第二章 闇内オウマとプログラミング研究部2/5
「将棋部は我ら魔王軍の配下となった!」
将棋部の部室。適当に並べた机の上に一人の少女が立っている。黒いツインテールを風もないのに雄々しくなびかせて、小柄な体格を精一杯にふんぞり返らせたその少女は、近い将来における世界の支配者であり、強大な魔力をその身に宿した魔族の王――
闇内オウマその人であった。
「しかし絶望するではないぞ! 何も貴様らを取って食おうというわけではない! わしに従う限りは命の保証をしてやる! 寛大なわしに感謝してむせび泣くと良いわ!」
部室には将棋部部員がおり二人一組で将棋を指している。パチパチと駒の音を響かせている部員たち。彼らの視線は将棋盤にのみ注がれておりオウマを一瞥さえしない。
「では記念すべき魔王軍の配下第一号である貴様ら将棋部に、魔王たるわしが初命令を下してくれる! よいな! いくぞ! 貴様ら全員――わしの話を聞けええええ!」
オウマは手を戦慄かせて絶叫した。だがやはり将棋部部員はオウマを一瞥もせず将棋盤にその視線を集中させている。ギリギリと歯ぎしりしてオウマは地団太を踏んだ。
「なんじゃなんじゃ! みんなしてわしを無視しおってからに! それが魔王に対する態度か! もっとわーきゃー騒いでむやみやたらに神に祈らんかボケエエエエ!」
「――王手」
ぱちんと鋭い音が鳴った。王手を告げられた生徒が「参りました」と厳かに頭を下げる。対戦相手の敗北宣言に頭を掻きながら席を立つ女性。半分瞼の落ちたジト目を一度瞬きさせて将棋に勝利した少女――
将棋部部長の詰丘将希がオウマを見やる。
「さっきから騒がしいよ、オウマ。遊びにくるのは別に構わないけど、他の部員の迷惑になるようなことは止めてほしいな」
「おおそれは済まぬ――ではないわぁあああああああああ!」
オウマはそう唾を飛ばすと、唐突にふっと真顔となり口の前に指を一本立てた。
「お口にチャック――ではないわぁあああああああああ!」
「なんでノリツッコミやり直すの?」
「図書館ではお静かに――ではないわぁあああああああああ!」
「まあそれは確かに違うけど?」
オウマのボケに淡々と対処して、詰丘がジト目を維持したまま嘆息する。
「なに暇なの? やることないならオウマも将棋やってみれば。結構筋いいと思うから」
「暇なわけあるまい。わしには魔王軍を再建して世界征服するという務めがあるのじゃ」
オウマは表情を渋くすると、乗っかっていた机からぴょいと飛び下りた。
「どうもお主らは魔王軍の配下についたという自覚が足りんのではないか?」
「そう言われてもね。そもそも魔王軍ってのは何をすればいいモノなの?」
詰丘に逆に尋ねられ、オウマは「ふむ」とキリリと眉を引き締めた。
「言わずもがな。世界征服を成し遂げるために魔王たるわしの手足となることじゃ」
「……それで世界征服ってのはいつやるの?」
「今はまだ体制が整っておらん。待機しておれ。いずれその力を存分に振るわせてやる」
「それじゃあ将棋続けていい?」
「良かろう――ってうぉおおおおおい!」
詰丘にズビシと手の甲でツッコミし、オウマはぜえぜえと荒い息を吐いた。
「お、恐ろしい奴じゃ。よもやこのわしがまんまと言葉を誘導させられるとはな」
「別にそんな気ないけど……でも魔王軍としてやることないなら将棋していいじゃん?」
「そうじゃが……それはそうじゃが……なんか魔王軍らしいことしたいのじゃああ!」
オウマは駄々をこねる子供のように両手足をパタパタと振った。
「転生してより初めて魔王軍に配下が加わったのじゃああ! なんか久々に魔王軍っぽいことをしたいのじゃああ! 悪逆非道の限りを尽くしたいのじゃあああ!」
「……よく分かんないけど」
「おおそうじゃ! お主ら将棋部にもっと魔王軍らしい新たな名前を授けてやろう!」
詰丘が怪訝に首を傾げる。オウマは自分のカバンから筆ペンとノートを取り出すと、ノートを開いてササっと筆を走らせた。そして詰丘に開いたノートをズバッとかざす。
「貴様ら将棋部はこれより魔王軍師団――『悪魔の脳』を名乗るがよい」
「B級映画のタイトルみたい」
「そして詰丘よ。お主はその師団長である『悪魔の血』という名を授けよう」
「急に戦隊モノっぽい名前になった」
「ちなみに必殺技は将棋の駒を丸呑みしてその駒の能力をコピーすることじゃ」
「ありそうだけど無理だから」
詰丘がジト目を呆れさせている。色々と提案するもどれもお気に召さないらしい。オウマは「ちっ」と鋭く舌打ちをすると、ノートと筆ペンをカバンに戻して嘆息した。
「我儘な奴じゃのう。魔王たるわしがこうも頭を捻り提案しておるというに」
「……そもそもオウマは魔王軍の拡大を図っている途中なんだろ? だったら今は、無理して魔王軍としての行動はしないで、その拡大に意識を集中させたらどう?」
詰丘がジト目を僅かに細めて笑う。
「昨日のような面白い勝負がまた見られるなら魔王軍の拡大には私も協力してあげるよ」
「ちょ、ちょっと部長!」
将棋に集中していた部員の一人が、詰丘の発言に慌てた様子で声を上げた。席から立ち上がり詰丘へと駆け寄ってくるポニーテールの女性。将棋部副部長の保坂守美子だ。
「昨日のような騒ぎを起こされては困ります。それに魔王軍だなんて馬鹿げてますよ」
苦言を呈する保坂に、詰丘が「分かってないな、保坂さんは」と肩をすくめる。
「魔王軍がどうとか関係ないよ。前にも話しただろ。重要なことは私が楽しめるかどうかだ。昨日のような先の読めない展開がまた体験できるなんてドキドキするよ」
「またそんな……あまり問題行動を起こせば部活動の停止も考えられますよ」
「さすがに私もこの部を潰されるのは敵わない。その辺りの線引きは心得ているさ」
保坂が表情を渋くする。どうやら詰丘の返答に懐疑的らしい。詰丘が「大丈夫大丈夫」と保坂の不安を気楽な調子で受け流して逸れた話題をさらりと戻す。
「それでオウマ、次はどの部活を魔王軍の配下にしようと考えているの?」
「うーむ……そうじゃのう。とりあえず知力たる将棋部はこうして抑えた。となると今度は武力なる部活に狙いを定めるべきかもな。プロレス部とか剣道部とか」
「なるほど。でもねオウマ。そういった物理的な武力もいいけど、現代社会における武力という意味ではもっと適切な部活があるよ。例えば――プログラミング研究部とかね」
「プログラミング……情報技術か」
魔王として生きた前世の世界。そこには存在しない技術概念。詰丘の提案にオウマは思案しながら腕を組む。
「確かにこの世界は情報化社会。情報技術に長けた者を魔王軍に加えるのも良いかもな」
「プログラミング研究部なら私にも伝手がある。半年前にAI将棋の思考アルゴリズムについて相談を受けたことがあってね。その時の借りがあるから、私が一緒なら無下に扱われることもないと思うよ」
「ふむ……因みにその部活を取り仕切っておる者は一体何者じゃ?」
「私がその研究部に関与したのは前の部長がいた時だからね。今は誰が部長なのか聞いてはないな。私が直接知っているのは半年前に相談の窓口になっていた三年の先輩で、名前は確か――計楽賛香さんだったかな」
詰丘がそう話したその時――
「計楽さん?」
聞き馴染みのある声が聞こえてきた。
開かれていた部室の扉。そこに一人の少年が立っていた。ブラウンの髪にブラウンの瞳。穏やかで優しい顔立ち。オウマの同級生にして幼馴染、そして――
勇者の転生体である光月ユウだ。
「君は……光月だったね。オウマと一緒じゃないから今日は来ないと思っていたよ」
「こんにちは詰丘さん。担任の先生から資料を運ぶように頼まれたので遅れてしまったんです。因みにオウマも頼まれたんですが逃げてしまったのでボクが二人分働くことに」
「それは災難だったね」
「それで何の話をしていたんですか?」
「魔王軍が次に狙おうとしている部活の話だよ。プログラミング研究部の――」
「ユ……ユウよ」
オウマは震える声を吐き出した。顔を蒼白にしたオウマにユウと詰丘がポカンと目を丸くする。オウマは不安定な足取りでユウへと近づきながら絶望的な気分で口を開いた。
「ど……どういうことじゃ? お……お主はその計楽という女を知っておるのか?」
「え……まあ……うん。オウマ?」
「わしはそのような女……知らんぞ」
オウマの目にじんわりと涙が滲む。
「なぜ幼馴染でいつも一緒のわしが知らん女のことをお主が知っておるのじゃ? わしに隠れてその女と密会しているということか? お主は……お主はわしを裏切ったのか?」
ポロポロと大粒の涙をこぼすオウマに、ユウが「ち、違うよ!」と首をプルプルと振る。オウマはすがるようにユウに抱きつくと、涙の量をさらに増やして声を上げた。
「いやじゃああ! わしを見捨てないでおくれええ! 悪いところがあったのなら直すからああ! これからはイイ子にするからああ! 嫌いにならんでくれええ!」
「いや……オウマ落ち着いて。何かヘンな誤解をしているみたいだけど」
「これからは意味なく殴らんからあああ! 面白いというだけで屋上から落としたり、野犬を従わせて襲わせたり、とりあえず車で轢いたりとかしないからあああああ!」
「それは本当に止めてほしいけど……」
「うわあああああん! あぁあああああああああああん!」
それから誤解が解けるまでの五分間――
オウマは赤ん坊のように泣き続けた。