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 空に対する未練がなくなりかけていた高校3年生の夏、1年前に再婚した母のお腹に小さな命が宿っていた。

「あ、志帆ちゃん、おはよう」

 食卓に3人分のご飯を用意しながら、孝文さんが言った。

「……おはようございます」

 新しい家族が増えるのは嬉しいけれど、この人のことを未だ父と思えない。嫌いなわけではない。ただ、私にとっての父は写真の中にいるあの人だけだ。それ以外にも理由はあるが。


『志帆』

『おとーさん! たかいたかいして!』

『いいぞ。……それっ』

『きゃははは! もっともっと!』


「志帆ちゃん?」

 はっとして顔を上げると孝文さんが心配そうに眉根を寄せていた。

「あ……お母さん、呼んできます」

 逃げるように部屋を出た。

 母が選んだ人なのだから反対しようとは思わない。けれど、どこかで疑ってしまう。孝文さんも私たちを捨ててどこかへ行ってしまうのではないか、と。


「お母さん、起きてる? ご飯できてるよ」

 臨月に入った母はこのところ時間さえあれば眠っているようだ。

「ふわぁ……もうそんな時間?」

「もう少し寝とく?」

「ううん。食べた方がぐっすり眠れるから。よいっしょ……」

 母に続いてリビングへと向かう。


『志帆』


 鈴の音のように小さな、しかし芯の通った女性の声。振り返るがそこはただの誰もいない寝室だ。

「どうしたの?」

「……なんでもない」

 あの頃から聞こえる声。あの、空高く舞い上がったあの日から、ずっと。

 一年に一度聞こえる程度だったが、最近はふとした時に聞こえてくる。間隔が狭まり、声が耳元へ近づいてきている。これからどうなってしまうのだろう。

 ……ホラー番組にでも投稿してみようかな。




『……続いてのニュースです。小惑星が地球に接近するもようです。衝突の可能性は非常に低いと考えられています』


「そういえば、志帆も小さい頃宇宙飛行士になりたいって言ってたわね」

「言ってないし、それはお母さんの夢でしょ」

「あれ? そうだっけ?」

「志帆ちゃんは将来の夢とかってあるの?」

「……まだ何も決めてません」

「そ、そうなんだ。でも、まだ若いしこれから何にでもなれるよ!」

「何にでもはなれません」

「……ソダネ……」

「ごちそうさまでした」


 早々に席を立ち、自分の分の食器だけ流しの中へ運んだ。

「ちょっと志帆? お父さん、かわいそうでしょう」

「あ、亜紀さん、僕は大丈夫だから……」

 リュックを背負って玄関に向かう。

「忘れ物!」

 孝文さんがいつものようにお弁当を持ってきた。


『志帆』


 孝文さんごしに蒼白く発光している人らしきものが見えた。廊下の突き当たりらへんだったことと、瞬きの合間に消えてしまったことであまりよく見えなかった。

「あ、あの、ありがとうございます。じゃっ」

 お弁当を奪い取るような形で受け取り、急いで家から飛び出した。


 なんだあれ、なんだあれ、なんだあれ。

 見てはいけないものを見てしまったと思うのに、何故か懐かしくて涙が出る。心臓がドクドクと強く脈打つのは走っているためだけではない。


「……あんた、誰よ……!」


 会いたい。会ってはいけない。

 もう一目だけでも。気づかないように。

 私の名を呼ぶあなたは。忘れなさい。

 次に出会う時、あなたの正体がわかる。

 同時に、もう二度と戻れなくなる。

 どうすれば……。


「あ」


 右手に掴んだ巾着袋を思い出した。全力疾走で振り回したお弁当。とても残念なことになっているに違いなかった。

 案の定、昼休みに開けた蓋の向こう側には、お弁当の具材全てを使ったスクランブルエッグならぬ、スクランブルお弁当が広がっていた。

「……あんたにしては頑張ったんじゃない?」

 作ったのは私ではない。私ではないが、やったのは私だ。だから……。

「……うん」

 これしか言えなかった。






『志帆』


 今日は何度この声に驚かされるのか。目を開けてみるとそこは見慣れない空間で、すぐにここが夢であることがわかった。真正面には今朝見た蒼白い人がいるが、血色はよく、どこか懐かしい気持ちになった。


『志帆』


「あの、そんなに名前呼ばなくても気付いてるんで。何の用ですか?」

 夢だと思うと途端に威勢がよくなる。何でもできる気になってくるのだ。

『あ……やっと、見てくれた……』

 どこかから吹いた風によって顔が露わになる。その顔には見覚えがあった。正確には、あの時は見えなかったけれど、この雰囲気はあの人だ。魔女の血が覚えている。

「あなたは、箒の……」

『そう。以前あなたを助けた。大きくなったね』

 そう言って魔女が一歩近づくと、体は一歩距離をとろうとする。それを見た魔女はそれ以上近づくのをやめた。


『あなたにお願いがある。また空を飛んで、そして、民の願いを届けて』

「た、民の願い……?」

『そう。魔力の強い者がやる決まり。ずっとそうしてきた。今度は、あなた』

「……断ったら?」

『次を探す。でも、たぶんあなたしかできない。他の人はこちらまで来られないから』

「願いを届けるだけでいいの?」

『そう。それだけ。それがあなたの全て』

「……私の全て?」

『命をかけて願いを届ける。それが飛べる者である私たちの運命』

「そ、それって、死ぬってこと?」

『そう』

「嫌だ! まだ死にたくない! やりたいことがいっぱい残ってる!」

『悪いけど時間がない。私もついてる。怖くない』

「……人の願いを届けても、私の願いは届かないんだね」

『1つ、昔話を教えてあげる』




 魔法は、人々の願いを神に届けた1人の少女から始まった。

 少女の住む村はその日を生き抜くことすら難しいほど貧しいところだった。

 食べ物がほしい。飲み物がほしい。着るものがほしい。住む場所がほしい。

 村人は毎日のように神に祈りを捧げていた。少女もその1人だったが、ある時気がついた。


 祈りを捧げるだけでは神に届かない、と。


 そして少女は命をかけて神に願った。沢山の供物を抱え、村で一番高い崖から飛び降りた。

 そのかいあってか、村は数日と待たずに活気づいた。だが、その村が受けた恩恵はそれだけではなかった。

 困難な状況に陥ったとしても無から有を造り出せる力、すなわち魔法を授かったのだ。村人は大いに喜び、祭壇に供物を山ほど供えたが、神は一蹴してこう言った。


 人間の供物で魔法は使えぬ。意味のある供物を要求する。


 それから毎年、空を飛ぶことのできる魔法使いを1人生贄として捧げる習慣ができた。そして、生贄は村を去る前に必ず村人全員に挨拶をする。その中で悩み事、願い事を聞いていくそうだ。




『神は言った。魔法を使うならそれなりの代償が必要だ、と。だから志帆、あなたは飛べるものとしての使命を果たさなくてはならない』

「と、到底信じられる話じゃないし、そんなこと言われたからって気持ちは変わらない。私は行かない。他を当たって」

『……残念。あなたなら、来てくれると思ったのに』

「ごめんなさい。……謝る理由もないけど」

 魔女は不服そうに私を見て、背を向けてどこかへ歩いていった。




 ブーッ、ブーッ


 机に置かれた携帯のバイブ音で目を覚ました。夢現で携帯を手に取ると、懐かしい名前からの電話だった。

「……もしもし……?」

『あ、もしもし、しーちゃん!』

 寝起きの頭に刺さる甲高い声に少し眩暈がした。何か楽しいことでもあったのだろうか。

『久しぶりだね! 元気してた? もしかして寝てた?』

「寝てた……変な夢見た。何かあったの? りっちゃん」

『うん! プロポーズされたの! 今日!』

 プロポーズ……


 ……プロポーズ!?


 眠気が一気に吹き飛んだ。

「え、え!? そ、それって、け、結婚ってこと!?」

『そうだよ! だから、身内に電話かけまくってるの。元々結婚前提のお付き合いだったから覚悟はしてたけどね。でも、いざこうなると嬉しいよね……あー、ダメだ。今日何回泣くんだろう』

 本当に嬉しいのだろう。こちらまでもらい泣きしそうだ。

『式の日取り決まったらまた連絡するから、来てくれると嬉しいな』

「もちろん行くよ。絶対行く。りっちゃんの晴れ姿はポスターにして貼っとくんだっ」

『あはっ! 何それ! でも、ありがとね』

「うん。おめでとう、りっちゃん」

『ありがとう。じゃあ、またね』


 電話を切って母の寝室へ駆け込んだ。

「お母さん! お母さん! りっちゃん、結婚!」

「えぇ? ちょっと落ち着きなさいな」

 興奮さめやらぬまま、なんとか言葉にして伝えると、母は自分の事のように喜んでいた。最近はいつも辛そうで、こんなに笑顔の母を見るのは久しぶりだ。

「いいわねぇ! 結婚かぁ……! 新婚ほど楽しい時期はないものね!」

「お母さんも変わんないでしょ」

「そっか。そうね!」

 もう少ししたら下の子も生まれる。けれど、嬉しいことばかり続いていくなんて、そんな都合のいいことは起きない。






 翌日、リンカから電話があった。

「どうしたの?」

『……あたし……もう、どうしたらいいのかわかんない……!』

 泣き出すリンカを電話越しになだめ話を聞いた。


「……つまり、魔女がりっちゃんを生け贄にしようとしてるってこと?」

『うん……。あたしは血が濃いし、今も魔法使ってるから、断る理由がないの……』

「な、なんで? そんな訳のわからない人のために生け贄になる必要ないよ!」

『そういうわけにはいかないの……。だって、魔法は借りてるものだから、代償を払わないといけないって小さい頃何度も何度も言い聞かせられたの。今は魔女の数も少なくなってるからもしかしたら来るんじゃないかと思ってたんだ……。まさか、本当に来るなんて思ってなかったけど……』

 私が断ったから、次の人にいったんだ。


「り、りっちゃんが行くことないよ。他の人に変わってもらおう?」

『……あたし、行くよ』

「ど、どうして!?」

『ここであたしが拒否したら、あたしの代わりに他の人が行くことになるんだよ。それで生き延びれたとして、頭の片隅にその人のことがずっと残るんだよ。あたしの代わりに犠牲になった人がいるって。その人はもしかしたら、あたしみたいに好きな人がいるかもしれない。小さな子どもを持つお母さんかもしれない。その人たちの幸せをあたしなんかが奪っていいわけないよ』


 リンカの言う通りだ。自分さえよければいいなんて、なんて自己中心的な考え方なのだろう。リンカはこれから幸せいっぱいに暮らすんだ。私はどれだけ愚かなのだろう。

『しーちゃん?』

「りっちゃん、安心して。りっちゃんは絶対幸せになるの。誰も邪魔させない」

『……ありがとう。その言葉だけで頑張れる気がする』

 リンカに手は出させない。




「……いるんでしょう? 出てきてよ」

 ぽつりと呟いた声は反響することなく静かに消えていった。

「なんでりっちゃんなの? 人の幸せ踏み潰して楽しい? 最低だね」

『そうさせたのはあなた』

 音もなく目の前に現れたのは、夢で見たとんがり帽子の綺麗な魔女。

「りっちゃんから電話がきて、気づいた。私も最低なんだ……」

『……』

「他の人のことなんて考えもしなかった。自分のことばかり考えて……。私が一番何もないのに……」

 魔女は無表情でこちらを見ている。

「りっちゃんの代わりに私が行く。行かせて」

『……いいの?』

「悪者が最期に人助けをして終わるってよくあるでしょ? あれと同じだよ」

『志帆は悪者じゃない』

「いや、私は悪者だよ。極悪人だ。だから、私がやる」

『……なら、願いを聞いておいで。志帆の力に応じた願いを叶えてくれる。身内だけでもいいし、友達や知らない人の願いでもいい。志帆なら、何百人の願いを叶えられるよ』




 魔女と別れ、まず母にそれとなく聞いてみた。

「この子が無事に生まれてくることよ。それから、元気で大きく、優しい子に育ってほしいわ」


 リンカは電話に出てくれなかった。


 孝文さんにも聞いてみることにした。

「願い事?」

「……なければいいんですけど」

「あるよ。……でも、ちょっと照れ臭いな」

 ははっと笑った。

「……志帆ちゃんにお願いがあるんだ」

「え、私ですか?」

「うん。……あー、でもやっぱりやめとくね。自分で気持ち悪くなってきた……」

 もしかして、そっち系なのか? それなら今すぐ離れたいが、根性の別れになるなら少しくらい聞いてやろう。

「言う後悔と言わない後悔、どっちがいいですか?」

 名言マルパクリをどや顔で披露する。


「……あのね、1度でいいから『お父さん』と呼んでほしいんだ」


「あ……」

「……や、やっぱり嫌だよね……。ごめん、今の忘れて」

 孝文さんはそれ以上何も言わずに席を立ってしまった。

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