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スペイン語のラップバトルが好きな奴の、壮大な独り言  作者: Verdadero chino soy yo
「なに聴いてんの?」「ラップバトルです」「へぇ~。Yo Yo!みたいな?笑」「いやconmigo tiene nada que hacerって感じっす」「は?」
2/5

韻って……なんだろうね(遠い目)

 

 一つ前のエピソードを書いた時、あまりの眠たさから、無理矢理に閉じてしまった。自分の中では、論理的な構成というものがあったので、その途中で書き終わってしまった気がしたために、モヤモヤしていた。


 だが、今読み返すと、特に続けて話をする必要もない駄文であったので、また眠たくなるまでつらつら書いていこうと思う(ただいま時刻は23時)。


 ともかくとして、「寂しさを感じている」という話だったが、改めて考えると、私が欲しているのは「話をしたい」であることに気がついた。つまり、あるに越したことはないにせよ、あえて共有できる仲間を作る必要も、私にはないのである。


 よって、私がこれより行うのは、大部分が、「ただただ語り続ける」になると思う。


【straight to the point】


 スペイン語分からないしなぁ――たぶん、宣教を試みる私の熱いまなざしを受けた者は、そう考えるだろう。だが、言わせてもらおう。そのような理由は、スペイン語フリースタイルを遠ざける理由としてはまったくもって適さない!


 なぜそう断言できるか?


 そんなの決まっているだろう。私も実はあんまり分かっていないからだ!!(ドン!)


 ――恐らく、みな横転したことだろう。FMS Argentina 2019 (確かJornada 3)のTrueno vs Nacho戦でTruenoが例の"cuan-"をぶちかました時のBanquilloのPapo並みに横転したことだろう(何言ってだコイツ)。


 そう、何を隠そう、彼らが早口でまくしたてることの内容を、私はあまり理解していない。もちろん、すごく分かりやすい単語&フロウ&コンテクスト等の好条件がそろえば、私もネイティブたちのように「うお~!」と盛り上がれる。


 しかし、私の知らない単語を使われたときには(そしてそれは頻繁に起こる)、正直スペイン語に全く触れたことがない人と同じ理解度であるはずだ。


 では、なぜ私はそれでも彼らが大好きなのか?

 その問いへの明確な答えを、私はまだ持ち合わせていない。なので、ここで推測していくことにする。


 1.なんか聴いてて楽しいから


 1つの魅力としてまず初めに浮かんだのは、韻だ。ライムとも呼ばれるだろうか。スペイン語ならrima(リマ)だ。


 古くはソネットが(まあ、韻の踏み方はラップと違うが)あるように、韻というものを、どうやら人間はこよなく愛するようである。

 韻という縛りをクリアしつつ、次々と即興で言葉を紡いでいく。たとえ内容が分からなくとも、その響きそれだけで、十分に我々を楽しませてくれるのではないか。


 そういえば、ディスる形になって申し訳ないのだが、日本語のラップバトル(Youtubeに上がっている『バトル史に残るなんちゃらかんちゃら集』みたいなやつ)をちらりと覗いてみたら、驚いたことがある。あまり韻を踏んでいないのだ。

 いや、もしかしたら私が分かっていないだけで踏んでいるのかもしれないが、私の正直に思ったところは、「……なんだ?」であった。


 韻を踏まない。そんなことが許されるのか?と半ば義憤にも似た感情を抱いて、調べてみた。検索トップに出てきたYahoo知恵袋を見ただけだが。


 すると、どうやら、「韻をあまり踏まないスタイル」なるものが、あるらしい(!)。


 ――カルチャーショックだった。日本で生まれ育ち、これからも日本に暮らし続ける奴が、日本のラップバトルを見て、カルチャーショックを受けた。


 私の頭の中は「なんで?なんで?」という(純粋な)疑問で今も埋め尽くされている。なぜなら、ラティーノたちのラップバトルにおいて、韻を踏まないということは、減点の理由として十分だからである。


 FMSといった大きな大会でのラップバトルを切り抜いて、批評したりリアクションしたりするチャンネル(具体的にはel(エル) Bohemio(ボエミオ) que() los(ロス) RapsOdia(ラプソディア)などなど)が、いくつもある。そこでしばしばやり玉に上げられるのは、韻の踏み方である。

 例えば、同じ単語で韻を踏むと、"Yo esto lo odio."(俺これ嫌い)といちいち突っ込まれる。しつこいくらいにネチネチ指摘される。

 韻を踏むのに失敗したあかつきには"¡Rima!"(韻 を 踏 め !)と突っ込まれる。


 もちろん、大部分の人にとってはそれは「気にしすぎ」の部類に入るのは間違いない。Navas(スペインのフリースタイラー)のように韻に細心の注意を払うよりかは「即興」であることを重視する人もいる(若干ネタ枠というか色物扱い)。


 だが、「韻を踏む踏まない」「この言葉の組み合わせは韻じゃない」だとか諸々の議論は置いといて、一線で活躍するフリースタイラーで「あれ、韻踏んでなくね?」と思わせるような人は存在しない。


そんなわけで、日本のラップバトルを聞いた時に、ナイーブな私は驚いてしまったという訳である。


…………何の話だったか。そう、スペイン語が分からなくてもなぜ引きつけられるか、という話だった。


ライムという心地よい音の重なり。


しかし、それだけでは足りない。


その心地よさを十全なものとするには、リズムに乗ってそれに心地よい繋がりを与えなければならない。


そう、フロウだ。スペイン語でもそのままflowと呼ばれる。

日本ではどうか本当に知らないが、このフロウが良いと、会場も沸く。


レッドブル主催の5 vidas(ビダス)という大会(エキシビション色が強いが)で、レジェンドであるAczino(アセシーノ)とスペインのSkone(エスコーネ)が対戦することがあった。そこでAczinoが繰り出したフロウ……衝撃だった。衝撃的な中毒性だった。そのリズムの乗り方、言葉の繋がり、響き、全てが私を魅了した。今でも誦じられるくらい、何回も見た。


↓その場面を切り抜いた動画があるので、URLを貼っておく。コピーしてアドレスバーに貼り付ける気力のある方は、ぜひ見ていただきたい。

スペイン語が分からない? そんなことは関係なくなるくらい、聞いていて気持ちいい。


https://youtu.be/4V1bc5fz2Mk


入り方からしてえげつない。相手がまだ言い終わってないうちに、食い気味に入る。レジェンドだからこそなせるフロウの暴力!

同じようなフロウを、同時期のRed Bull Batalla(バターヤ) 2023 semifinalのvs chuty(チュティー)戦でやっていたが、それとはまた違う。このレゲトンのリズムと相性が良すぎるのだ!やはりレゲトンのビートは神フロウになりやすい。


思えば、これを見た時から、一気にラテンアメリカのフリースタイルにハマり出した。

フロウが人を惹きつける要素の一つであることは間違いない。そして、それは極端に言えば音の繋がり方に過ぎないから、それを享受するのに言語の壁は無いはずだ。


まだまだ続く。

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