始まり、少女との出会い
『今日で終わりだ。もう疲れた。これで良い。右手に握りしめた封筒、これを出すだけで自由だ。』
そう決心して窓際の一番大きなデスクに向かって歩き出す。
「部長、これお願いします。」
そういって封筒をデスクの上に置く。
何も聞きたくないためそのまま踵を切って会社を後にする。
大した大きな会社でもないため大丈夫だろう。後は電話で良いだろう。
そう思いながら楽になった気持ちで帰り道につく。
『さてと、何しようかな。自由になったのはいいけど、先ゆくものも心もとないしな。』
人ごみの中ぶらぶら歩く、心なしかみんな忙しそうに見える。
『なんでみんな忙しいんだろう。』
すれ違う人をちらちら観察しながらそんなことを考える。
私の胸の中にそいつが現れたのは半年前。
自分の意志や思いとは別の感情が胸の中で暴れている。温かかったり、苦しかったりとにかく自分とは明らかに違う感情がいる。こんなことを人に行ったらおかしな人と思われるので誰にも相談なんて出来ない。っていうかそもそも相談できる相手なんていないし。
そいつが何なのかを探りたい。本当に誰かなのか、それとも私がおかしくなったのか。
そもそも人なのかもわからない。これからしばらく自由だからこいつときちんと向き合おうと思った。
【少女】
さてと、取り合えず帰るか、と地下鉄の駅に向かう
「きゃっ」
目の前でいきなり少女がつまずき転んだ
「大丈夫?」
いつもならそんなことは無視して通り過ぎるのについ声をかけてしまった。
「えっ、あっすいません。大丈夫です。私よくつまずくので。」
と恥ずかしそうに答える少女。その笑顔を見たとき
『ぎゅーーー』
急に胸のやつが暴れだした。
『なんだ?急に!なんだ?。』
と、起き上がろうとする彼女につい手を差し伸べていた。
「ありがとうございます。」
彼女がその手を取り起き上がる。
「すいませんでした。はずかしぃ」
ズボンの汚れをほろいながら顔を赤らめる。
『どうせ暇になるんだから、ついでにこいつを確かめてやるか』
「よく転ぶんですね。これも何かの縁。私は志村亮と言います。出来たらお名前よろしいですか?」
けげんな顔をした彼女、少し警戒しながら
「川村詩織です。」
「詩織さん、また何か縁がありましたら会えたらよいですね。」
「えっ、はい・・」
「では、気を付けてください。」
そして軽く会釈をしてまた歩き始めた。
彼女も会釈をして私とは逆方向に歩いて行った。
『なんじゃこれ!古い少女漫画みたいではないか!恥ずかしくなってきた。こんなに簡単にこいつの正体がわかるなら苦労せんな。』
話しかけたことを後悔しながら帰路につくことにした。部屋に戻り少し考える
仕事も辞めた。お金は少し蓄えはあるが心もとない。でも何かしたいわけでもない。これからどうしようか。
ボーっと天井を眺めながら物思いにふけっているうちに眠りについた。
ふと目を覚ますと辺りはもう真っ暗になっていた。
『飯でも買ってくるか。』
そう思い立ち夜道に繰り出す。夜道を歩きながら
『たまには遠くにコンビニでも行くかな。』
と夜風に吹かれながらのんびり歩きだした。
しばらく歩き、来たことのないコンビニを見つける。
『ここでいっか。』
店内で夕食を選びレジに行く
「いらっしゃいませ。」
レジから聞き覚えのある声。店員の顔を見ると見おぼえが・・・
「あっ」
思わず声が出た。
「詩織さん?」
声をかけると店員のほうも気づいたようで
「あっ、昼間の方。」
「ここで働いていたんですね。」
「昼間はありがとうございました。」
「またお会いするなんて、何か縁があるのかもしれませんね。」
なんでかわからないが、いらぬ言葉がべらべら出てくる。
「ここ何時までですか?ここで会ったのも何かの縁お話だけでもしませんか?」
「えっ、いきなりなんですか?もう少しで上がりですが面白い方ですね。」
と笑顔を見せながらレジを済ませていく。
「支払いはどうしますか?」
何事もないように仕事をこなしていく彼女。
「あっ、スマホで。」
つられて機械的に支払いを済ませていく。
『まっ、普通こんなもんだよな。』
そう思いながら、笑顔で会釈をして店を後にした。
『んーー、なかなかの縁だと思うのだがこういうものだよなぁ』
何か不思議な感覚を覚えながら帰路につく。
コンビニ弁当を食べながらしばらく彼女のことを思い出していた。
『結構かわいい子だったなぁ。年下かな?
まぁあれだけかわいかったら彼氏ぐらいいるよなぁ。』
そんなことを考えて、彼女の笑顔を思い浮かべていた。急に胸のあいつが暴れだす。温かく、また苦しい感覚。
『まったく、こいつは本当に何なんだ?いつもいつも。』
胸の中のものと格闘しながらしばらくじっとしている。少し落ち着いたところでやっと寝る準備を始めた。このような毎日を半年ほど続けている。胸の中のやつは急にやってくる。大体は我慢できるが初めのうちは訳が分からず苦しみ続け会社を休んだこともある。これでも落ち着いたほうだ。というより慣れたのかもしれない。でも最近は苦しいといより温かくなりだんだん熱を増していき熱く感じることもある。
『しばらくは暇だしゆっくりこいつと向き合ってみるか』
そう思いながら眠りについた。
朝、目覚ましのアラームの音で目を覚ます。
会社に行く身支度をしようと思いふっと我に返る
『あっ、仕事行かなくて良いんだ。』
それに気づきゆっくりと朝ごはんの支度をする。
『今日は会社ときちんと電話でやり取りして手続しないとな、面倒くさいけどそのくらいやらないと一人の大人としてさすがにまずい。』
時計を見ながら会社の始業時間までのんびりと過ごす。
その後会社に電話を入れ部長の嫌味を散々聞かされながら退社の手続きを済ませ終わったのが昼過ぎ。必要書類等は郵送してくれるとのことでとりあえず安心した。
『さて、今日は何しようか』
のんびりとスマホをいじりながら考える。どうせしばらくは何もする気はない。ふっと最近気になる映画公開したことを思い出す。
『行ってみるか』
時間を調べ出かける準備をし映画館に行く。
映画館につくと平日のせいか空いていた。チケット、ポップコーンを買いスクリーンの入り口に向かう。扉の近くで電話している少女がいた。
『ん?もしかして・・・いや、まさか』
いや、そのまさかの出来事である。電話している少女は詩織さんである。
『さてさて、どうする俺。話しかけるべきなのか?いやいや、さすがに気持ち悪がられるだろう。』
と思いながらも足は彼女のほうに進み、通話を終えた彼女に
「また会えるのなんてもしかしたら運命なのかもしれませんね」
『なんだ俺?なぜ話しかけているんだ?』
「お一人ですか?」
そう話しかける俺にびっくりし、また警戒しながら
「本当に奇遇ですね、連れが来れなくなってしまったみたいでどうしようかなぁってところです。」
「なら一緒に観ません?私も一人だし一緒に観てくれる人がいれば楽しいし。」
「えっ、でも。」
「あっ、大丈夫ですよ、変なナンパではないです。ただ一人で観るのもなんだしこんなかわいい子と観れたら映画の楽しさも倍増するでしょ。」
彼女は笑顔を見せながら
「でも席が・・・」
「大丈夫。これだけ空いているから変更可能でしょ。聞いてきます。ちょっとチケットいい?」
と彼女からチケットを受け取りカウンターへ、彼女の元へ戻ると
「ほら、大丈夫だった。一緒に観ましょ!」
あっけにとられた様子の彼女も微笑みながら
「わかりました、私も観たい映画だったし一緒に観てください。」
とチケットを受け取る。
「でも本当に2日で3回も出会うなんて不思議ですね」
「えぇ、でも本当はつけていたんじゃないですか?」
「いやいや、本当に偶然ですって。」
などと、会話をしていくうちに彼女の警戒感も薄らいでいったみたいだ。
「これなくなった連れって彼氏かなんかですか?」
彼女は笑いながら
「そうです。急に用事ができたとかで来れなくなって。ほんといい加減ですよ。」
かわいらしくふてくされた顔をする彼女、それを見ている私はよほどだらしない顔をしているのだろうと考えながら
「よほどの事情があったのでしょう。許しましょう。それにこんな機会を与えてくれた彼には私は感謝してますよ。」
「だってこれ一回じゃないですよぉ。まったく。」
そんな話をしていると開演になりスクリーンのほうに向かった。映画の最中は一緒にポップコーンをつまみながら楽しく映画を観た。
映画を見終えて出口を出たとこで
「この後、喫茶店で今の映画の感想言いません?」
やんわり誘ってみる。
「はい、いいですよ。どうせ暇だし。」
そう快諾してくれた彼女。近くの喫茶店まで。その間も先ほど見た映画の話をしながら向かう。喫茶店に着いても少し映画の話をしてからお互いの話をしだす。
「私、コーヒー飲めないんですよ。おなか壊すんです。」
という彼女、アイスティーを飲みながらそんな話をする。
「彼とはもう三年も付き合っているんですが、彼ずっと忙しくて全然相手してくれないんです。ほんとは浮気でもしているんじゃないかと心配するんですけどねぇ。」
「忙しいんですね彼。でも仕事していたらわかりますよ。大体仕事終わって部屋でバタンですからね。私もそうでしたよ。」
「でも連絡とかはできるじゃないですかぁ。私、彼女なのに。」
そこで気づいたことは彼女は本当に彼氏のことが好きであるということ。そのあともどんどん出てくる。彼氏の嫌な部分とか優しくしてくれることなど。そして彼氏に対する不安が…
話をしていると気づいたら二時間ほど経っていた。彼女はこれからアルバイトがあるとのことで別れることに。別れ際お互いの連絡先を交換し帰路に立つ。
彼女との会話を振り返りながらのんびりと歩きながら家に向かった。
『この胸のやつと彼女は関係ないのかなぁ』
胸の中のやつを確かめるために彼女に話しかけたが何のヒントもつかめず彼女と接している。
『まっ、胸のやつはいつものことだから気にしないでおこう』
開き直りしばらくやつのことは忘れることにした。とは言うもののやつはずっといる。
相変わらず暴れている。温かく、苦しく。
家に着いてからしばらくしてから彼女に今日のお礼をメッセージしてからベットにゴロンとしている。すると彼女からも今日のお礼のメッセージ。既読を付けて放置。
今日も安定のようにやつは来る。そしていつものようにやり過ごす。そんな毎日。
2,3日ゴロゴロとして過ごしていた。その間も彼女とは挨拶程度ではあるがメッセージで会話していた。
『どうせ暇だし、誘ってみるか?』
思い立って彼女を遊びに誘うことにした。
【今度一緒に遊びませんか?】
とメッセージを送る。我ながら恥ずかしいことをしているなと感じながら返事を待つことにした。友達もろくにいない私、彼女も何年もいない。
『俺、何やっているんだろ』
そんなことを考えていると彼女から返事が。
【いいですよ。どこ行きます?】
意外な返事にびっくりしながら
【水族館でも行きませんか?】
【いいですね。水族館好きなんです】
と快諾してくれた彼女、日程を合わせて今度水族館に行くことに。
『彼氏がいるのに何でOKしてくれたんだろ?』
複雑な気持ちのまま久しぶりのデートにウキウキしながらその日を待つことにした。
その日も相変わらずやつはやってくる。いつになったら消えてくれるのか。
デート当日。かなり緊張しながら待ち合わせの場所で彼女を待つ。しばらくすると彼女が歩いてくるのが見えた。緊張が爆発しそうになる。夏らしい服装の彼女。とてもまぶしく見えた。
「待ちましたか?」
「いえ、大丈夫です。行きましょう。」
彼女の横をドキドキしながら歩く。まるで高校生のような私。まったくだらしがない。
「かわいらしい服ですね。」
どうしようもない滑り出し。
「ありがとうございます。今日、暑そうだったから。」
「似合ってますよ。」
『なんとも歯切れの悪い会話。もっと言うことあるだろう。』
「すいません。詩織さんのことあまり知らないのに誘ってしまって。」
「いえ、私も水族館行きたいと思っていたところなので」
水族館行きのバスを待ちながら話しているとバスが来て一緒に乗る。
「よかった。ところで学生さんなのですか?」
「違います。ただのフリーターですよ。」
と笑いながら答える。
「今、お金貯めているんです。将来のために。」
「えらいですね。今のうちから将来のこと考えるなんて。私なんて全然考えてなくてつい最近会社辞めましたから。」
変な笑顔で返事を返す。
バスの中でそんな話をしながら隣同士席に座っている姿、周りからはどう見えているのか。周りの目を意識している自分に恥ずかしさを感じて。
「彼とはあの後どうですか?」
「ぼちぼちです。彼、私のことまだ子供みたいに思っているみたいで。だから働いてお金貯めてって。」
「私が彼氏ならすぐにでも結婚したいですけどね。こんなかわいい彼女なら。」
彼女ははにかみながら
「私全然物事知らないし仕方ないんです。」
うつむいて少し悲しそうな顔をした。
「あっ、水族館好きなんですか?やっぱりイルカショーとか?」
「私、クラゲが好きなんです。あの暗い中ライトアップされている雰囲気が。」
「へ~そうなんですね。じゃっ、ゆっくり中を回りましょう。」
「ありがとうございます。」
そんな話をしている間にバスは停留所に着き水族館まで歩き出す。
水族館に入り水槽をゆっくり歩きながら魚たちを眺めていく。そしてクラゲのコーナーに着くと彼女が、
「この水族館、彼との最初のデートの場所なんです。そこでこのクラゲを見てすごく感動して。」
じっとクラゲの水槽を眺める彼女。そこには一筋の涙が流れる。彼女を見ていると胸のやつが何かを言っている。それは何なのかはわからない。しかし何かを言っている。
「大丈夫ですよ。彼は今大事な時なのかもしれません。信じるしかないですよ。私にはよくわかりませんが、そんなに思っていることを彼が知らないはずないから。ゆっくり待ちましょう。」
何を言ってるかわからないがそんな言葉が出てきた。
ハッとして彼女がこちらを振り向き涙を拭いた。
「ありがとう。でも不思議ですね、なんでそこまで?」
不思議そうに尋ねる彼女。
「そうですね。私が信じなきゃいけないですよね。少し楽になりました。」
クラゲの水槽をまた彼女はじっと眺めた。
「今日はありがとうございました。」
別れ際彼女が言った。
「こちらこそありがとう。久しぶりにデートできました。今度は彼女と来たいですね。」
なんとも失礼な返しをしながら彼女に手を差し伸べて握手を求めた。それに返す彼女。お互い何か通じるものを感じながら目を合わせていた。
「また、偶然があれば会いましょう。その時は彼氏も一緒に」
「はい。でも偶然じゃないんでしょ」
笑顔見せながら冗談を言う彼女
「いや本当に偶然ですって。」
私は少し本気交じりに返す。そこには前みたいな暗い影がない姿。そして手を振りあいながら別れた。
彼女とのデートの余韻に浸りながら夕日を眺めた。
『あ~彼女ほしいな~。』
日頃さみしい身を思い出し暗い気分になりながら帰路についた。
その夜もいつものようにやつに苦しめられながら眠りにつく。何者かわからないもの。