第二章 闇内オウマとプログラミング研究部3/5
プログラミング研究部の部室までの道中、詰丘が廊下を歩きながらふと尋ねてくる。
「そういえばさ、オウマや光月は昨日の騒ぎについて学校側から何か言われた?」
昨日の騒ぎ。つまりグラウンドを封鎖して行われた魔王軍と将棋部の勝負のことだろう。ユウがブラウンの瞳をパチクリと瞬かせ、詰丘の問いに答える。
「いえ、特には何も。詰丘さんたち将棋部は何か言われたんですか?」
「いいや。私たちもお咎めなしだったよ。絶対に小言を言われると思っていたんだけど」
グラウンドを無断で封鎖し、さらには空手部にも多数の負傷者を出した。何かしらのペナルティを受けてもおかしくないだろう。ユウがニコリと微笑んで気楽な口調で言う。
「学校が見逃してくれたんですかね? 何にしても少しだけ安心しました」
「……どうだろうね。さすがに昨日のような騒ぎを見逃すとは思えないが。まあグラウンドの封鎖はともかく、魔法にかんしては注意の仕方に困るのかも知れないけど」
「魔法じゃなくて手品ですよ、詰丘さん」
ジト目の詰丘にユウが物知り顔で解説する。
「オウマは魔法だって言い張っていますけど、あれは正真正銘の手品です」
「……私だって魔法を信じているわけじゃない。ただ手品にしても奇怪すぎるだろ?」
「魔法なんて非科学的なことあるわけないじゃないですか。オウマにも嘘を吐くのは良くないって何度か注意しているんですが、オウマってほら、頑固なところあるから」
「……オウマ?」
詰丘がオウマに意見を求める。オウマは歩く足を止めないまま嘆息した。
「魔法でも手品でも好きなように解釈すればいいわ。どうせ何を見せたところで、ユウはそれが手品だと頑として聞かんのでな。そんなことよりもユウよ」
オウマは唇を尖らせて念押しの確認をする。
「本当にただ廊下で出くわしただけの女なのじゃな? 密会とかそうではなく」
「本当に今日廊下で会っただけだよ。階段から二人して落ちちゃってさ。もしも怪我をしていた時にお詫びをしたいとかで、お互いに簡単な自己紹介をしたんだ」
「本当の本当じゃな。もし嘘じゃったらわしは……わしはあああ……」
じんわりと目尻に涙を浮かべるオウマに、ユウが「嘘じゃないから」と宥めるように笑う。詰丘が「アンタも大変だね」とユウに気のない呟きをして首をふと傾げた。
「ところで階段から落ちたって? 大惨事じゃないか。怪我とかはなかったのか?」
「ええ、大丈夫ですよ。ボクは生まれつき体が頑丈なのでちょっとやそっとのことでは怪我とかしないんです。おかげでオウマの折檻にもどうにか耐えられています」
「……そういえば、さっきオウマが泣きながらそんなことを話していたか。殴るとか車で轢くとか。まあ殴るはともかく車で轢くってのはさすがに大袈裟だと思うけどね」
「え? 別に大袈裟なんてことありませんよ」
ユウの返答に、詰丘が困惑しながらも口を開こうとしたところで――
「着いたぞ」
オウマはプログラミング研究部の部室――コンピューター室に到着した。
普通の教室よりやや広めのコンピューター室。オウマは部屋の扉を眺めつつ「ここで果たすべきことは二つある」と瞳を尖らせた。
「一つはプログラミング研究部を魔王軍の配下とすること。そしてもう一つは、ユウと計楽という女が何の関係もない完全無欠な赤の他人であることを証明することじゃ」
「だから嘘はついてないってば」
「無論わしは信じておる。信じて……信じておりゅぅううううう……」
三度目尻に涙をためたオウマに、詰丘がどこか呆れ口調でポツリと言う。
「……それはもういいよ、オウマ」
「わしの涙を見飽きた一発芸みたく流すな! ええい! それでは乗り込むぞ者ども!」
オウマはそう自身に活を入れて、コンピューター室の扉を勢いよく開けた。
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オウマはまだ授業でコンピューター室を利用したことがない。ゆえにコンピューター室に入るのはこれが初めてだ。部屋に並べられた長テーブル。そしてそこに乗せられたパソコンやプリンタ。部屋の中はやや蒸し暑く空調の音が響いていた。
コンピューター室にいた生徒数人が、扉を乱暴に開けたオウマに注目する。彼らの視線を無言のまま見返すオウマ。しばらくして一人の生徒が「あっ」と目を丸くした。
「あの子って……昨日グラウンドで騒いでいた子よ。ほら将棋部となんか勝負してた」
「昨日のって……それじゃあ、あいつが噂の魔王を自称してる奴か?」
生徒たちがざわつき始める。どうやら魔王軍と将棋部の勝負を目撃していた者がいたようだ。生徒たちの視線を感じながらも、オウマは憮然とした面持ちで部屋を見回した。
「分かっていたことだけど……昨日のことやっぱり噂になっちゃってるみたいだね」
ささやき声で話しかけてくるユウに、オウマは「別に構わんじゃろ」と肩をすくめる。
「中学校という狭き世界じゃ。魔王たるわしの名はいずれ知れ渡るじゃろうて」
「なんか入学初日は水面下がどうとか話してなかったっけ?」
「はて、そんなこと話したかえ? それはそうと詰丘。例の女はどこにおる?」
オウマの質問に、詰丘がコンピューター室をぐるりと見渡して一点を指差した。
「あそこにいる人がそうだね。あの髪をおさげにした眼鏡の子だよ」
オウマはひとつ頷いて歩き始めた。栗色の髪をおさげにした眼鏡の女性。部屋の隅で何をするでもなく椅子に腰かけたままぼんやりと虚空を見つめている。オウマは眼鏡の女性の真横に立ち止まった。だが眼鏡の女性がオウマに気付くことはない。頬を赤らめて時折「ふふ」と不気味に笑うその女性に、オウマはやや困惑しながらも声を掛けた。
「……貴様が計楽賛香なる女か?」
「ふ……ふふ……ふへえ?」
眼鏡の女性――計楽が気の抜けた声を漏らしながら振り返る。計楽の表情はまさに心ここにあらずというもので、初対面のオウマを見ても何の反応も示さなかった。
だがしばらくして計楽に変化が起こる。締まりのない表情が徐々に強張っていき、とろけていた瞳が見開かれていく。赤らんでいた頬がさらに紅潮し、額に大粒の汗を滲ませた。彼女の異変に眉をひそめるオウマ。計楽が口をパクパクさせながら震える声を吐き出す。
「こ……光月くん? どど……どうしてここに……?」
ピシリとオウマの中で何かがひび割れる音が聞こえた。パタパタと目を瞬くだけのユウ。計楽が慌てて席を立ち上がり、「あの……その……」とユウを上目遣いに見やる。
「コ……コンピューター室に何か用でもあったの? ……それとも……その……もしかしてあたしに会いに来てくれたとか……そ……そんなことないよね?」
「ううん。計楽さんを探していたんです」
ユウがニコリと笑って答えた。彼の返答に計楽の頭からプシュウと湯気が立ち上る。
「そそそそ……そうなの? ああああ……あたしを探して……だだだだけど……あたしがプログラミング研究部の部長だってことは知らないはずだし……どどどうして?」
「詰丘さんに計楽さんのことを聞いて、コンピューター室まで会いに来たんですよ」
「そ……そこまでして……あああたしを……探してくれていただなんて……そそそれはその……もしかしてその……ああ……あたしのことを光月くんは――」
「うおいコラァアアアアアアアア!」
二人の甘酸っぱくも胸糞悪いやり取りに、オウマは堪え切れず絶叫した。きょとんと首を傾げるユウ。呑気なその彼の胸倉を掴み上げてオウマはけたたましく唾を飛ばした。
「どういうことじゃユウ! 話が違うではないか! これがただ廊下で出会っただけの者の反応か!? やはりそうなのか!? わしを裏切っていたのかぁああああ!?」
「話が違うって……何のこと? 至って普通の会話だと思うけど?」
「脳が死んどるのかお主は!? なんかもうピンクのオーラ全快じゃろうが!」
「オウマ。オーラが見えるとか非科学的なことはそろそろ卒業したほうがいいよ」
「やかましいわ! 殊更やかましいわ! 全身全霊やかましいわ! 第三次世界大戦やかましいわ! 宇宙創造ビックバンやかましいわぁああああああああああ!」
「はいはい……少し落ち着いてオウマ」
詰丘が興奮するオウマを宥める。困惑したように目を丸くしている計楽。どうやらオウマと詰丘の存在にいま気付いたらしい。詰丘が涙を流しているオウマの頭をポンポンと叩きながら唖然としている計楽に尋ねる。
「こんにちは計楽さん。私のこと覚えてる?」
「う……うん。将棋部の詰丘さんよね? 前に将棋アルゴリズムの相談に乗ってくれた。あ……あの……どうして詰丘さんがここに?」
「その本題に入る前に一つ質問。光月と計楽さんはどうやって知り合ったのかな?」
「それは……あたしが階段を踏み外して……光月くんを巻き添えに転落しちゃって」
「ほらオウマ。聞いた通りだよ。光月は何も嘘なんか吐いちゃいないだろ?」
詰丘にそう諭されてオウマはぐっと涙を呑み込んだ。あらかじめ二人で口裏を合わせておく。そんな憶測もちらりと浮かぶがユウにそのような高度な真似ができるとも思えない。恐らく二人の言い分に誤りはないのだろう。
(しかし……この女の態度は……)
オウマの胸中に不安が過る。だがとにかくユウの裏切りに関しては冤罪らしい。オウマはユウの胸倉から手を離すと、計楽に敵意剥き出しの視線をギロリと向けた。
「……計楽賛香。先の話では、貴様がこのプログラミング研究部の部長か?」
「え……ええ……あの……ごめんなさい。貴女はその……光月くんの知り合い?」
「わしは闇内オウマ。ここにいる間抜け面――ユウの幼馴染じゃよ。因みにユウがここにいるのはわしの付き添いで、貴様に会いに来たわけではないわ」
幼馴染を強調しつつ重要な点を明確に訂正しておく。オウマの言葉に計楽がしゅんと肩を落とす。だがすぐ気を取り直したのか、彼女が不思議そうに首を傾げた。
「あの……あたしに何か用があるの?」
「これよりプログラミング研究部は我らが魔王軍の配下となる。感謝するがいい」
計楽が「は?」と疑問符を浮かべる。オウマの宣言に部屋にいる生徒――プログラミング研究部の部員がざわりと揺れた。計楽が眼鏡の位置を整えつつ詰丘を見やる。
「詰丘さん……これはどういうこと?」
「どう説明しようかな……オウマは魔王を自称しているんだけどね、自身の手足となる魔王軍を拡大するために有用な部活をその配下に加えようとしているんだ」
「……ごめんなさい。それは何かの遊びなのかしら?」
「少なくともオウマは真剣だよ。どうだろう計楽さん。私に免じて、彼女のやることに少しだけ付き合ってはくれないか?」
「……詰丘さんにはお世話になったし、できれば協力してあげたいけど……」
計楽が詰丘からオウマに視線を移して露骨にその表情を渋くする。
「配下になれと言われても困るわ。そもそも具体的にどうしろって言うの?」
「難しいことではない。要はわしに絶対の忠誠を誓い死に物狂いで働けばよい」
「忠誠って……そんな要求を受けられるわけないでしょ? そもそもあたしは部長ではあるけど部員にも迷惑が掛かるような話をあたし個人が決めるわけにはいかないわ」
「なんじゃ? 部下の命運すら責任が持てぬとは、何とも情けない将もいたものじゃな」
挑発的にそう話したオウマに、計楽がやや表情をムッとさせた。
「部下じゃなくて部員ね。とくにかくその要求は受けられない。申し訳ないんだけど、話がそれだけなら帰ってもらえる?」
「やれやれ聞きわけがないのう。あまり手間を掛けさせんでくれ。さもなくば――」
オウマの瞳に冷たい眼光が輝いた。
「実力行使も考えねばならんからのう」
空気がピリリと凍りつく。中学一年生の女子生徒。その人種ではおおよそ捻り出せないだろう凶暴な気配。突き刺すような殺気。それをオウマは全身からみなぎらせた。計楽の表情が瞬間的に強張る。いかに鈍感なこの世界の人間でも魔王の敵意に触れて何も感じないはずはない。オウマはさらに気配の刃を鋭くして小生意気なその女に――
「……オウマ。そう言うの良くないよ」
ユウがここで苦言を呈する。
オウマは浮かべていた意地悪い笑みを「うっ」と渋くした。ユウが形の良い眉を悲しげに曲げて子供に言い聞かせるように話す。
「こっちはお願いする立場なんだからさ。そういう脅すような言い方は好きじゃないな」
「な……なんじゃいなんじゃい! そんなこと言われんでも分かっとるわい!」
計楽の肩を持つようなユウの発言に、オウマは悔しいやら悲しいやら顔を赤くした。
「少しぐらい意地悪しても良かろう! ほんの茶目っ気ではないか! それをそんな……そもそもわしが苛立っているのも全部、お主の所為でもあるのだぞ!」
「何でボクの所為なの?」
「ふんだ、もう良いわい! おい計楽とやら! わしとお主とで一騎打ちの勝負じゃ! お主の得意分野でわしが勝利すればお主はわしに従うがいい!」
オウマは口早にそう言うと、計楽が反論するよりも早くさらに言葉を重ねた。
「その代わり、お主が勝利した時はお主の願いを何でも叶えてやる! お主が望むものを何でもくれてやる! これでどうじゃ!? お主にとっても悪くない話じゃろう!」
「何でもって……そんなこと言われても」
「さあ望みを言うがいい! どのような願いでも構わんぞ! さあ早く!」
計楽が顔を俯ける。自身の得意分野となる勝負ならば負けない自信があるのか。話に消極的だった彼女にも迷いが生じているようだ。しばしの沈黙。計楽が俯けていた視線をおもむろに上げる。そしてその彼女の視線が――
ユウの視線とパチリとぶつかった。
計楽の頬が赤く染まる。その彼女の反応にオウマは急激にイヤな予感を覚えた。計楽が「それじゃあ……その……」とモジモジ体を動かしながら自身の願いを口にする。
「もしあたしが勝ったら……あの……光月くん……あたしと付き合って――」
「それは駄目じゃあぁあああああああああ!」
計楽が言葉を言い終える前に、オウマはあらん限りの力で絶叫した。オウマの怒声にたじろぐ計楽。オウマはガシガシと髪を乱暴に掻くと憤懣やるかたなく叫んだ。
「何なんじゃ! デジャブか!? 何故この中学校では願いごとが色恋ばかりなんじゃ! 頭の中お花畑か!? もっと人間性を疑われるような願いごとを持たんか!」
「私らも思春期の女子だからね。やっぱ一番の関心事は恋愛なんじゃない?」
詰丘の気のない言葉を聞き流しつつ、オウマは「むきぃいい」と地団太を踏んだ。ここで気圧されていた計楽がハッとして「ちょ、ちょっと!」とオウマを非難した。
「どんな願いでも聞いてくれるって言ったじゃない! 駄目って何よ!?」
「どんな願いも叶えてやるがそれだけは駄目なんじゃ! 別の願いにせんか!」
「そんなのズルいわ! 約束が違う!」
「ズルくても駄目なものは駄目なんじゃ!」
「ねえオウマ。よく話が見えないんだけど、ボクにできることなら協力す――」
「お主は黙っとらんかい!」
何も理解していないユウを拳で黙らせる。顔面を殴られたユウがその場にペタンと尻もちをついた。このオウマの暴挙に計楽が小さな悲鳴を上げてユウに駆け寄る。
「大丈夫、光月くん!? な、何するのよ!? 光月くんが可哀想じゃない!」
甲斐甲斐しくユウに寄り添う計楽に、オウマは怒りのボルテージをさらに高めた。
「うおおおおおい! 何をどさくさに紛れてユウに近づいておるか! それにこやつは殴られて快楽を覚えるゆえ、むしろわしに殴られるのはご褒美みたいなものじゃ!」
「そんなわけないでしょ! 光月くんはどちらかというと、お姉さん系の彼女に普段はリードされがちだけど、ひょんなことで狼に変貌しちゃう隠れ肉食系男子よ!」
「阿保か! こやつは乱暴に足蹴にされて犬のごとく尻尾を振る絶対服従系男子じゃ!」
「光月くんはそんなんじゃない!」
「貴様にユウの何が分かるか!」
オウマと計楽が荒い息を吐く。話題の中心ながら呑気に首を捻っているユウ。そしてジト目で状況を見守るだけの詰丘。計楽が大きく深呼吸してオウマをギッと睨みつける。
「いいわ。それじゃあ願いごとを変えてあげる。あたしが勝負に勝ったら――貴女はもう二度と光月くんには近づかないで!」
計楽のとんでもない要求に、オウマは「はあああ!?」と手を戦慄かせた。
「なんじゃその要求は! ふざけるではないわ!」
「ふざけてなんかない! さっきから貴女は光月くんの胸倉を掴んだり殴ったりして、とても見るに堪えないわ! これ以上、光月くんを苦しめさせたりしない!」
「わしはユウの幼馴染じゃぞ! ポッと出の貴様にとやかく言われる筋合いないわ!」
「幼馴染だからって何やってもいいなんてないわ! それにね――」
計楽がギッと瞳を鋭くする。
「最近の漫画とかアニメだと、幼馴染が恋人として結ばれることのほうが少ないの。大体ハートを射止めるのは、ポッと出の女の子のほうなんだから」
計楽の発言に――
オウマは深々と心臓を貫かれた。
「い……言うたな……わしがひそかに気にしていたことを……言うてしまったな」
懸命に目を背けてきた事実。予定調和を嫌う現代の大きな潮流。それを真正面から指摘されオウマの歯がガチガチと震えた。相変わらず間の抜けた顔をしているユウ。そしてそのそばに寄り添う潮流を味方にした女。オウマは震える歯を強引に食いしばると――
「よ……よかろう」
ヤケクソ気味に声を荒げた。
「そこまで言うならその勝負! 受けてやるわ! 時代の流れがどうだ世間がどうだなどクソくらえじゃ! 幼馴染のわしが一番ユウに相応しいと証明してくれるわ!」
「貴女になんか負けないわ! 絶対に光月くんを貴女の魔の手から救い出してみせる!」
激しく火花を散らすオウマと計楽。睨み合う二人をぼんやりと眺めて――
「えっと……魔王軍の話はどこいったの?」
ユウが至極まっとうな疑問を呟いた。