第拾次 想い解けて
炎が、背後で唸っていた。
燃え広がる家々が、雪を赤く染める。
その光を背に、雪骸⋯⋯いや喜三郎の雪人形たちが現れる。
数は、分からない。
一つ、二つと数える意味はすぐに失われた。
伊織は刀を下げ、声を張る。
「見ているんだろう、喜三郎」
雪人形たちは止まらない。
だが、歩調が揃っている。
「こいつらを通して見ている。聞いている。違うか」
返事はない。
代わりに、同じ言葉が、あちこちから重なって返ってくる。
「「余所者め」」
「「砂留に近づくな」」
「「出ていけ」」
伊織は息を吐いた。
「……やはり、無理か」
囲まれる前に動く。
細い路地へ身を滑り込ませ、先頭の一体を斬る。
続けて二体三体。
足場が悪くなる前に、次の路地へ。
斬る。
移動する。
また斬る。
火のおかげで以前よりも数が少ない。
忠兵衛のほどの硬さもない。
一体一体は、確実に斬れている。
それでも。
減らない。
繰り返し斬り続け、人形が途切れた数瞬で短く息を整える。
伊織は足を止め、雪人形の流れを見た。
——上だ。
堰沢川の上流。
山から、雪人形が“降りてきている”。
「……まだ、砂留にいるな」
山は雪の補給が尽きない。
ここで削っても、意味がない。
引きずり出す必要がある。
⋯⋯喜三郎にとって砂留や堰堤同等に重要なもの。
守りたかった街並み、人々。
その中でも誰を最も守りたかったのか。
答えは、考えるまでもなかった。
娘だ。
瓦版には、娘が喜三郎の亡骸を探すも見つかっていないとあった。
娘がいたならば喜三郎の想いの中心に必ずいるはずだ。
確証がなくともやれることをやる。
足掻けるうちは足掻く。
それが東條伊織という男だった。
喜三郎の住処については、おおよそだが重右衛門の壁の記録にあった。
伊織は進路を変え、家々を探り始める。
戸を蹴破り覗く。いない。
次。
無人。
無人。
無人。
雪人形を斬りながら、焦りが募る。
家探し割いた分人形共の気配が増えていた。
次の戸を蹴破った、その先。
——いた。
幼い娘。
虚ろな目。
伊織が知る佐乃と、同じくらいの年頃。
娘は、伊織を見ると、即座に逃げようとした。
伊織は回り込み、軽く組み伏せる。
「喜三郎。聞こえているだろう」
答えはない。
「降りてこい。話がある」
「⋯⋯」
「住人総出で俺を迎えている中、こいつだけが家にいた」
外で、雪人形が集まる気配が膨れ上がる。
伊織は刀の先を娘の首に当て叫ぶ。
「近寄らせるな!こいつは娘だろう!!殺すぞ!!」
しかし気配はより近づいていた。
伊織は歯を噛み締める。
やはり早すぎた。
対話は、まだ無理だ。
ならば。
砂留よりも、気になる存在を作る。
釘付けにしてやる。
伊織は、素早く娘の首を斬った。
一瞬、腕が止まりかける。
——それでも、斬った。
雪が崩れ、首のない小さな雪人形が床に倒れ伏した。
人形だ。
分かっている。
それでも、刃を振るった感触が、確かに「子の骨格」を模していたことが、伊織の胸奥に引っかかった。
舌打ちし、思考を切り捨てる。
振り向きざま、侵入してきた雪人形を一体斬り伏せ、瓦礫を蹴って家を飛び出す。
雪は踏み荒らされ、足元は最悪だった。
喜三郎がどう出るか。
大事なものが壊された。反応は必ずある。
無ければこちらから砂留へ向かうか――
そう思った、そのとき
西側の路地から、女の雪人形が二体、同時に現れた。
着物姿。
顔はのっぺりと白く、目だけが黒く穿たれている。
雪人形たちは喜三郎の心情をあらわすかのように悍ましい相貌へと変化していた。
伊織は迷わず踏み込み、二体まとめて斬り捨てる判断をした。
刃筋を倒し、横一文字。
が、振り抜くつもりの刃は通らなかった。
鈍い音だった。
雪を斬る感触でも、骨を断つ手応えでもない。
その一瞬、意識が「斬れなかった」という事実に囚われた。
次の瞬間、刀が届かなかった方の女の雪人形が、腕を不自然に捻り、短刀を突き出す。
伊織は反射で受け流すが、完全には逸らせない。
そして――
背後。
子供の雪人形が、ほとんど地を這うように接近していた。
痛みが走る。
太腿の裏。
包丁が、深く刺さっていた。
「……っ!」
歯を食いしばり、伊織は横に転がる。
刺さったままの刃を引き抜き、血を散らしながら子供の雪人形を斬り伏せる。
直後、咆哮。
既に眼前へ迫っていた鍬を伊織は咄嗟に刀で弾こうとするが、衝撃が桁違いだった。
身体が宙を舞い、家屋の壁を突き破って吹き飛ばされる。
瓦礫に埋もれ、激しく咳き込む。
……まずい。
視界の向こう、瓦礫を踏み砕いて現れた鍬を持つ雪人形を見た瞬間、伊織は凍りついた。
喜三郎――?
いや、先ほどまで、確かに女だったはずだ。
だが、そこに立っていたのは、口に泡を溜め、目を血走らせ、異様に膨れ上がった男だった。
その背後には、同じように肥大化した数人の影。
共に砂留で死んだ仲間たちか。
入れ替われる……のか?
雪人形を媒体にして、姿を移す。
だから刃が通らなかったのだと理解する。
それだけじゃない。
この肥大――
失敗した。
完全に読み違えた。
忠兵衛のような変化はないとと踏んでいた。
⋯⋯一体一体の圧は忠兵衛ほどではない。
だが、猛獣じみた身体能力を持つ者が、複数。
それに、雪はまだ尽きない。
腿の傷が、動きを確実に鈍らせていた。
喜三郎が、さらに加速する。
鍬を振りかぶり、叩き潰す軌道。
伊織は転がって回避するが、そこへ取り巻きからの強烈な蹴り。
再び吹き飛ばされ、今度は隣家の壁を突き破る。
逃げられない。
この足では、逃走は不可能。
伊織は血を吐きながら立ち上がり、熱が身体の奥から湧き上がるのを感じた。
向かい合って、生き残るしかない。
喜三郎の攻撃の後、必ず取り巻きが来る。
所詮は雪人形――連携は凄まじくとも攻撃は単純だ。
時間差で、力任せに詰めてくるだけだ。
瓦礫を蹴り、屋根へと駆け上がる。
視界が開ける。
今、喜三郎がどこにいるか、分かる。
向こうも、同じだ。
正確に捕捉される前に――
伊織は、一体の大型雪人形めがけて飛び降りた。
人形を唐竹割りし積もった雪を爆ぜさせて着地する。
直後、既に左右から別の雪人形が迫ってくる。
伊織は刀を振るい、血と雪を撒き散らしながら、再び混戦の渦へと身を投じる。
しかし斬れない。
避ける。
踏み込む。
斬る。
繰り返せど人形の数は減らない。
喜三郎は、入れ替わる。
人形を斬ったと思えば喜三郎へと入れ替わり、刃が通らない。そのまま喜三郎を攻めれば取り巻きが邪魔をする。
一向に削れないまま時間だけが過ぎていく。
むしろ伊織だけが血と体力を失うばかりだ。
——このままでは、削り負ける。
それでも熱とともに湧き上がる闘志で抗い続けた。
だがそれももう限界という時、
山が、鳴った。
轟音。
土砂が、崩れる。
喜三郎や雪人形は唖然と山を見つめ動かない。
伊織は急いで東の小金側へ下がり被害範囲から外れると座り込んで息を整えた。
喜三郎たちはどうやら濁流に飲み込まれたようだ。
暫く放心して眺めていると声が聞こえてきた。
「伊織、調子はどうかな」
おどけた調子の重右衛門の声。
砂留の方角。
「⋯⋯まさかお前が?」
「この雪降る蒲原という異界は、想いが形を取る。
喜三郎がで必死に作る堰堤は、強い想いで作られ、立派に立ち、実際に災害を抑え込んでいた」
重右衛門はゆるりと、伊織のもとへ歩み寄る。
「想いが"土砂災害から皆を守るための堰堤"を形作ったというのなら、その"災害"もまた想いによって作られたものの内に入っているのではと思ってね」
重右衛門が、筆を伊織の腿へ滑らせる。
「止血だよ。傷が広がらないよう留めただけ」
伊織の足の痛みが、和らぐ。
「⋯⋯簡潔に言え」
「つまり崩れる土砂、崩れる雪は既にあるんだ。きっかけを与えれば⋯⋯堰堤の完成前に砂留を壊せば"守れなかった"という結果に転じると思ったのさ。今後のための検証だね」
こともなげに言う重右衛門を見て伊織は白くため息をつく。
「生きて帰れねばその検証も意味がないだろう」
「抜かりなく壁に書いたさ。検証内容と、失敗したら必ず結果を書くともね」
伊織は目の前の男の発言は理解できるのだが、そこに至る発想や判断、行動が理解できなかった。
異常な人間であると思いつつ、どこか頼もしくも感じ始めていた。
「結果を書かずに前線へ来てくれたところ悪いが、足手まといだ」
「おい、僕だって一体ぐらいなら倒せずとも引きつけておくことぐらいはできるさ。それに僕が動いてなかったら、君、もう死んでいただろう?」
「⋯⋯おそらくな」
――その時
大量の土砂、雪の中から伊織は確かな熱を感じ取った。
周りに集まり始めた野次馬も、重右衛門ですら気づいていない。
次の瞬間、山から齎された大量の雪をも取り込み、これまでとは比にならない圧を放ち始める。
皆を守るための砂留に近づき、
守りたかった街並みを焼き払い、
最も守りたかったかはずの娘を殺し、
駄目押しで砂留をも破壊した。
抱えた想いへの刺激が雪骸を強くするというのなら、既に思いつく限り最高の条件が揃っている。
伊織は立ち上がり、熱源を警戒しながら刀を握り直した。
「感じたか?」
「流石にね⋯⋯え、あれが複数体いるのかい?」
「いや、恐らく纏まった⋯⋯だが、そう言えば一体ぐらいは引き受けられるんだったか?」
「⋯⋯」
直後、警戒していたはずの土砂中の熱源が消え、
同時、真後ろに強烈な圧が出現した。
伊織は即座に重右衛門を突き飛ばし自身も身を伏せようとしたが、蹴りが鳩尾突き刺さり高く跳ね上げられる。
しまった。
野次馬のなかに一体だけ雪人形が紛れ込んでいた。
喜三郎は伊織を蹴り上げると、最大の咆哮で周囲を威圧した。
野次馬は散り、筆を構えた重右衛門だけが対峙する。
重右衛門は素早く筆を降ると、雪を宙に固定するのではなく喜三郎へと撒き散らした。
雪は喜三郎の肌へと固着し数瞬動きをとめる。
重右衛門はその隙に墜落した伊織を担ぎ急いでその場を離れる。
「ぐっ⋯⋯君重いぞ」
後ろを振り返ると、喜三郎は周囲の雪をさらに吸収し、圧縮し、肥大化していく。
最強の個へと変貌を遂げていた。
「凄まじいな……しかし、それでは忠兵衛と同じだね」
雪人形は既に全て消えていた。
極限まで力を溜めて伊織にとどめを刺す。
理性がないながらそう考えたんだろう。
しかし一対一。
ならば伊織は、斬れる。削れる。
重右衛門は、苦悶の表情で口から血を垂らす伊織へ遠慮せず声をかけた。
「最終局面だよ。君の領分だ、やれるかい」
伊織は血が張り付き、喘鳴する喉を震わす。
「⋯⋯わがっている」
重右衛門は伊織へ貧乏徳利を渡した。
伊織はゆっくり立ち上がり、酒で喉に張り付いた血を溶かし流し込む。
まだ足掻ける。いや、倒せる。
伊織の目に力が宿った。
覚悟を決めた伊織は喜三郎接近は待たず自ら向かう。
痛みは無視することにした。
足が壊れようと、内臓が壊れようと即死でなければいい。
明日になれば体は元通りだ。
そのために深夜に仕掛けた。
時間制限はもう僅かだ。
それまでに必ず削り切る。終わらす。
再度、喜三郎と戦うのは御免だ。
喜三郎の背後へと建物の裏から回り込み、一気に踏み込んで右腕を肘から落とす。
「喜三郎よ、お前が知らない事実を教えてやる」
左手の薙ぎ払いを屈んで避けながら指を切り落とす。
「堰堤は、持ちこたえたぞ」
斬る。
避ける。
再生する。
「街は、残った」
避ける。
斬る。
再生する。
「娘は、生きている」
喜三郎の動きが、鈍る。
伊織は畳み掛ける。
削り、再生する。
何度繰り返したことか。
何度語りかけただろうか。
答えはなく咆哮と圧倒的質量の伴った攻撃が繰り返される。
それでも斬る。斬り続け、語りかけ続ける。
火はついに二人のいる東の小金側まで到達していた。
気がづけば周囲の雪は消え、喜三郎は膝をつき、倒れた。周囲は削られた黒い塊で満ちていた。
伊織は切らした息を整えながら話しかける。
「少しは⋯⋯落ち着いたか⋯⋯。先ほどの話だが嘘ではない」
伊織は懐から血塗れた瓦版を出し、削れて元に戻った喜三郎へと渡す。
喜三郎は受け取り眺める。
「……そうかぁ」
小さな声。
「お前は生きている間にやり切った。娘と堰沢は守られ今も生きている。⋯⋯だからその未練はもう必要ない。休め」
「⋯⋯よかった、すまねぇな」
伊織は消え入るような謝罪を受け入れる。
「⋯⋯言い残すことはあるか。いつかこの異界から出られたら俺か俺の連れが娘に伝えてやる」
喜三郎微かに苦笑し言葉を紡ぐ。
「⋯⋯ずっと、縛られていたみてえで苦しくてよ。あいつも、娘もまだ生きて縛られてんなら、もう大丈夫だと伝えてくれ」
「わかった。」
「お前たちも……答えが見つかるといいな」
その言葉を聞き届け、伊織は喜三郎の首を跳ねた。
未練を解かれた喜三郎はただの雪の塊となって崩れ落ちた。
崩れ落ちた雪からは眩い火の粉が舞い、伊織へ降り注ぐ。
伊織は力なく座り込んだ。
燃える街並みと木材のはじける音だけが、
激しい戦闘の余韻を残していた。




