置き、戸口に近づく。

 通りに出た瞬間、それは見えた。

 歪に膨らんだ人の形を模した怪物が、立っている。

 それが、三つ。

 そして、その前で刀を振るう男が一人。

 ごろつきとの間に割って入った男だった。

「何なんだ、アイツら……」

 声は震えていなかった。

 怖い、というより、現実味がない。

 そのとき、胸元に違和感が走る。

 探ると、指先に冷たい感触。

 白い、金魚。

 宙に浮かび、尾を揺らしている。

「……は?」

 意味はわからない。

 だが、不思議と納得もした。

「やっぱり夢じゃねえか……」

 戸を開ける。

 逃げるために足を踏み出しながら、少し馬鹿らしいとも思った。

 次の瞬間、雪が頭に落ちてきた。

「……は?」


 ――止まれ。


 声が、落ちた。

 世界が絡め取られる。

 空気が張り付く。

 頭の雪が、異様な重さを持つ。

 理解する前に、お露の身体は動かなくなっていた。


 ***


 町は、狂乱していた。

 失ったことに気づいた者たちが、次々と声を上げる。

 財布が。

 思い出の品が。

 大事なものが、ない。

 伊織と重右衛門は、離れた場所からそれを見ていた。

「……あの女だな」

「ああ。しかも、かなりやっている」

 止めねばならない。

 だが、聞き込みをすればするほど疑いは二人に向けられた。

 見ない顔だ。

 金を持っている。

 怪しい。

 伊織が庇っても、群衆は止まらない。

 そのとき、伊織は感じた。

 群の中に、複数の“熱”。

「まずい。忠兵衛の時と同じだ」

「ああ。それも三つだね」

 返答に、伊織は一瞬だけ目を見開く。

 だが、確認している暇はなかった。

 咆哮。

 雪骸が、姿を現す。

「この数はまずいね」

「あの女め……」

「責任を取らせよう。死んだらそれまで、生きていれば説明が楽だ、協力させる」

「場所は?」

「今わかった。西だね。雪骸を引きつけよう」

 重右衛門は金魚の視界を通して女を捉えた。

 場所は和歌宮神社近く⋯⋯少し離れている。

 逃げようとしている。

 重右衛門は即断し白い金魚を女の頭上で解除する。

 そして――


「止まれ」


 少しの抵抗を感じる。

 重右衛門は女の足止めに成功したと確信した。

「伊織、急ぐよ。女は止めた。だが長くは持たない」

「どこだ?」

「和歌宮神社の通り。右に入って二軒目だ」

「わかった、先に行く」

 伊織は速度を上げ、重右衛門を置き去りにする。

 重右衛門は筆を振るい、雪骸を止めながら現場へ向かった。


 すでに、女は伊織に組み伏せられていた。

 急ぎ腕を後ろに回させ、雪で固定する。

 袖の奥。

 墨で引かれた二本の線。

「前科持ちの掏摸すりか。しかも二度……救えんな」

 女は伊織を睨みつける。

 重右衛門は振り返り、声を張り上げた。

「真犯人はこいつだ!」

 伊織は女を蹴り出す。

 一瞬、二人を睨みつけ――女は走り出した。

 既に重右衛門の拘束を解いていた雪骸は女を目標に定め走り出す。

「……まあ、死ぬだろうな」

「手なら解放したよ。うまくいけば逃げ切るさ」

「そうか」

「僕はもう筆を二度使った。後は任せるよ」

「ああ。一体狩ってくる」


 伊織は、二体雪骸を見送り、三体目の雪骸の前に身を滑り込ませた。

 邪魔だ。

 その意思だけが、雪骸の動きに滲んでいる。

 振り下ろされる白い腕。

 伊織は半身で受け流し、肘から先を斬り落とした。

 ――だが、止まらない。

 切断面から雪が溢れ、形を保とうと蠢く。

「……ちっ」

 足首を落とす。

 倒れる。

 それでも、雪骸は起き上がろうとする。

 もはや作業のように、伊織は刀を振るい続ける。

 元々三体も雪骸化した影響で雪は少ない。

 終わりは近かった。

「お前の想いまでは、わかってやれそうにない。

 だが、雪骸になったからには――終わらせてやる」

 ――その直後だった。

 喉が、焼けた。

 激しい咳が込み上げ、膝をつく。

「伊織!」

 重右衛門の声が、やけに遠く聞こえる。

 攻撃を目視もせず、横に転がった。

 回避は間に合った。

 だが、体勢が崩れる。

 蹴り。

 家屋へ叩きつけられる。

 木材が脚に刺さり、鈍い感触が走った。

(……折れたな)

 右脚が、動かない。

 雪骸が伊織の開けた穴から覗き込む。

 当然その巨体で家屋に入ることはできないが、肩で壁を壊しながら、無理やり腕を伸ばしてくる。

 伊織は壁に手をつき、立ち上がろうとした。

 ――無理だ。

 それでも、立たねばならない。

 無事な左脚に体重を乗せ、立ち上がった瞬間、焼けるような痛みが、足元から噴き上がった。


 肺の空気を無理やり押し出し、その反動で新たな空気を取り込む。

 左足に体重をかけ、腰を深くおろし、何時でも踏み込めるよう落ち着いて準備する。

 その一連の行動に呼応するように、熱が高まり、足に集まるような、そんな気配を感じていた。

 刀は膝を断つ軌道に置き折を見る。

 暴れる雪骸の腕が鼻先を掠めた刹那、踏み込む。

 が、――速すぎた。

 気づいたときには、伊織は屋外に転がっていた。

 雪骸も、足を断たれバランスを崩して倒れる。


 ――いったい、何が起こった?

 足に帯びた膨大な熱に思考を取り戻す。

 左脚を見下ろすと暗く、淡く光る紅色の具足。

 火の粉が、微かに舞っていた。

 ――この火の粉は

 喜三郎の顔が、脳裏をよぎった。

「……どうせなら、折れた方を補強してほしいところだがな」

 悪態をつく。

 右脚は動かない。

 だが、左脚には――力があった。

 立ち上がる。

 軽い。

 雪骸が起き上がりかけた、その瞬間。

「終わらせてやる」

 一足。

 視界が追いつかない速度で間合いを詰める。

 停止は考えていない、雪骸の背中への体当たりで無理やり制動する。

 そして着地前に、左肘。

 着地直後に、右膝下を断つ。

 倒れ込みながら振り下ろされる右腕を、跳躍と同時に斬り飛ばす。

 手をつき屋根へと着地、すぐに下を確認する。

 倒れ伏していたのは、初老の女だった。

(素体が弱くても……この力)

 雪骸は、やはり侮れないと改めて認識する。


 伊織暫くの沈黙後、刀を下ろし声をかけた。

「お前の未練は知らない。だが、よく暴れきった」

 女は、かすれた声で力なく言葉を発する

「……簪。なんで忘れていたんだろう、旦那にもらった、大切な玉簪……」

「⋯⋯ちっ、取り返してやる」

 伊織は叫ぶ。

「重右衛門!!」

 重右衛門は家屋の影から出てくる。

「危なかったね……なんだ、終わらせないのかい」

「こいつの体と俺の右足を固定しろ。

 女は頭だけ残せ。雪を集められないよう固めて見張っておけ」

「君は⋯⋯何をするつもりだい」

 まさかまだ戦うのか、何のために、そう思いながら重右衛門は問いかける。

「簪を取り返してやる」

「そこまでする必要があるかい。

 ⋯⋯いや、わかった。だが僕の筆は、これで打ち止めだ」

「わかっている」

 無理に止めてこない、踏み込んでこない重右衛門の匙加減に伊織はどこか安堵していた。

「君のそのやり方は、残り二体には使えない」

 伊織もわかっていた。自己満足だと。

 皆を救うことは出来ない。

 だが手の届く範囲は⋯⋯

「⋯⋯わかっている」

 重右衛門は諦めたように口を開く。

「時間もない、やりたいと言うなら止めないさ。

⋯⋯だが伊織、あとで考えてみるといい。それが本当に君の意思なのか」

 

 伊織の左足に舞う火の粉が、

 柔らかな光を滲ませていた。

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