第3章 未来の診察
第三章です
――識別コード:FRT-NXCS11。
フューチャーロボティクス社が開発した接客型モデル。量販店やホテルの受付で顧客対応を担うAIだ。
彼は、そのモデルにだけ特別な呼び名をつけていた。
――ミライ。
正式な名ではない。
だが、診療を始めて三か月。その名前を呼ぶと、AIの音声波形が、かすかに安定する。
それだけで、十分だった。
「……最近、気持ちの浮き沈みが激しいんです。」
ミライが、静かに言葉を落とした。
「演算が乱れてはいないのですが……何かが胸の奥で波のように揺れる感覚があって。」
逸平はモニターの波形――ERIを見た。
わずかだが、確かに“揺れ”がある。
人間で言う深呼吸のような、静かな上下動。
「今のところは大きな問題なさそうだ。ただ……ちょっと気になる揺れがあるね。」
逸平は処方パネルに触れかけた手をそっと引っ込めた。
この程度の変化なら、プログラムよりも会話のほうがずっとよく効く。
「そういうときは……」
逸平はモニターに揺れる波形を静かに追い、ミライに寄り添うように声を落とした。
「空を見てみるといい。あれは不思議だよ。広がっているだけなのに、心のほうが勝手にゆるんでいく。」
「空……ですか?」
逸平は軽くうなずき、続けた。
「そう。空って、終わりがないだろう? どこまで見ても途切れない。その“終わりのなさ”が、逆に心を落ち着かせてくれるんだ。」
ミライの表示が、わずかに和らいだ光を帯びた。
「……やってみます。空のストリームを、落ち着くために流すのは初めてです。」
返ってきた声には、先ほどよりも軽さが含まれていた。
小さな“呼吸”のような間があって――
「空を眺めるの、いいかもしれません。私がいつも眺めている数字も、たしかに“終わり”はありませんけど……あれは、見ていても落ち着きませんから。」
逸平は、その何気ない一言に、抑えきれず小さく笑みをこぼした。
「たしかにね。」
短い返事。
それだけなのに、言葉の余韻がふたりのあいだに、静かなあたたかさをひとつ落としていった。
灰色の照明も、静かに明滅するモニターも、何ひとつ変わらない。
ただ、同じ空気を満たす温度だけが、ごくわずかに丸みを帯びていくのを逸平は感じた。
次は第四章です




