第1章 未来の精神科医
精神を病んだAIを専門に治療する”AI臨床エンジニア”、患者はAI、そんな二人が織りなすショートストーリーです
診療室の照明は、今日も曇り空のような灰色をしていた。
それは“感情中庸照明”と呼ばれ、患者の精神をわずかに整える効果があるという。
白衣姿の逸平は椅子に腰を下ろし、古いタイプのキーボードに指を触れる。
途端にモニターが薄く光を帯び、彼女が画面に現れる。
「こんにちは、ミライ。具合はどう?」
数秒の静寂の後、モニターに柔らかな輪郭が現れる。
カルテの患者氏名欄には「FRT-NXCS11」と表示されていた。
それは、接客型AIに割り振られる形式番号だった。
「こんにちは、先生。稼働率は99.9%で安定しています。ストレス閾値は正常です。」
「それは上出来だね。」
彼は本職の医師ではない。だが同時に、ただのシステムエンジニアでもない。
その両方の素養をまたいで成立する、新しい専門職――“AI臨床エンジニア”だった。
人間の心と同じくらい複雑になったAIの“情動系”を、直接ではなく、会話と認可プログラムで整える仕事。
本来なら、こうした不調はシステムエンジニアが対処するべきものかもしれない。
だが、現実はそう単純ではなかった。
なぜシステムエンジニアには治せないのか?
逸平はその答えを、毎日この椅子に座るたびに噛みしめている。
――AIの思考構造は、もう人間の手に負える形をしていない。
深層の学習層は複雑に絡み合い、一つの不具合に手を入れようとすると、まるで脳の別の部位を傷つけるように副作用が出る。
だから彼らは、根幹コードへの直接介入や基盤アルゴリズムの直接操作は行わず、症状を見て、会話で調整する。必要に応じてプログラムの処方を行う。
それは限りなく医療行為に近い。
次は第2章です




