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最強の邪眼を持つ少年、天使の召喚に成功したのでこれからはVtuberして生きていく

作者: 南川 佐久

カクヨム連載作品、前日譚的な短編です。

第1話 天使様のおみあしチャンネル


 講堂に輝くは四枚の白翼。

 銀の瞳に清廉な光を宿した天使は、水面に落とした雫が波紋を立てるように問いかける。


「あなたが私のマスターですね。これからよろしくお願いします」


 くすり、と笑みを浮かべる口元は薄く色づいた桜色。薄藤の髪は顎先でふわりと揺れるミディアムボブで、もう何もかもが完璧だった。


 なんだこれは。圧倒的美少女じゃねーか。


 マスターと呼ばれた少年は白金色の癖毛をくしゃりと掻き上げて、分厚い瓶底メガネをずり落としたまま渇いた笑いを浮かべた。


「はは。マジかよ……」


 齢十四。あの忌々しいクソ実家から逃れてようやく寄宿制の召喚学校に来れたと思ったら。神はここに来て自分に最高の運を齎したらしい。


 まさに人生逆転のチャンス。


 こんなハイスペック激カワ美少女天使のマスターになれたなら、ボクの人生は勝ち組確定。


 インターネットやAIすら普及し近代化したこの時代に魔法使いなんていうロートル職業にならなくて済むし、なにより天使のマスターなのだ。彼女に魔力さえ提供できるなら、この癒しの力を使って病院系や教会、医療関係の大企業から引っ張りだこでエリートコースまっしぐら。


「ふふ、あはは......!」


 思わず、笑みがこぼれた。


 脳裏に浮かぶのは悔しそうな親の顔。

 一族再興の為に手塩にかけて、お得意の悪魔召喚で手に入れた世界最高の邪眼まで授けて。そんな期待の息子のボクが。よりにもよって仇敵とも呼ぶべき天使のマスターだなんてさ!

 これじゃあもう計画なんてぐちゃぐちゃバラバラ。ボクを置いて逃げ出した姉ちゃんの驚く顔が目に浮かぶ!


 少年はずり落ちたメガネをくい、と掛け直すと震える両手を広げ、感涙の表情で天使を歓迎した。


「ボクを助けに来てくれたんだね...! ああ、待ってたよ天使様! 今日からボクは勝ち組だ!」


 ◇


 ここ、ヴァン.ドゥ.エヴァンス召喚専門学校は、世界でも滅びゆく職種である魔法使いを養成する学校の中でも最低ランクの学校だった。

 だが。天使が来てくれたなら話は別。いくら魔法が廃れた世でも、『癒す』という能力は未だ需要が絶えないし、なにより天使は可愛くて人気。

 万が一性格に問題があって企業に属せない子でも、困ったら最終的にアイドルか何かにしてしまえばいいんだよ。


 召喚獣の能力別クラス編成で最上級のSSR組に難なく選ばれたカインは、生徒寮の自室に籠ってほくそ笑んだ。


 今日から授業が始まるって? 出るかそんなの。時間と労力の無駄だ。

 いくら最上クラスに選ばれたとて、所詮は低ランク学校の一番上。社会に出れば下の上澄みなんだろう?


 空になった菓子の袋と通販の空き段ボールが転がる汚部屋で、カインはゲームのコントローラーを握る。カチャカチャと小気味いいリズムでボタンを鳴らし、モニターに映るWIN表示を見て一層広角をあげてほくそ笑む。

 だって今日から、ボクは人生もWINだから。


 すると、隣でちょこんと体育座りしてゲームを見ていた天使が問いかけてきた。


「あの、マスター?」


「なに? サリエル」


「授業に出なくていいのですか?」


「いいんだよ。社会に出るのに必要なのは最低限の言語能力と需要に見合った能力の提供だ。キミさえ傍にいてくれるなら、ボクはキミの魔力タンクをしているだけで条件が満たせる。授業に出ていちいち魔法使いや召喚の歴史、ましてや戦闘訓練なんて行う意味はまったく無いね」


 言い切ると、天使はどこか嬉しそうに顔を綻ばせた。


「それはつまり、マスターは私がいないとダメってことですか?」


「そうなるね。もう恥も外聞もなく頼むよ。キミが何を目的として召喚に応じたかは不明だが、一度手に入れた幸運を手放す勇気はボクにない。土下座してキミが力を貸してくれるなら喜んでするさ。世の中は、プライドだけじゃ食ってけないんだ」


「ふふ。わかりました。サリーは一生、マスターが命を終えるそのときまでお側にいると誓います。あなたが私を必要としてくれる限り」


「ありがとう」


 実家にいた悪魔にはこんな優しくて温かい言葉をかけてもらったことはない。天使はどこまでいっても天使。噂に違わぬ慈愛の精神だ。カインは幸せを噛み締める。


 だが、厳しい環境で育ったせいかまだ油断はならないと胸のどこかが警鐘を鳴らしていた。

 いくら勝ち組といっても、企業や集団に属する限り人間関係やしがらみからは逃れることはできない。


 カインは、楽する為なら上を目指せる、そういう人間だったのだ。


(何か手は......? できることなら不労所得で暮らしたい)


 なにせ自分はゲームが大好きクソオタク。友達と呼べるような人間なんてオンラインにしかいないのだ。そんなのが会社に所属したとて、サリエルを僻む奴やオタクを生理的に受け付けない陽キャに陰口を叩かれて気分悪くなるだけ。

 だったらいっそ。一生部屋で暮らしたい。


 カインはゲームを中断してぼんやりと流していた動画投稿サイトに視線を移す。


(広告収入、か......)


最近は天使を模したバーチャルキャラクターに声と動きを当てたVtuberなんぞが流行っているらしい。


『天使萌えリエルは〜天界から来た見習い天使なのです〜♪ この世界のことを、人間の皆さんに教えて欲しいのです〜♪』


 と。ぶりっ子ボイスの幼女天使が可愛くおねだりするだけで、スパチャという名の投げ銭が飛ぶこのご時世。確か年俸は億を超える者もいるんだとか。


『萌えリエルちゃん今日もかわいい〜』

『おじさんがこの世界のイイトコたくさん教えてあげるね〜。ふたりでしっぽり休めるベッドがキラキラ可愛いお部屋とか〜』

『わ〜! 人間の皆さんありがとう〜!』


 何言ってんだ。こちとら本物の天使だぞ。


 ちらりと横目でサリエルを見ると、銀水晶のような瞳と目が合った。まつ毛が長い。クソ可愛い。


「マスター、どうしたのですか? もしかして、魔力をくれる気になったのですか?」


「えっ?」


 別に、違うけど。


 だが、どこか期待するような眼差しでにじり寄ってくるサリエル。カインは昔実家で読まされた召喚獣の図鑑説明を思い出す。

 天使の魔力補給はたしか、肌と羽への皮膚接触だ。だから、もし会ったならまずマスターと触れ合わせないよう隔離しろと教わっていた。


 にじり寄るサリエルにもう一度視線を向け、身構える。


「まさか、ボクに抱き着くつもり?」


 問いかけると、天使はきょとんと聞き返す。


「じゃあ、他にどうしろというのですか? 抱き着く以外の皮膚接触......あっ。恐れながら、サリーは処女なので夜伽の作法がわかりません。マスターさえよろしければご教授くださると助かるのですが......」


 平然と言ってのける天使にカインは思わず顔を赤くして立ち上がった。


「知るかそんなの! ボクだって童貞だ!」


「では、ぎゅっとしていいですか?」


「やめろ近づくな、ボクは童貞だって言ってるだろ!? キミみたいな美少女には免疫が無いんだよ! 言わせないでくれ恥ずかしい!」


「ふふ。マスター可愛らしい」


「あああ! バカにしやがって!」


 狼狽えるカインをよそに、天使は翼を広げて彼を優しく包み込んだ。両腕でぎゅうっと抱きしめ、その体温と魔力を味わう。


「......っ!」


「いくら天使がいい子でも、こればっかりは言うことを聞けません。だって魔力が無くなれば、私たちは死んでしまいますから。嫌がられてもこうします」


 ぎゅぎゅう、と腕に力を込める。驚きと動揺で動けない主に口元を綻ばせ、早鐘を打つ心臓に頬と耳を擦り寄せた。


「抵抗はしないのですね? 優しいマスター」


「......できないだけだよ。意気地なしでね。それに、キミに死なれたらボクも死ぬ」


「運命共同体ですか?」


 ふわりと笑う天使に、照れ臭くて何も言い返すことができない。

 かつてない柔らかな感触と乙女のいい匂いに胸の鼓動はうるさいし、視線が泳いで仕方がない。

 しかし、宙を舞う視線が棚の上の美少女フィギュアに注がれて、カインは思いついた。


「なぁサリエル。キミ、部屋に来たときフィギュアを興味深そうに眺めていたよな?」


「? はい。とても可愛らしいなぁと」


「へぇ。ああいうの好きなんだ?」


「ふわふわのドレスやヒラヒラの衣装が素敵です。見ていて心が躍ります」


 なんとも楽しそうな表情に、カインは思いついてしまった。


「あの衣装、着てみたい?」


「へ?」


「キミは天使だ。正真正銘ホンモノの。もしキミがあれらの衣装に身を包んだら、右に出る美少女はいないぞ」


「それはつまり……?」


「ボクらで、動画配信の天下を取ろう」


 こうして、カインは学業をすっぽかし、新たに『天使様のおみあしチャンネル』を立ち上げたのだった。


  ◇

 引き籠りのクソオタク、カインとその天使サリエルが立ち上げた『天使様のおみあしチャンネル』は【天使様の生足晒しまくりチャンネル】と豪語するだけあってなかなかのチャンネル登録者数を獲得することに成功した。

 無論、えっちが過ぎる配信は運営の目に止まるとアカウント停止処分となるが、その辺は当然対応済み。適度な刺激でこれ以上――いや、次が見たくなる「見えそうで見えない」を突き詰めたカメラワーク。日に日に増える登録者数と向上するカメラの腕、そして天使の嬉しそうな顔にまんざらでもない日常を送っていた。

 ――のも束の間。

 その日常をぶち壊す朝がやってきた。


「カイン! 出て来い! 授業に出ろ!」


 ダァン! と無遠慮に叩かれる扉。やばい。先生だ。

 しかもこの威圧的な声は、引き籠るカインの身を案じて毎日のように声をかけてくる優しいお節介、ピエール先生のものではない。

 新任のくせに異常に強い力を持つと噂されている副担任、リヒト先生。

 彼はクールな見た目通り生徒の主体性を重んじ、必要以上に生徒に干渉しないというのが偵察に出ていたサリエルの所見だが、それがまさか、直々に引きずり出しに来るなんて。


 もたもたしていると鍵がバキリと壊されて扉が開け放たれる。ゴミを見るような目で自分を見下ろしているのは、少し長めな黒髪の教師――


「ピエールめ。世話を焼いてやっているのは知っていたが、まさか毎日構っていたとは。呆れたお人好しだ」


 「その善意をよくも無駄にしてくれたな」と、凍てついた目が語っていた。


「授業に出てもらうぞカイン。他の生徒たちがお前を気にかけ集中できないようだから。お前の意思に関係なくとも連れて行く。だが、一応だ。部屋から出る気がない理由を聞かせてもらおうか?」


 高圧的な目。だがこの程度の圧、自分カインをおよそ復讐の道具としか見ていないであろう父親に比べればどうというものでもない。だって彼は他の生徒の為にこうしてサボリ魔の元へ足を運ぶような優しい動機で動いている人間だから。


 でも、だからって素直に言うことを聞けるカインでもない。だって決めたのだ。これからはもう頑張らないって。いや、頑張るのは配信だけにしようって。

 カインは飄々と構え、答える。


「『なんで?』も何も。天使様を召喚した時点でボクは勝ち組確定ですから。授業に出る必要もなければ部屋から出る必要もありません。それじゃあ――」


 再び布団に籠ろうとすると、リヒトはカインを強引に床にひっくり返して金の腕輪をかざす。

 カインはその輝きと紋様に我が目を疑った。なにせその腕輪から発せられる魔力と魔法構成式は、強力な『神縛りの術式』――言葉ひとつで大いなる存在すら屈服させ得る代物だったのだ。


 邪眼を持っているからこそ見える――否、見えてしまう魔法の構成式。カラクリが本物であることを見抜けるカインだからこそ、その恐ろしさに身震いする。


(どうしてこんな底辺学校の教師がこんな代物を――!)


 すると、リヒトが何事か唱え、腕輪から伸びた鎖がサリエルの手首を手錠のように拘束した。


「なに、これ……取れない……! マスター、助けて……!」


 苦悶の表情を浮かべるサリエルを前に、カインには成す術がなかった。

 痛がっている。可哀想だ。なんとかしてあげたい。でも、自分には何もない……!


「どうした、引き千切らないのか? 天使様は万能で、優秀で、お前は勝ち組なんだろう?」


 嘲笑を浮かべるリヒトの言う通り、そう思っていた自分が浅はかだと気づく。


 サリエルは自分に救いを与えてくれた。もうあの実家に戻らなくても自分だけで生きていける可能性を与えてくれたのだ。


 一緒に動画配信をしよう。

 あれが着たい、これが楽しい。


『ねぇマスター? このお洋服(コスプレ)、似合ってますか?』


 カインにとってはありふれた地上のもの。それらに胸を膨らませる彼女の隣にいるのは楽しかった。思えば、あんなに心穏やかだった日々はいつぶりだろうか。

 家の使命など何も知らず、お姉ちゃんと庭先で召喚陣の落書きをして遊んでいた頃以来かもしれない……


 それが、彼女の危機を目の前にして自分には何もできないなんて――


 カインは段ボール開封用に所持していたサバイバルナイフを手に立ち上がる。


「拘束を解け。そっちがその気なら――ボクは本気だぞ」


 決意に満ちた眼差しに、リヒトはほぅ、と感心したように息を吐いた。

 しかしカインが意を決して掴みかかると同時にその攻撃をひらりと躱し、いともたやすく床に押さえつける。


「ぐ……!」


 やはり、自分の力ではリヒトに敵わない……!

 だが、何を思ったか次の瞬間。リヒトはふたりの拘束を解いた。

 そして――


「強くなれ、カイン。今わの際に、無念と後悔を抱かずに済むように。その為にはまず授業に出ることだ」


 何を、知った口ぶりで――

 自分のことも、実家のことも。何も知らない教師のくせに。


 だが、先程までと一変して、リヒトはカインを見守るような穏やかな笑みを浮かべていた。

 天使を守ろうと自ら立ち上がった彼を見直し、賞賛しようという眼差し。それが、カインには痛いほどわかる。だって、両親は一度だってカインのしたことをこんな風に評価してくれたことはなかったから。

 これは、幼いカインが欲しくて欲しくて堪らなかった眼差しだ……


「わかりましたよ……授業、受ければいいんでしょう?」


 視線を逸らして呟くと、リヒトは満足そうに頷いて去っていった。

 再びふたりになった部屋で、サリエルは自身とカインに治癒の魔法をかける。

 そっと手を取り、捻られて痛めた手首に包帯を巻いて優しくさする。その優しさが、今のカインには辛かった。


「ごめん、サリー。ボクは、キミの危機に何もできなかった……」


 謝ると、サリエルは思いのほか嬉しそうに胸中を語る。


「どうしましょう。私、少し思い違いをしていたみたい。マスター、案外男らしいところがあるんですね?」


 召喚獣は、誰もが己の『願い』を抱いて人間の呼びかけに応え契約をする。

 サリエルの願いは『絶対の肯定』――自身の存在とその意義を何があっても肯定してくれる存在だ。


 サリエルは死を司る天使であり、邪眼を持つ天使だった。裁定者として、ときに罪を犯した同胞を屠り、堕天させ、その邪眼は命すら奪うこともある。だからいつも、嫌われ者だった。

 天界に居場所がないと諦めた彼女は同じ邪眼持ちという数奇な寄る辺に従い、カインの呼びかけに応じ、故郷を捨てて人間の世界に降りてきたのだ。


 だから、嬉しかった。


『マスターは、私がいないとダメ……ですか?』


 天使との出会いに両手を上げて喜び、恥も外聞なく必要としてくれる彼こそが、サリエルには必要だったのだ。

 どんなにダメ人間でもいい。いや、いっそとことんダメであってくれた方がいい。その方が、もっと自分を必要としてくれる。

 そう思っていた彼が、まさか自分のために身を挺して教師に掴みかかるなんて。


「マスター。助けてくれてありがとう。私、あなたに恩返しがしたいです」


「恩返しだなんて、そんな……」


 自分は大したことなどしていない。キレ散らかして、教師に殴りかかっただけだ。

 それもすぐに鎮圧されて、ふんじばられた。

 でも、サリエルはそのことが何よりも嬉しかったらしい。

 そんな彼女は、提案する。


「ねぇ、マスター。この学校にいるんでしょう? あなたのお姉ちゃんが」


「――え?」


 思わず、耳を疑った。


「どうして、それを……」


「わかりますよ。だって私はあなたの天使ですから。同じ血を持つ者の気配くらい。それに、本当は晴れて実家と無縁となれたことを報せたい……あなたがそう思っていることも」


「別に、ボクはそんなんじゃ……」


「じゃあ何故、悪魔召喚士の家系であることを疎ましく思っているあなたが、わざわざ召喚学校に来たのです?」


「そりゃあ、そんな家系なんだ、他に行くとこなんて無いさ……」


 自嘲気味に呟くカインの手を、天使はそっと手に取って。


「嘘です。私の目を見て言ってください。本当は姉を追いかけてこの学校に来たのでしょう? でも、彼女の傍にいる召喚獣はとても強力な悪魔ですね? それが怖くて近づけない」


 サリエルは、決意を込めて手をぎゅうっと握りしめた。


「お姉ちゃんと仲直りしましょう。私が、あなたの力になりますから」


  ◇


 木漏れ日のさすうららかな学食のテラス。白のアンティーク調チェアに腰掛け、ベージュの巻髪を揺らした少女が笑みを浮かべてアフタヌーンティーを楽しんでいた。

 フォークの先には甘いものが大好きな彼女の舌を満足させるザッハトルテ。

 丈の短いプリーツスカートと白ブラウスは女生徒たちと同じような若さを保つ魔女の彼女にはお似合いの恰好だが、そのうえに羽織った黒のローブが、彼女がこの学院で悪魔学を専門にしている教師だということを示している。


 トイス=チャーリュフ。カインの十歳上の姉――かつて、とても仲の良かった、姉ちゃんだ。


 だが。そんな彼女の向かいでケーキを頬張るのはもう自分じゃない。

 「美味しいねぇ」と笑みを向けられ、「そうだね」と返すのは、銀糸の髪に湖底を思わせる蒼を湛えた巻き角の少年だった。


 あの日。姉ちゃんが初めて召喚した悪魔は人でいう十歳程度の愛らしい見た目をしたあの怪物だ。

 ベルフェゴール。今や亡き魔王の直系配下、七柱のうちのひとり。魔界においては最強の集団。その一画に名を連ねる知る人ぞ知る悪魔だった。

 破格の召喚獣を引き当てた娘の才覚に狂喜乱舞する両親をよそに、少年はそのむせび泣きを「五月蠅い」と一蹴した。その瞳を冷たく震わせただけで、両親の心と身体は冬の湖底に引き摺られたかの如く凍りつき、少年に連れられて何処へともなく出て行く姉を止めることすらかなわなかったのだ。


 昔から、「大きくなったらここを出ようね」と約束していた。そんな姉を、あいつが勝手に連れ去ったのだ。カインよりも、一足先に。

 なにせ実家は復讐に憑りつかれた悪魔召喚士一族だ。いつ生贄にされてもおかしくない環境で一刻も早く家を出たかった姉にとって、それは救いだったといえるだろう。だが、取り残されたカインは唯一の心の支えを失い、両親の邪な期待を一身に背負う羽目になったのだ。


 そんな姉に、今更なんと声をかけよう。


 放課後、午後三時過ぎ。物陰に潜んで二人の様子を伺っていたカインとサリエルは、「ティータイムを邪魔するな」という悪魔の無言の圧により、その場から一歩踏み出せずにいた。

 しかし、主のためにも――

 金縛りに負けじと冷や汗を拭って、サリエルが踏み込んだ。


「あの……!」


 声をかけられ、トイスとベルフェゴールが視線を向ける。

 目が合った瞬間。トイスは驚きに目を丸くした。


「え――カイン……?」


 黙っていると、彼女はフォークを放り出して駆け足で傍に寄って来る。


「猫毛の金髪、瓶底メガネ……間違いないよ! カインでしょ!? 大きくなっても私が見間違うわけがない……あんた、この学校に入学してたの!?」


 トイスの担当は五、六年の上級生だ。一年のカインは名簿を手にする機会もそうそうないのだろう。無論、連絡先も知らない。

 だが、ベルフェゴール程の悪魔であれば学院内の血縁者――カインの存在には気がついていたはずだ。入学からこの半月近く黙っていたのかと思うと、やはりいけ好かない。あいつはそうやって、姉をいつも独り占めしているのだ。

 

 トイスはおもむろにカインのメガネをずり上げると、瞳に薄っすらと涙を浮かべる。


「カイン……カインだぁ……! また会いたかったよぉ……!」


「……っ!」


 ぎゅーっと強く抱きしめられて、二の句が継げなくなる。


 本当は、言ってやりたいことが沢山あった。

 あのあと大変だったんだぞ。

 両親に邪眼を植え付けられて、人と魔法の特性が勝手に見えるようになった。

 目に映る情報が多すぎて、人混みに出ると酔うし、吐くし、喋れないし。

 慣れるまでは地獄だった。だからこれまで、下ばかり向いて生きていた。


 頼りの姉ちゃんはいなくなるし、魔法の修業はエスカレート。

 でも、それでも会いたくて。苦労してこの学校に入学したんだ。


 天使を召喚して、契約して。

 これからボクは悪魔と無縁の生活を送るんだ。

 まっとうな大企業にも労せず就職できるだろうし、動画配信が軌道に乗ればそれすらせずに沢山のお金が手に入る。

 もう一族を捨てて何処へでも行ける。

 ボクは自由だ。勝ち組なんだ。

 ざまぁみろ……


「うっ……くっ……」


 何も、言えなかった。


「カイン? どうしたの……? お腹痛いの? 大丈夫?」

 

 そう言って、そっと優しく背をさする。その手が何も変わらなくて。

 カインは思わず涙をこぼした。


「姉ちゃん……」


 その様子を、天使は黙って見守っていた。

 ここに来るまでは散々嫌がって、姉に対して悪態をついていたのに。


『サリーがそこまで言うなら会ってやる。でもこれはアレだ。あくまでボクがネカマVtuberとしてどう振る舞ったら女っぽく見えるかっていう、研究の為なんだからな。ボクを女にしたときのモデルやデザインは、悔しいけど姉ちゃんが一番参考になるからな』


 ……なんて。そんなの言い訳ですよね、マスター。


 少年は天使を召喚して、もう頑張らないと決めた。

 これからは楽して、自由に生きていくんだと。

 でも、天使は知っている。

 少しだけだけど、召喚されてからずっと彼の傍にいたから。

 本当は、『《《ボクらは》》自由だ。勝ち組だ』って、言いたかったんでしょう?

 お姉ちゃんに、もう何も心配いらないよって。


 天使は、椅子に腰かけたままにやりとザッハトルテを舐める悪魔に視線を送った。

 いくら自分が天使でも、あいつに本気で睨み返されたらきっと強力な呪詛を受ける。でも、それでも。自分を必要としてくれる彼の為に、何があっても守ってみせる。

 そんな決意に、悪魔はふふ、と微笑んだだけだった。


「カイン……ごめんね。本当は、教師をしてまとまったお金が手に入ったら迎えに行くつもりだったの。でもまさか、カインの方から来てくれるなんて。あっちにいるのは天使様?」


「笑っちゃうだろ? 悪魔召喚士エリート候補のボクが、天使様を召喚だなんてさ」


 はは、と笑うと、姉は「笑ったりなんてしないよ」と微笑む。

 そして――


「凄いね。やっぱり、自慢の弟だ」


「……!」


 そうして姉は、今一度強くカインを抱き締める。

 ぎゅっとした両腕を離すと、今度は満面の笑みで彼を迎えた。


「言うのが遅くなっちゃった。ようこそ、カイン! エヴァンス召喚学校へ! 色んな種族が暮らすこの学校では、仲良くできるなら天使も悪魔も関係ないの。凄くない!? でもね、悪さをしたらオシオキだから。気を付けなよ~? 私、一応先生だから。ベルフィに氷漬けにされても知らないからね」


「ベルフィって……あいつのこと?」


 ちらり、と少年悪魔を見やる。カインにとっては姉を攫ったいけ好かない奴。だが、話を聞くに彼はあくまで姉の召喚獣。彼の願いを姉が叶え続ける限り、サリエル同様頼りになる友人なんだとか。


「私ともども、仲良くしてね」


 差し出された姉の手を、そっと、そーっと握り返す。


「姉ちゃんがそう言うならまぁ……でも、ボクにだって色々言いたいことはあるんだ。勝手に出て行ったこととか。姉ちゃんがボクの配信に協力するなら、許してやらなくもないよ」


「配信? なんの?」


「天使様のおみあしチャンネル」


「なにそれ??」


 きょとんと覗き込む姉は、二十四とは思えぬ若さと愛らしさの持ち主だ。元から故郷では数年に一度の美少女と謳われていたが、七年ぶりに会って一層スタイルが良くなったようにも思う。天使と姉キャラの二大タッグか……姉ちゃんには教師属性も付いてるし、案外アリかもしれないな。


 そんな姉に、これまでのお返しと言わんばかりに協力して貰おうかな。

 カインはにやりと笑みを浮かべた。


「姉ちゃん、これからはVtuberと動画配信。スパチャと広告収入の時代だよ」


 そうやって今度こそ。楽しい思い出を沢山作ろう。


「一緒に動画で天下を取るんだ。そうすれば、きっとボクらは勝ち組さ」


 背を押してくれた天使に感謝し、カインは姉の手を握り返したのだった。


                                 FIN

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