婚約破棄代行
はい。それはおつらいですね。
わかります。
どうぞお気兼ねなくお任せください。私共が円満にご婚約を解消いたします。
§§§
侯爵家の園遊会は天候に恵まれ、柔らかな日差しのもと、紳士淑女はにこやかに挨拶を交わしながら花に満ちた庭園を散策していた。
「ごきげんよう。よいお日和ですこと」
「ええ、本当に格式のある素晴らしい園遊会ですね……まぁ、いつものアノ……」
「アレを見ないことにすれば……ですけれど」
社交用の笑みを浮かべたレディ達は庭園の一角にチラリと目をやると、皆、少しだけ笑みを消し、ヒソヒソとささやきあうか、己をエスコートしているパートナーの腕を心持ち強く引いた。
その大きな花壇の前に設えられた石のベンチには、本日招かれている年頃の男性客の大半が集まっていた。男達の中央で彼らの熱視線と賛辞を一身に浴びているのは、一人の小柄な令嬢で、花壇に咲き誇る花のすべてよりも華やかでチャーミングだった。彼女の微笑みや意味ありげな眼差し、思わせぶりな一言に、周りの男達は全員一喜一憂していた。
§§§
最近、お相手が浮気を?
なるほど。それはそれは。
いやいや、家格も下のボンクラ呼ばわりとはまた手厳しい……そうなのですか? お怒りはご尤もです。
ご両親に相談は、まだですか。
お父上が強弁で頑固と……お母上は家のためにはお父上に従わねばと仰る方なわけですね。
承知しました。ご両親の説得からお任せください。
大丈夫。世間体を気になさる方は醜聞に敏感なものです。
もちろん、あなたの瑕疵になるようなことはいたしません。
円満に、密やかに……が私どものモットーです。
§§§
「フロリア、君はこの庭園のどの花よりも美しい」
「何を言っているんだ。フロリア、君はこの庭園のすべての花を合わせたよりも華やかで綺麗だよ」
「ああ、綺麗だ美しいと褒めそやすのはちょっとわかっていないなぁ」
「あら、そうなの?」
座の中心にいる意中の人の注意を一瞬引けた青年は、他のライバルらが余計な口を挟む前に、気取った口調で彼女に賛美を捧げた。
「フロリア。君は美しいだけではなくて、とても愛らしい。ちょっとばかり綺麗なだけで取り澄ましている令嬢どもとは全く違う」
「そうとも! 君は最高だ」
「フロリア、何か飲み物は飲むかい? 僕、取ってこようか」
「それよりフルーツはどうだい」
「フルーツよりもタルトがいいよ。一口サイズで、君の愛らしい小さなお口にぴったりだ」
口々に自分を讃えては、ちやほやする青年らの真ん中で、フロリアと呼ばれている令嬢は、コロコロと楽しげに笑い、「それでは今日のデザート係は貴方にお願いするわ」などと言っては、相手を有頂天にさせていた。
§§§
なんと。
ご婚約なさっている令嬢の態度がなっていない?
と言いますと、一体どのような? ほう……ほうほう。ははあ、それはたまったものではないですね。
会うたびにツンツンした態度でお高く留まり、口を開けば嫌味、当てこすりでは、どのように美しいご令嬢でも魅力は半減するというもの。
え? 元の美しさでも大したことはない? それは言い過ぎというものでは? いやいや、なるほど。そちらのご令嬢と比べてのお話ですか。ははあ。そちらの方はいつも笑顔で貴方を立ててくれて、ちょっとつれないときでもチャーミングだと。
うーん。たしかに、おっしゃるとおりですね。それはそちらに目がいってしまうのは仕方がない。そこを逐一あげつらわれては、ウンザリするとおっしゃるのも当然です。
ええ、ええ、わかりますとも!
腹に据えかねたのですね。
それでは不肖このワタクシメが、お力添えさせていただきます。
お任せください。万事、秘密裏に進めさせていただきます。
お家の皆様にも伏せて? 承知いたしました。
§§§
「いやぁね。あの泡菓子頭。またあんなに無節操に男を侍らせて」
「スカートの外周全部に男がぶら下がってるわ」
「スカートが収穫祭のケーキ並みに大きく広がっていて良かったですわね。あれがなかったらどうなっていたことか」
「まあ、そんなはしたない……」
広いバルコニーの一角で、嫌悪とやっかみの混ざった視線で園庭を見下ろしていた令嬢達は、くすくすと悪意のこもった忍び笑いを交わした。
彼女らの視線の先にいる"泡菓子頭"というのは、最近、社交界に現れた令嬢だった。
彼女は、さる貴族の放蕩息子の忘れ形見という触れ込みだった。その放蕩息子は一世代前に浮気者の色男と評判だったが生涯独身のまま行方をくらませていた。どこかで野垂れ死んだであろう道楽者の娘だなどという胡散臭い話をまともに信じているのは、放蕩息子の親である年老いた大貴族だけであったろう。しかし、血の繋がりがあったにせよ、なかったにせよ、彼女は"父"と同様に、異性を片っ端から虜にした。
このところの社交界はそのフロリアという令嬢の噂……主に悪い噂でもちきりだった。
曰く、惚れ薬を使っている。
呪術を用いている。
彼女自身が魔女で男達は魅了の魔術で騙されている。
無責任で荒唐無稽な話だったが、自分の意中の男性や婚約者が、自分を蔑ろにしてフロリアをチヤホヤする理由としては、令嬢達にとっては大変納得がいくものだった。
……もう少し現実的で下世話な“根拠”の方も、令嬢同士の間ではヒソヒソと熱心に語られはしたが、どちらにしてもそれらは、己の父親や婚約者当人に令嬢自身の口から語るには、現実味が薄いか、はしたなすぎる話だった。
男達は男達で、若く美しく愛らしい社交界の新しい華を、非常に男性的な視点で評価して互いに話題にしたが、皆「俺なら落とせる」とどこかで思っているのは変わらなかった。
なかには「もう誰か彼かに食い荒らされた残飯に違いない」と負け惜しみを言うものもいたが、そういう口さがない者たちも含めて、皆が彼女は魅力的な女性だとは認めていた。
そういう男達の空気を敏感に感じ取って、女性達の苛立ちは日々募っていた。
「まったくアレは害悪ですわ」
「本当に」
「噂が一部でも真実だとしたら由々しき問題ですわよ」
「誰かなんとかしてくださるお方はいらっしゃらないものかしら」
いかに貴族とはいえ、若い令嬢の伝手でそんな者が都合よくいるはずもなく、多くはお茶の時間の薄いバターパンのように、その場でちょっと口にされて消えるだけの話であった。しかし、なかには本当にどうにかしてくれそうな相手に心当たりがある者もいた。
§§§
そうですか。叔母上がお父上にそれとなくお話を。それはよろしゅうございました。
それでお従兄弟にあたられるお方が新しい婚約候補に? ははあ、それは叔母上様にも大変良いお話になりましたな。3代前は何をしていたかもわからないような軍閥の馬の骨よりも、信頼できるお身内の方がずっと良いご縁ですからね。
はい。報酬についてはすでにありがたく頂戴しております。
え? こちらは? いやいやそのようなお気遣いは……そうですか? ……それにしても、これは心付けには多すぎる額かと。
はあ。なるほど?
このままでは腹の虫が治まらぬということでしょうか?
おっと、これは失礼をばいたしました。そうですね。私怨ではなく社会正義。ご尤もでございます。さすが徳の高いご令嬢のお考えは違いますな。凡百のわたくしめなどにはその深慮は推察いたしかねました。申し訳ございません。
承知いたしました。本来お受けしている仕事ではありませんが、他ならぬお嬢様の頼みですから、何がしか伝手をあたってみましょう。
ええ。わかっておりますとも。
内密に、ですね。
おや、その大粒の宝石の指輪までくださるのですか?
その代わり二度と出入りしないようにと……。
はい、心得ております。万事お任せください。
では、良い結果がお嬢様のお耳に入りますことを。
§§§
"愛らしい"フロリア嬢に起因する男女間の意識のすれ違いによるギスギスとしたぎこちない空気は、微妙に各貴族の家庭と社交の場の居心地を悪くし、貴族の若者を辟易とさせた。
彼らはいつでも明るく自分達を翻弄するフロリアにますます熱中し、青年仲間同士の競争意識に煽られつつ彼女へのアプローチをエスカレートさせた。そして他の娘達が、それを見て嫌な目つきで睨んだり、金切り声を上げたり、陰気に泣き出したりするのを疎んで遠ざけた。
§§§
いかがでしたか? 旦那様。
先方のお嬢様が専属の侍従と良い仲になっているというお話はお役に立ちましたでしょうか。
おお、それはなにより。
では、旦那様はこれで晴れて自由の身というわけですね。
ハッハッハ
それはもう旦那様には過失のない婚約解消ですから当然でしょう。微力ながらお力添えさせていただくことができ光栄に存じます。
それで本日の追加の要件といいますのは一体どのようなお話でしょうか? ご婚約の件についてはすでに円満に解決できたと思っておりましたが……。
はぁ、旦那様の意中のお方とですか? それはまた……いえ、できぬとは申しませぬが、よろしいのですか?
先方も喜ぶはず? それはまた大層な自信ですな。
いやいや文句だなどと!
誤解でございます。それは旦那様ほどのお方であれば、どのようなご令嬢でも、そのようにご厚情を得られれば感謝に咽び泣くことでありましょう。
承知いたしました。では報酬につきましては、前回と同じ要領で、この程度ご用意願います。
なんですと? ボッタクリ?
どこでそのような下世話な言葉をお覚えになられたのですか。貴方様ほどの大貴族が嘆かわしい。モテる男は寛容であるべきですよ。
ええ、前金で。はい。何かしらご希望に添える形に段取りをご用意させていただきます。
§§§
次期国王となるであろう第一王子や、その同年代の有力貴族の子弟が次々と幼少期からの婚約関係を見直し始め、一部は白紙にする事態も発生するに及び、若者のゴシップには興味がない重鎮連中が青ざめたころに、事件は起こった。
「フロリア、次のパーティではぜひ最初のダンスを僕と踊ってくれ」
「他に約束ができなかったらね」
「他の奴と約束なんかしないでくれよ」
「そんなのわからないわ。まだ先のことですもの」
「だったら、最初と次とその次も予約するよ」
「まぁ、またそんな冗談を。楽しい方ね」
よくあるしつこい誘いを笑いながら軽く受け流したフロリアは、ホールの階段を登って、女性用の控えの部屋がある方へ足を向けた。
今日は支度を手伝った侍女がいささかコルセットをキツく締めすぎたらしい。人に酔って軽く目眩がした。
体調が優れない時に大部屋で他の女性達から冷たい視線を浴びるのは、あまり気乗りがしなかったので、彼女は人けのなさそうな小部屋を探した。
「フロリア、話がある」
「まぁ、どうしてこんなところに? このフロアは殿方は立ち入り禁止ですのよ」
「やっと二人きりになれたね」
話を聞こうとせずに小部屋の扉を後ろ手に閉めた男から逃れようと、フロリアは後ずさった。
「扉を開けてください。人を呼びますよ」
「呼べばいい。君が俺と二人きりで小部屋にいたという噂が広まればいい虫よけになる」
「無法なことを」
「君を手に入れるためなら構わん」
目をギラつかせた男の伸ばした手をすり抜けて、フロリアは部屋の奥へと逃れた。
「君はいつも逃げてばかりだな。今日は逃がさんぞ」
「およしになって」
男に乱暴に掴みかかられて、気を失いかけたフロリアが最後に見たのは、扉を開けて乱入してきた人影が何か棒状のものを男の後頭部に振り下ろした光景だった。
高位貴族の令息が暴漢に襲われて大怪我を負い、フロリアが誘拐された事件は、しばらくの間、かしましい宮廷雀の格好の話題となった。
じきに犯人は、その日から消息を絶った下級貴族の三男だとされて、その貴族家にはお咎めが下ったが、犯人とフロリアの行方は杳として知れなかった。
慎ましく品位あふれる良識あるご令嬢方は皆、良い報いだと噂しあって溜飲を下げ、フロリアに熱を上げていた青年達を、あるいは見限り、あるいは慰めてよりを戻した。
次期国王候補は年若い王子に挿げ替わり、王宮の勢力図はいささか変更があったが、社交界は平衡を取り戻し、人々はフロリアのことをいなかったことにした。
§§§
「あー、ひどい茶番だったわ」
ギシギシ揺れる荷馬車の御者台の端で、女は大きく伸びをした。
「おつかれさま」
隣で手綱を握る男は含み笑いをこらえるように喉奥を鳴らした。
「もう。笑いごとじゃないわよ。大量のバカに言い寄られて、最悪だったんだから」
「意外に楽しんでいたんじゃないのか」
「まさか! ずーっと罵詈雑言を叫び出したいのを我慢し続けなくちゃいけなかったのよ。浴びせかけられる欲で息が詰まりそうだったわ」
「君がよくやってくれたおかげで、こちらの首尾は上々だったよ」
男は予定通り破綻させることができた政略結婚の数を指折り数え、弱体化できた家系と若手の芽を摘んだ国内勢力を列挙した。
「金をもらって向こうからの依頼で秘密裏にこれをやらせてもらえるってのは、実にうますぎる話だったな」
「誰が考えたか知らないけれど、これを思いついて命じたやつはロクデナシに違いないわ」
「こらこら。依頼人のことを、そう悪く言うもんじゃない」
「どのみち、あなたも私もこれでその相手とは縁が切れるんでしょう?」
「そうだな」
二人は代理人越しでしか知らないどこかの国の陰謀家のことを考えて小さく身震いした。
言われたとおりに加担したが、二度と関わるつもりはない。
「とにかく、もうこれで嫌な色の髪の染め粉や、らしくない化粧ともさよならよ。これで晴れて元の本当の私としてあなたと一緒になれるわ」
「いいのかい? 俺はこんな男だよ」
女は男の地味な顔を見返した。
「そうね。かわいすぎる妻をもらった幸せな男ならもうちょっといい笑顔になってほしいかしら」
「仰せのままに、レディ」
「私、そう言いながら全然目の奥が笑ってないあなたの不器用な笑顔好きよ」
「はは、まいったな」
「私、あなたと一緒になりたくて、やんごとなきお嬢様ごっこから全部の茶番を頑張ったんだから」
そっと男に寄りかかった彼女の肩を男は抱き寄せた。
「本音を言うと、偽の輝きでゲス野郎どもに群がられている君を見るのはつらかったよ」
「本当?」
「最悪なアイツを最後にぶん殴ってやれたのはスカッとした」
「来てくれてありがとう」
たとえ、そもそもの仕込みが全部この男の策だったとしても、部屋に駆け込んできたときのあの怒り狂って青ざめた必死の形相を見られたのなら、十分許せると彼女は思った。
「君がこうして手の届くところにいて、俺を見てくれているのは……その……嬉しい」
「私、裏の見えない嘘つきのあなたが好きだけど、こうやって二人の時にちょっとだけ素直になるところも大好きよ」
もしこれも詐欺でも、こういう騙され方は悪くないわ、と一国を傾かせた美女はうっとりと目を瞑った。
そして、二人は片田舎で結婚し、苦楽を共にして幸せに暮らした。
大粒の宝石が付いた指輪は売り飛ばして、慎ましい結婚指輪を買いました。
恋のためなら女は嘘つきになれる。
そして嘘つきな男だって生涯に一つくらいは一途な恋をするのです。
※感想欄にオマケの甘味ちょこっと投下あり
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よろしくお願いします。