第**次 いずれかの夜
雪が、夜を塞いでいた。
音も、風も、時間さえも。
二人は向かい合っている。
刀を持つ男は、すでに人ではなかった。
吐く息は白く、皮膚は雪と溶け合い、
それでも構えだけは、生きていた頃のままだ。
筆を持つ男が、地を払う。
宙へ三度白線が走り、
歪に盛り上がり、
次の瞬間――鯉となった。
十、二十。
白い奔流が夜を割り、刀の男へと押し寄せる。
――生きろ。
想いだけを込めた体当たり。
だが、刀が唸る。
一太刀。
二太刀。
鯉は斬られ、
斬られた端から雪へと還る。
舞い上がった雪は、
逃げ場を失い、男の足元に降り積もる。
三太刀。
四太刀。
斬る。
斬る。
斬り続ける。
足が沈む。
脛に雪が貼り付く。
袖に、肩に、背中に。
それでも刀は止まらない。
最後の一匹が、
胸元で真っ二つに裂けた瞬間――
「……止まれ」
声が、夜に落ちた。
その一言で、
雪が意味を持つ。
足元に積もった雪が、
斬り落とした鯉の名残が、
体に貼り付いた雪が、
男を縫い留める。
動こうとしても、動かない。
筋肉が拒まれ、関節が軋む。
「もう、僕の力も思い出せないかい」
筆を持つ男が近づく。
「まだ死ぬな」
一歩。
「君の未練は、なんだ」
返事はない。
雪の奥で、獣のような呼吸だけが鳴る。
「妹か」
「それとも、死に抗えなかったことか」
声が強くなる。
「抗え」
叫びになる。
「最後まで戦い抜け!」
「死ぬなら――東條伊織として戦って死ね!!」
――その瞬間。
固定が、軋んだ。
雪が割れ、
縫い留めた力が崩れる。
刀が、解き放たれる。
一閃。
雪の白と空の黒が反転する。
筆が落ち、
首が落ち、
雪がすべてを覆った。
意識が沈む、その底で、
小さな願いだけが残る。
――目を覚ませ。
――次に目を開けたとき、
――いつもの君でいてくれ。
共に夜を越そう。
この、永遠のような蒲原を終わらそう。




